23 自由冒険者としての第一歩
ナギがウェルズリー商会のシャロンの部屋に戻ると、なにやら落ち着きなく机の周りを歩いていたシャロンが入ってきたナギを見て安堵の息を漏らした。
「ああ、よかった。ナギさん、無事に戻ってきたのね」
どうやらけっこう心配をかけていたようだ。まずまずの難易度の仕事だったようだし、ナギ本人が決めたこととはいえ、親交のあるエルフォード家が紹介した人間にもしものことがあったら申し訳ないだろう。
「怪我はないようね」
ナギの全身を確認しているシャロンにやや大袈裟すぎはなしないかと内心で首を傾げた。
「……ともかく良かった。グリフォンに襲われたと聞いた時はさすがにちょっと焦ったわ」
「シャロンさん、どうしてそのことを?」
ナギの試験中の出来事を知っているシャロンに疑問を覚えていると、当の本人はしまったとばかりに口を手で押さえたのだった。
「あはは……。これは迂闊だったわね」
「あ、もしかして……」
「ええ、ナギさんが考えているとおりよ。実は密かに監視をつけてたの」
あっさり白状したシャロンだったが納得のいく思いであった。あの試験方法だと密かに誰かに手伝ってもらうなどいくらでもズルができてしまう。あと、あの魔物の名前はグリフォンで合っているらしい。
「不快にさせたかもしれないけど、そういう決まりなの。試験対象の実力を直に見極めることと、不正をしたりしないか人間性を確認するためにね」
「それは別にいいですけど、まったく気づきませんでしたよ。街からずっと俺の後をついてきてたんですよね」
「隠密行動に長けた人間をつけてたの。それに距離をとって追うように指示してたから、気配に鋭い人間でもそうそうは気づかないでしょうね」
そして、その監視していた人間はナギよりも少し早く商会へと帰還してシャロンに報告したのだろう。
「グリフォンの襲撃は正直予想外だったわ。あの湿地帯をたまに水飲み場として使っているみたいで目撃例はあったけど姿を現すのは稀だったのよね。今回の試験でも普段から生息してる突撃魚などを相手にする程度だと考えてたわ。監視していた人間にはナギさんに命の危機が迫った時は手助けするように頼んではいたんだけど、結果的に一人で倒したと聞いて驚いたわ。ぎりぎりまで手を貸そうかどうか迷ったそうだけど」
どうやら監視者というのはナギの行動を見張るだけではなく、いざという時の命綱としての役割もあったようだ。
ただ、仕事とはいえ人が死闘を繰り広げている様子を安全な所から高みの見物をしていたというのは思うことがないわけでもない。
そしてグリフォンは冒険者ギルドだと討伐推奨ランクが7以上の魔物であった。マンティコアと同じランクでどうりで苦労したわけである。
「それでお詫びと言うわけではないけど、これを取ってきてくれたそうよ」
シャロンが差し出した手には大きな緑色の魔光石が乗っていた。
「ナギさんが仕留めたグリフォンの魔光石。すぐにその場を離れたそうだから、代わりに取り出して届けてくれたの」
「そういえばすっかり忘れてたな……」
グリフォンを倒した後は地面に激突死するピンチに陥っていて、なんとか機転を利かせて助かったものの、もう魔光石を取り出すような余裕はなかったのである。とにかく他の魔物に出会う前にさっさと街に帰ることしか考えられなかった。
ちなみに街へと戻る道中で、<風弾>を足場にして空中を自在に動くスキルを<空脚>と名付けた。<瞬脚>と揃えるように命名したのだ。かつて密かに執筆していた小説に似たような技があった気もするがおそらく気のせいである。
それからせっかくなのでグリフォンの魔光石も受け取り、マンティコアのと一緒に換金してもらうことになった。試験で採取してきたマーシュボーンも買い取ってくれるそうで総額だとけっこうな額である。想定していた以上の臨時収入を手にしてほくほくなナギであった。
「では改めて、ナギ・テンドウさん。目的の素材をきちんと採取してきたことはもちろん、グリフォンの急襲をも退けたのは見事というほかありません。十分な実力を保持しているとして試験は合格です。これから一緒に仕事を頑張りましょうね」
そう言ってシャロンはにっこりと笑った。無事試験に受かり、これで収入にある程度目処がついたのだ。
その後はシャロンからいくつかの説明を受けた。それによると彼女が商会側の自由冒険者に対する窓口になるそうで、冒険者ギルドにおける受付嬢に近い役割のようだ。依頼を受けたい場合は商会の彼女のもとに赴いてどれにするかを選ぶ。場合によってはシャロンが依頼について情報提供したりアドバイスしてくれたりとサポートもしてくれるらしい。
ひと通り説明が終わると、ナギは正式に書面にサインして登録を済ませた。こうして自由冒険者としての第一歩を踏み出したのであった。
「いやー、さすがナギくんね! しっかり試験に合格してくるんだから。ウェルズリー商会が求める人材はレベルが高いから、熟練の冒険者でも必ず雇ってくれるわけじゃないのよ」
「やるじゃない。どんな試験だったのか興味あるからあとで教えなさいよ」
家に帰って報告すると、アマネにシオン、そしてヘレナたちメイドさんがナギの試験合格を祝福してくれた。
それから夕食の食卓にはいつもより豪勢な食事が並んだ。合格を祝うためにあらかじめ用意してくれていたようだ。
「では、ナギくんの自由冒険者合格を祝って! 乾杯!」
アマネの音頭で乾杯するとグラスの当たる音がした。アマネはワインでナギとシオンはフルーツジュースだ。
さっそく食事にとりかかる。高級牛肉のような柔らかでジューシーなステーキに歯ごたえのあるヒラメのような魚など、こちらの世界の食生活に疎いナギでも良い食材を使用しているのだと分かるものばかりだ。他にも瑞々しいフルーツやなにやら凝った造りのスイーツが出てきて至れり尽くせりであった。
しばらく皆で和やかに談笑しながら食事に舌鼓を打つ。アマネも仕事がまずまず順調なようで機嫌が良いようだ。
食事を終えるとナギは自分のお腹を満足そうにさすった。こんな豪華な食事を堪能したのは日本にいた頃を合わせても数えるくらいしかないだろう。用意してくれたエルフォード家の皆には感謝しかない。
「マーシュボーンだったらわざわざ湿地帯の中に分け入らなくても外縁部を探せばあるけど」
「マジか。もしかして湿地帯での戦闘の大部分は回避できたのか?」
「たぶんね。根気よく探す必要はあると思うけど」
食後はお茶を飲みながらシオンと試験について会話していた。何年も冒険者をしているだけあってそのあたりの事情に詳しい。あとセツナの影響があるのか緑茶が普通に出てきたりする。
「それにしてもグリフォンに襲われるなんてねえ。あの場所で遭遇することはそうそうないはずなんだけど、あんたもしかして厄介な敵を引きつける体質なんじゃない?」
「不吉なことを言うんじゃない。これから仕事のたびにそんな敵に襲われてたら命がいくつあっても足りん。あと言っとくけどマンティコアの時はお前が襲われてたんだからな」
二人で軽口を叩きながら話していると、ナギは以前から尋ねたいことを思い出した。
「そういや、クラスについて聞きたいんだけどいいか?」
「いいけど、なに?」
「そのクラスの才能があればスキルなんかを覚えていけるのか?」
これまでは星霊術のスキルを優先して鍛えてきたがステータス欄には剣術士の文字もあった。ということは剣術系のスキルも覚えられるかもしれないと今更ながらに思い至ったのである。これから自由冒険者として活動していくので、仕事の完遂率や生存率を上げるためにもできることはやっていこうと考えたのだ。
「そうね。クラスに関してだけど――」
「あら、二人とも仲良いじゃない。私も混ぜてよ」
シオンが説明しようとすると急にアマネがナギの隣の席に座ってきて首に腕を絡めてきた。ぎょっとしていると、なにやら顔が赤くなっており、吐く息があきらかに酒臭い。
「お母さん? ちょっとお酒飲みすぎじゃない?」
「そんなことないわよ~。それより二人で何の話をしてたの? うりうり」
アマネは不自然に陽気なテンションでぐりぐりとナギの頭部を弄ぶ。どこからどう見ても酔っ払いであった。そういえばこちらが会話している間もずっとブランデーをちびちび口に入れていた気がする。
「完全に酔ってるし……。ヘレナさん、どうして止めてくれなかったの」
「一応、ほとほどにするようには言ったんだけどねえ。でも明日は久しぶりに休暇だそうだし、それに体調を崩すほど深酒するような方じゃないから大丈夫だよ。普段からお忙しい方だし、たまにはいいと思うけどね」
ヘレナはさして心配していないようだ。付き合いが長いのでこれくらいは問題ないと考えているのだろう。あとヘレナ以外のメイドさんはもう帰宅していた。彼女はここから家がそう遠くないので最後まで残ることが多いらしい。
「そういうことじゃないんだけどね……。お母さんが酔うと大抵は面倒なことになるから」
「こら、シオン! 母親に向かってなんなのその口は!」
「本当のことでしょうが」
シオンがうんざりとした表情で溜息を吐くと、
「まあ、ちょーっとばかり奥様には絡み酒の気があるけどそれくらいだよ」
しれっと嫌な情報を漏らすヘレナであった。
(この人、ただ面白がってるだけじゃないだろうな)
ナギがそんな予感をひしひしと感じていると、こちらの視線に気づいたヘレナがからからと笑いながら片付けに戻っていったのだった。
「ちょっと、ナギくん。何の話をしてたの。それとも私には話せないことなの?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「酷い! 若者だけでおばさんは会話の輪に入れてくれないのね!」
「めんどくせえな……」
ぼそっとナギが漏らすとアマネが据わった目を向けてきた。
「……何か言った?」
ナギはぶるぶると首を横に振る。蛇に睨まれたカエルとはこのことだ。本格的に絡まれたら何をされるか分からない。ともかく今はできるだけ目をつけられないようにしなければならない。
「あー、アマネさんはお綺麗ですし、おばさんなんてとんでもないですよ」
「あら、そう? うふふ、ナギくんたら上手なんだから」
なんとかひねり出した褒め言葉を聞いたとたんに機嫌が回復するアマネ。幼い子供にするように頭頂部を撫で撫でされる。ヘレナは問題ないと言っていたが果たして本当なのだろうか。激しく不安である。
「ちょっと、なに人の母親を口説いてのよ」
「今の流れを見てどうしてそんな考えに至ったんだよ!?」
どことなく不機嫌そうなシオンに勘弁してくれと内心で叫ぶ。ただでさえ厄介な御仁が隣にいるのに冤罪までかけられてはたまらない。
「こらこら、シオン妬かないの。まあ、私も若い頃はけっこうモテモテだったけどねー。あれは私が十代の頃だったんだけど――」
青春時代の出来事から旦那さんとの出会いまで長々と語り始めるアマネ。ナギの親戚にも似たような人間がいたので分かる。これはとてつもなく長くなりそうだ。
「あー、俺は疲れたんで、お風呂に入って寝ようかなー……」
「こら、なに逃げようとしてんのよ」
何気なさを装って席を立とうとしたらすぐに首に腕を回されて退路を断たれた。どうやら逃げるのは不可能なようだ。酔っているわりには隙がない。
「……もう諦めなさい。こうなったら最後まで付き合わないと余計面倒なことになるんだから」
「おかしい。今日は俺の合格祝いのはずなのに、何でこんな目に……」
達観した様子のシオンと己の不幸を嘆くナギ。そんな二人を尻目にアマネの独演会が夜遅くまで続くのであった。