22 野望
「オリビア様、お連れしました」
バスチアンがアンリ会長を連れて戻ってきました。律儀な会長は私の五億を持ったままです。バスチアンが五億を預かると、アンリ会長は徐ろにカツラを取りました。
カツラの中からは正妃様と同じ髪色が溢れ出てきました。
「私は孤児院で育ちました。生まれた時から目元に傷があったそうで前髪で隠すように言われました。訳ありだと考えた院長が髪の色を染めて私を守ってくれました。今は黒髪のカツラを作って生活しています。預けられた私を包んでいたという布は焼却したそうです。当時の院長は先日亡くなりましたから、もう全てを知る者はいません」
「彼が本物のジュリアンなの?」
「私の占いでは、そうなります。証明はできませんが」
「確かにそうね。慎重に検討する必要があるわね」
正妃様は葛藤しているようです。
「もし違うのだとしても、抱きしめさせてもらえるかしら」
「ご随意に」
おずおずと歩み出た正妃様はゆっくりと腕を伸ばしてアンリ会長を抱きしめました。アンリ会長は真っ直ぐ立ったままです。ハッキリしてもしなくてもきっと抱き返したりはしないのでしょう。
「裏付け捜査が終わるまでは今の仕事を続けたいのですが」
「そうね。あなたの生活があるものね。違った時のことを考えて動かなくてはね。ただ、護衛は付けさせて。何が起こるか分からないから」
「承知しました」
アンリ会長は普段の冷静な表情を崩しません。王太子殿下にはお会いしたことがないので分かりませんが、ヴィクトル様とアンリ会長は似ていないように見えます。
「では私は失礼させて頂きます。オリビア様、この五億は商工会の口座に振り込んでおきましょうか。それとも現金のままお持ちになりますか?商工会宛にギヨーム会長から送られてきた天使健在という名目の振込も合わせますと十五億になりますが」
「オリビア、あなた本気でマノンを買い取ろうとしていたの?」
「交渉の見せ金とでも申しましょうか、人身売買をするつもりはありませんでした。ヴィクトル様をセイラに降婿させていただく結納金に、と考えたことはあります」
「そう。ヴィクトルはどうなるのかしら」
「私には分かりません。占いが示すのは未来の可能性の一つに過ぎません」
「そうよね。彼には幸せになってほしいと思っているのよ。ああ、騎士が戻ってきたわ」
騎士に先導されてタニアとマノンが荷物を持って戻ってきました。
「オリビア様、申し訳ありません。タニアが怪我を!」
マノンは目に涙を浮かべています。
「荷物を整理していたマノン様は急に現れたジュリアン殿下に襲われました。逃げようとした時にジュリアン殿下の所持していたナイフが少し私の腕を掠めてしまいました。お恥ずかしい限りです。ジュリアン殿下は駆けつけた騎士の方が拘束してくださいました」
「狭い部屋の中で襲ってきた相手からよく守ってくれた。傷の手当ては?」
「はっ。済んでいます」
バスチアンとタニアは上官と部下の関係です。
「よくやった」
「ありがとうございます」
タニアはマノンの警護に戻りました。荷物は思っていたよりも少ないようです。
「マノン、贈られた物は持っていかないの?」
「正妃様、私には不要な物です。後宮の皆様方で分け合っていただければ幸いです」
「そう。分かったわ。手配してちょうだい」
「承知しました」
執事の方でしょうか。何を贈られたのか少し興味がありましたけれど、我慢します。
「マノン、ご挨拶は済んだの?」
「オリビア様、私がご挨拶をしたい方々は皆彼岸の彼方です」
「そう。落ち着いたら法要をしてご冥福をお祈りしましょうか」
「ありがとうございます」
マノンが伝説の侍女と呼ばれたのってもしかしてこういう前世トークのせいかしらね。話すのが楽で、つい……
「正妃様、セイラが戻ってくるのをどこかで待たせていただきたいのですが」
「そうね。この部屋でも構わないわ」
「ありがとうございます」
「あら、陛下」
私たちは慌ててカーテシーで迎え入れました。
「今は私的な集まりだから」
陛下の執事の方に勧められて全員一番近くにある椅子に座りました。
「今回のジュリアンのこと、ご苦労であった。これからヴィクトルも世話になるという。その方、何を望む?」
「恐れ多いことでございます」
「何か三つは望んでもらわぬと困る」
「ではカルナバ王国でのクリスタルホテルの建設許可とアダマンテ王国人従業員の就業許可、建設場所のご提案を頂ければと」
「ほほう。ホテルか」
「アンリ会長とご縁をいただきまして、この街に常宿を作れたら、と思いまして」
「……いいだろう。詳細はヴィクトルと詰めるがいい」
「ありがとうございます」
「ヴィクトルとアンリを押さえるとは、大きな野望でもあるのか?」
「各国にクリスタルホテルを建設するのが夢でございます」
「ほう?」
「夫と旅行をしたいのです」
「惚気か。まあ、よい。ヴィクトルとアンリのことはよろしく頼む」
「こちらこそ、素晴らしいご縁をいただき感謝申し上げます」
「ははっ。では、達者でな」
私たちは再びカーテシーの姿勢です。陛下は優雅に退室されました。顔を上げると、ヴィクトルとセイラが待っていました。クララは二人の後ろに控えています。
「セイラ、おかえりなさい」
「オリビア様、クララは騎士だったのですね。私、何も知らなくて……」
「騎士に見えなかったなんて褒め言葉ですわ。セイラ、私たちは用事が済んだので一度家へ帰ろうと思うのですが、セイラはどうしますか?ヴィクトル様の今後のご予定も伺えるとありがたいのですが」
昨日眠れずに悶々としていたヴィクトル様はどこへやら、晴れやかな笑顔です。
「オリビア、理想的な結果になった。外交官として来月からアダマンテ王国に派遣される。最初は見習いの立場ではあるが、まずは第一歩だ。セイラは一先ず実家に戻る。なにせ私は未来の義父上から結婚の許可をまだもらっていないからな」
「そうでしたね。すっかり忘れていましたわ」
出発前に話し合いをした時の伯爵の顔を思い出しました。喜ぶとは思いますが、男親の娘への気持ちは複雑だと聞きますから、何かしらあるのかもしれませんわね。
「セイラ、今更側にいられない時間があるなんて信じられないが、どうか私のことを信じて待っていてほしい。必ず君を迎えに行くよ」
熱のこもった眼差しのヴィクトル様はセイラの手を取って指先に口付けを贈りました。
「ヴィクトル、あなたに会えない間、手紙を書くわ。たくさん学ぶこともあるでしょうし、私も頑張るわ」
芽生えたばかりの心、離れてしまわないようにお互いが歩み寄らねば、その困難さ故に枯れ果ててしまうかもしれません。
側にいたら生まれない疑念や不安。遠距離恋愛になってしまう二人が、また笑顔で寄り添い会えるように、微力ながら私も応援したいと心からそう思いました。
「アンリ会長、お待たせしてしまって申し訳ありません。現金は商工会の口座に入れて頂けると助かります。事後報告にはなってしまいますが、ホテルの件でご協力いただきたいので、近々お時間をいただけたら嬉しいのですが」
「目の前で大それた展開になって驚きました。ホテルの件、喜んで力の限り尽くさせていただきます。商店街経営と切っても切り離せない問題もありますからね。双方に良くなるように一緒に考えさせてください」
アンリ会長は現金が詰まったバッグを見せて言いました。
「では、お先に失礼します」
アンリ会長はスザンヌ様と部屋を出て行かれました。スザンヌ様とも改めて相談しなくては。
「じゃあ、僕たちも帰ろうか」
リオネルが私の手を取ります。
「ええ。今日はマノンのお祝いをしなくちゃ。そして明日はセイラのお祝いをしましょう。あの、急なことで恐縮ですが、ヴィクトル様のご予定はいかがですか?」
「明日なら大丈夫ですよ。嬉しいなぁ。そんな風に祝ってもらうのは久しぶりだから」
数年前に亡くなられたお母様を思い出されたのかもしれません。
少し切なそうな眼差しのヴィクトル様。その眼差しもセイラの視線と重なると途端に甘くなりました。今は明るい未来しか見えていないお二人がキラキラしていて眩しいです。
二人の前途が明るいものでありますように。
いつまでも幸福でありますように。
どんな困難も乗り越えられますように。




