61 仮面の忍術士
夜のスラム街においてそれぞれの事情や目的を抱えた多くの人間が動いている中に彼もいた。全身黒ずくめで顔には仮面を被っていて人相が全く確認できない。客観的に見れば裏世界で暗躍していそうな人物だ。
仮面の男は無秩序に連なっている建物の屋根から屋根を軽快に移動しながらわずかな痕跡でも見逃さないよう集中していた。走っていても音を立てずまるで暗殺者のような身のこなしである。ちょうど近くを歩いていた住人も全く気付かずに通り過ぎていく。
(おっと、こいつは……)
しばらくしてかすかな気配を捉えたのでこっそりと確認してみれば、一匹の蛇が建物の軒先に巻きついているのを見つけた。先端が分かれた舌を出し入れしながら蛇は辺りを警戒するように頭を動かしている。
仮面の男が周囲を注意深く観察すると、他にも同じような蛇がある建物を囲うように配置されているのを発見した。
蛇に察知されないように路地に降り立つと地面を確認する。
(こいつはビンゴか?)
路地には成人男性の足跡が転々と続いていたのだ。足跡はまだ新しく、想定される体重や背格好は標的とほぼ同じであった。もっとも足跡といっても常人には確認するのが難しいようなかすかな痕跡である。
(間違いない。ヘイデン・トラヴァーズはこの先の建物にいる)
足跡を蛇の視界に入らないように気をつけながら辿ると工場のような建物に続いていた。標的が小型の蛇を見張りや情報収集に用いることは聞いている。蛇の配置からしても間違いなさそうだ。
標的を発見した仮面の男は静かにその場を離れる。どうやら自分が第一発見者のようだ。仕事柄セントリースの街には詳しく、『銀の狼牙』の副長ヒルダが絞った箇所の他にも独自に標的がいそうな場所を考察していたが早々に当たりを引いたようだ。隣国の貴族が放った追跡者も凄腕とはいえ、地元で活動している自分が先を越されるわけにはいかない。
(さて、あとは依頼人かその仲間に居場所を伝えるだけだな)
仮面の男は『銀の狼牙』の団長ヴィクトルに雇われた斥候のひとりであった。かのクランは情報収集を得意とする団員を何人か抱えているものの、一刻も早く標的を確保したいようで他にも外部の人間を何人か雇っていたのだった。
仕事の内容はスラム街に潜伏しているヘイデン・トラヴァーズの捜索である。発見した場合は標的に気付かれないよう速やかに依頼者である『銀の狼牙』のメンバーたちに知らせなければならない。
近場にいる『銀の狼牙』のメンバーを探しているとある三人組の姿が目に入った。この場所には似つかわしくない若い男と二人の少女の組合せである。
(まさかあいつらとは。これも何かの縁ってか?)
仮面の下で苦笑する。いくつもの組に分かれて行動している『銀の狼牙』のメンバーと協力者の中で彼らを最初に発見したのだから。あのうちのひとりとは今日も一緒に行動して他のふたりも最近会話したばかりだ。
仮面の男はわずかに仮面をずらして目を細める。仮面の脇から垣間見える顔はナギの同級生のものだった。
彼の名前はエドワード・アシュレイ。エドという愛称で呼ばれることが多い。セントリース中央学院に通っていて、今年商業科から転科してきた普通科の生徒である。
エドは表向きは学院に通いながらも裏ではプロの情報屋として活動していた。その活動は学生のお遊びレベルではない。このように街中を駆け回ったり、場合によっては街の外で危険な仕事をこなし、時にはスパイのようなことまでしていた。もしこのことをナギが知ったら驚くだろう。
仮面をもとに戻して顔を隠す。素顔が公に知られていないほうが活動しやすいし、知られたくない個人的な事情もある。エドの裏の顔を知っている者はほとんどいない。ちなみにこの姿の時はシェイドと名乗っていた。
(しっかし、あいつもとんでもないことをするよなあ)
あとで学校が占拠されてフィリオラやルイサが人質になっていたことを知った時はさすがに驚いたものだ。そして彼女らを助けるためにナギが躊躇なく敵の陣地に乗り込んだことも。普段はそこらの学生と変わらないのにいざという時の行動力には目を瞠るものがあった。しかも結果的にシオンとともに事件を解決してしまったのだ。
それにナギは『レネゲイドクラブ』の傭兵を複数倒しているらしい。かの傭兵団は少数ながらも精鋭が揃っていて裏社会ではけっこう名が通っている。特にリーダーであるウォーカーと『蛇使い』ヘイデンの実力は群を抜いており、エドの友人は前者を倒したという。かつて一国の騎士団長すら務めた男を倒すのだからポテンシャルは計り知れない。
(あいつらを最初に見つけたのも都合がいいか)
この仕事を請けたのも以前からたまに依頼をもらっている『銀の狼牙』の団長たっての頼みだったからだが、結果的にあの三人の助けになるなら悪くない。
(ばれないように接触しないとな)
この格好の時は口調や仕草などを意図的に変えているのでそう簡単にはばれないだろうが、一応気をつけたほうがいいと思いつつ、エドは三人に情報を渡すべく移動を開始するのだった。
☆ ★ ☆
ナギたちは時折絡んでくる無法者を撃退しつつ路地を進んでいた。今のところは有力な手がかりはなく捜索は苦戦している。怪しそうな場所をしらみつぶしに探していくのだから時間もかかるし、他のメンバーからの連絡もない。
何番目かの廃墟がはずれだったので次に向かおうとすると、前方の建物の上に何者かが月明かりを浴びながら静かに佇んでいるのが見えた。全身に黒い服を着ていて顔には同じく黒い仮面をかぶっている。はっきり言って怪しいことこの上ない人物であった。
「あの格好はもしかして追撃部隊のやつか?」
学校で傭兵たちにトドメを刺していた追跡者に似ている気がする。
「いえ、違うわ。彼はこちらに協力している人間よ」
警戒するナギの隣でシオンが口を開く。紛らわしい格好だがよく見れば確かに格好が少し違う。どうやらヴィクトルが言っていた協力者のひとりだったようで、シオンはあの人物のことを知っているようだ。
「標的を見つけたのね?」
「……ああ。この紙に居場所を記してある。お前たちが最初に情報を伝えた班だ」
仮面の男は左手を鋭く振るうとナギのそばの壁に細長い金属を突き刺した。金属の先端には折りたたまれた紙が結ばれている。
その紙を手に取って開くと、そこには大まかな地図に丸印が書かれてあった。どうやら探し人の情報を示しているようだ。
複雑なスラム街の中から見つけ出したのかと感心しながら顔を上げるとすでに仮面の男の姿はなかった。こちらが地図を眺めているわずかな間に立ち去ったようだ。
「何者なんだ、あいつは」
「いつの間にかいなくなってましたね……」
用件だけ済ませてさっさといなくなってしまったようである。
「他のメンバーに伝えにいったんでしょうね」
シオンが地図と周囲を見比べながら言う。ヒルダの説明では、捜索のために雇われた者がもし発見したら近場にいる<銀の狼牙>メンバーに知らせることになっていた。その後は順に近い方から同じように情報を伝えていく手筈になっている。
「そんじゃあ、さっそく乗り込むか? 俺らが一番みたいだし」
「ええ。本当はメンバーが揃ってから突入するのがいいんでしょうけど、もたもたしてたら『銀の狼牙』以外の人間に先を越されるかもしれない」
ヘイデンの居場所が判明しても単独で突入できる班は限られている。相手は多数の魔物を従えられる召喚術士で術者自身も剣術の玄人だ。中級冒険者レベルのチームでは歯が立たず、彼らは包囲網を築くことが主な役目となっていた。単独で交戦が許可されているのはヴィクトルの班をはじめとした数チームでナギの班も含まれている。
「それにしても、さっきのやつは姿を現す時も消える時も全く気配を感じなかったな。<銀の狼牙>の団長に雇われるくらいだから凄腕なのか?」
「セントリースを拠点に活動していてけっこうな実力者みたいね。どこにも属さないフリーの情報屋で、本名かどうかは知らないけどシェイドと名乗っていてクラスは忍術士だそうよ」
「忍術士? まさかあいつ忍者なのか?」
ナギはこの世界にそんなクラスがあることを初めて知った。さっきの男が分身の術を使ったり、地面や水の中に隠れたりするイメージが浮かぶ。
「忍者? 極東にそんな名前の隠密集団がいると聞いたことはあるけど、たぶん彼はクラスがそうだってだけで関係ないと思うけど」
「そうなのか……。でもそれならこいつも納得だな」
仮面の男が投げつけた細長い金属を見ながら呟く。どこかで見たような形状だと思っていたら忍者がよく使うクナイだったのだ。表面が黒く塗りつぶされてあり、暗闇で投げられたら視認するのは困難だ。
「忍術士ですか。名前だけは耳にしたことがありますけど、どんなスキルを使うのかちょっと気になりますね」
「斥候術士と同系統のクラスだけど、より多彩で特徴的なスキルを扱うみたいね。実際に見たことはないけど」
斥候術士は視力や聴力などの五感を強化するスキルや、気配を遮断したり逆に感知したりするスキルが得意なのだそうだ。ルイサなどもそれらの技能を生かし、冒険者の仕事では敵や罠を発見したり情報収集などの役目を担っている。
ナギはこの世界に忍者が存在していたことに驚きながらも、早くヘイデンのもとに向かうべく行動を開始したのだった。