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 どのくらいの時間そうしていただろうか。

 どちらからでもなく俺たちは体を離す。気が付くと雪は少しだけ落ち着いていて、雲の隙間から微かにだけど月明かりが窺える。砂浜に押し寄せていた荒波も緩やかな潮汐へと変わっていた。

「さて」

 上着についた雪を手で放って空を仰ぐ。結局のところMの下へは戻れないままだ。葵に魔女の嫌疑がかかっている以上、組織の連中と遭遇するわけにもいかない。八方塞がりもいいところだ。

「これからどうする?」

 上目遣いに尋ねてきた葵を一瞥し、軽く唸る。どっちにしろ俺はあと一日の命だ。その事実はまだ伝えるべきではないだろうが、とにかく時間がないことに変わりはない。遠別にはじきにMの部隊が到着する。俺が今できることを考えてみれば、葵をこの町から外へ出すくらいしか思いつかなかった。

「まずこっちの状況を説明すると、葵には魔女の疑いがかかってる。つまり組織からすれば確保の対象になってるわけだ」

 葵が不安そうに視線を下げる。

「んで、ちなみに俺も確保の対象だ」

「え? どういうこと?」

「俺は組織の要請で遠別に魔女の調査に来ていたわけだけど、さっき離反してきたんだ」

 あんぐりを口を開いた葵の顔を見て、少しだけ笑ってしまう。

「笑ってる場合じゃないでしょ! どーすんのよ?! つまりアンタ逃亡犯ってことでしょ?」

「いい響きだ」

 これまでで一番大きな溜息を吐いた葵に、加えて俺のことも伝えておく。

「まぁ、もともと俺は魔女として扱われていたわけだし、似たようなもんだ」

「え……?」

「組織は俺のことを魔女だって、ここ十年の間、隔離されてたんだよ。だけど実際に魔女の能力が出なくて、ただの失敗作だって言われてたけどな」

 施設時代を思い出す。あそこは人工的に魔女を生み出す実験を日夜、孤児を使って行っていた。魔女としての適正、才能を示した子どもは優遇され、それ以外は冷遇する。俺はもちろん施設で劣等生として扱われていて、俺よりマシだったけど葵も差別を受ける対象だった。

 呆然とした葵に気にするなと声をかける。

「場所は違えど、苦しんでたのはお互い同じだ。今はどうやって身を隠すか考えよう」

「……うん」

 明らかにしょげているので、雪に濡れた髪をわしわしと撫でてやる。

「こうしてまた会えただろうが。中々に奇縁だと思うぞ、俺は」

 最初は抵抗を示していたけど、次第にされるがままになってゆく。恥ずかしそうに俯いた頭をぽんぽんと叩いて、手を離した。

「んま、ならその幸運を甘んじて受け入れましょうぜ。いつもの元気はどうしたよ」

「……うるさい」

 そう言いつつも顔を上げてくれたので、俺は安心して踵を返す。Mの部隊がどのくらいで到着するか分からないけど、急ぐに越したことはない。後ろから葵の足音がしっかり聞こえていることを耳で確かめ、海岸から離れようと――

 眩い閃光が目を焼く。

 一瞬で視界を奪われて、意識すらも明滅してしまう。何が起きたか理解が追いつかない状況で、だけど全身の感覚が無事なのはわかった。恐る恐る目を開くと、海岸沿いの道路から、並び立つようにいくつものライトがこちらへ向けて照射されていた。ナイター用の電灯を一気に点けられたから、その明りで目が眩んでいたらしい。反射的に葵を背中に隠すも、詰みに近しい状態なのは十分に理解していた。

 怯える葵を庇ってライトの一斉照射を全身に浴びていると、サーチライトの周りに窺える多くの人影の中から、一つだけ前に歩み出た。逆光で顔はよくわからなかったけど、その背丈や輪郭から否応なく誰であるかを悟ってしまう。彼女はいくつものライトを背に受けながら、俺たち二人を見下ろしていた。

「ずいぶん大仰なご登場だな。隠密が基本じゃなかったのか?」

 Mはこちらの軽口を無視して、手に持った拡声器を持ち上げた。

「遠別の住人はそのほとんどが高校に避難しています。停電も続いているので、高校から外へ出てくることは考えにくいですから。万が一のことがあっても、一応は人員を配置しています」

「相も変わらず周到なことで」

「こういう事態も起こりえると、あなたが身をもって教えてくれましたから」

 Mの声はいつも以上に硬い。まぁ組織からすれば魔女が逃亡を図っているわけで、半ば当然のことだけど。説得の余地がなさそうだなと考えていると、不意にMが拡声器を握っているのとは逆の手を持ち上げた。するとサーチライトの周囲に展開していた戦術要員がB武装――銃身を短く切り詰めた小銃を一気に構え出した。複数の赤いレーザーポイントが俺の額や心臓へと向けられて、葵が恐怖のあまり悲鳴をあげる。

「個体番号A017。投降を勧告します。武装を完全に解除し、その場でうつ伏せになりなさい。相生葵に関しても引き渡しを命令します。彼女には現在、魔女の嫌疑がかかっていますから。命令に従わない場合は――わかっていますね?」

 服の裾がぎゅっと握り締められる。レーザーポイントが額と心臓へとより精密に集約してゆく。死の臭いが濃密になっていく中で、だけど俺は命令に従わずに、ただただMと真正面から睨み合っていた。

「俺は魔女じゃない」

「いいえ、あなたは魔女です」

「ならどうして俺が魔女なのか言ってみろ」

「あなたは人工的に魔女を生み出す非人道的な人体実験施設で育ちました。魔女の能力が発現しているか否かは別として、失楽園の事件では実験体の孤児がこちらの戦術要員を計23名、殺害しています。魔女の可能性がある以上は隔離が適切です」

「つまりアンタは“可能性”の話をしている。俺が魔女である証拠は何もない」

「確かに、魔女の定義については未だ曖昧な部分が残っており、今も明確な定義はありません。しかし失楽園では7名の孤児が、実際に能力を用いて戦術要員を殺傷しました。つまり倫理性はさておき、魔女を人工的に生み出す施設の実験そのものは成功していたと判断するのが自然です。であれば同じプログラムを受けていたあなたにも、魔女としての能力が芽生えるリスクは十分に考えられる。そして魔女か魔女でないかの峻別については、魔女の能力を科学的に裏付ける理論が現状存在しないために、どうしてもその緩衝域を広めに持つ必要があります」

「つまり“疑わしきは罰せよ”、と」

「その通りです。明確な判断基準が定められていないからには、少しでも危険性のある対象については、とにかく確保するのが最適だと考えます」

「だから俺は魔女だと」

「そうです。何度もそう伝えたはずですが?」

 Mの視線が更に冷気を帯びる。その目線は冷えた夜と相まって、体の芯まで凍らせるみたいだった。

「同じ理由で葵も確保すると?」

「ええ。あなたと同じ施設で育った魔女です。それに今夜の出来事を鑑みるに、泥喰らいの遺骸が消滅したことと、回収班との連絡が突然途絶えたこと。相生葵がこの一件に何らかの形で関与している可能性を疑うのは、とても自然なことだと思いませんか?」

 葵がさらに身を縮める。俺は背中に触れる温かさを意識しながら、Mへ向けて鼻を鳴らす。

「可能性やらリスクやら、アンタはそんなことで人を殺せるのか?」

「ええ」

 迷いなくMは言い切る。

「魔女は排除しなければなりません」

「それは曰く、“人を憎み、人を傷つけ、人を殺す。あってはならない存在”だからか?」

「そうです」

「なら、俺はいつ人を憎んで、人を傷つけて、人を殺した? あってはならない存在なら、どうして俺はまだ生かされてる?」

「あなたは研究材料です。魔女の存在理由と、魔女の利用価値は別物です」

「どうしてそこまで魔女狩りに固執する? アンタは普通の人生を――」

「黙りなさい!」

 Mの絶叫が雪の空に響き渡った。耳をハウリングするように木霊した叫びは、いつしかM自身へと帰ってくる。

「あなたは、あなたはっ!」

 きめ細やかな白い肌を、細い涙の筋が伝った。

「魔女じゃなきゃ、いけないの……」

 初めて見るMの涙に、内心動揺している自分がいた。どうして泣いている。どうして叫んだんだ。押し殺した嗚咽を漏らすMは、しかし流れる涙を拭うこともせず、溢れ出すように言葉を紡いだ。

「あなたが魔女じゃないと、あなたが魔女じゃなければ……わたしは何を恨めばいいのよ……」

 彼女の怒りの矛先は俺に向かっているように見えて、だけど俺の瞳を通して別の存在へと向けられているように思えた。どうしてそこまで魔女を恨むようになったのか。でもどうして、そんなに憎いはずの魔女――俺のことを処理しなかった? Mには心臓破りがあったはずだ。その気になれば一瞬で命を奪うことができた。そうしなかった理由は、きっとM自身の過去にある。だけど俺には知る由もない――だけどそこで思い出す。Mが俺を見る時たまに、遠い故郷を懐かしむような顔をしていたことに。Mは俺を通して何を見ていたんだろう。何を思い出していたんだろう。何を……憎んでいたんだろう。

「こんなことなら、監査会の言うことを聞いておけばよかった……」

 Mは唇を噛みながら恨めしそうにこちらを睨む。彼女の言葉の意味を考えて、そこでようやく気が付いた。

「なぁM。初めからさ、調査なんて嘘だったんじゃないか?」

 返事はない。だけど白い外套に包まれた薄い肩が小さく持ち上がったのを、俺は見逃せなかった。

「――はは、そういうことか。おかしいとは思ってたんだよ。十年も閉じ込めといて、いきなりほっぽり出すなんてさ。察するに監査会の連中が俺の後始末に困って、調査を名目に処理しようとか、そういう手合いだろ?」

 Mの表情は窺えない。だけど否定が返ってくることもなかった。

「んじゃ俺は、いるはずがないと思われていた魔女を見つけて、しかも処理しちまったってわけだな。はは、なるほど。そりゃ焦るわけだ」

 つまり俺は最初から殺される段取りで遠別へ送られてきた。たぶん暴走したとか適当な理由をつけて処理するために。内部で処理するんじゃ反対意見が出るから、調査という大義名分と致し方ない処理だという妥当な理由を後付けして。

「ほんとバカみたいじゃないか。十年ぶりの外だと思ってみればこれだ。くだらないね」

 脳が白熱していく。いつもなら理性で抑え込んでいたところだけど、今日ばかりはそうもいかない。

「俺が何をしたよ? アンタらのお仲間を殺したか? 傷つけたか、痛みつけたか?! そんな目に遭ってるのはこっちだろ! なにが魔女だ! なにが魔女狩りだ! 施設にいたから魔女なのか? 魔女として育てられたから魔女なのか? 人を憎んで、傷つけて、殺して……それが魔女だったんじゃないのかよ!」

 俺の咆哮は雪の夜に波紋して、だけど暗闇に飲まれてゆく。でもそんな理不尽に押し潰されるのがどうしても許せなくて、俺はMに問い続ける。

「子どものことは人間だって貶されて、今度は魔女だって疎まれる。俺は俺だ! 生まれたときから死ぬまで絶対に変わらない! そんな都合のいい、無責任なだけの言葉に纏められてたまるか!」

 そうだ、俺は俺だ。他人が勝手に選んだ物差しに振り回される人生はもう御免だ。人から与えられた価値に何の意味がある? 自分が思う世界の在り方を、どうしてずっと否定され続けなきゃならない。

 肩で息をしながら、自分の姉代わりだったあの女性をねめつける。Mは茫然とした様子でこちらを見下ろしていた。だけど意を決したのか涙に顔を歪めると、祈るような口調で呟いた。

「あきと、今ならまだ間に合う……戻ってきなさい」

「断る」

「服従の、宣誓を……」

「俺は人間だ。人を愛し、人を守り、人に尽くす。どうしたって必要な存在」

 上着のポケットから黒い塊を取り出し、彼女へ向けた。同時に赤いレーザーポイントが羽虫のように俺の額や胸に殺到する。

「そこをどけ。俺は魔女であることを自分の意思でやめた。人で在ろうと誓った。何を言われようとも、何度否定されたとしても、自分で選んで、自分で決めることが大事なんだ」

 四方から殺気が集中する。だけど圧倒的なまでの殺意は、しかし閾値に達する寸前で立ち止まった。あいつらは指示を待っている。そしてその指示を出すはずの人間は、俺を見下ろして完全に自失していた。

「あんたは選ばなかった。選ぶのはつまり傷つくことだ。あんたは傷つけられることから、それに傷つけることからも逃げた」

 葵の手を引いて海岸から町へ繋がる階段を上る。その間ずっとレーザーポイントが体に向けられていたけれど、サーチライトが配置された道路に入っても一つとしてその役目を果たすものはなかった。俺は葵とともにMの真隣を通り抜けてゆく。

「ありがとう、姉さん」

 振り返ることなくそう告げて、俺たちは海岸から去っていく。

 結局Mは最後まで、何も決めてはくれなかった。

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