愛に咲くー10 ヴィクトリアが選択したもの
『ローレンスの想い人ってだれ?』
ヴィクトリアは考えていた。
湖に居た子ユリンじゃなくても、やはりローレンスには好きな女性がいたのだ。だから、私はこのまま行方不明のままの方が良い。長期間みつからなければ、いつの日かローレンスも家族も諦め、未来へと進むであろう。
リビングが静かになり、アルターが寝だのが分かった。
夜半になるのを待ち、ヴィクトリアは荷物をまとめ、大きなお腹を抱え、そっと裏口からアルターの家を出た。本当はもう出産も近い、ここで動くことは危険が伴なうのは重々承知。木戸口が静かに閉まってくれと、ヴィクトリアは祈りながらそっと閉めた。今日はフクロウの声がよく聞こえる。それに紛れて、戸は閉まった。
どの方角に進もうか・・・。また、『行く当てもなく彷徨う者』になってしまった・・・。この旅に終わりはあるのだろうかと、不安でたまらない。
幼い頃はとても幸せな家庭で育った。だから、まさか己が放浪するようになるとは考えもしなかった。両親は元気にしているだろうか?私に姉妹がいたら、相談できたのかもしれないし、力になってくれたのかもしれない。ふと、そう思うこともある。
そんなヴィクトリアは懐かしい景色を求めて、夜道をトボトボと歩いた。
頭の中には、ローレンスのことばかりが浮かんでくる。
可愛い・・・私の義弟。兄弟姉妹のいなかった私は、ウォルターが弟の話をする、その楽しそうな顔をいつも見ていた。そのうちに自分の弟のように感じて、数々のいたずらの話はとても愛おしく思えたものだ。
結婚式後の舞踏会で初めて会ったと思っていたけれど、どこか引っ掛かる・・・。
と、ハッとした。
スコット領の商人の娘だったヴィクトリアには、親友がいた。家も近所で両家とも商家、お互いに助け合いながら商いをし、家族同然の付き合いをしていた。彼女の名前は、コリンヌ。
生まれた時から一緒にいたと言う彼女と私はよく似ていた。はた目にはよく似ているように見えたが、彼女たちをよく知る者たちは彼女らをこう評した。太陽のコリンヌ、月のヴィクトリアと。
太陽のように明るく無邪気で可愛い顔のコリンヌ、体つきは繊細で華奢まるで白いレースのよう、だが見た目に反して性格は実直かつ大胆だった。
一方のヴィクトリアは、月のようにもの静かで優美な顔(まあ所謂美女顔とよばれる類)、体つきも女性らしく丸みを帯び、妖艶と言った方が早い、しかしだ!性格は几帳面で臆病、それゆえにいつも控えめに行動し、彼女の長所が際立つことはなかった。
そういえば・・・コリンヌが川に入ったことがあったっけ。よく思い出せないけど、もしかしてあの男の子がローレンス?じゃあ、ローレンスの相手って、コリンヌなの?
でも、コリンヌはあの後すぐに、父親の仕事の関係でスコット領からアルキア領へと引っ越した。だからこの件は本当に忘れていたけど・・・と言うことは・・・ローレンスが言ってた初恋の相手って、始まりはコリンヌで、その後は私ってことになるのかな・・・。よくよく思い出してみると、確かに、いつも絡んでくる男の子の集団がいた。その中の一人にローレンスの面影を探した。顔は霞んでいるが、心の中では彼がいたという気がする。これはあくまでも私の憶測、本当の気持ちは彼にしか分からず、それを告げられなければ分からないもの・・・。
コリンヌがいなくなってから、私は変わった。最初は自分の「陽」の部分を失ったようで、寂しくてどうしょうもなかった。けれど時が経つうちに、自分が欠けた部分をも担うようになっていった。
そうなると、ヴィクトリアは目立つ存在となり、村一番の美少女と誰からも認識された。そうして収穫祭のダンスパーティーで出合ったのが、ウォルターだった。他の誰と踊ってもときめかなかった胸が、彼に手を取られ、あの青い瞳で見つめられた時、ドキンと音がしたのだ。それも盛大に!
ウォルターとは何曲も踊った。本来ならば、相手を次々と変えて踊らないといけない、それは男女が出会い、愛を育む機会を最大限に作ると言う意図もあった。
だから、私の気持ちを確かめると、その場で婚約という形をとった。そうすれば、誰も二人の邪魔はしないし、誰かに奪われることもない。
ダンスとは実に不思議なものだ。気の合う者とは楽しく感じ、時が無限に流れてゆくように感じる。しかしだ、別れる時には短い時間だったと思うのだから・・・。
その後、デートしたのは3回ほど。
図書館で最古の叙事詩について語り合った時は話が止まらず、ついつい図書館の閉館時間ギリギリに、館員に追い出された。手を繋ぎ、二人で大笑いして帰ったっけ!
森の湖水にサンドイッチを作ってピクニックに行き、水遊びをしたこと。あの時ほど水飛沫がきらきらして、七色に輝いて見えたことはない。
ウォルターの金髪の巻き毛が濡れて、色が濃くなってゆく様は胸がぎゅううと締め付けられ、つい手が伸びて触ってしまったことは、今、思い出しても気恥ずかしい。
出征前夜に呼び出されたのは、もっとも辛く、またもっとも愛を感じた瞬間。
ウォルターの部屋に足を踏み入れたのは、それが初めて。緊張と戸惑いと期待で顔が紅潮していたことは、自分でも気づいていた。手足も微妙に震えていた。
執事が案内をしてくれ、扉が開かれると、窓際に立つウォルターの姿が月明かりに浮かんで見えた。彼は若く見目麗しい騎士だ。スコット領の女の子の憧れの存在。
その彼が優しく手を差し伸べる。ヴィクトリアは彼だけを見て、部屋の中へと進み、彼の手を取った。扉が閉められ、二人だけの空間となる。
ウォルターはヴィクトリアの瞳を覗き込み、言った。
「待っていて欲しい。必ず帰ってきて、君に純白の婚礼衣装を着せ、私の妻とする。未来永劫の誓いだ」
「はい」
ヴィクトリアの黒い瞳がきらりと光ると、滴が頬を伝った。この涙は悲しみではなく、喜びからくるものだと心は言っていた。
ウォルターは彼女の長い髪を撫で、抱き寄せた。とても良い香りがする。二人とも同時にそう思った。時がこのまま止まればいいのに!
しばらくするとヴィクトリアの目から、また涙が溢れ出し、止まらなくなった。
「どうしたんだい?」
「思ったのです。これから、しばらく・・・いえ・・・長いかもしれない時間、あなたと離れなければならないことを。もしかすると・・・」
そう、言った唇を塞いだのはウォルターの唇だった。ファーストキスは、涙と青い果実の味がした。そこには「お互いに対する真の愛」というものが確かにあると、心も体も感じた。
ーなんとも、素敵な想いー
「きっと帰って来る。例え、どんな状況になろうとも、あなたの前に!」
あの鮮明な感覚は戦乱の10年間決して色褪せず、私の心と身体に残り、彼の帰宅を耐え忍び待つことができた。他のどの男性にも心がなびくことはなく、日々より一層彼への恋慕が増すばかりだった。
それから、彼が除隊して帰った時の喜びはひとしおで、神に感謝の祈りをどれだけ捧げたことだろう。結婚して3年の月日は幸せで、今、思い出しても面映ゆい。
「う・・・うっつ・・・」
ヴィクトリアは急に腹痛にみまわれ、薄暗闇の中、座れる場所を探した。陣痛だ。とにかく座れるところに座り、そこで何度もやってくる陣痛の痛みを乗り越えた。やっと強い痛みが少しだけ和らいだ時に、空を見上げてみると・・・。
ピンクグレージュの絵の具を流したような夜空が広がっていた。星が瞬き、遥か遠くの灰色の山頂には純白の満月が輝く。なんとも美しい光景だ。
ヴィクトリアの身体は、陣痛と共に更に弱っていった。どんなに回復したと思っていても、これまでの積もりに積もった疲労が体の中に溜まり続けていたから。もう長くはないと悟るのは早かった。
『みんなの幸せを心から祈っているわ。私の人生は愛し愛された、それがすべて・・・。愛しいウォルターの元へ、あの方が私を待っている。そうだわ・・・彼こそが私の家・・・いつも私のそばに・・・あった・・・』
星は消え、月はうっすらと影を残すのみ辺りは日の出を待つばかり。ヴィクトリアは出産を終え、生まれたての子どもはスヤスヤと眠り、自分は息絶えていた。
「ややっ!義姉上ではないか・・・」
と、声を張り上げたのはローレンスだった。
ローレンスは歩み寄り、ヴィクトリアの冷たくなった身体を抱きしめ、泣いた。自分の側にいなくてもいい、ただ生きてさえいてくれたら、それで良かったのにと思わずにはいられなかった。
ローレンスは子どもとヴィクトリアを馬車に乗せ、子どもは連れてきた侍従に任せ、ヴィクトリアは自分が抱いた。こんなに細く軽くなって、きっと苦労したのであろうと、ローレンスは涙しか出てこなかった。なぜ、どうして、そんなに私との結婚が嫌だったのだろうかと思い悩むローレンスは、未来への希望が全て断たれたようで、打ちひしがれていた。彼の足元に伏せるキャスパーが、主人を心配そうに見つめていた・・・。
数日後、ローレンスはスコット領の教会でヴィクトリアの葬儀を執り行った。
ヴィクトリアに直に伝えられなかった、この想い。(長きにわたる秘めた愛)告白していたら、義姉は出て行かず、このような結果にはならなかったのでは?
「僕はあなたを愛しているのだ!もう、ずっと昔から・・・」
家督継承を告げられたあの夜、躊躇せずに伝えていたら、どうなっていただろう。今思えば・・・あなたが私の想いを知っていたら、応じてくれたのではないかと思うのだ。僕を見る目はいつも限りなく優しかったのだから。
憔悴したローレンスは、ヴィクトリアと初めて会った橋の上にいた。欄干をぎゅっと握りしめ、滴る涙が川の水面に次々と落ちていった。川の流れは私たちの事情など知らない。だが、どんなに涙を流しても、絶えず涙を遠くへと運んで行く。教会から葬礼の鐘が悲しげに、どこまでも響いていった。
青い空は涙の色を映し、白い雲は変わることのない真心の色を物語っていた。




