愛に咲くー5 アルターとの出会い
月明かりだけが進む道を照らし、真夜中のガタガタ道に馬車の姿は全くない。
牧師館を出た後、ヴィクトリアはと言えば、頭は故郷に近づくのは不味いと警鐘を鳴らすのだが、心は亡き夫を想い、家族を思い、幸せな思い出に思いを馳せてしまうのだ。すると身体はなぜか懐かしい故郷を目指して歩いている。足というものは、脳の指令によって動くものだと思いがちだが、得てして心に従うものであると。ヴィクトリアも例外ではなく。
どれくらい歩いたのだろうか。木立の隙間からもれてくる朝日の光が眩しく、小鳥のさえずりもあちらこちらから聞こえてきた。
「疲れたわ。ちょっと休もう。きっと、お腹の中の赤ちゃんも疲れたわよね?」
ヴィクトリアは張り出したお腹にそっと手を置き、ゆっくりと撫でた。辺りを見回し、木陰で休めそうなところを見つけ、お腹を気にしながら座った。
「ここはどのあたりだろう?住んでいた村から近いのかしら?」
目の前には白いペンキで塗られた塀に囲まれた牧草地が広がり、遠くの山々が青い。見慣れぬ景色が広がっている。と、そこへ朝一番の牛乳運びの馬車がやってきた。
「おはようございます!どうかされましたか?」
馬車に乗っていた若い男が、馬車を止めて声をかけてきた。
「あ、いえ、歩き疲れたので休んでいたところです。お構いなく」
「いや、いや、顔色も悪いし、身重でしょ!気を付けないと大変ですよ。俺ん家、近いんで飲み物でも飲んでいってはどうです?」
「それは・・・」
「あー、警戒してるんでしょ。まあ、若い女性だしね、わかりもしますが、今は身体が一番大事でしょ。それにね、俺はこれから牛乳配達なんで、家にはしばらくいないんですよ。まあ、帰宅は夕方くらいになるかなあ。だからゆっくりしていきなよ。ちなみに俺は一人暮らし、だけど近くに実家がある。だから、困ったら実家を頼ってもいいしさ。な、そうしなよ、ここで会ったのも何かの縁だしさ!」
ぐいぐいとヴィクトリアに攻め込んでくる。
「そ、そうね・・・じゃあ、ちょっとだけ・・・」
これ以上おしゃべりされたら、身が持たない。ヴィクトリアは馬車に乗せてもらい、男の家へと向かった。揺れる馬車、広がっていた牧草地は狭くなってゆき、村が見えてきた。
「あの・・・お名前はなんと?」
「おれはアルター。あんたはなんて言うんだい?」
「私はヴィクトリアよ」
「じゃあ、ヴィクトリア、俺達は今から友だちだ。な、それならいいだろ!」
それを聞いて、ヴィクトリアの気持ちは和らいだ。
村外れにあるアルターの家と実家とは、丘を隔ててこちら側と向こう側に建っていた。アルターの家は木造で小さいが心地よい。アルターは温かい紅茶を淹れると、そそくさと出て行った。静まり返った空間に浸り、ソファーで紅茶を飲んでいると睡魔が襲ってきた。そういえば・・・寝てなかったな・・・。ヴィクトリアは疲労感とともに深い眠りについた。
その日のアルターの仕事は多忙を極め、遠方のお客もいたため、帰宅したのはもうすっかり陽が落ちた時刻だった。自宅の扉を開けた瞬間、アルターは自分が出た時そのままの状態に驚いた。
「相当疲れてたんだね・・・。まあ、このまま眠らせてあげよう」
アルターは起こさないようにそっとヴィクトリアを抱き上げ、自分の寝室へと行き、ベッドに寝かせた。
夕食をすませ、暖炉の前のソファーで寛いでいると、寝室に続く扉が開いた。
「すみません、眠り込んでしまって、こんな時間まで・・・。それに・・・ベッドに運んで下さるなんて・・・なんとお礼を申し上げて良いか・・・。お陰様で体力が回復したようです。すぐにでも出ていきますね」
「医者に診せた方がよくないかい?まだ青ざめてるけど・・・」
「いいえ、この子と私の命は神の御心によって決められているもの。それまでならば、そうと、もうとっくの昔に覚悟はしています」
「潔いっちゃ潔いんだけど、もっと誰かを頼ってはどうなの?家族とかいるでしょ!」
家族という言葉を聞いた瞬間に、ヴィクトリアの身体はカタカタと震え、その場に座り込んだ。
「あー、分かった、分かった。なんか、家族間に訳ありなんだね。もう、そのことは言わないよ。まあ、とりあえず何にも食べてないんだし、余りものだけど食べなよ!」
アルターはテーブルの上にあったパンとミルクを差し出した。ヴィクトリアは、それを受け取り、もくもくと食べ始めた。
「うーん、君が話さないなら、俺が話をしょうかな。俺にはね親友がいるんだけど、そいつが純粋なやつでさ、羨ましくもあり、不器用すぎてイライラしちまうこともある。長い話になるけど、聞いてくれよ。これまで誰にも話したことはないけどさ、俺はね、寄宿学校に通っていたんだ。そいつとの出会いはこうだったのさ・・・」
家の外では、いつの間にか冷たい銀色の細い雨がシトトン、シトトンと降っていた。暖炉の灯りが陰影をつくるアルターの横顔は真剣で、まるで懺悔のような昔語りが始まった。