32 星霊術士対悪魔
ナギはまず悪魔に向かって全力の魔力を込めた<風刃>を放った。森にいた頃に比べても更に力強くなった風の刃が一直線に走り、悠々と歩を進めていた漆黒の怪物に直撃した。
「……おいおい、マジかよ」
ナギは思わず顔を引きつらせる。<風刃>をまともに喰らったにもかかわらず悪魔の身体には傷ひとつついていなかったのだ。致命傷を与えられるなどと甘いことを考えていたわけではないがノーダメージは予想外だ。
『人間が使う術にしては悪くない。だが、その程度の風では我に傷をつけるなど到底できぬ』
悪魔は何事もなかったかのように歩みを再開した。指揮官級の悪魔の化け物ぶりに冷や汗が出てくる。
(冗談きついぜ。異世界に飛ばされてまだ二ヶ月も経ってないんだぞ。それなのにこんな化け物と対決することになるとか俺の異世界ライフはどうなってんだ)
もっとまったりとした異世界生活を夢想していたはずなのに、なぜか暗い地下遺跡で悪魔と戦うはめになっている。
だが嘆いてもいられない。こいつを倒せなくても撃退しなければ明日はないのだ。
(ともかく真正面から戦うのは愚策だ。動き回って撹乱しながら隙を窺う)
残念ながらナギの扱う星霊術はまだレベル1のままで、<雷撃>を覚えてから新たなスキルを取得できていない。なので手持ちのスキルで戦うしかないのだ。
向こうの戦況を視界の端で確認する。槍を持ったシオンが前衛を務め、後衛のフィリオラが何かの術を使って援護していた。二人は連携の取れた動きで戦いを優勢に進めているようだ。傍目にもなかなか良いコンビである。
こちらも負けじと<瞬脚>で悪魔の側面に移動して太刀を振るう。先程と同じように硬い感触とともに弾かれる。マンティコアの時もそうだったが、強力な魔物になるほど内包している魔力によって防御力が上がるようだ。
悪魔が無造作に片手を薙いできたので、背中側に回りこむように避けつつまた太刀を叩きつける。その後も<瞬脚>を使って移動を繰り返しながら太刀や精霊術で攻撃を加える得意の戦法で攻めるものの傷ひとつつけられない。まるで鋼鉄の塊にでも攻撃しているようだ。
己の強さを誇示するように悪魔は緩い攻撃しか仕掛けてこない。何もできないだろうとこちらのことを舐めきっているのだ。
それならば意地でも一撃を食らわせてやろうと、真上から振りかぶられた攻撃を一歩前に進んで敵の懐に入るような形で避ける。獲物を殺さないように気を付けているからかやや鋭さに欠ける攻撃だ。
この瞬間を待っていたとばかりにナギは目前にある無防備な敵の胴体に突きを見舞う。
己の防御力に自信があるのだろう、悪魔は懐に入られても全く動じることなく攻撃を受けたが、ナギの放った一撃は確かに敵の胴体、人間でいえば心臓辺りを貫いていた。
『ほお……』
かすかに驚いた悪魔が掴もうとしてきたのですぐに後方へと距離を取る。切り裂いた部分からは黒いもやのようなものが出ていた。
『……人間ごときがよもや我に手傷を負わせるとはな』
悪魔は胸部に刻まれた傷に視線を向ける。しかしせっかく与えた傷も徐々に塞がって跡形もなく消えてしまった。かなり深い傷だったと思うが悪魔というのは修復能力にも長けているらしい。
(どんな身体してんだよ。でも、なんとかダメージは通ったな)
結果的に攻撃が無駄に終わってもナギは手応えを感じていた。さっきの攻撃は現在自分が放てる最強の一撃だったのだ。
攻撃方法は特に変わったことをしたわけではなく、太刀に<強化>のスキルを上乗せしただけである。ただ、本来安定して扱える以上の魔力を刃に纏わせたのだ。どのスキルも使用する魔力量が増えるほど制御が難しくなっていく。
<強化>においても失敗すればうまく纏えずに魔力が空気に流れていってしまうが、そのリスクを背負ってでも魔力を増やしてスキルを発動したのである。全力の<風刃>よりもよく鍛えられた太刀が核になっているからかこちらの方が威力が高い。
しかし状況が依然と厳しいことに変わりはない。同じ攻撃を続けても決定打にはつながらないからだ。もっと相手の急所に直接ダメージを与えるような攻撃が必要である。とはいえ一般的な生物と身体の構造が違うようなのでどこを狙えばいいのかさっぱり分からない。
その後もあらゆる角度から攻撃を仕掛けて傷をつけるもすぐに塞がってしまった。
(こいつ無敵かよ!)
徒労感をこらえながら攻撃を続ける。敵が大きな拳を握りしめて殴りかかってきたのでカウンターで脇腹を切り裂こうとすると、いい加減身体の回りをちょこまかと取り付かれることに嫌気が差したのかこの戦いで初めて大きく飛び退いた。
『さすがに鬱陶しくなってきたな』
悪魔は長い爪を更に伸ばして合わせると、一体化させて一振りの剣のようにした。どうやら少しは本気を出すことにしたらしい。赤い瞳でこちらを睨むと先程よりも隙の少ない動きで長い爪を振るってきたので太刀で受け止める。
『動き回れないようにその両足を切り落してくれる。安心しろ、出血死する前に生気を吸い尽くしてやろう』
「そんなのはお断りだ」
それから両者はしばらく激しい斬り合いを展開するも、純粋な剣術ではナギの方に分があるようだ。うまく相手の攻撃をいなすと、先程のように制御できるぎりぎりの<強化>で今度は腕を深く切り裂く。攻撃のたびに制御が失敗しないようかなり神経を使う。
傷が塞がるとはいえ剣戟に遅れを取っていることにイラついたのか悪魔は新たな攻撃を繰り出してきた。ひと声上げると身体の回りにいくつもの魔力の塊が浮かびそれを飛ばしてきたのだ。
横っ飛びで避けると魔弾が曲がって追尾してきたので、咄嗟に<瞬脚>で真上へと飛んで難を逃れた。真下を見ると魔弾が炸裂して地面を派手に抉っている。
『我を相手に空中でどこまで抗えるか試してやろう』
漆黒の怪物は折りたたんでいた背中の翼を広げると地面から飛び立つ。
戦いの場が空中へ移るとそこから更に激しい戦闘がはじまった。
ナギの目の前まで飛翔してきた悪魔が振るった爪を<空脚>で足場を作って後退しながら避ける。
そこからしつこく追撃をかけてきたので<空脚>を小刻みに使用して必死に回避した。こんなに間髪入れずに連続で使うのは初めてだ。もし足元に作る風の塊が少しでもずれれば体勢を崩してしまうかもしれない。
何度目かの爪による攻撃を避けると魔弾が打ち出されてきたので<強化>による刃で薙ぎ払う。その間に翼をはためかせて接近してきた敵の攻撃を再び空中を蹴って攻撃を寸前で避けた。空中を移動できるとはいえ、やはり翼を持つ方が有利なので厳しい戦いを強いられる。しかも相手もそれが分かっているので容易に地上に下りられないよう狡猾に立ち回っていた。
その後もナギは<風刃>や<風弾>を出し惜しみなく使って牽制する。相手に効かずとも多少は意識を逸らすことができる。そしてそのわずかな時間が非常に貴重であった。
『人間にしてはなかなか粘るな。ならば――』
悪魔がまた複数の魔弾が撃ってくる。これまでと同じように回避の準備に入ると魔弾が急に目の前に収束して弾けたのだった。
反射的に腕をクロスして衝撃から顔面を守り、すぐに外して前方を見るとそこに悪魔の姿はなく、急いで気配を探る前に腕を強靭な握力で掴まれて宙吊りにされてしまったのだった。
『随分てこずらせてくれたな。貴様からは不思議な力を感じる。ますますその生気が欲しくなったぞ』
「だから御免こうむるっての!」
掴んでいる悪魔の手首を掴み返して<雷撃>を発動する。
捕まえて油断していた悪魔は思わぬ反撃に驚愕の声を出しながら身体を痙攣させた。手の力が緩んだ隙に強引に外してそのまま落下すると、途中で<空脚>によるクッションをはさみながら衝撃を逃がすように地面へと転がる。
「ちょっと生きてんの!? ていうか、空中で悪魔とやりあうとか何者なのよ」
「お怪我はありませんか! それにしてもナギさんってやっぱ凄かったんですね。あんな風に戦っている人をはじめて見ました!」
受身を取りながら起き上がるとシオンとフィリオラが駆け寄ってきた。どうやら無事にレイスを全滅させたようだ。
「お前らも無事なようでなによりだ。これから――」
ナギは咄嗟にフィリオラを抱えて横っ飛びし、危険を察知したシオンもそれに続く。同時に悪魔が上から放ったいくつもの魔弾が先程までいた場所に炸裂した。
『……よくもやってくれたな。貴様は散々いたぶって地獄の苦しみを味あわせてから殺してくれる』
悪魔がゆっくりと降下しながらナギを睨む。
「ちょっと、あんた何したのよ。すごく怒ってるんだけど」
「知るか。それよりあいつに弱点とかないのか? 深々と刺してもすぐに治りやがるし、化け物すぎて手詰まりなんだが」
「ひとつないこともないけど……」
「あるのかよ! さっさと教えてくれ!」
「悪魔には魔核と呼ばれる重要な器官があるの」
「魔核?」
「魔核というのは人間でいう心臓のようなものです。悪魔は純粋な生物ではなく、魔力で形作られていて、魔核から魔力が供給されているそうです」
フィリオラが教えてくれた。
「じゃあ、その魔核とやらを破壊すれば倒せるんだな」
「運良く魔核を捉えられればの話よ。心臓のようなものといっても人間のように胸の中心にあるとは限らない。悪魔ごとに配置が違っていて、それも自由に位置を移動させることができるそうよ」
シオンの説明でせっかく出てきた希望がしぼんでいきそうになる。確かに胸の中央を貫いてもぴんぴんしているような相手だ。
ただナギは少し気になることを思い出していた。もしかしたら勘違いかもしれないし、間違っていたらほぼ詰む。一か八かの博打に近いがやるしかない。
話しているうちに悪魔がゆっくりと地面に降り立った。怒りに反応してか周囲に魔力が揺らめいている。もしかしたら周囲に倒れている人間も攻撃に巻き込まれるかもしれない。
「二人は倒れてる連中が巻き添えを食わないように遠くへ運んでやってくれ。悪魔とは俺がけりをつける」
「……何か思いついたの?」
「正直自信はないけどな」
二人の少女は顔を見合わせるとそれぞれ口を開いた。
「分かった。とりあえず任せるわ」
「ナギさん、気をつけてくださいね!」
二人は神官たちを守るべく行動を開始する。どうやらナギのことを信じてくれたようだ。
ナギは悪魔に向かってゆっくりと歩いていく。そして敵の間合いぎりぎりの距離で立ち止まった。
「おい、悪魔野郎。正々堂々と勝負してやるから他の人間には手を出すんじゃねえ」
『追い込まれて気でも触れたか? まあよい。しぶとく逃げ回られるよりは手間が省けてよいわ』
太刀を正眼に構えるナギに対して悪魔も爪でできた剣をこちらに向けた。両者の間にぴりぴりとした空気が張り詰める。
先に動いたのはナギだった。地面をおもいっきり蹴って一直線に敵へと駆けていく。対して悪魔の方も剣を横に寝かせて迎撃の構えを取る。
そして、両者の間合いが重なる一歩手前でナギは背中に発生させた<風爆>によって加速したのであった。
走るというよりは矢のように飛んでくる人間を見て悪魔は一瞬驚愕したが、構えていた剣を突き出して串刺しにせんとする。
極限まで集中していたナギは目を見開いて突き出された剣を紙一重で避ける。完全には回避できずに頬から血飛沫が飛ぶも、ここが勝負所とばかりに両手で握った太刀もろとも悪魔へと体当たりをかましたのだった。
<風爆>による勢いを加味した一撃が敵の脇腹に突き刺さり、体内に侵入した刃が何か硬いものに到達したのを感じ取った。
『……貴様! なぜ……!』
悪魔が信じられないという風にこちらを見下ろした。すぐそばにあるナギの頭を鷲掴みにしようとするも腕が崩壊して地面に落下する。狙い通りに魔核を破壊できたのだ。
事前に魔核の位置を予想していたもののはっきりとした確証はなく半ば賭けであった。
(マジで当たってくれて良かった。もし駄目だったら死んでたかもな……)
ナギが太刀で貫いたのは悪魔の左脇腹であった。空中戦になる前の攻防で敵が退いて攻撃し損ねた部分である。そこまであからさまではなかったもののかすかに違和感を感じていたのだ。子供の頃から剣術の鍛錬や試合を積み重ねて会得した『勘』のようなものであった。
ともあれ読みは当たり、悪魔はとうとう全身が崩壊してしまい地面に灰の山を築く。
突き出したままだった太刀を地面に刺してその場に座り込んだ。
「はあ……。やっと終わったか」
死闘を制してどっと疲れが襲ってきたナギは駆け寄ってくる少女たちの気配を感じながら静かに目を閉じるのだった。