14 エルフォード家
シオンの実家はなかなかの豪邸だった。立派な門構えに邸宅を囲う壁が道路沿いに何十メートルも続いている。とはいえ成金が住むような嫌味な豪華さはなく品の良い佇まいだ。それなりに年季が入っていそうな建物もよく手入れされているようで歴史を感じさせた。
「シオンの家ってお金持ちだったのか」
「一応、昔からセントリースでは名士のひとつとされてるかな」
こともなげに語るシオン。祖母や父が上級冒険者と聞いていたので裕福な家庭でもおかしくはないが、どうやらもともと歴史のある名家のようだ。
門を通ってノッカーを叩くと、家の中からメイド服を着たふくよかな中年女性が勢いよく出てきた。
「あらあら! シオンお嬢様! 昨日は冒険者のお仕事に出られるとは聞いていましたけど、夕食までにはお戻りになられるはずでしたよね! 夜になっても戻らないのでずっと心配してましたのよ! これまで一体どこに――」
出てきて早々に怒涛のトークを繰り広げていたおばさんはシオンの隣に立っているナギに目を留めると突然喋るのをやめた。そして交互に二人に視線を向けると口に手を当てて「あらあら……うふふ」と含みのある笑みを浮かべたのだった。
「なるほど、なるほど、そういうことでしたのね。ついにあのシオンお嬢様に春が来たと! うふふ、まさか朝帰りなんて!」
なにか盛大に勘違いしているおばさんメイドを見てシオンは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。
「……こうなる予感がしてたのよね。一応説明しておくけど、ヘレナさんが考えてるようなことじゃないから」
「もちろん分かっていますよ、お嬢様。それで今日は奥様に恋人を紹介されに来たんですよね?」
「全然分かってないでしょ。こいつはそんなのじゃないんだってば」
「そんなことを言われましても、シオンお嬢様が家に男の子を連れてくるなんて初めてですからそう考えるのも無理はございませんでしょう? 年頃の女の子なのに男っ気がほとんどないからヘレナは心配で心配で――」
「ああ、もう! 余計なことは言わなくていいから! こいつの名前はナギ、仕事の途中で助けてもらって、お礼として家に来てもらったの! それで、お母さんはいつ頃戻ってきそう?」
「奥様でしたら夕方頃にお戻りなられる予定ですよ。その後も特に予定は入っていなかったと記憶しています」
おばさんメイドの言葉を聞いたシオンはこちらに向き直った。
「さて、お母さんに紹介しようと思ってたけど、帰るのはまだ先みたいだし、少し早いけど昼食を頂きましょう。けどその前に――」
シオンはナギの格好を上から下まで見るように視線を動かした。
「まずはお風呂に入って、それから新しい服に着替えてきて。いつからあの森にいたのか知らないけど、服がけっこう汚れてるし、あと少し匂うから」
「ぐっ」
この世界に迷い込んでからは、水で濡らしたタオルで身体を拭いたり、着ていた服を軽く洗って絞ったりしたくらいなので汚れるのも当然だ。ただ、事実でも同世代の女性に臭いとか汚いとか言われるのはあまりよい気分はしないナギであった。
「それじゃお言葉に甘えさせてもらうか。でも俺は着替えとか持ってないんだけど」
「それはヘレナに用意させるから大丈夫。それじゃあ、ヘレナ、こいつをお風呂場まで案内してあげて。私も着替えてくるから」
「彼の背中をお流しにならないんですか? お嬢様」
「そんなことするわけないでしょ!」
顔を少し赤くしながら二階へと上がっていくシオン。そんな彼女を見て満足気な笑みを浮かべるおばさんメイドことヘレナは次にナギへきらりと光る視線を向けてきたのだった。
「さあさあ、よくお越しになりましたね。とりあえず色々話を聞かせてもらいましょうか、色々と」
「お、お手柔らかに頼む」
この手の話が好きそうなおばさんらしく好奇心の塊と化しているヘレナを前に、ナギは引きつった顔で返事をするのだった。
その後、根掘り葉掘り聞いてくるヘレナをなんとか受け流しながらナギはエルフォード家のお風呂に入った。浴槽は広々としていて、しかも驚いたことにヒノキに似た木材でできていた。この世界のお風呂事情は知らないがけっこう豪勢なのではないだろうか。
あとでヘレナに聞いた話だと、シオンの祖母であるセツナの意向で今のお風呂に改築したのだそうだ。やはり日本人なのでこの手のお風呂の方が合うのかもしれない。ともあれナギは久々のお風呂で心身ともに疲れを洗い流すのだった。
お風呂ですっきりした後は、亡くなったシオンの親父さんが使っていた麻のようなものでできたシャツとズボンを借りて食堂へと案内された。リュックサックはヘレナさんが客間へと運んでくれていて、着ていたジャージなどは洗濯してくれるそうだ。
「どうやらすっきりできたみたいね」
「おかげさまでな」
食堂の細長いテーブルの一席に私腹姿のシオンが座っていて、まだうっすらと湯気がたっているナギを見て笑った。他人から見てもだいぶ雰囲気が弛緩しているのが分かるのだろう。それだけ久しぶりすぎるお風呂が心地良かったのだ。
ナギも向かい合うように席に着くと、ヘレナや他のメイドが食事をテーブルに持ってきてくれた。シオンの話だとエルフォード家では三人のメイドが家事をまわしているらしい。
それから二人で昼食をとる。ようやくまともな食事にありつけたので途中から夢中で腹に納めていたらだんだん睡魔が襲ってきた。昨日からほとんど眠っていないので、お風呂に入って腹を満たしたことで眠気が限界に近づいたようだ。
「あら、ナギ様はだいぶお疲れのようですね」
「魔物と長い間追いかけっこしてたみたいだからね。ヘレナ、客間へ案内してあげて。あなたもお母さんが帰るまで休んでるといいわ」
「そうさせてもらう。マジで限界みたいだし」
家の二階にある客室に案内されたナギはそのままベッドに倒れこんだ。ベッドにある毛布も枕もふかふかで太陽の匂いがかすかすに残っている。これまでゴンズの木の硬い幹に身体を預けて眠っていたこともあり、身体がこのまま沈みこんでいきそうな心地良さを覚える。
(……ベッドで寝るのは久しぶりだな)
ナギは枕に顔を埋めたまま気を失うように眠りについたのであった。
ベッドに入ってからどのくらい経っただろうか。気づくとどこからか何かを叩く音が聞こえてきた。まだ半覚醒状態なので夢の中の出来事だと思って無視していると、しばらくして誰かが扉を叩いている音だと気づいた。
「……起きてる? 疲れが溜まってるだろうけど、そろそろ夕食が近いから起きて」
扉の向こうから聞こえてきたシオンの声に顔を横にずらすと窓から赤い光が差し込んでいるのが見えた。この様子だと日が沈むのも時間の問題だろう。予定以上に眠りこけてしまったようだが、疲れが取れたようで身体がだいぶ軽くなっていた。
大きく伸びをしたナギは扉の外にいたシオンと合流して再び食堂へと向かう。シオンの母親はもう帰宅しているそうなので、どうやらぎりぎりまで眠らせてくれたようだ。
二人が食堂に入ると長いテーブルの上座に当たる位置で一人の女性が優雅にお茶を飲んでいた。
女性はこちらに気づくと笑みを浮かべながらカップをソーサーに置いた。
「あなたがナギ君ね? はじめまして、私はシオンの母親のアマネ・エルフォードよ。よろしくね」
シオンの母親だと名乗った女性は立ち上がってナギに挨拶したのだった。