2 ナギの素質
しばらくしてナギは混乱から立ち直り、管理者と名乗る少女と会話しているうちに段々冷静さを取り戻せてきた。
ただ冷静になったのはいいが、残念ながらこの状況は紛れもなく現実であるらしいということだ。実はこの少女を含めた出来事は脳が見せている夢か妄想で、本体は山の上で気を失って倒れているのではないかとかすかに期待していたのである。
ではなぜこんなことになったのかというと、少女が語るには不気味な言い伝えがある湖の周辺には次元の亀裂が存在しているそうだ。それに呑まれて異世界に飛ばされてしまう人間が過去に何人もいたようで運悪く今回の犠牲者がナギだったということらしい。
「次元の亀裂というのはどこにでも開きうるものなんですけど、その亀裂に人間が巻き込まれる確率は限りなく低いと言ってよいでしょう。ただ、ナギさんの住んでいた街の近くにある湖辺りははもともと空間が不安定で亀裂が走りやすい場所なんです」
「ということは神隠しの噂もあながち間違いじゃなかったのか。でも湖からは少し離れた場所だったんだけど……」
「あの湖が亀裂の中心地になっていますけど、亀裂というのは断層のように続いていて連鎖的に空間が開いてしまう場合もあるんです」
断層は場合によっては数百キロにもわたることがあるらしい。ということは問題の湖に近寄らなくても、ナギのように他の場所で偶然空間の裂け目に巻き込まれる可能性があるということだ。
そして、この少女は不幸にも亀裂に入り込んでしまった人間のための救済措置として、こうして彼女が創った亜空間とやらに誘導しているそうだ。それからどういう状況なのかを詳しく説明してくれているらしい。本来なら巻き込まれた時点で異世界に直行なので急に放り込まれないだけましであった。
「つまりあんたは神様とかそういう存在ってことなのか?」
「そうですね。そういう認識でいいと思います。もっとも私は末席に連なる者ですけど」
なにせ世界を管理しているような超常的な存在なのだ。人間であるナギからすれば神といってもいいだろう。少女とは思えないような雰囲気を纏っていたのも納得である。
「管理者であるあんたなら俺を元の世界に戻せないか?」
「……残念ですが、あなたはもうこちら側の世界にいます。私にはあなたを元の世界に戻すことはできないんです」
「そうか……」
ナギは髪を搔き回しながら溜息をつく。正直予想していた答えではあった。送り返せるものならわざわざ丁寧な説明をしなくてもさっさと送り返せばいいだけなのだ。
どこか静かな諦観を宿すナギを見て少女は少し意外そうな表情をした。おそらくもっと取り乱すものだと思っていたのだろう。これまでも同じ境遇の人間の中にはもう戻れないと聞かされて動揺した者はいたはずだ。ただ、ナギはこの手の小説を好んでいたこともあり、そこまで動揺はしなかったというだけのことである。
(理由は何であれ、突然異世界に放り込まれ神様的存在と対面する。となると次は何かしら反則的な能力をくれるってとこか?)
元の世界に帰れないというのはショックには違いない。それでもこの状況にどこかわくわくしているのも事実であった。少し話を聞いた限りだとこれから向かう異世界は魔術やスキルやらがあるファンタジーな世界らしい。同時に危険な生物もいるそうなので何かしらの力があったほうがいいに決まっている。
ナギが内心で期待していると、少女は苦笑しながら首を横に振った。
「申し訳ないすけど、そういった特典はないんです」
「そ、そうなのか……」
ナギは地味に落ちこむ。どうやら力を授かるのは小説の中の話だけで現実は厳しいらしい。ひそかに能力を選べるパターンに備えて脳内でいくつか候補を絞っていたのは永遠の秘密である。
「あれ。というか俺口に出してたっけ」
神様のような存在なので、もしかしたらナギの恥ずかしい妄想も含めて考えを読まれていたのではと戦慄する。
「いえ、あなたは分かりやすく表情に出ていただけです。それにかつて似たような期待をしていた方がいたので」
どうやら以前にも同じことを考えていた奴がいたらしい。そいつもその手の話を好んでいたに違いない。
「でも安心してください。特別な能力をあげることはできませんが、これからナギさんが行く世界で意思の疎通に困らないよう<言語理解>と、あと<ステータス閲覧>の能力を授けましょう。これは巻き込まれた人達全員へプレゼントしているんです」
「それはかなり助かるな」
現地の言葉が理解できるのとそうでないのとでは雲泥の差がある。ただでさえ知らない世界で心細いのに言葉も通じないのはかなりきつい。
それとステータス閲覧というのは自分の能力を確認できるスキルらしい。こちらは役立つかどうかまだ分からないがもらえるのならもらっておいて損はない。
とりあえず安心していると少女はじっとナギを見つめながら口を開いた。
「ただ……あなたにはもともと素質があるようですから、私が力を授ける必要はないと思いますよ?」
「素質?」
「あなたは星霊と契約を結ぶ素質を持っています。いわゆる星霊術士になれる才能が」
よく分からない単語が出てきて目を瞬かせる。星霊というのは星から生まれる超常的な存在のことでそれぞれが特殊な能力を保有しているらしい。代表的になのは地水火風などの四大元素などで他にも色々とあるそうだ。おそらく地球で言うところの精霊みたいなものだとナギは解釈した。そして、星霊術士とは契約した星霊の力を行使できる人間のことらしい。
「そんな素質が俺にあったのか」
「ナギさんのいた世界は魔力が希薄なので星霊が生まれることはほとんどないでしょう。ですからその才能を開花させることはほぼなかったでしょうね」
それが神隠しに遭ったことでその才能を生かせる機会が巡ってきたというのだから人生分からないものである。
「ナギさん。こちらに来てもらってもよいですか?」
「ん? ああ、いいけど」
ナギは椅子から立ち上がった少女と向かい合わせに立った。こうして間近で見ると改めて人間離れした美貌の少女だと実感する。彼女のほうが頭ひとつ分くらい背が低いので、自然と近い位置から上目遣いで見つめられることになり、男子高校生にはなかなかの威力だ。
少女はそんなナギの額に背伸びをしながら白い指を置くと指先がかすかに発光した気がした。
「これで先程話した二つのスキルを得ました。<言語理解>に関しては会話だけでなく読み書きも不自由はしません」
「ありがとう」
「では次に星霊術に関してですけど、私の配下に星霊が何体かいるんです。彼らのうちの誰かと契約を結んでみてはどうでしょう。きっとあなたの役に立つと思いますよ」
「契約を結んだ星霊の能力が使えるようになるんだよな」
「そうです。例えば炎を司る星霊なら火に関する能力が使えるようになります。星霊の格にもよりますけど能力を扱えるようになれば強力な武器になるでしょう」
ナギはその申し出を受けることにした。何が起こるか分からない世界である。少しでも力をつけておくに越したことはない。
「そういえば星霊術士の資質があればどの星霊とも契約できるのか?」
「できません。星霊術士と星霊にも相性が存在するんです」
火の星霊と契約できても他の星霊とも同様に契約できるとは限らない。この辺は実際に試してみないと分からないらしい。
「そうすると、自分に合った星霊を慎重に見極めて契約する必要があるってことか」
腕を組みながら唸るナギを見て少女はくすりと笑った。
「本来ならそうですけど、ナギさんに限ってはその心配はいりません」
「どういうことだ?」
「先程、ナギさんの額に指を触れた時に私が加護を与えたんです。<管理者の加護>といったところでしょうか。効果は相性に関係なくあらゆる星霊と契約を結ぶことができるというものです」
「マジか!」
「マジです」
ナギは驚いて少女を見つめる。いつの間にかそんなありがたい加護を貰っていたらしい。
「いいのか? 星霊を紹介してもらったりと至れり尽くせりな気がするんだけど。いや、助かるんだけどさ」
「これもナギさんに素質があったらからこそですよ。感謝は不要です」
これはもうチートな能力を貰ったのと同じではなかろうかとナギは思う。なんにせよありがたいことに変わりはないので素直に貰っておく。
「あとはどの星霊と契約するかですが……ナギさんは何か希望とかありますか? こういう能力を使ってみたいとか」
「いや、特にはないけど。あえて言うなら攻撃的で応用の利く能力がいいかな」
かつてナギが中学二年生くらいに執筆したとある小説では、主人公が特殊な能力を使って魔物をばったばったと薙ぎ倒したりしていた。もちろんとっくに封印した思い出である。
「それでも相性がいいに越したことはありませんからね。私の見立てだとナギさんは風系の星霊との相性が良さそうです」
「そうなのか。それじゃそれで頼む」
「承知しました。――来なさい、風と雷の星霊<アルギュロス>」
そう少女が唐突に呼びかけた瞬間、すぐ近くに強烈な風が渦巻いたかと思うと、いつの間にか二人しかいなかった空間に巨大な狼が出現していたのであった。