04.破滅への舞台
「お嬢さまが……お嬢さまが殺された!」
「侯爵家も取り潰しだというぞ!」
「王太子殿下の暗殺を企んだなど、そんな恐ろしいことを……!」
混乱する使用人たちの叫びが響き渡る。
突然の出来事を、アイリスは悪夢だとしか思えなかった。
朝にジゼルと会ったばかりだ。お茶を淹れるのが上手になったと褒めてもらい、次はもっと上達しているように頑張ると答えれば、ジゼルは笑ってくれた。
その優しいジゼルが殺されたとは、どういうことだろうか。姉が死んだなど信じられず、アイリスは呆然とする。
これはきっと、何かの間違いだ。いや、夢だろう。そう思い、アイリスは早く夢から覚めることを願う。
だが、あれよあれよという間に兵たちが侯爵家に乗り込んできて、離れにいたアイリスまで取り押さえられてしまった。
「反逆者は全員処刑だ! 王太子殿下のお命を狙った娘ジゼルは、すでに王太子殿下御自ら処断された! お前たちも、後を追うといい!」
フォーサイス侯爵家は敵国と通じ、王太子の首を手土産にするべく暗殺を企んだというのが、罪状だった。
侯爵家からは敵国との密書が発見された。重罪であるとして、侯爵家の取り潰しと、直系の処刑が言い渡されたのだ。
何も知らぬ若干十四歳のアイリスも、処刑されるはずだった。
「その娘は、卑しい娼婦の子よ! 我が家の血など引いていないわ! 誇り高きフォーサイス家の一員に、あのような娘など存在しない!」
ところが、侯爵夫人はアイリスの存在を拒絶した。
連行されるアイリスをまっすぐに見つめる瞳には、憤りと悔しさ、そして懇願が宿っていた。
「しかし……」
アイリスを連行しようとする兵士が、侯爵夫人の剣幕に押されて怯む。
どう見ても良い扱いを受けていないであろうアイリスに、戸惑った視線を向ける。その目には哀れみが宿っていたが、同時に諦めのようなものもあった。
たとえ内心がどうであろうと、一介の兵士にアイリスの処遇を決める権限などない。
「何の騒ぎだ」
そこに、堂々とした声が響いた。
さほど大きくないにも関わらず、はっきりと通る存在感のある声だ。
茫然自失となり俯いていたアイリスも、のろのろと顔を上げる。
アイリスの目に映ったのは、輝かしい黄金色の髪を持つ青年だった。まだ少年の域を抜けたばかりに見えるにも関わらず、背筋の伸びた立ち姿には風格が漂う。
一目で、姉ジゼルと同じ世界の人間だとアイリスは気付いた。いわば神に選ばれた、特別な存在だ。思わず、ぽかんとして見とれてしまった。
しかし、すぐにみすぼらしい自分の姿がみじめになり、アイリスは地面に視線を落とそうとする。
「王太子殿下!」
しかし、兵士が彼を呼ぶのを聞き、アイリスの動きは止まった。
いつかお会いしたいと思っていた王太子が彼なのかと、アイリスは唖然とする。
そしてすぐに、彼こそが姉ジゼルを手にかけた張本人かと、心が怒りで赤く染まっていく。
このような輩に憧れ、会いたいと思っていたのかと、アイリスは己が情けなくなる。見とれてしまったことも、許せない。
「王太子殿下! これは冤罪でございます! 罪を着せられ、さらにフォーサイス家の血を引かぬ卑しい孤児を私と同列に扱うなど、この上ない侮辱……!」
「黙らせろ」
王太子が一言命じると、侯爵夫人は兵士によって口に布を押し込まれた。
それでも侯爵夫人は訴えかけるような眼差しを送るが、王太子は冷淡に一瞥しただけで無視する。
そして、王太子はアイリスを見下ろした。
鮮やかな濃い青色の目がアイリスを映し、それをアイリスは真正面から受け止める。視線で人が殺せるのならば殺してやると、姉の仇を睨み付けた。
もしかしたら、処刑など待たずに今すぐ殺されるかもしれない。そう思いながらも、アイリスは止められなかった。
「……フォーサイス家の血を引かぬというのなら、処刑する理由もない。放り出せ」
ところが、王太子は素っ気なく兵士に命じただけだ。
無礼な真似をしたアイリスに向ける目には、慈しみのようなものが宿っていて、アイリスは混乱する。
そして、混乱が冷めやらぬまま、アイリスは兵士によってフォーサイス家の邸宅から連れ出された。
しかも連れて行かれた先は、孤児院だった。
アイリスの命は助かったのだ。
だが、アイリスの心には喜びも悲しみも、何もわき上がってこない。胸を覆うのは、これは現実なのかと、信じられない気持ちだけだ。
いっとき王太子に向けた激情も、すっかり消え失せてしまった。アイリスは抜け殻のように呆然としたまま、時間だけが流れていく。
「悔しいか?」
孤児院で数日過ぎた頃、アイリスの元を訪れた者がいた。
顔をローブのフードで隠した、長身の男性だ。いかにも怪しい姿だが、今のアイリスにとってはどうでもよかった。
答える気にもなれず、アイリスはただ俯く。
「お前の姉を殺し、家を潰させた者は王太子だ」
続く声で、アイリスは顔を上げた。
あの慈愛にあふれ、毅然とした姉が、何故殺されなければならなかったのか。
ここ数日、殻に閉じこもっていた心を刺激され、知らず知らずのうちにアイリスの目から涙が流れていく。
「王太子が自らの地位を守るため、お前の姉や家を利用して始末したのだ。罪のないお前の姉を無惨に殺したのは、王太子だ。そうと聞いて、お前はどう思う?」
「……許せない」
ぼそりと、憎悪のにじんだ声がアイリスの口から漏れる。
心の中が怒りで真っ赤に染まっていく。
姉を殺したのは王太子、それも身勝手な理由で殺したのかと、アイリスの心に殺意が刻まれる。
「もしお前が王太子に復讐したいというのなら、手伝ってやろう」
こうして差し出された手を、アイリスは取った。
声をかけてきた者の顔を見ることもなく、誰かもわからない。それでも、アイリスはすがるしかなかった。
心の殻は殺意によって破られ、復讐心として孵化したのだ。
「お姉さまの仇を討つためなら……何でもするわ……」
アイリスはヘイズ子爵家の養女として迎えられ、教育を受けた。
一般的な淑女としての教養だけではなく、武器の扱い方、人体の急所など、多岐にわたって学ぶこととなる。
何度も吐き、気を失うような厳しい訓練も、アイリスは泣き言一つこぼすことなく、耐えた。
全ては唯一自分のことを認めてくれた、姉の仇を討つためだ。
やがて十六歳になり、アイリスは社交界に出た。
美貌を武器に、奔放な振る舞いで貴公子たちの心を惑わせていく。
「アイリス嬢、どうか私にあなたをエスコートする栄誉を……」
「おい、僕が先だ。どいていろ……」
「いや、僕が……」
アイリスに群がる令息たちを眺め、令嬢たちは冷ややかな視線を送る。
「どうして、あのような女に……」
「卑しい真似をして、たぶらかしたに決まっていますわ……」
「どうして、あの女に身の程をわきまえさせられないの……?」
悪女との呼び声高く、後ろ指を差されることになっても、何故か誰もアイリスの行動を制限することはできなかった。
ヘイズ子爵家にはたいした力はない。それなのに、アイリスは伯爵家と揉めたときも、咎められることがなかったのだ。
この頃になると、アイリスは自分も駒として動かされていることに気付いていた。
おそらく、最初にアイリスに復讐を手伝うと声をかけてきた相手は、かなりの権力を持っているのだろう。ヘイズ子爵家も手駒の一つなのだ。
「私も利用されているだけ……きっと、最後は私も始末される……」
アイリスの予想としては、権力闘争で王太子を始末したい者に利用されているのだろう。
それもアイリスが悪女として名を馳せることを歓迎する様子から、悪女と王太子の醜聞でも狙っているのかもしれない。無理心中か、痴情のもつれからの殺し合いか、共倒れを狙っているように感じられる。
何にせよ、最後にはアイリスを生かしておくとは思えなかった。
「それでも、構わない……」
だが、目的を果たせるのならば、自分の命などどうなろうとよかった。
誰かの手のひらで利用され、破滅に向かうことを知りながら、それでもアイリスは上がった舞台で踊り続ける。