28 教会への侵入
時間を少し遡ってフィリオラが自室で読書をしている頃、アストラル教会の敷地外をうろうろしている怪しい影があった。もうとっくに夜になって周辺も薄暗いので不審者扱いされても文句は言えないだろう。教会周辺は通行人もほとんどおらず、祭りの最中とはいえさすがにこの辺りで騒ぐ不埒者はいないので静まり返っている。
「うーん、どうしたものか……」
不審な影、もといナギは少し離れた所から堅く閉じられた教会の正門を見つめていた。ここまでやってきたのはいいが、これからどう行動すべきか思案していたのだ。
夜にわざわざこんな所を訪れた目的はフィリオラを祭りに連れ出すためであった。とはいえ日中ではなくこの時間帯を選んだのはすでに腹の内が決まっているからだ。堂々と正面から誘っても許可が下りるわけがないので、夜間にひとりでいるところを誰にも見つからずにこっそりと連れ出すつもりでいた。
ちなみにヘレナには祭りに繰り出すという名目で外出する旨を伝えている。
しばらく周囲を観察していると、祭りを楽しんできたばかりの年若い神官らしき男女が正門にやってきたのでそばにあった街路樹の影にさっと隠れた。
傍から見ると完全に怪しい人物と化したナギが様子を窺っていると、彼らは正門のすぐ隣の通用口から中に入っていった。周辺が静かなので彼らの弾んだ会話がここまではっきりと聞こえてくる。
(とりあえず、正門から入るのはないな)
さっき若い神官たちが通用口に入っていく時にちらりと中が見えたが、正門のすぐそばに詰め所があってそこにいる警備兵が厳重にチェックしているようだ。彼らに気づかれずに通り抜けられるとは思えない。
(となると、やはり塀を越えて敷地に侵入するしかないか)
教会は敷地の周りをぐるりと高い塀が囲っており二箇所の門が存在している。当然もう一箇所の門にも警備の人間が配置されているだろう。
ナギは正門から離れて塀に沿うようにしばらく歩くと、周囲に人がいないのを確認してから塀にぴったりと張り付いて誰かいないか気配を探る。どうやら近くに人はいないようだが、巡回している警備兵がいるだろうから気をつけねばならない。
近くに人がうろついていないか慎重に探ってから塀の上まで飛び上がるとすぐに下に飛び降りて生垣に身を潜める。しばらく辺りを注意深く窺うも誰かに気付かれた様子はなかった。それと心配していた異世界的な警報装置みたいな物もないようで安心した。ひとまずは第一関門突破である。
敷地内に侵入したナギはフィリオラがいる建物へと移動を開始する。シオンが出かける前にそれとなく居場所を聞き出しておいたのだ。
どうやら大聖堂のすぐ隣に高級宿舎があるそうでフィリオラもそこにいるようだ。その宿舎は一定以上の地位にある職員用だそうだが、彼女は司教にとって重要な駒なのでセキュリティの高い場所に置いているのだろう。
ナギは巡回している警備兵をやり過ごしながら敷地内を移動する。幸い夜で暗い上に死角がいくつもあるので静かにしていれば気付かれずに移動できる。どうやら教会は大聖堂を中心にいくつかの建物が配置されているようで、敷地内には墓地や庭園などもあった。
(お、あれは……)
先程見かけた若い神官たちがある建物に入っていくのが見えた。おそらくあそこは独身の教会関係者が入居する寮のようなものだろう。本来ならあそこがフィリオラの寝泊りする場所なのだ。
敷地を進むと大聖堂のすぐ隣に大きな四階建ての建物を見つけた。大聖堂の次に豪華な造りで、ここだけ渡り廊下が直接通っている。ヨーロッパの歴史ある老舗ホテルのような建物だ。
(ここだな。あとは部屋をどう特定するかだが……)
シオンもこの建物のロビーまで来ただけでフィリオラがいる部屋までは知らなかった。三階に寝泊りしていることを何気ない会話の中で聞いたくらいだそうだ。
どうしたものかとナギが思案しながら建物を見上げていると、各部屋についているバルコニーのひとつに人影が見えた。
すぐに身を潜めて様子を窺っていると、その人影が小柄な女性であることに気づいて思わず凝視する。そしてその姿にしばらく見惚れるのだった。
バルコニーの手すりに肘を突きながら遠い目で街を眺めている少女は純白のネグリジェのような寝巻きを纏っていた。透明感のある横顔にさらさらとした金髪がなびいていてまるで一枚の絵画のようだ。ただ、その姿はどこか儚げで鳥かごに捕われた小鳥をイメージさせた。
フィリオラはしばらく夜風に当たると部屋に戻っていった。とりあえず運よく発見できて安堵する。部屋を特定するために、三階にある部屋を片っ端から確認するしかないと考えていたところだ。
誰も見ていないのを確認したナギは<空脚>を使って駆け上がるとフィリオラのいたバルコニーへと降り立つ。
気配を感じたのかフィリオラがこちらを振り向いて目を丸くした。青い瞳が驚きの色を宿している。
「よ。こんばんは」
ナギが軽く手を上げると、慌てて扉を開けたフィリオラがバルコニーまで出てきた。
「ナギさん!? どうしてここに?」
「こんな夜に押しかけて悪いな。フィリオラを祭りに誘おうと思って来たんだ」
そのセリフにフィリオラはナギを見つめたまま呆けたように動きを止めた。その姿に思わず笑みを浮かべる。そんなつもりはなかったがイタズラが成功した気分だ。
硬直したまま動かなくなった少女の柔らかそうな頬をつついてみようか迷っていると、急にフィリオラが屈託なく笑い出した。彼女の笑いのつぼでも突いてしまったのかもしれない。とりあえず知り合いとはいえ急に男が部屋に現れて怖がられないかちょっと心配していたのは杞憂だったようだ。
「ごめんなさい。わざわざこんな所まで来たナギさんのセリフがおかしくて」
目尻に浮かんだ涙を拭きながらフィリオラが謝る。
「それで、その……お祭りのことですけど、本当に連れてってくれるんですか?」
「もちろん。そのために来たんだからな。……それと、悪いけどフィリオラの事情をシオンから少し聞かせてもらった。その上での誘いだ。一緒に来るか?」
「はい。一度でいいのでセントリースのお祭りをゆっくり見てみたかったんです」
「けっこうあっさり同意すんのな。無断で抜け出すことになるけどいいのか?」
「えっと、実は以前孤児院に住んでいた時も、たまに仲間と一緒に抜け出して遊んでいたというか」
両手の指を絡めながらちょっとばつが悪そうに告白するフィリオラ。どうやら思っていたよりもお茶目で行動力のある少女のようだ。
「じゃあ問題なさそうだな。けっこう常習犯みたいだし」
「セントリースに来てからは一度も抜け出したことはないです! もう、からかわないでくださいよ」
ナギの軽口にフィリオラも笑みを浮かべる。
「あれ? そういえばここは三階なのにどうやって来たんですか?」
急に現れたナギに驚いてそのことはすっかり頭の中から抜け落ちていたようだ。
「それはあとで分かるよ。その前に抜け出した後は大丈夫なのか聞いておきたい。見回りとかないのか? もしばれたら大変なことになるだろうし」
「警備の人が廊下などを見回りますけど、部屋の中まで確認することはないです」
「それなら大丈夫そうだな。さっそく出発したいところだけど、まずは外用の服装に着替えてもらおうか」
フィリオラは己の姿を見下ろすと頬を染めて小走りに部屋の中に戻っていった。ナギは背を向けてバルコニーにもたれかかる。
背後から聞こえてくる衣擦れの音をあまり意識しないように明るい街の方を眺めていると、やがて準備を終えたフィリオラがバルコニーに戻ってきた。
「お待たせしました」
これまでの神官服ではなく町娘が着るような服装に白地のマントを羽織っていた。これなら目立たずにすむだろう。
ナギは下を見下ろし、周囲をしっかりと確認してからフィリオラを手招きする。
ここからどうやってばれずに宿舎を出るのか見当がつかないのだろう。不思議そうな顔をして近寄ってくる少女にナギはにやっと笑いかけるのだった。