27 鳥かごの少女
フィリオラと再開してから一週間ほど経った頃、ナギはセントリースから少し離れた場所に仕事のために来ていた。これが自由冒険者として初めての活動である。
「あれか。けっこう大きいな」
セントリースの街と他国を結ぶ街道から外れて平原を進んでいると地面に大きな穴ぼこがあいているのが見えた。穴の周囲には掘り返した土が円状に積もっている。
ナギはそばにあった木の陰からそっと穴の方を覗く。たまにアリが穴から出てきて咥えていた土を捨てて戻っていく姿が確認できた。しばらく観察していると何体ものアリがずっと同じことを繰り返している。今まさに巣を作っている最中なのだろう。
「しかし、でかすぎだろ。さすが異世界というか……」
外見は見慣れたアリの姿をしているがサイズが違いすぎる。日本で見かけるアリはせいぜい数センチほどなのにこっちのは一メートル以上はある。こんなに大きいと不気味としか言いようがない。
今回、ウェルズリー商会から受けた仕事はこのストーンアントを殲滅することであった。この時期になるとたびたび街の周辺に広がる平原に巣をつくって街道を利用している旅人や商人などが襲うらしい。人でも動物でも大抵のものはおかまいなしに巣へ連れ帰って食べてしまうのだ。
ただ、今年は例年以上に巣の数が多いらしく、本来は冒険者ギルドから人手を割いて対処しているものの今回はそれだけではなかなか手が回らないので、ウェルズリー商会からも登録している自由冒険者を何名か出すことになったのだ。商会も自身の商品を積んだ馬車が街道を頻繁に行き来しているので他人事ではない。他にもいくつかの組織などが共同であたっているそうだ。
そしてナギが受け持ったのがこの場所である。これでも巣としては小規模なほうで、まだ作り始めてから日が浅い所だ。シャロンが単独であるナギでも対処できるような場所を選んでくれたのだろう。
「このまま眺めていてもしょうがないな。仕掛けていくか」
太刀を抜刀して巣へと駆け寄る。すぐに外で作業していたアリが気づいて襲いかかってきた。
灰色のアリは六本の足を忙しなく動かして近づいてくる。硬そうな顎をカチカチと鳴らしながら噛み付こうとしてきたので、避けざまにアリの身体に太刀を振り抜いたら鈍い音がした。
「硬っ!」
弾かれた刀から強烈な振動が手まで伝わってきた。話には聞いていたが本当に石のごとく硬い外皮をしている。
このままではまともに斬ることもできないので、今度は<強化>のスキルを使って攻撃をしてみた。太刀に魔力の煌きが走り、Uターンしてきたストーンアントを一撃で両断する。この一週間鍛錬を続けてきた成果をはっきり確認できた。今では問題なくスキルを発動して戦闘を行える。
その後、異変を察知したのかぞろぞろとアリが巣穴から這い出てきて、敵であるナギに向かって攻撃を加えようとしてきた。なかにはジャンプしながら迫ってくる個体もいたが、冷静に回避しながら<強化>のスキルを使用して次々と敵を駆逐していく。数が多いとはいえ動きが直線的なので避けるのは難しくない。
しばらくして巣の周囲がストーンアントの死骸で埋めつくされてきた頃、巣があった場所が盛り上がったかと思うと、土を撒き散らしながらひと際巨大なアリが這い出てきた。他のアリとは腹部の形状が異なり、背中には二枚の半透明の羽根が生えている。このコロニーを統率する女王アリで間違いない。今回の仕事で絶対に仕留めなければならない相手である。
女王アリはナギを一瞥すると即座に羽根を動かして空中へと飛び立った。こちらと戦闘する気はなくはじめから逃げの一手のようだ。あの薄い羽根で巨体を浮かせられるのが不思議である。
それに本来なら女王アリはコロニーを作って産卵する前に羽根を落とすものだと記憶していたが、ここはファンタジーな異世界である。常識は通用しない。
「逃がすかよ!」
ナギは<瞬脚>で空中に飛び上がると、そのままの勢いで彼方に逃げ去ろうとしていた女王アリの片方の羽を太刀で切断した。そして通り過ぎた後に<空脚>で方向転換して舞い戻ると、残っていたもう一枚の羽根を切り落す。
両方の羽根を失って落下していく女王アリを見下ろしながら、最後は<風刃>を胴体に叩き込んでトドメを刺したのだった。
その後、<空脚>をクッションにしつつ女王アリの死体の横に降り立ったナギは巣穴を丹念に調べてストーンアントが全滅したことを確認したのだった。
「よし、これで任務完了だな」
小規模でそこまで難敵ではないとはいえストーンアントの群れをダメージを受けることなく倒すことができた。女王アリとの戦いを除けば、ほとんど星霊術を使わずに剣術や体捌だけで戦闘をこなした。まだたった一週間とはいえシオンとの鍛錬でより実戦用に研ぎ澄まされている感じだ。
仕事が完了したナギは女王アリの羽根をマジックバッグに入れると、街道に戻ってセントリース市街を目指して歩く。本日が建国記念祭なので多くの人々が街を目指して歩いていて賑やかだ。
街の門に辿り着くと案の定人で溢れていた。もともとこの街は交通の要衝なので人の流れは多いのだが今日は普段を超える賑わいだ。近隣諸国からの観光客たちが集まっているのだろう。
「それにしても、この多さはたまらんな」
油断すると人の波に流されて抜け出せなくなりそうだ。特に人が多い門付近から離れてようやく一息吐けるようになる。
顔を上げると普段よりも多くの屋台があちこちに出店しているのが見えた。ここが書き入れ時とばかりに商店やら宿屋やら客商売の人々が観光客に向かって元気よく声を張り上げている。
「昼からパレードが街を練り歩くんだったな。夜には花火も上がるみたいだし、少し見て回るか」
これからウェルズリー商会に戻って仕事の完了を報告したした後にぶらぶらと異世界のお祭りを堪能するのも悪くない。
今日は勉強も程ほどにして楽しむよう助言してくれたアマネは遅くまで仕事が入っているらしい。シオンもクランの仲間と祭りを回るらしくナギも誘ってくれたが、聞けばメンバーは女の子ばかりだそうでパスさせてもらった。そんな集団に男がひとり混じっていたら間違いなく気まずい。
(そういえば、フィリオラも祭りが気になってたみたいだな)
ナギの視線が遠くにそびえ立つ白い塔に向いた。アストラル教会の建物の一部である。ここからだと街の反対側なので塔の先端がかすかに視認できるくらいだ。彼女の境遇を考えればこういった祭りをゆっくり見て回るなどできないだろう。せいぜい監視付きで少し眺めるくらいが関の山だ。
神官少女が別れ際に見せた寂しそうな表情を思い出しながら、ナギはどうしたものかと考えるのだった。
☆ ★ ☆
すっかり日が暮れて夜の帳に包まれたセントリース教会。
大聖堂の隣にある高級宿舎の一室で静かに本を読んでいたフィリオラはふと外に目をやった。バルコニーに続く開け放たれた窓からは外の賑やかな喧騒が部屋の中にまでかすかに流れ込んでくる。
本を読むのをいったんやめると見慣れた自室を眺めた。まだ歳若い神官に与えられるには広くて立派な個室だ。
本来この建物の個室は司祭以上の人間が使用するもので、神官は教会の敷地内にある寮に入るか、自分で家屋や宿の一室を借り上げるのが普通である。こんな部屋を与えられているのもひとえにコルテス司教に重用されているが故だ。
特別扱いが嫌で断っても認められなかった。事情を知る他の神官たちが不満をぶつけたりせずにこちらを気遣ってくれることが救いであった。
フィリオラは本を机に置くとバルコニーまで歩いていく。部屋で唯一の光源である机の上のランプから遠ざかっても、大都市ゆえに夜の間も光が絶えることがないのでカーテンを閉めなければ暗さは気にならない。それに今日は祭りだからか特に外から届く光が強い気がする。
バルコニーに出ると柔らかな風がそよいで少女の金髪を揺らした。しばし外の景色を眺める。色とりどりの光が街中に灯り、人々が行き交っているのが遠くに見えた。
ぼんやりとセントリースの街並みを眺めているとつくづく遠くに来たものだと思う。そしてこれまで歩んできた軌跡を自然と思い返すのだ。
フィリオラは十歳で教会に拾われる以前の記憶がない。ここからずっと北の森をさまよっていたところを善良な冒険者に保護されて最寄りのアストラル教会へと預けられたのだ。自分の名前や年齢など最低限のことしか覚えておらず、両親の名前やどこの国の出身など何も分からなかった。拾われた時には服とローブを身につけていただけで情報になるものは何もなかったそうだ。
それでも保護された教会の孤児院では幸せな毎日を送れたと思う。孤児院の責任者である院長先生やシスター、それに子供たちもフィリオラのことを温かく迎え入れてくれた。施設は老朽化していて食事も質素だったとはいえ不満に感じたことはないし、皆と楽しく暮らせていたのだ。
だが、それも十二歳のクラス適正調査で神聖術士の才能があると判明した時点で終わりをつげる。
当時、孤児院がある地域を統括していたコルテス司祭が力を貸してほしいとやってきたのだ。孤児院を出て大きな教会で修行をした後にあちこちに出向いて仕事をするようになった。
そして一年後、司教に昇格していたコルテスがセントリース支部の神殿長に就任し、一緒にこの独立都市国家へ赴くことになったのだ。そのことについては不満はなく、孤児だった自分が神官として多くの人間に役に立てるのなら本望だ。ただ孤児院の皆に最低限の挨拶しかできなかったのが心残りであった。
どこからか子供の楽しそうな声が聞こえてきた気がして、孤児院の皆と地元の町の小さなお祭りに参加していたことを思い出す。わずかなお小遣いを握りしめて屋台を回り、中央広場の催しで町の人間とささやかな交流を楽しんだものだ。
だが今ではそれも叶わない。他の同世代の神官のようにお祭りを自由に楽しむことはできないのだ。
そこでふと祭りに誘ってくれた最近出会ったばかりの少年の姿が脳裏に浮かんだ。セントリースではわりと珍しい黒目黒髪の少年で一緒にいるとどこか安心できる不思議な雰囲気を持っていた。
(一緒にお祭り行きたかったなあ)
彼はこちらの事情を知らずに誘ってくれたのだろうが、それでも嬉しかったのだ。
しばらく手すりに肘をつきながら街の様子を見ていたフィリオラはもう休むために部屋に戻ることにした。明日も朝のお祈りから始まり、その後もすべきことがいくつかある。
窓を閉めたフィリオラが机のランプを消そうと近づくと、背後のバルコニーから何か音が聞こえた気がした。
「……え?」
フィリオラが振り返ると、そこには今しがた考えていたばかりの少年がバルコニーに立って気軽に手を上げていたのだった。