58 異変の終結
会議室で二組の人間が対峙しており、それを人質となった生徒たちが結界の中から固唾を呑んで見守っていた。フィリオラは結界の維持につとめ、足の拘束を解いてもらったルイサも生徒たちを守ることを優先しているようだ。
隣ではシオンが召喚術士ヘイデンの召喚したリザードマンとの戦闘を既に開始していた。新たに召喚された二体を含めた計四体と戦っている。一体一体は決して弱くなく、武装した屈強な魔物に囲まれても冷静に立ち回っているのはさすが高位冒険者といったところだ。
ナギの前には傭兵のリーダーであるウォーカーが長剣を構えた状態で立っている。まさに歴戦の戦士といった風情で隙がほとんどない。これまで相当な修羅場を潜ってきたのだろう。
「君は俺の部下よりも強い。だから全力でその首を獲りにいく」
ウォーカーがゆっくりと間合いを詰めてきた。これまで戦った傭兵と違って若造だと侮る様子は皆無である。相手が誰だろうが油断せずに確実に仕留めるタイプのようで、不意を突かれたりはしなさそうだ。
ナギも剣を構えながら迎撃に入る。この戦いでは星霊術はあまり使用できないだろう。広めの部屋とはいえシオンを巻き込んでしまう危険性があり、生徒たちを守る結界に当たってしまうかもしれないからだ。最悪、部屋を破壊してしまう可能性もある。
フィリオラの張る結界は永続的に続くわけではなく、衝撃を受ければ削られて強度が落ちてしまうし、その分持続できる時間も短くなってしまう。一度消えたらまた張り直す必要がありその隙を狙われるかもしれない。
「ぬん!」
鋭い呼気とともにウォーカーが剣を振り上げてナギの持つ剣と噛み合う。かなり重くスピードも申し分のない一撃だ。少しでも気を抜くと身体ごと持っていかれそうである。
こんな攻撃を受け続けていたら手が痺れそうなので受け流すように打ち合った。それにナギの使う剣は出来は悪くないが標準的な質で、よく鍛えられた敵の獲物に比べればだいぶ劣る。まともに受けていたらへし折られてしまいそうだ。
それから数合打ち終えると、ナギは戦闘中にもかからわず相手の動きや剣筋に感嘆した。特に派手なことをするわけではないものの正確で基本に忠実な剣捌きは一種の美しさがあったのだ。こんな状況でなければじっくり観察して参考にしたいとこである。
そんなことを考えながら打ち合っていると向こうから話しかけてきた。
「……若いのに見事だな。これまで地道な鍛錬を繰り返し積んできたんだろう。俺とここまで打ち合えるやつは久しぶりだ」
「そりゃどうも。あんたこそお手本のような剣術だな。傭兵じゃなくて剣術を教える先生にでもなればよかったんじゃないか?」
「……そういう時代もあったな。信じられないかもしれないが、これでも昔はある国で騎士隊長を務めていたこともあったんだ」
ナギは思わず目の前の男を凝視する。そんな立派な役職に就いていた人間がなぜこんな所でテロリスト紛いのことをしているのか不思議でならなかった。
「あの頃は後輩の騎士たちをずいぶん鍛えてやったものさ。それがこんなことになるとは人生分からないものだな。――さあ、お喋りはここまでだ。時間が経つほどこちらが不利になる」
ウォーカーの長剣に魔力の輝きが宿る。剣術スキルを使った攻撃が加わりここからが本当の勝負ということだ。
二人の<強化>付きの攻撃がぶつかり合い、両者の剣が軋んで魔力と火花が散った。しかし押されていることを感じてすぐに剣を引く。
(こいつはまずいかもな)
スキルの強度では決して負けていない。ただやはり武器の性能が攻撃力の差となって現れてしまっている。そしてそのことを敵も見抜いていた。
「惜しいな。それは君の本来の武器ではないのだろう。それでも俺とやり合えていることから君のセンスの高さが窺える。全力の君と打ち合ってみたい気もするが、そういうのも含めて勝負というものだ」
剣を覆う魔力が一層輝きウォーカーが床を踏み抜くような勢いで一歩を踏み出す。本能的に危険を感じて急いで後方に飛び退くのと剣が振り下ろされるのが同時だった。
振り下ろされた剣はナギが立っていた床を叩き割って大きなひびが無数に広がっていった。心なしか部屋全体が揺れた気がする。それだけ凄まじい一撃だった。
ナギは避けた先で冷や汗を流す。もし受けていたら間違いなく剣を折られて失っていただろう。あれだけの威力だと受け流すのも難しい。おそらく通常の<強化>に加えて<身体強化>のスキルも併用したのだろう。たぶん腕力を強化したのだ。
その後もウォーカーの熾烈な攻撃が続く。もはや剣で受けられないため避けるしかない。それでも戦闘スペースが狭いので隅に追い詰められてしまい、たまらず<風弾>を敵に向かって打ち出した。
「むっ!」
近距離でもウォーカーは風の弾丸を弾いてみせた。弾かれた<風弾>が天井に衝突して穴を開け、相手の動きが止まったわずかな隙になんとか間合いを取ることに成功する。
「……危ない危ない。まだそんなスキルを持っていたのか。魔術ではなさそうだが……。いずれにせよ警戒レベルを更に引き上げる必要があるな」
とりあえず星霊術で危機を凌いだのはいいが手の内を明かす格好になってしまった。
(さて、どうするか……。こうなったらもうなりふり構ってられないか)
再び迫ってくる敵を見て腹を括る。相手はスキルの併用によって攻撃力を引き上げている。ならばこちらも同様の手段で対抗するまでだ。
攻撃範囲まで間合いを詰めたウォーカーが一瞬訝しげに眉を上げた。こちらが避ける素振りも見せないことに違和感を感じたのだろう。しかしすぐに気持ちを切り替えたようで、決着をつけるべく渾身の一撃を放ってきた。
「――なっ!?」
ウォーカーの方が優位なはずの攻撃がしっかりとナギの剣に受け止められ、傭兵の口から驚愕の声が出る。だが驚いたのはそれだけが理由ではないだろう。なぜなら相手の剣身に風が纏わりつくように渦巻いていたからだ。
「これは付与魔術!? こんな力までお前は――!」
「おらあっ!!」
セリフを遮るようにナギは裂帛の声を上げてウォーカーの剣を弾く。そして返す刀でがら空きになった敵の胴体を一閃したのだった。
「う、うおおおおおお!」
暴風を纏った一撃によって着ていた鎧が弾け飛びウォーカーは後方へと吹き飛んでいった。部屋の壁にぶつかって止まるとがくりと膝をつき床に血反吐を吐く。
「……参ったな。君は本当に底が知れない男だ。森で出会った時に始末しておくべきだったか」
そう言うとウォーカーは床に倒れて動かなくなった。気を失ったのだ。
ナギは剣の周囲を渦巻く風を解除しながら倒れた傭兵のリーダーを見下ろす。今のは<集束>という新たな星霊術のスキルで、主に武器や拳などに風や雷を纏わせて攻撃を強化するスキルだ。付与魔術と勘違いしていたようだが効果は似たようなものだ。現在は風だけで雷の<集束>はまだ使えなかった。
<集束>はわりと最近覚えた星霊術で制御が不安だったので直前まで使用するかどうか迷ったのだ。失敗したら敵の攻撃をまともに受けてピンチに陥っていたかもしれない。
ただ覚えたての<集束>だけで対抗できるかは分からなかったので剣に<強化>をかけて威力を上げることにしたのだ。そして初めての試みだった星霊術スキルと剣術スキルを併用した一撃は熟練の戦士を退けることに成功したのだった。
倒れているウォーカーを見ると高価そうな鎧が粉々に砕かれていた。想定以上の威力である。手加減するような余裕はなかったので死なせずに済んで良かった。これから鍛錬を続けて調整していかなければならない。
難敵を見事に下したナギはもうひとつの戦闘に目を移すのだった。
☆ ★ ☆
少し時を遡り、シオンはヘイデンの召喚した魔物たちとの戦いを繰り広げていた。
「はあっ!」
別方向から同時に襲ってきた攻撃をひらりと軽快にかわして反撃の一撃をお見舞いする。高速で繰り出された槍がリザードマンの胸を突いて絶命させた。死んだ魔物は光の泡となって消えていく。
シオンは複数の武装したリザードマンから包囲されても、符術を使用した華麗な舞いで立ち回りで確実に一体ずつ敵を減らしていく。全方位から容赦のない攻撃が飛んできてもかすりさえしなかった。
最後の一体を余裕で倒したシオンは、守る魔物がいなくなり無防備になった召喚術士に狙いを定めると一気に距離を詰める。勢いのまま鋭い突きを出すも相手が懐から取り出した一振りの剣によって阻まれた。
槍の穂先が剣腹で受け止められて拮抗する。ヘイデンの手にはよく使い込まれていると分かる片手剣があった。
「さすがですね、ヘイデンおじさん。召喚術士は召喚した魔物に戦わせて接近戦に対応できる術者は少ないのに、おじさんは剣の腕も一流ときてる」
「俺の家系は代々戦士の一族だったからな。素質のあるないにかかわらず幼い頃から剣を握らされて鍛えられたのさ。しかしあの小娘がよくここまで成長したもんだ。『舞風の槍姫』の活躍は耳にしてるぞ」
「祖母だけじゃなく『銀の狼牙』をつくった父やあなたにも憧れて鍛えてきましたから。もちろん憧れるだけじゃなくて超えるために」
「言うようになったな。セツナさんお手製の短い槍を持って駆け回っていたのがついこの前のことのように思える。さっさと逝っちまったお前の親父もあの世で喜んでるだろうよ」
当時のことを思い出しているのかヘイデンは遠い目をした。
あの時よりも老けているヘイデンを見てシオンは少しためらいがちにもう一度尋ねる。
「……おじさん。なぜ傭兵としてこんな所にいるんです? たしか結婚して故郷に戻ったんですよね。娘さんもできたと父に聞いたことがあります」
「……色々あったんだよ。色々とな。ただ、そろそろ潮時のようだ」
剣を引いて距離をとるヘイデンの視線を辿るとちょうどナギとウォーカーの決着がついたところだった。そこまで心配はしていなかったとはいえ無事に勝利したようだ。
「ウォーカーのやつを倒すとは大したものだ。お前も随分あの若者を信頼していると見える」
これで残ったのはヘイデンただひとり。二人を同時に相手をしなければならず勝負は着いたようなものだ。これから召喚するような暇を与えるつもりもない。
「ヘイデンおじさん、悪いようにはしませんから降参してください。指名手配されているようですけど、『銀の狼牙』が助けになりますから。団長もきっと手を貸してくれるはずです」
「生憎だがそんな単純な話じゃないんだよ。――それに悠長に会話している余裕もない」
突然ヘイデンは剣を振るって部屋の外から飛んできた複数の暗器を弾いた。飛んできた方向を見るといつの間にか廊下に複数の白い仮面を被った人間が佇んでいたのだ。
くぐもった声が聞こえてたので視線を向けると、床に倒れていたウォーカーの首筋に暗器が刺さっていた。そばにいたナギが茫然と立っている。あの傷からして絶命しているようだ。彼らの仕業に間違いない。
「何者よ、こいつら!」
「俺たちを執拗に追いかけてきた連中だよ。お前らのあとに忍び込んで様子を窺っていたか。ウォーカーが倒れてチャンスと見たんだな」
ヘイデンは部屋の窓に向かって駆け出してそのまま突き破って外に出た。いつ召喚したのか腕についた皮膜を広げて飛ぶトカゲのような魔物の足に掴まる。
「おじさん!」
「じき警備隊も突入してくるだろう。ここは撤退させてもらう」
シオンは窓から顔を出して遠ざかっていくヘイデンを見送るしかないのだった。