42 洞窟の最奥
ステータスを確認したナギは左の通路の方から確かめることにした。
左側の道はいくつか脇道があるものの行き止まりばかりなのでスルーして奥を目指す。魔物の気配は皆無であった。
注意しながら歩いているとすぐに奥へと辿り着いた。トロルと戦った場所よりも一回り小さな部屋で、目的のキノコがないことがすぐに確認できた。
「ここもハズレか……」
こうなると右側の奥にある部屋が最後の希望だ。この場所になければ森にある他の候補を当たらなければならない。
分岐点まで引き返そうとすると部屋の隅に何かが散らばっているのが見えた。カンテラを近づけて確認すると、それは散乱したいくつもの骨と金属でできた装備の残骸で、何者かに食べられた後のように見える。
どうやら洞窟にやってきた冒険者の成れの果てでおそらくトロルにやられたのだろう。トロルは人間だろうが魔物だろうが関係なく何でも襲って食べてしまう悪食として有名なのだ。
最初の部屋に戻ると今度は右の通路を探索する。こちらもたまに枝分かれしている短い道があるだけなので洞窟の奥の部屋を目指した。
ずいぶん長い通路を歩いていると奥の方から何か奇妙な音が聞こえてきた。何か分からないが腹に響くような重低音だ。同時に風の流れもかすかに感じる。もしかしたら外とつながっているのかもしれない。
奥に進むにつれて音が大きくなっていく。もう騒音と変わらないレベルだ。そして音源に近づいたことで何の音なのかが分かってきた。
ナギは奥の部屋の入り口まで来ると立ち止まる。この部屋が洞窟の最奥となる場所だ。天井に穴が開いていて光が差し込んでいた。明かりがなくても部屋の全体を見通すことができるのでこの洞窟で最も広い部屋だということが見てとれる。
そして否が応にも部屋の真ん中に鎮座しているものに視線が向いた。そこには差し込む太陽の光を浴びて、まるで日向ぼっこでもしているように巨大なトロルが横になって眠っていたのだ。奥から聞こえてきた騒音はこの魔物のいびきだったのである。すぐそばだと工事現場のような酷い音で、たまに空気が抜けるような音を発するのでこちらの気も抜けそうになる。
(かなりでかいな。トロルの上位種か?)
起こさないよう慎重に部屋へと入りながら寝そべっているトロルを観察する。先程戦ったトロルよりも更に大きな身体をしていた。腰と胸元を何かの動物の皮で覆っているのでメスなのかもしれない。
どうやらトロルの上位種で間違いないようだが驚くことでもない。シャロンからも存在する可能性は伝えられていたからだ。
ナギはカンテラの灯を消してマジックバッグにしまうと部屋の中を見渡してみた。
(……あった。あれだな)
部屋の一番奥の壁と床にびっしりと純白に輝く小さなキノコが生えていたのだ。回収を依頼されたミルクマッシュルームで間違いない。
あのキノコを指示された量だけ採取して持ち帰れば任務完了である。ただあの巨大トロルが邪魔なので迂回していく必要がある。飛び越えてもいいがせっかく眠っているのでできるだけ音は立てないほうがいいだろう。
壁越しに静かに進んでいると巨大トロルの横顔が目に入った。大きな口をあけて気持ち良さそうに目を閉じている。鼻からは透明なシャボン玉みたいなものが呼吸とともにでかくなったり縮んだりしていた。
無事に横を通り過ぎて奥に辿り着くとキノコの採取に取り掛かる。名前のとおりミルクのような色のキノコで濃厚な甘い香りが漂っていた。用意していた袋に放り込むとマジックバッグに収納する。
さっさと洞窟から出るべく立ち上がろうとすると背後から唸り声が聞こえてきた。おそるおそる振り返ると眠っていたトロルが一瞬震えてからむくりと上半身を起こしたのだ。もう少しだけ眠ってくれればいいものを起きてしまったようだ。
両手を上げて背伸びをした巨大トロルと息を呑んで見つめていたナギの視線がふと重なる。しばらく見詰め合っていると敵はそばに落ちていた丸太を拾ってにたりと笑ったのだ。獲物を見つけた捕食者の笑みであった。
「ああ、くそ! 結局こうなるのかよ!」
素早くマジックバッグから太刀を取り出して構える。戦闘は避けられない運命だったようだ。
しかし、突進する素振りを見せていた巨大トロルは訝しげな表情をしながら鼻をひくひくと動かし始めたのだ。通路の方などにも鼻を向けていた。
敵の奇妙な行動を見守っていると巨大トロルは何かに気づいたように動きを止めた。そしてこちらに視線を向けると突然咆哮を上げたのだ。怒りと悲しみが交じり合ったような咆哮だった。
(もしかして、俺が倒したトロルの仲間か?)
巨大トロルの怒りが篭った瞳を直視してそう感じた。仲間かあるいは子供の可能性もある。<雷槍>で身体の内側から焼き殺したので、まだ肉が焼ける嫌な香りが洞窟内に少し漂っている。それを嗅ぎ取って事態を察したのだろう。
怒りのままに巨大トロルが突撃して体当たりをかましてきたので<瞬脚>で回避する。メタボ体型とは思えないスピードで壁に激突して部屋が振動で揺れる。壁がぼろぼろと崩れて辺りにひびが走った。体格を活かした強烈な突進だ。
ナギが放った複数の星霊術によっていくつもの深い傷ができても意に介する気配がない。もともとタフで回復力が高い上に怒りがダメージを凌駕しているような感じだ。そのくせ致命傷は的確に回避しているので厄介である。
それならばと手の平に生んだ<雷槍>を突進に合わせて投げつけるも巨大トロルは大きな手で掴んでしまった。すぐに放電させるが数秒ほど硬直しただけで倒れる気配はない。どうやらとんでもない相手を激怒させてしまったようだ。
無理に倒す必要はないと<瞬脚>を使って部屋の入り口まで移動しようすると手に持っていた丸太を無造作に投げつけてきた。咄嗟にかわしたが狙いはナギではなく、丸太は入り口の上に激突して天井が崩壊して塞がってしまったのだ。絶対に逃がさないという意思を感じる。
それならと部屋の天井に視線を向ける。天井には人が余裕で通れるほどの穴が空いていてあそこから外に脱出できる。本来なら翼でもなければ到達できない高さでもナギなら可能だ。
<空脚>で階段を上るように空中を進むとふいに顔面に影が差した。顔を上げるとそこには驚異的な跳躍力でジャンプしたトロルの巨体が浮かび上がっていたのである。ただのメタボではなく筋肉の塊だったのだ。
「フライングボディアタックだと!?」
そのままこちらを押し潰そうと落下してきたので慌てて空を蹴って横っ飛びする。
なんとか地面に着地すると巨大トロルも落下してもの凄い音と振動が伝わってきた。あまりの揺れに地面に片膝をついてしまうほどだ。顔を上げると敵が落下した地面が大きく陥没していて冷や汗が出てきた。
(……どうあっても逃がさないつもりだな。こうなったらとことん戦り合うしか――いや待てよ)
ぱらぱらと石の破片が落ちてきているのに気付いたナギが天井を見上げる。度重なる巨大トロルの攻撃の影響で、天井の穴の周りを中心に無数の亀裂が走っていたのだ。今もその亀裂が拡大して天井が崩壊するのも時間の問題のようだった。
危険だがこれを利用する手はないと全力の<風弾>を天井に向けて打ち出す。そして敵の攻撃を避けつつ何度も発射を繰り返していると遂に崩壊が始まった。
崩落して大量の土砂や岩が降ってくるなか、唯一安全な穴の下に移動していたナギは空中を駆けてひらすら上を目指す。そうはさせじと巨大トロルが手を伸ばしてくるも間一髪捕まえることはできずに土砂に飲み込まれていった。
外に出ると崩落が終わり地面に大穴が開いていた。穴の縁に着地して中を覗いてみるとトロルの姿は見えなかった。あれだけの土砂に押し潰されればさすがに息絶えたはずだ。
「……やったか」
汗を拭きながら穴を眺める。ミルクマッシュルームの生息場所がひとつ潰れてしまったが、他にもいくつかあるらしいのでたぶん大丈夫だろう。放っておいてもどのみち崩れていたし、トロルの攻撃でああいう状態になったのだからナギに非はないはずだ。
内心で言い訳していると突然足元が崩れた。
「やばっ――」
急なことでバランスを崩していると誰かが手を引っ張ってくれた。そのまま力強く引き上げられて事なきを得る。空中に放り出されても問題はないが助かった。
態勢を整えると目の前に男が立っていた。使い込まれたコートを襟を立てたまま着込んでいて帽子を目深に被っている。顔が見づらいが年齢は四十代ほどだと思う。鷹のような鋭い視線と厳しい人生を歩んできた事が分かる研ぎ澄まされた人相が印象的だった。
「大丈夫か?」
「あんたのお陰で助かったよ。ありがとう」
「別にいいさ。森の中を歩いてたら大きな音が聞こえてきたんで様子を見にきたんだ。するとお前が穴に落ちかけてたってわけだ」
男の後ろには他にも何人かの男達がいた。年齢は皆ばらばらで隙のない立ち姿でこちらに視線を送っている。一般人が森の中を歩いているとは思えないし、武装しているのが見てとれたので冒険者のパーティなのだろう。彼らの雰囲気からしても只者ではない感じだ。
「この穴はどうしたんだ? かなり凄い音がしたが」
「魔物の攻撃で洞窟が崩落したっていうか……」
「……よく生きてたな、お前。ずいぶん軽装だが冒険者か?」
「まあ、そんなところだ。あんた達も?」
「そんなところだ」
そう頷く男もナギと同じような格好である。
「おい、そろそろ行くぞ」
仲間のひとりが声をかけてくる。短髪のこれまた鋭い顔つきの中年の男だ。
「……そいつ、放っておいていいんすか?」
男たちの中にいた赤毛の若者がナギを見据えた。何か剣呑な気配を感じて思わず内心で身構える。
「構わないさ。それより移動するぞ」
「へいへい」
リーダーらしき短髪の男はこちらを一瞥すると興味を失ったように背を向けて歩き出た。他の男達も彼の後に続く。
「……それじゃあな。帰り道は気をつけろよ」
そう言って去っていくコートの男。
ナギは静かにこの場を立ち去る男達を見送り、姿が見えなくなったところでコートの男の名前を聞き忘れたことに気付いたのだった。