11 行軍のゆくえ
翌朝、ナギは森の中にぽっかりと開いた小さな広場でマンティコアと対峙していた。目的は消耗してしまう前に決着をつけることだ。
邪魔にならないようリュックを遠くに放ったナギは抜き身の剣を構えながら敵の出方を見る。その目の下にはうっすらと隈ができていた。いつ襲われるか分からないので結局一睡もすることなく朝を迎えたのだ。
(やっぱり早めに勝負してよかったな。時間が経つにつれて不利になるのは俺の方だ)
現在はこれからはじまる激闘を予感してアドレナリンが出ているので寝不足も気にならない。しかし何日もろくに眠れない日々を過ごしたらもはや敵と戦うどころではない。
ナギが相手の隙を窺うようにゆったりと円を描くように動くと、目を鋭く細めたマンティコアも同じように距離を保ちながら動いた。どうやらこちらが本気で決戦を挑んできていることを察しているようだ。
やがて戦いの火蓋が切って落とされた。昨日と同じくナギが<瞬脚>で高速移動を繰り返しながら星霊術を放ち、マンティコアがその中のいくつかを回避しながら反撃の手を繰り出してくる。どちらも大きなダメージにはつながらないので決定打に欠ける戦いだ。
(やっぱり固すぎろ、あいつ。でも皮膚が固いってだけじゃなさそうだな)
おそらくマンティコアは他の生物よりも強い魔力を持っているようだ。もしかしたら皮膚や毛に魔力が通っているから防御力が高いのかもしれない。
その後もナギは星霊術を撃ち続けるも膠着状態が続いた。それにあちらも警戒しているのか、それとも馬鹿にされたことを根に持っているのか、ナギを懐に入れないように注意しているようだった。
そんな攻防が十分以上続いたが遂に転機が訪れる。
ナギが敵の攻撃を<瞬脚>で回避した時に、運悪く着地地点にあった木の根に足が引っかかってしまったのだ。そのままバランスを崩して地面に尻餅をついてしまう。
「しまっ――」
急いで立ち上がろうとしたが素早く接近してきたマンティコアが太い前肢でナギの胴を踏みつけたのだった。全身を襲う衝撃とともに肺から空気が強制的に排出される。一瞬意識が飛びそうになった。
「がっ……」
マンティコアに地面へと押さえつけられてナギは苦悶の声を出す。喉の奥から熱いものがせり上がり、唇の端から一筋の血が流れ落ちた。おそらく内臓を傷けたのだろう。
ただ、それでもマンティコアは全力でナギを踏みつけたわけではないようだった。もし本気だった場合は即死していてもおかしくないだろう。要はこれから嬲るために生かしておいたのだ。
『カカカカカ』
己の絶対的優位を確信したマンティコアが苦しむナギにゆっくりと顔を近づけてにやりと笑う。その顔は確保した獲物をどう料理しようか楽しんでいるようだった。
そんなマンティコアに向かって、もはや死に体となっているはずのナギも笑い返した。苦しそうな笑みだがその目はまだ死んでいなかった。
「よお。お前は勝った気でいるんだろうが、こういう状況を俺も待ってたんだよ」
普通に語りかけるナギを見てマンティコアが怪訝そうな顔になったので思わず噴き出しそうになった。本来ならピンチに陥った獲物が絶望的な表情を浮かべるのを期待していたはずだ。敵も予想外のリアクションにかすかに困惑しているようだった。
「お前はその気になれば俺を殺せただろうにそうはしなかった。遊んでないでさっさととどめを刺すべきだったんだよ。俺を格下と見くびったのがお前の敗因だ!」
ナギは猿顔を睨みつけると、こちらを押さえているマンティコアの前肢を掴んで<雷撃>を発動させたのだった。
強烈な電流が全身に行き渡ったマンティコアは激しく痙攣するとナギを押さえていた手が緩んだ。
その隙を逃さずに地面を転がって脱すると、即座に<瞬脚>を使って上空へと飛び上がる。
「くたばれ、猿野郎!」
空中で剣を逆手に持ち変え、そのまま落下しながら硬直しているマンティコアの口内に思い切り突き刺したのであった。
「――――!!」
喉の奥まで剣が刺さったマンティコアは声泣き悲鳴を上げるがこれで終わりではない。全力で発動させた再度の<雷撃>によって今度は剣を通して電流が敵の体内へと直接流れていった。
「身体の外は硬くても、身体の内ならどうだ!」
激痛と己の身体を内から焼かれる恐怖からかマンティコアは激しく暴れるも、ナギは渾身の力を振り絞って剣から手を離さないようこらえる。剣からナギ自身にも電流がフィードバックしてダメージを負うが必死でしがみついた。この機会を逃せばおそらくもう勝ち目はない。
何十秒、あるいは一分以上か。敵に<雷撃>を使い続けてどれくらい時間が経ったのかは分からない。とにかく歯を食いしばって耐えていると、ふいに剣の根元がぽっきりと折れてしまい、ナギは空中へと放り出されたのだった。突然のことだったのでろくに受身も取れずに地面へと叩きつけられる。
「ぐおっ!」
痛みをこらえながら急いでマンティコアに視線を向ける。敵もだいぶ弱っているはずだがきっちり仕留めるまでが勝負だ。こうなったら形振り構わず魔力が尽きるまで星霊術を叩き込む。それで倒せなければナギが死ぬだけだ。
しかし、そんな悲壮な決意をしているナギの前で、マンティコアは動きを止めたまま微動だにせずに立ち尽くしていたかと思うと、やがて地響きを立てながらゆっくりと横に倒れていったのだった。
「倒した……のか?」
ナギはよろよろとマンティコアに歩み寄る。ぴくりとも動かない怪物の口には折れた剣が突き刺さったままで口内からは煙が立ち昇っていた。しばらく眺めていても動き出す気配はなかった。
強大な敵を打ち倒してナギは歓喜の雄叫びを上げる。敵の油断を誘って剣を刺しそこから<雷撃>を流す。これが昨日考えた大雑把な作戦であった。だが、その場合ナギにも電流を食らうことになるが、雷耐性があるので命に関わるほどのダメージにはならないと判断したのだ。
(ともかく上手くいってよかった)
作戦通りにいって安堵しているとどっと疲れが押し寄せてきた。
「あ……やべ……」
敵を無事倒せたことで気が緩み、また寝不足も重なってナギはあっさりと意識を失ったのであった。
しばらく経って気絶したままだったナギの意識が再び浮上してきた。
(……俺はどのくらい寝てた? そういや、後頭部が温かいし、なんか額もくすぐったいような……)
まだ半覚醒状態のふわふわした状態だったナギは、誰かが膝枕しながら額にかかった前髪を優しく梳いてくれていることに気づいた。こんなことをされたのは子供の頃に母親がしてくれた時以来だ。まだ頭が動いていない中でその心地良さを素直に受け入れる。
そのまま身を委ねていたナギだったが少しずつ覚醒するにつれて頭の中を疑問が占めるようになった。
(……待てよ。ここは魔物だらけの森だよな。誰かが都合よく気絶してる所に居合わせるわけないし……。いったい何者だ?)
なぜかナギの脳裏にはいかつい顔のオーガがナギを撫でている光景が浮かんだ。この森に転移してからあの少女を除いて魔物にしか出会ったことがないのでそういうイメージが浮かんだのかもしれない。となるとこれから食べる人間を検分するためにこんなことをしているのではないかという結論に至った。
「ちょっと待った! せっかく生き残ったのに食べられてたまるか!」
「……はい?」
ナギが慌てて目を開くと、そこには昨日別れたはずの少女の顔がすぐ近くにあり、こちらを目を丸くしたまま覗きこんでいたのだった。
「あんた、何言ってるの?」
「……あれ、魔物じゃないのか? 俺はてっきりオーガに膝枕されてるのかと」
「どんな想像力してんのよ。そんなわけないでしょうが」
少女が呆れたような視線を向ける。
「というか、お前まだ森にいたのか。何で逃げなかったんだよ」
「冒険者が一般人に庇われたままおめおめと逃げ帰れるわけないでしょ。あんたがマンティコアとどこかに去ってしばらくして身体が動くようになったからその後はずっとあとを追いかけてたの。さっきようやく追いついたら、あんたがマンティコアの死体の前で倒れてたってわけ。最初は死んでいるんじゃないかってかなり焦ったけど」
「そうだったのか。よく考えたらオーガの膝がこんなに柔らかいわけないよな。それにいい匂いが――いや、何でもない。だからそんな顔をしないでくれ」
「身体を張って私を助けてくれたことに免じて今のは聞かなかったことにしておいてあげる。ところで身体の具合はどう? 内臓にダメージを受けてたみたいだから回復薬を飲ませたんだけど、とりあえず大丈夫そうね。骨にも異常はないみたいだし」
その言葉にマンティコアに踏まれた箇所をさすってみると痛みがほとんど消えていた。血反吐を吐くくらいのダメージも回復薬とやらでだいたい治ったようだ。
さすが異世界には便利な物があるもんだと感心していると、少女がわざとらしく咳払いしてからナギを見つめた。なにやら怒りと照れの中間のような表情をしている。
「その……助けてくれてありがとう。一応礼を言っとく」
「一応なのかよ。昨日も言ったけどあんたを助けたのは俺のためでもあるから気にするな」
「結果的に死なずにすんだからいいけど、あんな無謀なことをしてたら命がいくつあっても足りないからね。次からは気をつけなさい」
説教なのか忠告なのかよく分からないセリフにナギは笑い出しそうになる。なんとなくこの少女らしい言い草だと思った。
「助かったのはお互い様だ。ちゃんと治療してくれたし、あんたが駆けつけてくれなかったら魔物のエサになっていたかもしれない」
ナギが身体を起こすと、少女は手をすっと差し出してきた。
「あんたじゃない。私の名前はシオンよ。シオン・エルフォード」
「俺はナギ・テンドウだ。よろしく、シオン」
「ナギ・テンドウ……。変わった名前ね。ともかく助けてくれて感謝してる。ありがとう」
ナギは異世界アストラルで初めて会った人間と握手を交わしたのだった。