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 静かに降り注いでいた雪は、いつしか吹雪へと姿を変えていた。

 窓を打つ風の音を聞きながら、もう一度全身の点検を行う。あちこち痛むけれど、やはり致命的な部位はなかった。あんだけ盛大に吹っ飛ばされながら、悪運だけはいいらしい。思わず自嘲すると、腕時計が十九時を示した。そしてほぼ同時に端末が振動を始める。

「すごいな、時間ぴったりだ」

『アンタはあたしを何だと思ってるの?』

 多少なりとも調子が戻っているのが声からわかって、軽く息を漏らす。メンタル面はかなり頑強にできているらしい。

「さっきは助かったよ。あのまま放置されてたら、きっと低体温症で立ち上がれなかったと思う」

『言ったでしょ、置いていけないって』

「あの状況で工場に残るって言える奴は珍しいと思う」

『なによ? おかしいって言いたいの? それに――どうしても置いてはいけないって……それだけは、』

「いや……言っただろ、助かったって」

 彼女らしい態度に自然と頬が綻ぶ。端末の先でフンと鼻を鳴らす音がした。。

 魔女を仕留めたあと、葵は気絶した俺が目を覚ますまで声をかけ続けてくれていた。魔女だったとはいえ、近くに瑞希の見るに堪えない亡骸があるにも関わらず、葵はその場から逃げ出さず、言葉通り俺を置いていくことはなかった。意識が戻るまでも応急手当を施してくれていたらしく、この一件に関しては感謝のしようもない。結局、俺の意識が戻ることには手当てが終わっていて、肩を借りつつ工場を出た。葵は俺をアパートの前まで送り届けて、七時に電話すると言い残して去っていった。道中、瑞希をどうするのか聞かれたけど、こちらの態度から察したらしい。まぁ薄々は勘付いていたと思うけど。

『怪我の方はどうなの? 病院行けって言っても全然聞いてくれなかったけど?』

「ああ、それについては問題ない。もちろん後で詳しい検査を受けるけど、この調子じゃ……町の外には出られないし」

 安物のカーテンを指先で持ち上げ町の様子を見やる。大雪が遠別を余すことなく包み込んでいて、ここから町の外へ移動できそうな気配は微塵も感じられない。下手に出かければ町の中でさえ遭難してしまいそうだ。

『ま……そうか。んじゃ、大人しくしてなさいよ? 連日負傷してるんだから』

「ぐうの音も出ない」

 心底呆れたような溜息が聞こえた。雪はその嵩を更に増しているようで、窓の外は一面が白と闇で覆い尽くされていた。

『ねぇ、坂川……』

「ん?」

 端末の向こうから迷うような息遣いを感じ取る。だけど俺は先を急かさず静かに続きを待った。夜と雪が深みを増してゆく。焦る必要なんてない。魔女は死んで事件は終わったんだ。端末を耳から離してスピーカーに切り替える。寝心地の悪い薄めのベッドに腰掛け、何を思うでもなく窓の外をぼんやり眺めた。

『……まだ心の整理がついてないよ』

「うん」

『瑞希が黒い影で、三人を食べたんだって……そんなの信じられない。信じたくもないけど、目の前で瑞希が影になるのを見ちゃったから――どうしても、受け入れるしかないんだよね』

 親友が魔女で、自分を殺そうと襲いかかってきた。その場面を想像してみて、全く現実感がないことに気付く。実際、魔女と一度でも遭遇する人間は極めて少ない。だからこそ今まで存在を隠すことができていたんだけど。

『瑞希はさ、あたしがこの町に引き取られてきて、最初にできた友達なの。こういう田舎って排他的な雰囲気が残ってたりするから、同い年くらいの子たちは全然声をかけてくれなかった。だけど瑞希だけは違ったの。あの子も親の事情で遠別に引っ越してきた子だったから。たぶん似た者同士だって思ったのね』

 なのに、と呟いて葵は口を閉ざした。自分のことを誰も知らない町で、唯一自分を認めてくれる存在。瑞希は葵にとってかけがえのない親友だったことは容易に想像できた。微かに聞こえる嗚咽に、俺は無言で天井を仰ぐ。

「俺さ、孤児なんだよね」

 返事はない。だけど葵が、その先で耳を傾けてくれているのは分かった。

「小さな施設にいてさ、周りも同じような奴ばっかりで……先生も怖い人ばっかりでさ、毎日怯えて暮らしてたんだよ。こういうの嫌かもだけど、その気持ちはちょっとだけ、わかるかもしれない」

 自分でもわかるくらい、最後の方の声が小さくなっていた。ちょっとした間を置いて、端末から押し殺した小さな笑い声が聞こえる。

「なんで笑ってんだよ?」

『いや、ごめんね? なんかおかしくて……ふふ』

「黙っとけばよかった」

『ううん、ありがとう。ちょっぴりだけど見直したよ?』

 声に明るさが戻る。そしてごく自然に、俺の頬も緩んでいた。

 そこで簡素なちゃぶ台の上においた端末が別の着信を告げる。誰であるかは考える必要もなかった。

「悪い、ちょっと別の電話が来た」

『誰からかは聞かないでおいてあげる』

「賢明だな。じゃ、助けてくれてありがとな」

『怪我人なんだからさっさと寝ときなさいよ……こちらこそ、ほんとありがとね』

 電話を切って、コールが続いている別の回線を開く。

『あの施設についての話は、他言無用だと言ったはずよね?』

「盗み聞きとは感心しないな。プライベートだ」

『その端末は私たちが貸与したものです。傍受くらい、あなただったら知っていたでしょう?』

「それで?」

 Mは一拍おくと、事務的な調子で始める。

『まず、あなたの処遇についてです。二度に及ぶ規定違反、それも禁止されていた魔女との交戦。結果的に魔女を処理できたからいいものの、相応の罰則は覚悟してもらいます――と、言いたいところではありますが、』

 Mは諦めたように言葉を続ける。

『両方とも付近に民間人がおり、被害が及ぶ可能性があったこと。そして二回目に関しては魔女が暴走状態にあったことも考慮し、一旦は厳重注意での保留となりました』

「思ったより軽い処分だな」

『実際にあなたは魔女を一人、それも単独で処理しています。あなたが魔女である点を含めて考えたとしても、極めて価値のある結果と言わざるを得ません。監査会も相応に評価しています』

「株が上がったな、M?」

『嬉しくありません』

 ぴしゃりと言い放たれて、誰も見ていないのに肩を竦めてしまう。

『あなたが処理した魔女は、便宜上“泥喰らい”と呼称します。覚えておくように』

「アンタの名付けか?」

『負傷していたようですが、調子はどうでしょうか?』

 華麗にスルーされて思わず後頭部を掻いてしまう。どうやら名付けはMだったらしい。

「今のところは問題ない。あちこち痛むけど」

『それなら結構です……次いで、今後についても伝えておきます』

「ああ」

『遠別での事件について、監査会は魔女の撃破により終結とする、と宣言されました。魔女の遺体は現在、工場跡に放置されたままになっており、既に回収班が現地へ向かっています』

「相変わらず対応が早いな」

『隠密が私たちの基本原則です。それと葵さんについてですが、本人に口外の意思が認められないこと、魔女が当人の友人であったことを配慮し、保護観察処分となりました』

「というと?」

『追って、私から口止めを行います。半年ほどの期間で監視を続けますが、直接的な処分についてはできる限り避ける方向で進んでいます』

「んま、今のところ魔女の正体を知ってるのはあいつだけだしな」

『ええ、今回は異例の対応です。しかし魔女の存在が大きく露見していないのであれば、やはり事は穏便に運ぶべきでしょう』

「隠密が基本原則だからな」

『加えて、あなたの回収は三日後になりました』

「目立たないように?」

『ええ。三人の失踪については未解決事件として処理されるでしょう。ですから怪しまれないように、数日おいての離脱とします。詳細については後日連絡しますが、そのつもりで』

「お別れもその内に、ね」

『とても短い期間だったはずですが――まぁ、濃密だったでしょうね』

 葵の顔が脳裡に浮かぶ。あいつは今度こそ一人で、この町で暮らさなきゃならない。だけどそれは俺も一緒だ。また隔離施設に放り込まれて、軟禁生活が始まる。程度は違えど似たようなものだ。

「あ、そういえば聞こうと思ってたんだけどさ、」

『なんでしょうか?』

「投下してくれたA武装、あれちょっと酸の量が多すぎやしなかったか? まぁそのお陰で奴を倒せたんだけど、危うく俺らにかかるところ――」

『どういうことですか?!』

 突如Mの声色が変わる。反射で体が硬直してしまうが、すぐにMのは言葉が俺に向けられたものじゃないことに気付く。

『ロストしたですって? そんな馬鹿なことがあるわけ――!』

「おいM。どうした?」

『もう一度くまなく探しなさい! 絶対に残っているはずよ! ――明人! あなた魔女の遺骸は放置して出てきたのよね?』

「ああ。酸まみれで触れないしな」

『今、工場跡に派遣した回収班から連絡がありました。工場内に放置されているはずの遺骸がどこにも見当たらないとのことです』

「は?」

『本当に動かしたりしていないのよね? 混乱していて遺骸の場所を間違って伝えていたなんてことは――』

「それはない。近づけば酸で焼かれるから絶対に動かせないし、奴は工場内で死んだ。それについては葵も一緒に見ているし、そもそも場所なんて中に入れば一発でわかる。酸と泥で一面ぐちゃぐちゃだったからな」

『そんなまさか――』

「いや、本体は確実に死んでいた。酸で溶けたんだぞ」

『ならどうして?!』

「落ち着け、まずは状況を確認した方がいい」

 興奮していたMが少しずつ冷静さを取り戻していく。

『そうね……回収班、状況を報告なさい――回収班、応答を……回収班!』

 背後から何かが迫りくるような感覚。それはただの予感でしかないけど、世界の端に追い詰められていくような気配を覚えていた。

『連絡が……ちょっと、そこの! 今すぐ本部に連絡を入れて! 緊急よ!』

 端末の向こうが騒がしくなる。窓の外の雪が勢いを一層強めていく。

「明人! あなたはそこで待ってい――」

 ぶつん、と端末の通信が断絶してしまう。もう一度Mへかけ直してみるが、そもそもコールすら聞こえない。端末をテーブルに放り投げたところで、突如として部屋の電気が落ちた。

 窓の外を見やる。雪に覆い尽くされた町の向こうに、ほんの微かにだけど送電線を携えた鉄塔が窺えた。何を思うでもなく端末をズボンのポケットにしまいこんで、厚手の上着を着込んだ。まだ仮定の範囲内を出ないけれど、恐らくまだ状況は続いている。確証はないけど、直感がそう警告してくれていた。

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