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「あー、みんな静かに。こんな時期に突然だとは思うが、今日は転校生を紹介する。ほら、入ってきていいぞ」
言われた通り教室へ入ると、一斉に生徒たちがざわつき始める。みんな俺の顔を見て一喜一憂し始めて、どうにも見世物にされている感じが否めない。男子はあからさまに落胆していて、女子については三者三様を示している。とにかく変に感情を漏らさないよう注意しながら、教師の言われるまま教卓の前に立った。
「あーっと、東京から来た、坂川明人君だ。初めての北海道らしいから、色々と慣れないことも多いだろう。みんな仲良くしてやってくれ。……坂川、一言頼む」
担任の言葉に頷き、生徒たちの方へ向き直る。色々な感情が混ざった面持ちの生徒たちが、じっとこちらを見つめていた。こういう状況には慣れないけれど、物語とかの典型的なシーンとしては、少しその様子は異なっている。生徒たちの瞳にはもちろん期待の色も滲んでいるように見えたが、それ以上に訝しむような気配も多く感じられたから。
「――東京から来ました、坂川明人っていいます。よろしくお願いします」
軽く頭を下げると、控えめな拍手が響いた。他に喋ることないのかと小言を挟んだ担任に軽く肩を竦めてみせると、生徒たちが食い気味に質問を被せてきた。
「なんで北海道に来たの? それも遠別だよ? 陸の果ての果てだって」
「しかもこんな寒い時期に転校なんてさ、なんかあったの?」
「親の転勤じゃなさそうだしねー」
「もしかして前の学校で退学喰らったとか? んー、でも不良って感じでもないなー、」
「ちょっと静かにしてよ! 困っちゃうでしょ!」
がたっと音を立てて立ち上がった生真面目そうな女の子に、男子がやいやいとヤジを飛ばす。
「静かにしないと困るのは委員長だろうがーっ」
「推薦のためなら俺たちを犠牲にしてもいいってのかー?」
「あんたたち!」
「黙れお前ら!」
担任の一喝に教室中が静まり返る。少しやりすぎたと自省したのか、担任はあからさまな咳ばらいを挟む。
「――ったく……おい坂川。お前の席はあそこだ。窓際でちと寒いかもだが、我慢してくれ」
なにせ急な話だったからな、と顔で語る担任に頷き返し、指差された席へと向かう。窓際の一番奥の席だ。背中に向けられる好奇の視線に気付かないフリを貫き、席に腰掛ける。確かに寒いけど、教室全体を一望できるという意味では悪くない席だ。
チラチラとこちらを盗み見る生徒たちを無視して頬杖をつく。担任はもう気怠そうにホームルームを再開していて、次第に生徒たちはこちらへの興味を失っていく。暇な時間を持て余すように教室をぼんやり俯瞰していると、ふと窓の外に白い影が映る。反射的に顔を向けると、空からとても懐かしいものが降り始めていた。
(雪……)
小ぶりな白い結晶が、茶色い校庭へと舞い落ちていく。だけど生徒たちは窓の外に一切の興味がないようで、各々が好き勝手に朝のホームルームを過ごしていた。そういえばここは北海道のそれも奥地で、しかも季節は冬だ。遠別の公立高校に通う生徒たちが軽い雪くらいで驚くわけもない。ふわふわと街に降り積もる雪を眺めていると、担任のわざとらしい咳払いが聞こえる。一応顔を向けてみると、担任は真面目そうな(いかにも柄じゃなさそうな)表情を浮かべていた。
「えぇ、坂川も新しく加わったことだし、今一度だけ言わせてもらうぞ?」
教室の空気が一気に静まり返る。生徒たちの視線が三つの空席へと向けられる。
「お前たちも知っての通り、その……うちのクラスから、三人も家出が出ている。高校生というのは多感な時期で、えー、色々と悩むことが多いのはわからんでもない。だが人様に迷惑をかけることだけは――親御さんにもな。気を付けてくれ」
(仕事が増えて大変だってさ)
サイテー、と派手めの女子生徒たちが小声で笑った。その女の子たちに気が付いたのか、担任がまた大きな咳払いを放つ。
「繰り返しになるが、三人についてなにか気付いたことがあったら先生に教えてくれ。言いにくいことなら改めて時間も取る」
(うわ、また手ぇ出そうって魂胆かな?)
(空き教室に連れ込んで?)
(さいてー)
対処するのを諦めたのか、担任はキャーキャー騒ぎ立てる女子生徒を無視した。男子は居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。良い悪いは抜きにして、これがこのクラスの雰囲気なのかも知れない。
「ああそれと。これも大事なことだが……三人について根も葉もないうわさ話が出ていると聞いた。詳しい事情もわかってないんだから、余計なことを言うのは控えろ。もし何らかの事件や事故に巻き込まれていたら、申し訳が立たないだろう?」
流石に不謹慎だと思ったのか、喋っていた生徒たちが次々に口を噤む。教室には輪の悪い奇妙な沈黙が流れて、澱んだ空気に担任が息を漏らした。
「えー。まぁ、そういうことだ。お前たちもそろそろ大人なんだから、常識ある行動を心掛けるように」
怠そうな生徒たちの返事とともに、予鈴のチャイムが鳴った。担任がホームルームを閉める前に、生徒たちは勝手に席を立ってゆく。大きな溜息を吐いて教室から出ていった担任の後姿を眺めていると、視界が人影で覆われる。見慣れない服装はもちろんこの学校の制服であって、俺は数人のクラスメイトに机ごと取り囲まれていた。
「坂川くんだったよね? よろしく」
「ねーねー、東京ってやっぱすごいの? あたし行ったことないんだよねー」
「あはは、それじゃ意味わかんないって」
「お前ら圧が強いって! ビビっちまうだろうが」
会話の中心に据えられているはずなのに、彼らは俺抜きで随分と盛り上がっていた。それについては結構だが、目の前でやられるのは煩わしいし困る。囲まれていて席からも離れられないし。
わーわー喋る生徒たちから目を離すと、ふと視線を感じた。そちらへ何気なく目をやると、教室の隅の方に座っていた女子生徒が一人、こちらを眺めていた。難しそうな表情からして、騒々しいとでも思っているのだろう。全くその通りだけど、渦中の俺が指摘しても角が立ってしまう。
「あ、そういえばさ転校生。さっきの話、意味わかった?」
騒いでいた生徒の一人がこちらを向いた。もちろん知ってはいたが、一応は知らない体で話を進めてみる。
「まぁそうだよな。引っ越してきてすぐなんだろ? 無理ないさ?」
「家出とか言ってたけど、なんかあったの?」
「そうそれ。あいつは適当なこと言ってたけどさ……」
男子生徒は言葉を選ぶように少しだけ目を彷徨わせる。
「みんな、家出だなんて思ってなくてさ。いわゆる、“失踪”だって」
「失踪?」
俺の言葉に、机の周りにいた生徒たちが一斉に沈黙する。それは次第に教室中に伝播していって、いつしかクラス全体が静まり返ってしまう。
「あー、いや……まぁいつか知ることになるだろうし」
男子生徒は頭を掻くと、滔々と語り始めた。
「十日くらい前だったかな、ほらあの辺、三つ席が空いてるだろ? あいつら急に学校来なくなってさ、もちろん最初は家出だってみんな言ってたけど、慣れてるとはいえ今の時期、流石に寒いじゃない? 何日経っても帰ってこないから、段々と大ごとになってさ。この辺あんまり人いないし、家出くらいだったら誰かが見かけたりするんだけど、そういうのもなかったから……」
「それだけじゃないの」
近くにいた女生徒が身を乗り出す。
「最近ね、この辺で変な噂があって」
「先生が言ってたやつ?」
「そう」
頷いた女子生徒は秘密めかすように顔を寄せる。クラス全体が彼女声に聴き耳を立てているみたいだった。
「学校とか海岸沿いとかでね、黒い影を見たって子が、それも何人もね……ほんとに真っ黒で、気味が悪いんだって。だからみんな、その影があの子たちの幽霊なんじゃないかって――」
噂話を打ち切るように、始業のチャイムが鳴り響いた。それとほぼ同時に、教室へ教師が入ってくる。話していた女子生徒は残念そうに肩を竦めると、続きは後でねと自分の席へと戻っていった。
わらわらと席へ戻る生徒たちの姿の中で、またもや視線を感じる。そちらを見やると、さっきまで俺たちを眺めていたあの女子生徒が横目でこちらを眺めていた。だけど俺と視線が交錯して、彼女は慌てたように顔を逸らす。こういうのは慣れないなと息をつくと、間もなく一限目の授業が始まった。