59 事件の経緯
夕刻、ナギはフィリオラとともに『銀の狼牙』の拠点を訪れていた。団長のヴィクトルから話があるというので足を運んだのだ。
「けっこう広いんだな」
「さすが有名クランの拠点ですね」
先頭を歩いている案内役のシオンについていきながら二人は物珍しさから周囲を見回す。拠点の正門から入って奥にある一番大きな建物を目指しているようだ。
『銀の狼牙』はセントリースの街中に広い敷地を有していてそこに拠点を構えていた。中央街からも近くこれだけの土地を所有するとなると相当な値段がかかるだろう。ここからだと一部しか確認できないが敷地内にはいくつもの建物が存在しているようだ。
道中クランの関係者とすれ違ったり、数人の装備を着込んだ屈強そうな冒険者たちが談笑していた。少し離れた所にある訓練場では何人かがそれぞれの武器を使って鍛錬を積んでいて熱気がここまで届いてくる。シオンの話によると仕事が終わり多くの所属冒険者が戻っていて賑やかな時間帯なのだそうだ。
興味深く眺めながら歩いていると道の脇にケビンとルイサが立っているのが見えた。
「よう。身体の方は大丈夫みたいだな」
「問題ない。フィリオラさんには改めて感謝する」
ナギの隣にいたフィリオラに頭を下げるケビン。中等科が解放された後、全身打撲や裂傷だらけだった彼は神聖術によって治療してもらったのだ。命に関わるほどではなかったものの決して軽い怪我ではなかった。こうしてすぐに動けるようになるのだから便利なものだ。
「……それと、一応お前にも礼を言っておく。もしお前が来なければ殺されていたかもしれない」
それだけ言うとケビンはさっさとどこかへ行ってしまった。もしかしてそれを言うためにここで待っていたのだろうか。
「あいつが俺に礼を言うとは……。明日雨が降るんじゃないか?」
「ケビン先輩にしては頑張った方ですよ。素直に受け取ってあげてください」
そうフォローしているルイサも笑いをこらえるような表情をしている。
「それはそうと、ナギ先輩なんだか疲れた顔をしてますね?」
「さっきまでしぼられてたからな……」
とりあえず学校占拠事件が犠牲者を出さずに解決できたとはいえ、警備隊の包囲を突破して勝手に侵入したナギたちの行動は当然問題視された。なので事情聴取の際に警備隊員からこっぴどく怒られてしまったのだ。勝手な行動もそうだが立場上は一般人なので当然と言えば当然である。
しかし、詰め所で怒られたのはナギだけでシオンとケビンはいなかった。彼らに関しては警備隊から『銀の狼牙』に対しての注意ですんだらしく、あとは内々に副長から説教を受けただけで終わったらしい。これも信頼の厚いクランだからで犠牲者が出ずにすんだからだ。
ただケビンに関してはヒルダから特にしぼられたらしい。シオンの場合は高位冒険者で事態の解決に向けて勝算があった上での行動だが、彼の場合は実力的にも無謀で現実が見えていなかったと言われても仕方がない行為である。本人も痛い目にあったことでだいぶしょげていたようだ。
それからルイサと別れたナギたちが奥にある建物に入るとロビーに眼鏡をかけた女性が立っていた。わざわざ副長のヒルダが出迎えてくれたらしい。
「ようこそ、『銀の狼牙』本部へ。歓迎しますよ、ナギさん」
ヒルダはナギに向かってクールな笑みを浮かべた。
その後はヒルダの先導で団長の部屋まで案内してくれた。到着して扉をノックすると中から入室を許可する声が聞こえてくる。
部屋に入ると奥にある立派な執務机で書類を見ていたヴィクトルが顔を上げた。
「おう、お疲れさん。無事に聴取の方は終わったみたいだな」
「まあ、なんとか。けっこう叱られましたけど」
「それは仕方ないな。向こうも立場上そうせざるをえないし、そこは理解してやってくれ」
人質もそうだがナギのことも心配してくれてのことだ。それにこっそりとナギの行動に感謝したり、傭兵を倒した腕前を素直に褒めてくれた隊員もいた。なかには面白くなさそうに睨んでいたやつもいたが。
それでも最悪罪に問われるところを怒られるだけですんだのは、『銀の狼牙』の団長ヴィクトルにウェルズリー商会のシャロン、更にはエルフォード家のアマネまでが嘆願書を提出してくれたおかげだ。警備隊の人たちもこれだけのメンツから連絡が来てかなり驚いていた。
庇ってくれた件についてナギが礼を述べるとヴィクトルは気にするなと笑った。
「そもそもうちのケビンやルイサを助けてくれたんだからその恩に報いたまでだ。他にもお前さんの力になりたい人間がいたみたいだけどな。それより早速話に入ろうか」
一同は部屋の中の応接セットに移動して腰を下ろし、最後に座ったヴィクトルが真剣な表情になって口を開く。
「ナギ・テンドウ。自由冒険者としてのお前さんに依頼したい。依頼内容は街に潜伏しているヘイデン・トラヴァーズの捜索と確保だ」
召喚した魔物を駆使して学校から逃走したヘイデンは今も街のどこかに隠れている。どうやら大雑把には居場所が判明しているらしく包囲網を形成しているそうだ。
「その前に詳しく事情を聞かせてもらえないか? ヘイデンって人はあんたの元冒険者仲間だったんだろ。なんでこんなことになったんだ?」
「そうだな……。最初から話した方がいいか。そもそもの発端はひと月ほど前、セントリースの東にあるルートリンデ王国で起こった出来事が原因なんだ」
ヴィクトルの話によると、ルートリンデ王国では貴族間での権力争いが激化しており、ヘイデンが所属していた傭兵団『レネゲイドクラブ』もある貴族勢力に雇われていたらしい。
そしていくつもの衝突や水面下での暗闘が続いた結果、旗色が悪くなった貴族は雇っていた傭兵団に罪を着せて事態を収めることにしたのだ。要はスケープゴートにされたのである。
罪を押し付けられた彼らは捕縛される寸前で察知して逃げ出せたものの、その後は指名手配され王国内を転々と逃亡することになる。逃した貴族の方も彼らが生きていると都合が悪いので追撃部隊を組織して執拗に追いかけさせた。学校で割り込んできた仮面の連中はこいつらである。
その後、徐々に追い詰められていった彼らは国外への脱出を試みる。国境にある検問所は当然使用できないので、監視の緩いシルヴィアナ大森林に逃げ込み、そこから隣接しているセントリースへと密入国したのだ。
そしてあの学校占拠事件へと繋がり、結果的にヘイデン以外の傭兵は気を失って倒れているところを殺されてしまった。彼らのうちのひとりを見張っていたケビンもなす術なく隙を突かれたそうだ。気絶させたのはナギとシオンなのでなんとも後味の悪い結末である。
「本当なら酷い話だな。傭兵団が全部悪いことにさせられたんだろ」
「そいつらも裏で汚れ仕事をしてたんだろうけどな。傭兵ってのはそんなもんだし、まったくの濡れ衣ってわけでもないんだろうが……」
しかし、相手も追跡部隊に凄腕を何人も用意したためすぐに居場所を特定され森の近くで戦闘になった。その時に召喚されたのが大型のソードボアである。もともと森にいたソードボアを集めて追っ手にぶつけ、その隙に街へと逃げ込んだのだ。
「指名手配されてるのに街に入れるもんなのか?」
「国境だと厳しく確認しますが街門ではそこまでではないですからね。大都市であるセントリースは人の流出入が多いのでいちいち確認していたら長い行列ができてしまいます。物流も滞って経済活動にも影響を及ぼしかねません。変装していたら気付かれないかもしれませんね」
ヒルダが説明してくれる。
それに召喚した魔物をそのまましておいたのは街を守護している警備隊の注意を引くためでもあったようだ。実際、街道から少し離れた場所に多くの魔物が湧いたことで多少なりとも混乱があったらしく、そちらに人員を割かねばならなかった。
街に入った傭兵たちは人目を避けるため主に下水道を移動していたそうだ。だがそこにも追跡の手が伸び、下水道から脱出した先が学生街だったというわけだ。そこで警備隊と戦闘になり中等科に逃げ込むことになったというわけである。
「それにしても隣国の裏事情にも詳しいんだな」
「クランとしての情報収集力があるし、あちこちコネも持ってるからな。それに個人的にその傭兵団を追っていたというのもある」
「もしかしてヘイデンって人のことか」
ヴィクトルは静かに頷く。彼は以前から失踪したヘイデンの行方を追っており、『レネゲイドクラブ』にいる召喚術士に注目していたらしい。
「傭兵団に所属している『蛇使い』の二つ名を持った召喚術士。主に爬虫類系の魔物の召喚を得意としているところや剣の扱いにも慣れているところがヘイデンの特徴と一致してたんだ。名前は違ってたが裏家業で偽名を名乗ることは珍しくない。やつがヘイデンなのではとずっと疑っていたんだ」
それまで黙って聞いていたシオンが口を開く。
「団長。私も聞きたいことがいくつかあります。ヘイデンおじさんが傭兵団に所属した経緯を教えてください。それとご家族はどうなったんですか? ……そもそも行方不明だったなんて知りませんでした」
「……やっぱり気になるよな。お前はあいつにけっこう懐いてたし、あまり喋るタイプじゃなかったあいつもお前を可愛がってたからな。アマネさんも知ってたのかもしれないが黙ってたのかもな」
用意されていた飲み物を口に含んでからヴィクトルは話しはじめた。
「あいつが結婚を機に『銀の狼牙』を脱退したのは十年ほど前だったな。女っ気のなかったあいつが気立てのいい嫁さんを連れてきたってんでみんなで冷やかしたのを覚えてる。その後は冒険者家業から足を洗い、嫁さんを連れてずっと遠方にある故郷に帰ったんだ。かつてヘイデンの父親との親交もあった貴族の家で護衛の仕事をすると言っていた」
久しぶりの故郷での生活にも慣れ、仕事も問題なくこなし、すぐに娘も生まれて順調にいっていたらしい。その後は妻が病気で亡くなったそうだが、それでも娘と二人で平穏な人生を送っていたそうだ。
それが数年前突如終焉を迎えることになる。仕えていた貴族の子息が粗相をしてしまったまだ幼いヘイデンの娘を手打ちにしてしまったのだ。報せを聞いたヘイデンは娘の遺骸を抱き締めながら慟哭すると数日間部屋に閉じこもって出てこなくなった。
そしてある日の夜、皆が寝静まった頃にヘイデンは貴族の子息を気を失うまで殴りつけて忽然と姿を消してしまったのだ。貴族に大怪我を負わせたことで当然大騒ぎになった。それでも殺さずに放置したのはまだ理性が残っていたからかもしれない。その後、彼の行方は杳として知れず捕まることはなかった。
ただ、ヘイデンに殴られた貴族の親で主君だった人物はまともだったらしい。一方的に罪に問うことはなく事実を公表した上でヘイデンに情状酌量の余地があることを示して減刑を求めた。また手打ちにされた娘についても病死した母が眠る墓標の横にお墓を立てて供養したそうだ。
「これまであいつがどういう人生を送ってきたのかは分からない。冒険者仲間からその話を聞いて俺なりに探したんだが掴めずじまいだった。そのうち『レネゲイドクラブ』の召喚術士の噂を聞いてもしやと思ったのさ」
「そんなことになってたなんて……」
ヴィクトルの話を聞いてシオンが悲痛な表情でうなだれ、心配そうなフィリオラが背中に手を当てて慰める。親しかった人間がそんな人生を送っていれば当然だ。
「貴族に大怪我を負わせた件についてはもう罪に問われることはないそうだ。ただ隣国での指名手配に関しては捕まれば間違いなく処刑される。追撃部隊も街中に潜伏しているヘイデンを血眼になって探してるところだ。だから俺たちはそいつらよりも先に見つけ出してヘイデンを捕獲したい。そこでやつと渡り合えるだけの実力があり信頼できるお前さんにも手伝ってほしいんだ。頼む、力を貸してくれ」
そう言うとヴィクトルは頭を深々と下げたのだった。