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30 地下遺跡に潜む闇

 建国記念祭があった日から一週間ほどが経過した週末、ナギは午後も自室で勉強に勤しんでいた。編入試験まではあと十日を切っているので、普段だったら鍛錬で身体を動かしている時間なのだが、急ピッチで知識を詰め込んでいるのだ。


「……ちょっと休憩入れるか」


 鉛筆をテーブルに置いてのろのろと椅子から立ち上がる。試験に必要な膨大な量の知識を毎日何時間も詰め込んでいるので脳みそが明らかに疲労していた。シオンにだいぶ範囲を絞ってもらっているとはいえそれでもかなりの情報量である。


 自室から出て階段を降りると厨房でメイドさんにコップ一杯の水をもらって一息吐いた。


 それから玄関ホールまで歩き、扉を開けて外に出ると、日光を浴びながらおもいきり伸びをする。身体のあちこちから関節の鳴る音がした。


「あー気持ちいいー」


「……あんたねえ。なに玄関先でおっさんみたいな声を出してるのよ」


「ん? おー、お帰り」


 声がした方に顔を向けると冒険者の装備に身を固めたシオンが門扉を開けて入ってくるところだった。


「仕事終わったのか。けっこう早かったな」


「今日のはそんなに難しい仕事じゃなかったからね。あんたの方は勉強捗ってるの?」


「まあまあってとこだな。頭が爆発しそうだけど」


「私も受験生の時に苦労した記憶があるから気持ちはわかるけど、あまり時間がないから頑張んなさいよ」


 そう言ってナギの横を通り過ぎていくシオンになんとなく違和感を感じた。こちらと会話している間もどこか上の空というか何かを思案しているような雰囲気だったのだ。あとそこはかとなくイライラしているような気がする。


「どうかしたのか?」


「別に……と言いたいとこだけど、ちょっと話に付き合ってもらえる?」


 二人で庭にある東屋に向かい、置いてあったテーブル越しに座って向かい合った。


「仕事の途中で気になることがあったの。今日はセントリースの下水道掃除の仕事だったんだけど」


「は? 下水道掃除?」


 目の前の少女が先程まで清掃具を持って下水道を掃除をしていた姿を思い浮かべる。便利屋扱いされている面もあるとはいえ、冒険者はそんなことまでするのだろうか。


「ああ、ごめん。紛らわしかったわね。冒険者でいう下水道掃除というのは魔物退治を指すの。下水道には多くの魔物が生息してるから、定期的に冒険者が入って駆除するんだけど、私もそれに参加してきたってわけ」


「そういうことか。モップ片手に下水道を綺麗にしているのかと思ったぜ」


「そんなわけないでしょ。それで話を戻すけど、仕事が無事に終わって仲間と地上に帰還しようとした時に彼らと遭遇してしまって」


「彼ら?」


「コルテス司教と彼が率いる神官団よ。その中にはフィリオラもいたわ」


「……なんか嫌な予感がするな。詳しく聞かせてくれ」


 お祭りを一緒に回った少女の名前が出てきてナギは表情を引き締める。


「神官団の目的は地下遺跡に出没するレイスの退治だったわ」


「地下遺跡……。セントリースの地下に広がる遺構だったか。この街は街道の要衝だったため、過去何度も近隣諸国から侵攻を受けたことから、街に住む人々は地下に避難するための施設をつくって難を逃れた。その時の名残りが地下遺跡だったよな。ずいぶん昔のことでここ百年以上は平和らしいけど」


「ちゃんと勉強してるみたいね。その地下遺跡は下水道から入れるんだけど、迷路みたいになってて地下迷宮なんて呼ばれることもあるの」


「レイスってのは?」


「悪意のある危険な霊体のこと。実体がないから聖水や魔力を使用した攻撃でないとダメージを与えられない厄介な魔物よ。あとは神聖術のスキルなどで昇天させることもできる」


「だからフィリオラが同行していたのか。それで機嫌が悪そうなのは例によって司教のおっさんに利用されているからか?」


「……まあね。民のためとか言ってたけど、司教は点数稼ぎとコネ作りのためにフィリオラを利用してるのよ。数日前にとある豪商の息子で考古学者だとかいう人が調査のために地下遺跡に潜ったんだけど、そのレイスに運悪く出くわしてしまって亡くなってしまったの。なんとか護衛のひとりが命からがら脱出できたから発覚したんだけど……。父親である豪商は冒険者ギルドに討伐と遺体の回収を依頼したけど、一度失敗してしまって彼らも帰ってこなかった。ギルドが第二陣を送り込もうと計画しているうちに、話を聞きつけた司教が豪商と交渉してアストラル教会が討伐を引き継ぐ形になったってわけ」


「なるほどな。司教は息子の仇討ちを成功させることでその豪商に恩を売ることになるわけか。今後も多額の寄付金が期待できるし、上層部への評価にもつながる」


「もうすでにけっこうな額のお金を受け取ってるという噂もあるけどね。以前から経緯は聞いていたけど討伐の実行が今日だったみたい。久しぶりに司教と会話したけど相変わらず嫌味なおっさんだったわ」


 その時のことを思い出したのか顔をしかめるシオン。


「そういえば、思ったよりフィリオラの機嫌が良さそうだったけど……」


 シオンは解せないという風に首を捻る。もしかしたらこの前一緒にお祭りを見て回ったことが気分転換になったのかもしれない。


「でも、その司教以外にも頼りになる護衛が何人もついてるんだろ? 何か心配事でもあるのか? 討伐に向かった冒険者が撃退されたから油断ならない相手みたいだけど」


「……影響力のある大商人の依頼とあってギルドは実力と実績のある冒険者パーティを派遣したの。熟練の魔術士も在籍してる全員がクラス6の冒険者たちでギルドの信頼も厚いパーティよ。本来ならレイス相手に十分すぎる戦力を送り込んだにもかかわらず誰一人帰ってこなかった。事態を重く見たギルドは二度目の攻略に高位冒険者を擁するパーティやクランに動員をかけるつもりだったの。私の所属するクランにも話がきていたそうよ」


「そんな危険な相手をフィリオラがするわけか」


 考えていた以上に深刻そうな状況にナギの表情も険しくなる。


「司教は討伐に関してどの程度の自信があるんだ?」


「万に一つもないといった感じだったわね。いつもムカつくくらい自信に満ちてる人だけど」


 シオンの話を聞いてしばらく考え込んでいたナギは立ち上がると自室へ急いで戻った。


「ちょっと、いきなりどうしたの! もしかして地下遺跡に向かうつもり?」


 後をついてきていたシオンがコートを羽織り太刀をチェックしているナギを見て問う。


「杞憂に終わればそれでいい。けど、フィリオラに危険が迫る場合は助ける」


「あんたって時々大胆よね……。それなら私もついてくわ」


「いいのか? 下手したらギルドの責任問題に発展するかもしれないぞ。横槍を入れる形になるんだから」


「最初に横槍を入れてきたのはあっちでしょ。もしペナルティを課されても潔く受け入れるわよ。それに彼らと別れてからこっそり後をついていこうか迷ったくらいだし」


 シオンも神官少女のことがかなり心配だったようだ。それに彼女がついてきてくれるのなら心強い。


「分かった。それじゃ地下遺跡の入り口まで案内してくれ」


「了解よ。全力で走るから遅れずについてきなさい」


 ナギは不敵な笑みを浮かべるシオンに頷くと、地下遺跡に急行するために家を出るのだった。



 ☆ ★ ☆



 その頃、地下遺跡の一角で何人もの人間が倒れていた。彼らは神官戦士と呼ばれる教会でも戦闘に特化した神官で、今回はセントリース教会でも選りすぐりの精鋭たちであった。戦術としてはフィリオラの扱う浄化がメインではあるが、敵が強力な個体である可能性が高いので彼らが護衛として召集されていたのだ。


 しかし、結果は無残なものであった。レイスがいると思われる現場に到着すると彼らはほとんど何もできずに地に這うこととなったのだ。まだ死んでこそいないものの、もう彼らが戦力にならないことは明白であった。


「な、なんてことだ。まさか、こんな……」


 フィリオラの後ろで震えるような声を上げている中年の男。彼がセントリース教会の責任者であり、今回の討伐隊を率いてきたコルテス司教であった。本来なら彼のような立場の人間が現場まで赴くことはほとんどない。それが世間への印象を良くするためや人気取りのために時折こうしてお供を引きつれて同行することがあるのだった。


 今回も足手まといにしかならないのに物見遊山気分でやってきたコルテス司教であったがそれが裏目に出た。なぜなら相手が尋常ではない化け物だったからである。


「くそ、話が違うではないか!」


 司教は恐怖に顔を引きつらせながら声を荒げる。その視線の先には複数のレイスが浮遊していて彼らを囲んでいたのだ。


 だがそれだけならまだよかったかもしれない。経験豊富な冒険者パーティが全滅した事実を考えれば想定の範囲内である。問題はレイス以外の魔物の存在であった。


「なぜ、あんな化け物がこんな所にいるのだ……!」


 討伐隊を囲むレイスの後ろに佇む異形の怪物。一見、人間のようなシルエットだが、その身体は漆黒に染まっており奇妙な紋様がところどころに浮かんでいる。手と足の先には異様なほど伸びた爪がついており、頭部にも二本の角のようなものが生えていた。そして背中にはコウモリのような皮膜のついた翼が折りたたまれている。


「……まさか地下遺跡に悪魔がいるなんて」


 フィリオラも震えそうになる身体を必死に押さえ込みながら敵を凝視する。相対したのは初めてだが間違いなく悪魔であった。教会の聖典にも記されているかつて遠い昔に世界を滅ぼそうとした邪悪な存在。種族に関係なくこの地に住む者たちが結集して多大な犠牲を出しながらようやく撃退したのだ。その後、大きく数を減した彼らは稀に目撃される程度にあり、人が集まる街で発見されたという事例はほとんどなかったはずだ。


 周囲に倒れる神官戦士たちに視線を向けながらフィリオラは唇を噛み締めた。当初の予定ではフィリオラを中心に神官戦士がサポートするはずだったが、悪魔という想定外の存在によって彼らはあっという間に倒されてしまった。あとは司教とお付きの神官二人だけで戦闘ではほとんど役に立たない。


 フィリオラはこの事態を切り抜けるべく必死に頭を回転させる。今は自身が展開した結界によって敵の攻撃をなんとか凌いでいる状態だ。だがそれもいつまでもつか分からない。


 少女は下水道でシオンと偶然出会った時のことを思い出した。少し年上の頼りになる同性冒険者は、もしのっぴきならない事態に陥ったら、司教たちを置いて逃げるよう冗談交じりに耳打ちしていた。でも見捨てるような真似はできないし、あの悪魔が逃がしてくれるとも思えなかった。


『愚かな人間どもよ。わざわざ雁首を揃えてやってくるのだからな』


 フィリオラたちを睥睨していた悪魔が口を開く。地の底から響くようなおぞましい声だった。


「……どういう意味です」


『そのままの意味だ。なんのために人間をひとり逃がしてやったと思っている』


「まさか、最初の……?」


 殺された豪商の息子を護衛していたひとりが、怪我を負いつつも帰還したのは討伐隊を誘い込むためだったのだと気付く。


「罠だったというわけですか。なぜそんなことを」


『決まっている。のこのことやってきたお前ら人間の生気をいただくためだ。私と使役するレイスどもの糧とするために』


「そんな……」


 悪魔やレイスのような悪霊は生ける者の生気を吸い取ると言われていて限度を超えれば当然死んでしまう。先程倒された神官戦士たちが命まで奪われなかったのもそのためであった。


「これまでの方々もそうして殺したんですか?」


『そうだ。そしてひとりを逃がしておけば、また人間どもがここにやってくるのは分かっていた。それが人間というものだからな。わざわざ餌になりにくるのだから本当に愚かな生き物よ。そして、今回は思わぬ獲物が引っかかったようだ。聖なる資質を持つ者。魂の底まで喰らってくれる』


 悪魔の赤い瞳が少女を捉え、フィリオラが凍えるような悪寒を感じていると、背後から騒がしい声が上がった。


「――冗談ではない! そんな惨めな死に方をしてたまるか! 私を誰だと思っている! セントリース教会の長であり、いずれ枢機卿の地位に座る者だぞ!」


 少女の背中に隠れ、お供の二人に挟まれて立っていたコルテス司教が血走った眼で悪魔を睨む。


「フィリオラ! 命に代えても私を守れ! これまでの恩に報いるのだ!」


『……くだらぬ』


 悪魔は冷笑すると身体の回りに浮かべた魔力の塊をフィリオラたちに向かって一斉に放つ。


「……またあれを!」


 神官戦士たちを瞬時に駆逐した複数の魔力弾がフィリオラたちを守る光の結界に次々と衝突し、やがて限界を迎えた結界が粉々に砕け散ってしまった。高速で飛翔する魔力の塊が結界に守られていた者たちを蹂躙する。


 いくつもの悲鳴が暗い遺跡内に響き渡り、気が付くと立っていたのは運良く魔力弾に被弾しなかったフィリオラだけになってしまった。気絶した司教たちが床に倒れ伏しており、悪魔の糧にされるために急所は外されたのだ。


 無事だったとはいえフィリオラも地面にへたり込んでしまった。倒れた神官戦士たちが周囲に浮遊するレイスたちの餌食にならないようずっと大きめの結界を張っていたので魔力の消費が激しい。


『さて、あとは貴様だけだが、もはや何もできまい。おとなしく我の糧になれ』


 悪魔は余裕の態度で歩を進めると、フィリオラに向かってゆっくりと黒い手を伸ばすのだった。

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