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31.未練

「私を殺した後は、隣国に逃げろ。王妃は信用するな。さすがに王太子を殺めた者をそのままになどしておけぬだろう」


 何も言えないまま固まるアイリスに、レオナルドは懐から通行証を取り出して差し出す。偽りの身分が記された、隣国への通行証だ。


「レオナルドさま……いつから……」


 前から、レオナルドは何か勘付いているのだろうとは思っていた。アイリスが彼の命を狙っていることに気付き、それを受け入れているような素振りがあったのだ。

 今の言葉によれば、アイリスがジゼルの妹であることを知っていて、かつ逃亡先まで用意してくれていたことになる。


「……夜会で会ったときはわからなかった。だが、閨でその紫色の瞳を見たとき、かつて私を毅然と睨み付けてきた少女のことを思い出したのだ」


 静かに語るレオナルドを、アイリスは唖然としながら見つめる。

 まさか覚えていたのか。今はそのような状況ではないのに、アイリスの胸に喜びが広がっていく。


「王妃に操られているような間抜……いや、純粋さは、放っておけなかった。ちょうど王妃の思惑とも合っていたようだし、側に置くことにしたのだ」


 だが、続く言葉でアイリスはわずかに呻く。

 レオナルドは間抜けと言いかけて、止めた。そのとおりではあるが、悔しい。


「まして、ジゼルの妹だ。私が殺したジゼル。その妹が、私を殺しに来た。運命だと思った」


「……でも、お姉さまに薬を盛ったのは、フォーサイス侯爵だと……レオナルドさまは、錯乱したお姉さまから身を守っただけではありませんの……?」


 斬りかかられたので、斬り殺したというのならば、正当防衛と言えるだろう。

 か弱い令嬢を殺したことを気に病むのはわかるが、自分が殺されてもよいというほど思い詰める理由が、アイリスにはわからない。


「……助けようと思えば、助けられたのかもしれない。どうするのが最もよかったのか、未だにわからない」


 苦しげに、レオナルドは呟く。

 アイリスは黙ったまま、耳を傾ける。


「ジゼルが錯乱して私に斬りかかってきたとき、周囲には護衛たちがいた。護衛によってジゼルは取り押さえられ、その際に大きな傷を負うこととなったのだ。さらに、フォーサイス家反乱の報が入ってきた」


 目を閉じながら、レオナルドは眉根を寄せる。


「血を流して苦しむジゼルを、見ていられなかった。まして、どのような理由があるにせよ、王太子である私に斬りかかったことは事実で、目撃者もいる。さらに、フォーサイス家の反乱だ。もし、ここでジゼルが命を取り留めたところで、待っているのは拷問の上での処刑だと思えば、ひと思いに命を絶つのが最良だと思った」


 汗を浮かべるレオナルドの表情が、苦渋に歪む。

 アイリスはぎゅっと拳を握りしめながら、レオナルドと同じような表情になっていた。


「私はジゼルを手にかけた。だが、本当にそれしかなかったのか。フォーサイス家が不正を行っているのは知っていたが、反乱ほどの大罪ではなかったはずだ。嵌めた者がいる。それを暴くことをしていれば、ジゼルの手当をしていれば、あるいは……だが、私は逃げたのだ。このような卑怯者が、生きていてよいはずがない」


 レオナルドは目を開け、アイリスにすがるような眼差しを向ける。


「カトリーナの縁談が決まり、私の役割は終わった。これ以上未練が増える前に……アイリス、どうか私を裁いてくれ」


「……未練?」


 ずっと黙って聞いていたアイリスだが、ふと気になった言葉を問いかける。


「最初は、ジゼルの妹を王妃から守りたかった。だが、アイリスと共に過ごしていくうちに、その時間が心地よくなっていったのだ。物怖じしない態度、悪女という評判とは裏腹の純真さ……いつしか、私は本当にアイリスを愛してしまった」


 レオナルドの言葉が、アイリスの胸に突き刺さる。

 まさか本当に、レオナルドの態度は演技というだけではなかったのか。

 信じられない思いで、愕然としながらアイリスは唇を引き結ぶ。


「私に姉を殺され、私の命を狙う女を愛するなど、滑稽だろう? だが私は、アイリスとの未来を思い描くようになってしまった。アイリスの手によって生を終えるべきであるというのに、許されないことだ」


 一人語るレオナルドは、だんだん焦点が定まらなくなってきた。毒が回ってきているようだ。

 それをアイリスは口を閉じたまま、じっと眺める。


「アイリスと共に生きたいと望む未練が、私を苛む。本当は、もっと触れたかった、もっと深くまで知りたかった……だが、私は死ぬべき存在で、その後も生き続けるアイリスを汚すわけにはいかない。一刻も早く、私は死ぬべきだ。……さあ、早く姉の仇を討ってくれ」


 虚ろな眼差しをアイリスに向け、レオナルドは弱々しく微笑む。

 これまで無言で耳を傾けてきたアイリスの心は、静まり返っていた。

 衝撃的な内容の連続で、心が麻痺してしまったのかもしれない。

 だが、その中にふつふつとわき上がってきたものがある。心の奥底から、燃えたぎるような何かが、ゆっくりと広がっていく。

 それは、怒りだ。


「……よろしいですわ。裁きをくだして差し上げますとも」


 アイリスはまっすぐにレオナルドを見据え、静かに言い放った。

 すると、苦しげなレオナルドが、嬉しそうに口元をほころばせる。何かから解放されたような清々しさだ。

 無表情のまま、アイリスはレオナルドに向けて片手を伸ばした。

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