15 セツナの人生
ナギはシオンの母親であるアマネと挨拶を交わすと席に腰を落ち着けた。ちょうどアマネの向かい側で、シオンは二人の中間あたりに座っている。
自己紹介によると、驚いたことにアマネは自由都市国家セントリースで議員を務めている政治家だった。シオンの祖父もかつて市長を務めた大物で、エルフォード家はこれまで何人もの政治家を輩出している家系らしい。
ちなみに、都市国家セントリースでは統治機関である議会と官僚組織が政治を行っており、議会を構成する各議員は数年ごとに選挙で選ばれるそうだ。
「ひと通りシオンから話を聞かせてもらったわ。私の娘を助けてくれてありがとう。本当に感謝してるわ」
「こちらこそ助けてもらったんでお互い様ですよ」
「それでもお礼を言わせてちょうだい。いくら冒険者という危険な仕事をしているとはいえ、もし娘が森の中で人知れず息絶えていたと想像したら背筋が凍るもの」
頭を下げるアマネを黙って見つめる。見た目はいかにも仕事のできる年上の女性といった感じなので、そんな女性に丁寧なお礼をされると少々居心地が悪い。
アマネはそんなナギを見てくすりと笑った。
「堅苦しいのはここまでにしておきましょうか。シオン、ナギ君にも紅茶を淹れてあげて」
ナギはシオンが入れてくれた紅茶を飲みながら改めてアマネに目を向ける。シオンの母親だけあって顔立ちや綺麗な黒髪などが娘とよく似ていた。シオンのような娘がいるということは少なくとも三十代だろうに、外見は二十代でも十分通用するくらい若く見える。そしてどこか茶目っ気のある瞳が印象的であった。
「あなたのことも聞かせてもらったわ。母と同じ『渡り人』ですってね。最初聞いた時は驚いたわ。シルヴィアナ大森林に出現したそうだけどよく生きて出られたものね」
「何度も死にかけましたけどね……」
セントリースに来る道中でシオンに聞いた話だと、シルヴィアナ大森林は多数の魔物が生息する大陸でもかなりの危険地帯らしい。管理者は一番安全な場所に転移させると言っていたが、選択肢の中であの森が本当に一番ましだったのか聞いてみたい気分である。
それから話はナギとセツナの故郷の話に移った。セツナの本名からも予想できたとおり、ナギと同じ日本の出身だったようで、しかも驚いたことに隣町に住んでいたことが判明した。例の不気味な湖を挟んだ場所にあり、ナギも何度か訪れたことがある。アマネとシオンも二人が近場に住んでいたことを知って感慨深そうにしていた。
やがてアマネはセツナがアストラルに来てからどう生きてきたのかを語ってくれることになった。ナギとしても『渡り人』の先輩ともいえるセツナの人生には大いに興味がある。
「母が神隠しに遭ってアストラルに来たのはナギ君と同じ十七歳の時だったそうよ。今からおよそ五十年以上前の話ね」
ふと気づいた時にはセツナはよく分からない空間に迷い込んでいたそうだ。そしてナギの時と同じように、そこで不思議な少女と会話した後に異世界アストラルへと転移した。
セツナの場合は運良く町の近くに出現したそうだが、<言語理解>により言葉は通用したものの右も左も分からない世界に戸惑い、はじめはどうしていいのか分からずに途方に暮れたそうだ。
(そりゃそうだろう。十七ってことは俺と同じ高校生だよな。女子高生がいきなりわけの分からない所に飛ばされても何もできないよな)
同じ状況にいるナギにはセツナの戸惑いがよく理解できた。
それからセツナはなんとか日雇いの仕事を見つけて生きる糧を得るために必死に働いた。最低限の生活ができるようになってからは元の世界への帰還方法を自分なりに調べてはみたものの手がかりは見つからなかった。
本来なら世界中を回りながら手がかりを探すのにうってつけな冒険者を目指していたのだが、冒険者ギルドに所属するには身分証が必要だったのである。セツナが転移した国では戸籍などを持たないものが身分証を手に入れるには大金が必要で、それだけのお金が溜まるのには相当な時間がかかることが予想された。
それでも諦めずにこつこつと働き続け、異世界アストラルに飛ばされて数カ月ほどが経ってから転機を迎える。
セツナが身分証がなくても参加できる冒険者ギルドの講習に参加していたときのことだった。一人の女性冒険者がセツナの固有能力や幼い頃から薙刀などの武道を嗜んでいたことを高く評価して自分の弟子にならないかと勧誘してきたのだ。
喜んだセツナがその提案を受け入れるとその後はとんとん拍子に話は進んだ。その女性冒険者が身分証を手に入れるためのお金を肩代わりしてくれ、それからすぐに冒険者の資格を取った。
その後、主武器を槍に定めたセツナは師とともに世界を旅しながらめきめきと実力を上げ、独り立ちしてからも各地を回っているうちに冒険者ランクは順調に上がり、いつからか『先読みの槍姫』と二つ名で呼ばれるほどの実力者になっていたそうだ。
だが、残念ながら日本へ帰るための方法はなかなか見つからなかったようだ。
「それでも母は帰ることを諦めきれずにいたから、別れの時を考えて親しい人間を作ることを忌避していたそうね。でも、旅を続けてからおよそ十五年ほど過ぎた頃に運命の出会いを果たすの」
それがアマネの父でありシオンの祖父となるレオン・エルフォードであった。名門エルフォード家の当主であった彼は冒険者であったセツナへの依頼を通して偶然知り合ったそうだ。
「エルフォード家を継いだ若き頃の父のもとには多くの女性が打算で近づいてきたそうで、そのせいで父は女性不審になってしまったようなの。三十を過ぎても結婚せずに独身を貫いていたんだけど、初めて母と顔合わせした時に一目惚れしたそうよ」
一方、セツナの方も実直なレオンに惹かれ、ほどなくして二人は交際をはじめることになる。そして結婚が視野に入ってきた頃には、故郷に帰ることを切望していたセツナもこの世界に骨を埋める覚悟を決めたのだそうだ。
「それから二人は結婚して、しばらくして私が生まれてくることになるってわけ。その後は父を支えながらも時折冒険者の後輩の指導を行ったりと精力的に活動してたわね。そのうち私が結婚して、シオンが生まれてきて……そして、今から三年前に亡くなったわ」
母であるセツナの人生を語り終えたアマネは手元にある紅茶を一口飲んで息を吐いた。
ナギは一人の『渡り人』が辿った人生を聞いてどこか安堵していた。自分と同じ境遇の人間が必死に生きて人並みの幸せを掴んだのだから。
「セツナさんは幸せだったんですよね」
「そうね。父の方が先に亡くなったけど、最後は私たち家族や大勢の知り合いに看取られて満足だったと思うわ」
「そうですか。それはよかった」
誰も知り合いのいない世界に放り出された女性が最後は幸せに逝ったと聞いて安心する。
「いつでもいいから、母のお墓に参ってあげてちょうだい。母も同郷の人間に来てもらえたらきっと喜ぶと思うから」
「ええ。喜んで」
ナギはアマネに向かって静かに頷いたのだった。