33 新たな船出
地下遺跡での事件からしばらく経ったある日。エルフォード家の前に真新しい制服を着たナギと同じ格好のシオンの姿があった。今日はいよいよ初登校日なのである。
「ほら、ちょっとは落ち着きなさいよ。もしかして緊張してるの?」
「べ、別に緊張とかしてないし」
若干そわそわしていたナギは軽く咳払いをして平静さを装う。知り合いのほとんどいない学校に通うのだから多少は仕方ないと思う。ましてや異世界の学校なのだ。もしかしたら転校生の気持ちとはこんなものなのかもしれない。昨夜も挨拶の言葉をどうするべきか少し悩んだものだ。
「悪魔相手に大立ち回りしてた人間がおかしなもんね」
「それとこれとは別というか」
「ともかく堂々としてなさいよ。しっかり編入試験に合格したんだから。あまりみっともないと手続きをしてくれたお母さんも恥をかくでしょ」
「分かってるって」
首もとのネクタイを締め直しながら返事をする。
一月足らずとはいえ受験勉強を終え、そして無事に合格を勝ち取ったのだ。ここは自分を褒めてやりたい気分である。数日前にはアマネがフィリオラを家に招待した上で祝ってくれて、彼女は合格祝いに入学金まで出してくれたのだ。
「制服なかなか似合ってるじゃない。馬子にも衣装って感じで」
「そこは素直に褒めろよ。というかそのことわざはセツナさんから教えてもらったのか?」
「昔はおばあちゃんとの会話で自然とそういう言葉が出てくるから意味を尋ねたことがあるの。他にもいくつか知ってるわよ。それより、私があんたをからかいつつ緊張をほぐしてあげようとしてるんだから感謝しなさいよ」
「最後のがなければ感謝しないでもなかった」
いつもみたいに軽口を叩き合っていると、道の向こうからひとりの少女が金髪を揺らしながら元気よく駆けてきた。
「ナギさん、シオンさん! おはようございます!」
ひまわりのような笑顔で挨拶してきたのはフィリオラであった。いつもの神官服でも私服でもなく、ナギと同じようにしわひとつない新品のセーラー服に身を包んでいる。中等部用なのでシオンとは少し色やデザインが異なっていた。
「おはようさん。制服似合ってるぞ。それにフィリオラが制服を着てるのは新鮮だな」
「あんたが言うとちょっといやらしく聞こえるんだけど」
「なんでだよ!」
二人のやり取りにフィリオラはくすくすと笑うと家の方に視線を向けた。
「アマネさんには本当に感謝です。また改めてお礼にいかないと」
「お母さんもフィリオラのことを気に入ってるからね。今は仕事で留守にしてるけど、また顔を見せてあげなさいよ」
制服姿のフィリオラが現れた理由は彼女もセントリース中央学院の中等部を受験して合格したからだ。編入試験の申請をしてからナギとほぼ同時期に受験できたのはひとえにアマネの尽力の賜物であり、そのおかげで初登校の日がこうして重なったのである。エルフォード家での合格祝いはフィリオラの分も入っていたのだ。
そして、フィリオラが学校に通えるということはこれまであった障害が取り除かれたことを意味していた。
三人は学校に向かって歩きながら話す。
「それでまだ教会の方は混乱してるのか?」
「そうですね。急に司教様が辞めることになったので仕方ないと思います」
あの事件の後、ほどなくしてセントリース教会のトップであるコルテス司教は地下遺跡の一件で神殿長を解任され、教会本部で査問されることとなった。表向きは討伐の失敗及び神官団を危険に晒したことが原因となっているが、実際は司教がやりたい放題やってきた一部が明るみになったからである。これまではうまく隠蔽してきたがとうとう年貢の納め時がきたのであった。
地下遺跡でナギたちがなんとか悪魔とその配下であるレイスを倒した後、シオンが冒険者ギルドまで走って事態を知らせるとすぐに救援に駆けつけてくれた。気絶したまま倒れている神官たちを介抱するにも三人では手が足りないので助かった。
そしてギルドから教会やセントリース市庁にも話が伝わると、その後は一気に司教を糾弾する流れとなる。これまでは教会との対立を避けてきた組織や個人などが、今回の失態を機に教会総本部に告発する騒ぎとなったのだ。司教のことを快く思わなかった人間は多く、しかもあちこちで恨みを買っていたのだろう。
多数の告発を受けた教会上層部は早急に手を打った。すぐに調査をはじめ、ある程度裏が取れると、見苦しい弁明に終始していた司教の解任を決定したのだ。司教はこれから総本部で更に詳しく取り調べられることになる。
ただ、一時的に罰を受けたり降格するかもしれないが、そこまで重い罪には問われないだろうとアマネが教えてくれた。なぜなら司教は教会内部でも実力者である枢機卿の派閥に所属しているからだそうだ。
多少もやもやする話だが結果的にフィリオラが解放されることになったのであとは教会内で勝手にしてくれればいい。ついでに司教の子飼いの連中も同じくセントリースを離れるはめになっていた。
「新しい神殿長はどう?」
「とても優して気配りが上手な方ですよ。特に若い神官には人気があるみたいです」
今回の一件に対する教会の対応は迅速の一言で、司教解任後すぐに新たな神殿長となる人物を派遣してきたのだ。フィリオラの話だとセントリース教会でも評判がよく、就任して間もないのにさっそく支持を得ているらしい。いろいろなことが急に起こってまだ完全に混乱は収まっていないものの落ち着くのは時間の問題だろう。
アマネが言うには、司教解任からのスピード対応は教会としては恥を晒した形になるので、できるだけ早く終息させたいという思惑があるそうだ。
ともかくコルテス司教一派というセントリース教会を蝕んでいた連中が消え、新たな神殿長が人格者だったことによりフィリオラの待遇は改善していた。他の神官と同じ扱いになったことで学校に通う許可も下りたのである。
「そういえば、神殿長がナギさんに一度直接お礼を述べたいとおっしゃってました」
「俺に? 別にいいんだけどな、そんなのは」
ナギの心中としてはできるだけ目立ちたくないという思いに尽きる。あの事件は公には想定以上の悪霊がいたことで神官団が危機に陥り、たまたま駆けつけた冒険者とその協力者が魔物を倒したということになっている。大都市の地下に悪魔が現れたと市民に知られれば不安を煽り混乱が起きかねないからだ。
なので真相を知っているのは一部の人間だけである。名前が公表されることを望まなかったので世間に知られることはなかった。
「シオンさんは神殿長と会ったんですよね」
「ギルドで一回ね。ギルドマスターと協議することがあったらしくてギルドに足を運んでたそうだけど、そこでたまたま顔を合わせたの」
聞けばその場で神官団及びフィリオラを助けてくれたことに対して感謝されたらしい。シオンの感想からも新たな神殿長の人柄は悪くなさそうだ。
「それで思い出したけど、ギルドマスターもあんたと一度会って話してみたいとか言ってたわね。あとうちのクランの団長も」
「はあ!? 何でだよ!」
「何でって、それは指揮官級の悪魔を単独で倒したんだから当然でしょ。ギルドのセントリース支部にもそんなことができる冒険者はそう何人もいないでしょうし、ともかく注目されてもおかしくないことをあんたはやってのけたのよ」
「本来なら称えられてもいいくらいの偉業ですよ。過去には同格の悪魔によって小さな町がひとつ滅んだという記録も残ってるんですから」
シオンとフィリオラが交互に諭すように言う。そういえばウェルズリー商会のシャロンも当然のように知っていて悪魔を倒したことにかなり驚いていた。今のところは有力者など知る人ぞ知る情報のようだが興味をもたれるのはあまりよろしくない。
ややうんざりしながら歩いているとようやく学校が見えてきた。
「それじゃあ私はこっちですね」
「気をつけてな。挨拶の時に緊張するかもしれんが事前に深呼吸しておくといいぞ」
「あんたとフィリオラを同じにしないでよ」
高等科と中等科の岐路まで来るとフィリオラが立ち止まってこちらを振り向いた。
「ナギさん、シオンさん、改めてありがとうございました。私がこうして学校に通えるのもお二人のおかげです」
ぺこりと頭を下げるフィリオラ。その動きに合わせてさらさらとした金髪が流れる。
「それではまた後で」
「おう、またな」
少女は元気に手を振りながら中等科のある校舎へと駆けていく。
ナギはその様子を見送ると、フィリオラと同じく新たな船出を迎えるためにシオンとともに歩き出したのであった。
これで一章は終了となります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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