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暗闇の中に突如として白い光が煌めく。思わず目を細めると、次第に部屋の輪郭が露わになっていった。
殺風景をそのまま具現化したように味気のない内装。設置されているものと言えば、硬くて小さいベッド、机と椅子、それにむき出しの便器くらいなもので、牢獄なんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。というより監獄よりもっと酷い場所なのだろうが、口にするのは自重しておく。
「電気つけるなら先に断っとくのが礼儀ってもんだろうが」
窓に鉄格子の挟まった金属扉の奥から、病的なまでに白い洋服を身にまとったMが現れる。彼女はこちらの小言を気にも留めずに、部屋の椅子に腰かけた。長い足を自慢するかのようにわざとらしく組んで、神経質そうに薄型の眼鏡に触れる。
「あなたはもう少し、年上に礼儀を払うべきでしょうね」
「アンタみたく、ジジイどもにも尻尾を振れってか?」
鋭い眼光に肩を竦めてみせると、Mは疲れたように息を吐き出した。
「あんまり無駄な力を使わせないでちょうだい……ただでさえ色々とゴタついてるんだから」
「さっきの話のことでか?」
Mは無表情に戻ると、胸に抱えていた紙の資料を机へ置いた。
「ええ。知っての通り、これは前例のないことだから。監査会が慎重になるのは当然ね」
「言っとくけど一番疑問に思ってるのは俺だからな? 十年もこんなシケた場所に閉じ込めといて、どういう風の吹き回しだ?」
「それについては是非わたしも、監査会にお伺いしたいわね」
Mは長い黒髪を耳にかけ直すと、口調を仕事調に切り替えた。
「三週間前。北海道の遠別町で、女子高生三名が失踪する事件が起きた。当初はただの家出だと考えられていたらしいけど、十日ほど前から地元警察は失踪事件として捜査を始めているようね。警察に捜索届が出される前から、地元住民の間で“ぱったりと足取りが途絶えている”と話題になっていたらしいわ。――言い方が良くないかも知れませんが、遠別はいわゆる田舎町です。だからこそ全く行方がわからないってこと自体が珍しいのね。誘拐などの刑事事件も視野に捜査範囲を広げていると聞いていますが、それでも手掛かり一つ、出てこないらしいわ」
「警察の努力不足じゃないのか」
「一応その可能性も考えて、監査会宛てに捜査資料を出させたわ。だけど目を通した限り、捜査に不手際は見られなかった。田舎にしては珍しいわね」
「事故の方向は?」
「確かに、遠別は海岸沿いの町だから水難事故もありえる。だけど残念。それについても調べてあるわ。海上保安庁が周辺海域の捜索に当たったけど、手掛かりなし」
「不自然だな」
Mがゆっくりと首肯する。
「ええ、そうね。女子高生、それも三人がほぼ同時期に失踪してる。しかも足取りも全く掴めず、手掛かりすら見つからない。どんなに注意したって、自分が辿った痕跡を完全に消すことなんて、プロだとしても難しい。それもティーンエイジャーとなればなおさらね。まるで“神隠し”だわ」
「なるほど。それでアンタらは、実際にその“神隠し”の可能性を考えたわけか」
「ご明察」
小馬鹿にしたような口ぶりに眉をひそめるも、Mは涼しい顔のまま話を続けた。
「非常に珍しいケースではあるけれど、事件化されたものの中には常識では計り知れない現象が関わっている場合もある。年に数件あれば豊作ね。ただ問題としては、警察じゃ手詰まりになるパターンが多いってこと」
「そういう事件は大概が迷宮入りして、未解決事件として扱われる」
「ええ。別に私たちは事件が解決しようがしまいが関係ないわ。だけど“神秘”は隠さなきゃいけない。この国は法治国家で、そういう計数できない存在は処理が煩雑なの」
「ただれた関係だ」
「相互利益だと言って欲しいわね……どちらにせよ、あなたみたいなのが野放しにされれば、社会に混乱を生む」
「だから捕まえる」
「そう」
Mは軽く目を瞑ると、滑らかに足を組みなおした。
「それが私たちの仕事。“魔女狩り”よ」
魔女狩り。魔女を見つけて速やかに殺す。そのための専門機関だ。
「だかしかし、俺がやったら『共喰い』になるんじゃないか?」
「あら、自分が魔女だって認めるの?」
「つまらない冗談はよしてくれ。それにさっきの茶番も聞き飽きた」
「企業理念は何度でも復唱させないとね」
「実際は邪魔な奴を寄ってたかって殺してるだけだろ」
「処理、と言い直してもらおうかしら?」
俺が大きく息を吐くと、Mは眼鏡のフレームに指をやって僅かに位置を整えた。
「そうね。あなたが言っていたように、監査会は今回の事件について神隠し――魔女が関係している可能性を指摘されたわ。本来であればもう少し様子を見るところなんだけど……まぁ、私には預かり知れぬことよ」
「そこまで緊急性はないんだろ?」
「だからこそ、って意味もあるのかもね。なにせ、あなたの維持には年間いくらかかっているのやら……」
「アンタの人件費込みでな」
「あら、私は子守りをしてるつもりなかったけど? ……とにかく、監査会は個体番号A017、つまりあなたの投入を議決した」
「働かざるもの食うべからずってか? 閉じ込めてたのはアンタらだろうに」
「文句は監査会に言ってちょうだい……とにかく、準備を始めましょう。昼の会議については覚えてるでしょ?」
「――日付変更と同時に移動を開始。現地入りは昼頃になるんだろ? 詳しい資料にはまだ目を通してないけど、いつもアンタが付き従えている要員とは随分、扱いが違うのだけはわかったよ。もちろん悪い意味で。同じプログラムを受けてたはずなんだけどな」
「これでも譲歩したつもりよ?」
「そもそもアンタ、俺の投入を渋ってたみたいじゃないか? そんなに監視下に置いておきたいのか?」
「気持ちの悪い冗談はやめて。不確定要素が多すぎるのよ」
「アンタらのいう魔女ってのは、そもそも不確定要素の塊みたいな存在だろうが」
「だから放置できないのよ……作戦概要について復唱なさい」
わざと大きめのため息を吐いて、Mから目を逸らした。
「今回の作戦における主たる任務は、組織の保護観察下にある魔女の、実験的な運用とその評価、検証にある。魔女の関与が疑われる民事、刑事事件への、保護観察下にある魔女の実践投入は国内初の事例となり、最大限の注意が要請される。際して、実践投入の被験者である個体番号A017には、通常の戦術要員が保持しうる超法規的措置を、ごく限定して適用する」
頭に浮かんだ文字列をそのまま諳んじると、Mは感心したように大きく頷いた。
「相変わらず覚えがいいわね」
「そう強制したのはアンタらだ」
「だけど全部を暗唱していたら、それこそ出立の時間になってしまうわ」
俺の嫌味を鮮やかに無視したMは、気怠そうに言葉を続ける。
「要約すると、あなたには北海道遠別町にある地元高校へ、転校生として潜入してもらいます。そして高校の人間から失踪事件に関する情報を収集し、報告することが主な任務となる」
「密偵ってことだな」
「その通り。密偵という言葉を使っているのであれば大丈夫でしょうけど、もし魔女の中身――もとい“正体”に気がついても、その処理についてはこちらが担当します。あくまで、あなたは調査が任務ですから。対処については許可していませんので、悪しからず」
「だったら俺以外の奴でも、調査くらいできるだろうが」
「何度でも言うけど、私たちの存在は公に気付かれてはいけない。だから新しく人員を補充するのは最終手段なの」
「だからって、その魔女を使うことはないでしょうに」
「言ったでしょう? これは実験なの。同じことを何度も言わせないで」
「もしこの事件に、本当に魔女が関わっているとして。例えば俺がその魔女から直接的な攻撃を受けた場合はどうなる?」
「もう一度言うけど、あなたの任務はあくまで調査よ」
「つまり正当防衛も認められないと」
Mは無言を貫く。いつものことではあるが、ここまでくると呆れが先行してしまう。もちろん人権とやらが最初から保障されていれば、十年もこんなチンケな場所に閉じ込められることはなかったけど。
「現地入りしたら通信用の端末を渡します。連絡はそれで行うので、壊したりしないように」
「水切りっての、してみたかったんだ」
「壊したらあなたの食費から修理代を差し引くから、そのつもりで」
すました表情を浮かべたMは、はたと思い出したように口を開いた。
「ああ、そういえば言い忘れていたわ。私も面倒なのだけれど、これもルールだから……」
「“心臓破り”か?」
ええ、と呟いたMは、俺から見えない位置で握っていた左手を持ち上げる。その中にはトランシーバーのような形状をした、小さな黒い端末が収まっていた。
「あなたの心臓には、手術によって小型の爆弾を仕込んであります。爆弾は遠隔起動が可能で、今私が持っているこの端末から、即座に起爆できます。聞き飽きているとは思うけど、施設の外に出ることになるから改めて忠告しておくわね。あなたがもし私たちの管理下を離れようとしたり、そういう素振りを見せたり、はたまた抵抗を試みようとすれば、監査会の許可なく私は、自分の判断で即時起爆する権限を持っています。長生きしたいのであれば、下手なことはしないようにね」
「忠告痛み入るよ」
「それともう一つ。追加があるわ」
「入念なことで」
Mは俺の心臓へ向けていた細長い人差し指を、軽く左右へ振る。
「一週間前の手術で、あなたの両肺に細工をしたの。詳しくは伏せるけど、三日に一度は、私の前に顔を出した方がいいと思うわ」
「人工の蛋白質に包んだ濃縮一酸化炭素だろ? 吸入で形状を維持してるから、放置すれば三日ほどで蛋白質が崩れて、胸腔に一酸化炭素が溢れる」
「あら、言っていたかしら?」
「主治医が自慢げに話してたよ。自分が考えた“首輪”だってな」
溜息を漏らしたMは、まあいいわと首を振る。
「とにかく、そういうことだから。私を人殺しになんてしないでよね」
話は終わったとばかりに、Mは椅子から音もなく立ち上がった。そうして部屋から立ち去ろうと踵を返して、思い出したようにこちらへ振り返る。
「……服従の宣誓を」
「そのまま忘れてればいいものを」
Mの洗脳に大人しく応える。そして彼女が部屋から出て行って照明が落とされたあと。俺はいつものように相反する宣誓を唱えた。