50 久々の団欒
ソードボアの討伐から数日後、ナギとフィリオラはエルフォード家を訪れていた。玄関のノッカーを叩くとすぐに扉が開いてひとりの女性が姿を現す。
「いらっしゃい。ナギくん、フィオちゃん」
笑顔とともに迎えてくれたのはエルフォード家の主人であるアマネだった。娘のシオンとよく似た顔立ちに、とても四十近いとは思えない若々しい女性である。ナギが引っ越して以来の顔合わせだ。
「こんばんは」
「お久しぶりです、アマネさん」
二人は挨拶してからアマネとともに食堂に移動する。今日は久々に夕食をエルフォード家で一緒に食べることになっていたのだ。ナギが引っ越した際に、アマネがたまには顔を見せるようにと言っていたので、こうしてフィリオラとともにやってきたのであった。だいたい月に一、二回くらいは夕食時に厄介になろうと思っている。
食堂に入るとすでに私服姿のシオンが着席して待っていた。長テーブルの近くではふくよかな体型のヘレナが機敏な動きで配膳していて、ナギに気づくとにっこりと笑顔を見せた。彼女も変わらず元気のようだ。
皆でテーブルを囲むとほどなくして配膳も終わりさっそく夕食を頂くことになった。ヘレナたちが用意してくれた料理を食べながら会話に花を咲かせる。
「ナギ君と食事を共にするもの久しぶりね。シオンからも話は聞いてたけど元気にしてるみたいだし、新しい生活や学校には慣れたかしら?」
「おかげさまでなんとか。こんなに早く生活の基盤を作れたのもアマネさんのおかげです」
「あなたはシオンを助けてくれた恩人だし当然のことよ。これからも何か困ったことがあったら遠慮なく頼ってちょうだい。力になるから」
異世界に飛ばされても苦労することなく生活できているのはアマネがいろいろと世話を焼いてくれたからだ。こちらこそ彼女が困っていたら力になりたいと改めて思う。
「フィオちゃんもこうして会話するのは久しぶりね。学校は楽しい?」
「はい。友達も何人かできました。毎日がとても充実しています」
フィリオラの答えにアマネは満足そうに目を細めていた。地下遺跡の件でコルテス司教の告発に力添えしていた彼女からすれば自由に生き生きと活動している神官少女の姿を見ることができて感無量だろう。
「そういえばシオンから聞いたんだけど、フィオちゃんもウェルズリー商会で自由冒険者の登録をしたんですって?」
「戦闘のためのスキルを磨くためと、ナギさんのお手伝いをしたかったんです」
フィリオラはこの前の討伐任務を見事にやり遂げたということで、シャロンから合格をもらい自由冒険者登録に漕ぎつけていたのだった。実際、彼女がいたおかげで敵を倒す時間も短縮できて結果的に撃破数を稼げたのだ。
それに頼れる後衛がいるとここまで戦いが安定するものかとナギ自身手応えを感じたものである。シャロンもフィリオラに関して正確な遠距離攻撃に防御や治癒の術なども使いこなせるので理想の後衛だと評価していた。
「それでさっそく登録を勝ち取るのはさすがというか、フィオちゃんも行動力があるわねえ。その話で思い出したけど、『銀の狼牙』と初めて一緒に仕事をしたんですってね。ヴィクトル君とも会話したんでしょ?」
「いきなり勧誘された時は驚きましたよ。アマネさんも知り合いなんですか?」
娘のシオンが『銀の狼牙』の団員なので顔見知りでもおかしくはない。
「昔からの顔馴染みなのよ。もう二十年近く前の話だけど、『銀の狼牙』はもともとうちの亡くなった旦那がヴィクトル君や仲間達と立ち上げたものなの。最初は数人のパーティだったけど今では大勢が加入するクランにまで発展したんだから感慨深いわね」
「そうだったんですか? それじゃあシオンは親父さんが結成したクランに入団したってことなのか」
「まあね。子供の頃から父が活躍している姿を見て育ったから、自然と冒険者になって『銀の狼牙』に入ることが目標になってたかな。あとクランの名前である『銀の狼牙』はリーダーだったお父さんの二つ名からつけられたの。若い頃にシルバーウルフという凶悪な魔物を討伐して、その魔物の牙から作った装備を愛用していたことからその名がついたそうよ」
知らなかった事実を聞かされてナギは内心で驚く。シオンの父親が死んだあとは戦友だったヴィクトルが跡を継いで団長になったそうだ。
「ヴィクトル君は亡くなった親友の娘が入団したって喜んでたわね。もしかしたら、いずれはシオンがクランを背負ってくれることを期待しているのかも」
「そうだとしても、うちは実力主義だから創設者の娘だからって特別扱いされるつもりはないわよ。どのみちずっと先の話だろうし、そんなことを考えたこともないけど」
そう言ってシオンはそっけない態度で紅茶を飲むも、案外内心では満更でもないのかもしれない。
「『銀の狼牙』の初期メンバーは様々な理由で脱退して、もうヴィクトル君しか在籍してないけど、他の人たちは今どうしてるのかしらね。私も若い頃に彼らと一緒にこうして食卓を何度も囲んだことがあるけど、今ではもう懐かしい思い出だわ」
アマネは過去のことを思い出してか遠い目をしていた。たぶん旦那や若い仲間たちとわいわい食事を楽しんだのだろう。
「でも、ナギ君をクランに誘うなんてさすがにヴィクトル君も抜け目ないわね」
「団長も以前から興味は持ってたようであれこれ聞かれたけど、まさかこんなに早く行動に移すなんて予想外だったわ。仕事を一緒にこなすことになったからちょうど良い機会だと判断したんでしょうけど」
その仕事の件でナギは気になることを思い出した。
「そういや、大型のソードボア消失の件は調査してるんだよな?」
「ええ。団長達も召喚術によるものだと確信してるようね。となれば自然発生ではなく何者かの仕業ということも考えられる。それについてギルドとも協議してるそうよ」
ナギたちが戦った大蛇は他にももう一体いて、そちらも倒したとたんに消えてしまったらしい。倒したヴィクトルは召喚術の送還を直に見たことがあるそうなので間違いなさそうだ。
目的は分からないが誰かが仕組んだことだとしたら召喚術をうまく使ったやり方である。召喚したのは大型の二体だけで、そいつらに他のソードボアを率いさせることで数を増やしたのだ。ソードボア自体はシルヴィアナ大森林に生息しているのでそこまで難しくはなかっただろう。
ただ召喚主がソードボアを故意に西の街道付近に配置したのかはまだ不明だ。召喚術士の中には召喚した魔物を送還せずにそのまま放置するタチの悪い術者もいるらしい。この辺は『銀の狼牙』がギルドと相談しつつ調査している最中である。
その後、夕食が終わると久しぶりにエルフォード家でお風呂を使わせてもらうことになった。宿に移ってからは濡れタオルで身体を拭くだけなので、久しぶりに湯船に肩までつかってゆったりしたいところだ。
ヘレナが沸かしてくれたお風呂にまずはシオンとフィリオラが入ることになり、女の子同士で楽しそうに会話しながら風呂場へ移動するのを見送ると、かねてより考えていたことをアマネに相談してみた。
「ふんふん。なるほど。フィオちゃんが宿で男子学生からアプローチをかけられてるわけね」
「最近は部屋にまで押しかけてくるやつも現れたんですよ。それも何度もしつこいんで、俺が間に入ってあっちも引いてくれたからよかったですけど、これ以上エスカレートするなら宿の経営者に話を通す必要も出てきますね」
「フィオちゃんは可愛いし、年頃の男女がすぐそばで生活していればそういうこともあるでしょうねえ」
「シオンや教会の同僚は女性専用の学生寮などを勧めてたんですけど……」
「彼女はナギくんのそばにいたいみたいだから尊重してあげなさいな。あなたに助けられたことを本当に感謝していたもの」
フィリオラが懐いてくれているのはナギとしても嬉しいが、これはこれで心配である。
「それにしてもあなたも過保護ねえ。そこまで心配しなくてもいいと思うけど。あの子苦労してきてるから芯はしっかりしてるもの」
「一応分かってるつもりですけどね……。ただそれだけじゃなくて個人的な事情もあるっていうか」
部屋の壁が薄かったりとかトイレが共同だったりとかでけっこう気を遣うというのもあるが、最大の問題はお風呂であった。風呂好きな日本人のさがとでもいうのか、ナギにとってタオルで身体を拭くだけではとうてい満足できないのだ。しかし学生街にはお風呂がついた宿はなく、セントリースにはいくつか共同浴場があるものの残念ながらすぐ近くには存在しなかった。
「お母さんもお風呂が好きだったし、私もその影響か他の人間よりもこだわりがあるから気持ちは分かるわよ。それならいっそのこと近くで浴槽の付いた一軒家を見繕うのもありかもね」
アマネの提案は盲点であった。ただ一軒家はさすがに金銭的に厳しい気がする。特に浴槽付きの家は値段も高そうだ。
「賃貸なら問題はないでしょう。ナギくんは上級冒険者並みに稼いでるんだから十分手が届くんじゃないかしら」
「でも、よく考えたら年頃の女の子と二人きりというのもまずいような……」
「あら、けっこう真面目ねえ。たとえば地方から出てきた若い冒険者なんかが安い一軒家を借りて男女で共同生活を送るのはそう珍しいことじゃないわよ」
いわゆるルームシェアということらしい。そう考えればおかしくないというか、ナギが意識しすぎなのかもしれない。
「ウェルズリー商会は不動産にも通じているからシャロンさんに相談してみてはどうかしら」
この件はフィリオラの意向も聞いてみる必要がある。とりあえず今すぐにどうこうという話ではないのでじっくり考えることにするのだった。