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1 神隠し

 小さな山の頂上でジャージを着た高校生たちが楽しそうに会話したり騒いだりしてそれぞれの時間を楽しんでいた。この日は二年に上がって初めての遠足のために学年で近場の山を訪れていたのだ。年々人口が減っている特色のない地方都市ゆえに学年といっても総勢で百数十人程度である。


 山の頂上の施設は狭い展望台とトイレくらいしかなく、あとは鉄柵で囲んだだけの平らで何もないグラウンドのような場所が広がっているだけである。ただ、通っている高校からほどよい距離にあり見晴らしも良いので近所の学校がよく利用しているのだった。


 やがて昼食後の自由時間が終了して教師たちの帰る準備を促す声が響く。生徒たちがトイレに行ったり学校に戻る支度を始める中、展望台からマイペースに景色を眺めている生徒がいた。


 その生徒は見た目は取り立てて特徴のない少年であった。身長はやや高めでそこまで見た目も悪くないのだがどこかやる気のなさそうな雰囲気が出ている。


「気持ちのいい風だな」


 その少年――天堂那樹(てんどうなぎ)は展望台の手すりに腕を置きながら景色を楽しんでいた。空は雲ひとつない晴天で、まだ五月とはいえ少々汗ばんでくるほどである。


(景色は悪くないんだけどな)


 ナギは街とは反対側の方を眺める。そこは木々が生い茂った森や背の低い山々が延々と広がっていた。生まれ育った街は小さめで娯楽も少ないとはいえ、それでもこうして豊かな自然がすぐそばにあるのは悪いことではない。


 山の上を通り抜ける爽やかな風に目を細めながらぼんやり景色を眺めていると、ふと森の一角にある場所が目に入ってナギはわずかに顔をしかめた。


 ナギの視線の先には大きな湖があり、その周辺にも小さな池がいくつか点在しているエリアがあった。そこは大昔から妖怪が出るだの神隠しが起こるだのといった不気味な伝承やら噂やらがある場所だったのである。実際にあの湖の近くで行方不明者が何人か出ているのは間違いないらしい。


 もっともナギを含めそれらの噂を真に受けている人間はほとんどいない。そもそも日本では年間で何万人もの行方不明者がいるのだ。たまたま蒸発した人間があの湖の周辺の町に住んでいただけなのだろう。


 だが、昼間にもかかわらずうっすらと霧が出ていたりと薄気味悪い所なので地元の人間も滅多に近寄らない。おそらくそういったところが噂を助長させる原因のひとつになっているのだと思われる。なかなか風光明媚な場所なのに観光スポットにもならないのはそういう理由からであった。


 喉が渇いたナギは湖から視線を切ると近くに置いてあった自分のリュックサックからペットボトルを取り出して水を飲む。


 それから一息ついたナギは忘れ物がないか確認した上でリュックサックを背負うと、教師の下に集まり始めている生徒たちに合流しようと歩き出した。


(帰りにコンビニでも寄っていくか……ん?)


 呑気に歩いているとふいに近くにあった木が歪んで見えた気がした。


(……思ったよりも疲れたか? そんなに疲れるほど高い山でもないんだけどな)


 眉間をもみほぐしながら再度その木に視線を向けると今度は歪むことなく普通に見ることができた。何の変哲もないただの木である。つい先程曰く付きの湖を眺めていたからか、何か怪奇現象でも起こったのかと少々不安に感じたのだ。


 取り越し苦労だったと安心したナギが再び歩き出そうとした時だった。


「――!?」


 突然、耳鳴りとともに鈍い痛みが頭に走り、立っていられなくなったナギは頭を抱えながら地面に膝をつく。


「な……んだよ、これ……!」


 霞む視界では先程の歪みが可愛く思えるほどに世界が捻じ曲がっているように見えていたのだ。そして同時に自分が歪みに飲み込まれていくような背筋が凍るような感覚が全身を包み込む。


 意識が飛びそうになるのを必死にこらえながら周囲に助けを求めようとするももはや声も満足に出ない。そして運の悪いことに誰もこちらにの状態に気付いていないようだった。


 ますます耳鳴りが酷くなり、もはや動くことすらできないナギはうずくまりながらふと頭の片隅に神隠しという単語が浮かんだ。


(……冗談だろ! 例の湖からはけっこう離れてるぞ!)


 当初は突発的な病気かとも考えた。しかし、現在周囲で起こっている異常はそんな生易しいものではないと嫌でも理解できてしまう。もはや常識を超えた現象が起こっているとしか思えない。


 絶望感が涌きあがってくるなか、ナギは意識が混濁して奈落に落ちていくような錯覚を覚える。そして歪んでいた視界が徐々にぼやけていきとうとう気を失ってしまったのであった。






 しばらくして、ナギは頬に当たる冷たい地面の感覚とともに目を覚ました。


「……う……俺はいったい……」


 うつぶせの状態で気を失っていたナギはまだ痛みが残る頭を軽く振りながら上半身を起こす。


 しばらくボーっとしていると少しずつ思考力が戻ってきて自分に起こった出来事を思い出した。遠足の最中に突然空間が歪んでそれに巻き込まれたことは覚えている。


「いわゆる神隠しに遭ったってことなのか? 嘘だろ……」


 ゆっくりと周囲を見渡してみる。少なくともさっきまでいた山の頂上でないことは確かである。頬をつねってみたりとお約束の行動を取ってみるも幻覚を見ているわけでもなさそうだった。


「どこなんだよここは……」


 思わず茫然とした声が出る。ナギがいたのは天井がやたらと高い巨大な建物の中のようだった。太い支柱が等間隔に並んでおり床は磨き抜かれた大理石でできているようだ。光源は見当たらないのに不思議と暗く感じない。目を凝らすも壁際が確認できないのでどれだけ広い場所なのかも分からなかった。


 もちろんナギの見知らぬ場所であり、それどころか日本の建築物にすら見えない。なんとなくヨーロッパにある神殿のような雰囲気に似ている気がする。


 よく分からない状況にナギが途方に暮れていると背後から女性の声が聞こえてきた。


「――ここは次元の狭間とでも呼ぶべき場所です」


 唐突に声をかけられたナギが慌てて振り向くとそこには若い女性が大きな椅子に腰掛けてこちらを見つめていたのだ。というか背後に人がいたことに全く気がつかなかった。


 女性はよく見ればナギと同世代ほどで目を瞠るほどの美少女であった。折れてしまいそうな細身の体には絹のような光沢のあるゆったりとした衣服を纏っている。一見ただの少女に見えるが目が離せない存在感がある。特にその静かで穏やかな瞳は吸い込まれそうな奥深さを感じた。


 少女の存在に驚きはしたものの、色々と知っていそうだったので、とりあえず話を聞くためにゆっくりと椅子の前まで歩いていった。巨大な空間にひとつだけある豪奢な椅子はまるで玉座のようだったが、この神秘的な雰囲気を纏った少女が座っていても違和感はなかった。


「えっと、あんたは?」


「私のことは管理者と呼んでください」


「管理者?」


「そうです。この世界を管理する者ですから」


 管理者というのはよく分からないが、柔らかな表情と声で受け答えしてくれるのでとりあえずナギは安心した。少女の姿をしているとはいえやはり得体が知れないので不安だったのだ。


 ただ、会話の中でどうしても聞き逃せない単語があった。


「『この世界』ってどういうことだ?」


「あなたがいた世界とは別の世界という意味です」


「え……」 


 あっさりと告げられた言葉に一瞬思考が停止する。少女を凝視するも冗談を言っているようには見えない。


(それじゃ本当に神隠しに遭ってどこか違う世界に迷い込んだってのか? いや、でもこの子が本当のことを喋っているかはまだ分からないし……)


 また頭が混乱してきたナギはあれこれ悩んだ後にぽつりとこぼした。


「……マジで?」


「マジです」


 ナギは茫然としながら案外ノリのいい少女と見詰め合うのだった。

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