21 登録のための試練
ウェルズリー商会で面接を受けた後、ナギは二日ぶりにセントリースの北に広がるシルヴィアナ大森林を訪れていた。この世界で最初に飛ばされた地であり、こんなに早く戻ってくるとは思わなかった。
「えーと、ここからもう少し西に行ったところか」
シャロンから受け取った試験の詳細を記した用紙を取り出して確認する。自由冒険者として契約を結ぶための最後の試練はこの森にある素材を回収してくることであった。もらったファイルには回収する素材の名前や特徴、どこにあるのか大体の場所まで記載されていた。これによると森にある湿地帯に生息しているらしい。
素材の名前はマーシュボーンという植物で、ウェルズリー商会が取り扱っている薬の原料となるそうだ。追記に冒険者ギルドによる推奨ランクは5以上と書かれている。難易度的には上位の中級冒険者向けの依頼だ。
ただ植物を引っこ抜いてくるだけならここまで難易度は高くないだろう。湿地帯という足場の悪い場所で探索や魔物との戦闘を行わなければならないことが考慮されているようだ。
用紙にある簡易地図に従って進むとおなじみのシャドウウルフやゴブリンなどが襲い掛かってきたが問題なく対処する。森にいた一カ月で何度も戦ってきたので攻撃パターンを嫌でも熟知しているのだ。よほど数が多くない限りは苦戦したりはしない。
魔物の襲撃をはねのけながら森の中を進むとやがて目的地である湿地帯が見えてきた。そこは水深の浅い湖にぽつぽつと木が立っているだけの開けた場所で見通しはよさそうだった。
「そういえば靴はそのままだったけど、長靴みたいのを調達してくればよかったかな」
ナギが履いている靴は飛ばされる前から履いていたスニーカーである。少しくたびれてはいるもののそこそこ値が張るだけあって結構頑丈だし履き心地もいい。愛着もあるのであまり泥だらけにはしたくない。
湿地帯をよく観察すると少しだが陸地が存在していた。いくつか水面から出ている倒木などもあるのでまったく足の踏み場もないというわけではなかった。これなら上手く移動すれば靴だけでなくズボンやジャケットなども汚さずにすむかもしれない。
しかし、長靴があってもこの沼のような湿地の中を歩くのは極力避けたいところだ。水深がそこまで深くなさそうなので歩けなくはないだろうが、単純に動きにくいし、深くはまって動けなくなる可能性もある。そんな所を魔物に襲われたら苦戦は免れないだろう。
ナギは目を凝らしながら湿地帯を見渡してみる。辺りには多くの植物が生い茂っており、水の上には大きな蓮のような植物がちらほら浮かんでいたが、ここから見る限り目的の植物は見当たらない。もっと奥に分け入って探す必要がありそうだ。
今のところは鳥が何羽か木の上で羽根を休めているくらいで魔物の姿は確認できないが用心しなければならない。腰に括りつけた太刀の収められた鞘の位置を調節しておく。
ちなみに、シャロンは最後の試験の概要を説明し終えた後、もし無理そうだったり、命の危機を覚えたなら潔く引くべきだと言っていた。ナギが決めたこととはいえ、付き合いのあるエルフォード家が紹介した人間にもしものことがあったら申し訳ないという気持ちもあったのだろう。
とりあえず<瞬脚>を使って近くにあった小島のような地面に移動してみた。ややぬかるんでいて着地がしにくい。
「……ここにはないな。移動しながら根気よく探していくか」
着地できる場所を転々と移動しながら探索を続けていると、前方から水しぶきを上げながら緑色の生物が接近してくるのが見えた。
「ついにおいでなすったな」
ナギは腰の太刀を抜き放つと迎撃の構えを取る。軽やかに跳躍しながら迫ってきているのは二匹の巨大なカエルであった。
ファイルにあった湿地帯に出現する主な魔物の情報を頭の中から引っ張り出す。あの魔物はマダラドクガエルといい全身に黄色い斑状の模様があるからそう呼ばれる。またその名前のとおり獲物を麻痺させる毒を持っている危険な生物だ。
二匹のマダラドクガエルは近づいてくると大きな口を開いて粘液の塊を飛ばしてきた。あの粘液が麻痺毒で、浴びてしまった生物は解毒しない限り徐々に動けなくなっていき、最後はカエルどもに捕食されてしまうのだ。想像するだけでゾッとする光景である。
そんな目に遭うのはまっぴらごめんなので、ナギは<瞬脚>で近くにあった倒木の上へと回避する。
避けられたのに気づいた一匹のカエルが長い舌を伸ばして絡めとろうとしてきたが、木の上から落ちないように最小限の動きでかわすと伸びきった舌を太刀で切断した。
舌を切り取られてのた打ち回るカエルに<風刃>を放ってとどめを刺していると、もう一匹が大きく跳躍してその巨体を生かしてこちらを踏み潰そうとしてきた。
ナギは即座にその横合いから<風弾>を当てて落下場所をずらし、離れた場所に着地した所を<風刃>で切り裂いて倒したのだった。
倒木の上から死んだカエルどもを眺めていると、今度は水中を物凄い勢いで移動しながらこちらに近づいている生物を見つけた。
警戒していると『突撃魚』という黒光りする魚型の魔物がまるで鉄砲玉のように勢いよく水面から飛び出してきた。そこまで大きくはないが口内には鋭い牙がびっしりと生え揃っており、まるでピラニアを連想とさせる魔物である。もっともこちらの方が更に凶悪そうで、もし噛まれたらひと噛みで肉をごっそりと食いちぎられてしまいそうだ。
ナギは慌てることなくタイミングを合わせてカエルの時と同じように避けながら突撃魚の胴体を真っ二つにする。
敵の奇襲を苦もなく退けたナギだったが、戦闘音を聞きつけたのか、それともカエルの死体にでも釣られてきたのか、突撃魚らしき魔物が何体も接近しているのを発見した。
「これはちっと手間取りそうだな」
改めて太刀を構え直すとニ匹の突撃魚が次々とナギ目がけて水中から飛び出してきた。
すぐに<瞬脚>を発動して今度は大きな岩の上へと瞬時に移動し、すぐさま<風刃>で空中にいる敵を二匹まとめて倒す。ジャンプ力は凄いが滞空時間の長さが仇となった。
ひと息吐く間もなく横から一匹が突撃してきたので回転しながら太刀で切断すると、今度は数体同時に襲ってきたので、近くに生えていた木の幹に飛び同じく星霊術を使って始末した。
その後も突撃魚は諦めることなくひっきりなしに襲いかかってきた。少し高めの木の上にいても余裕で届くだけの突進力があるので休む暇がない。
「くそ、これじゃキリがないな。いったい何匹いるんだよ」
空中を舞う大量の突撃魚たちを<風爆>で吹き飛ばしながらナギは悪態をつく。
まだダメージはなく、魔力にも余裕があるものの、<瞬脚>を連続で使用しているので足への負担が大きくなっている。もし着地に失敗して水中にでも落ちたら、四方八方から飛びかかられてあっという間にばらばらの肉片にされてしまいそうだ。ふとさっき倒したカエルどもに視線を向けるとすでに解体されたあとであった。
とにかく移動を繰り返しながら地道に数を減らしているとようやく全滅させることができたのだった。この森に飛ばされた時は木の実ばかりで魚でも食べたいと渇望していたのが今ではその姿を見るのも嫌になる数であった。
手の甲で額に浮き出た汗を拭っていると、また違う魔物が空中を泳ぎながら近づいてきていた。やはり戦闘の音や血の匂いに惹かれてやってきたのだろう。
「まったく忙しい場所だな」
数匹の群れで接近してくるのは巨大なトンボのような魔物であった。両翅を含めると一メートルくらいありそうだ。もちろん肉食でその強靭な顎で人間にもかぶりつく危険な相手である。
ただ、先程の突撃魚と同じで、滑空しながら一直線に向かってくるだけで、途中で進路変更したりホバリングするわけではないので動きは読みやすい。トンボというわりには小刻みな挙動はできないようだった。
油断さえしなければ苦労するような相手ではない。ものの数分で魔物を全て倒して戦闘は終了したのだった。
「……ふう。今度こそ終わったか」
もう新たな魔物が接近してくる気配はなかった。単体としてはたいしたことはなくても、とにかく次から次に湧いて出てくるのでさすがにうんざりする。
ナギはマジックバッグから取り出した水筒で喉を潤すと、再び湿地帯を移動しながら目的の素材探しを再開するのであった。