30.仇を討つとき
襲撃の知らせを聞き、レオナルドが座席の下から剣を取り出す。
とても知りたかった話の途中ではあるが、今はそれどころではない。
アイリスもそっと、懐にしのばせた短剣を確かめる。
「アイリスはここで……っ!?」
レオナルドが馬車の扉に手をかけようとしたところで、突然馬車が勢いよく走り出した。
転びそうになったレオナルドだが、どうにか持ちこたえる。床を足で踏みしめながら、御者台の方向に視線を移す。
「う……馬が暴れ出しました!」
御者の焦った声が響く。
盗賊の襲撃で興奮してしまったのだろうか。もしかしたら、矢でも飛んできたのかもしれない。アイリスは激しく揺れる馬車の中、ぎゅっと拳を握る。
「……心配するな、アイリスに手出しはさせない」
レオナルドが力づけるように囁く。
その言葉を聞き、アイリスは胸の奥が痛む。この襲撃は王妃の手によるものだろう。アイリスは、いわばその手先なのだ。
何と返してよいものかわからず、アイリスはただ馬車の揺れに耐えながら俯く。
だんだんと馬車の速度が緩やかになってきた。
馬が落ち着いてきたようだと思っていると、やがて馬車は止まった。
「アイリスはここで待っていろ」
レオナルドがそう言って、剣を片手に馬車を降りていく。
開け放たれた扉の向こうには、森が見えた。そして、黒ずくめの服装で剣を持った三人の姿がある。
「おびき出されたか。御者も共犯だな」
さして意外でも無さそうに、レオナルドが呟く。
黒ずくめの三人も御者も、何も答えない。黒ずくめの三人は黙ったまま、じりじりとレオナルドとの距離を縮めてくる。
レオナルドは剣を抜き、迎え撃とうとする。
黒ずくめの一人が、アイリスに視線を向けた。
それでアイリスは察する。今がアイリスに与えられた命令を果たすときなのだ。
「レオナルドさま……!」
アイリスは懐から短剣を取り出すと、馬車から身を乗り出し、獲物に向けて投げ付けた。
「え……?」
短剣は狙い違わず、御者台に座っていた御者の背に突き刺さった。
レオナルドに向けて吹き矢を準備していた御者は、ぐらりと体を傾かせて、御者台から転げ落ちる。
その様子を、黒ずくめの三人と、レオナルドまでもが驚愕の眼差しで見つめていた。
「どういうことだ……!?」
黒ずくめの一人が、アイリスを睨み付けてくる。
ここでレオナルドを殺すはずが、何故裏切ったのかということだろう。
だが、よく考えてみれば、どうして王妃の指示に従わねばならないのか。最初はアイリスの進む道と同じだったために受け入れていたが、今は違う。
レオナルドから話を聞いている途中なのだ。少なくとも、それを知るまではアイリスは進む道を決められない。
王妃の勝手な命令を、アイリスの目的よりも優先する必要などないのだ。
「どうせ女も始末するんだ。やることは変わらない……!」
他の黒ずくめの一人がそう叫び、レオナルドに斬りかかる。
だが、その剣が届くよりも早く、一刀のもとにレオナルドが相手を斬り伏せた。
「……アイリスも始末するだと? それは、生かしてはおけんな」
地の底から響くような声を出し、レオナルドが残る黒ずくめ二人に剣を向ける。
怒気が揺らめいて立ち上っているかのような姿だ。
黒ずくめ二人が怯んだわずかな隙に、レオナルドは残る二人も斬り捨ててしまう。力任せに叩き付けているようでありながら、無駄がなく、優雅すら感じられる動きだった。
アイリスは呆然としながら、それを見つめていた。
レオナルドが武術に長けているという話は聞いていたが、これほど実戦的だとは知らなかった。試合で相手を打ち倒すようなものではなく、効率的に命を奪うものだ。
さらに、先ほどの黒ずくめの言葉によると、アイリスも始末されるはずだったらしい。
王妃は働きに報いると言っていたが、結局はアイリスを切り捨てたということになる。
ますます、命令に従う必要などない。
「レオナルドさま……」
アイリスは馬車から降りて、レオナルドに駆け寄っていく。
見ていた限り、怪我をしたようには見えなかったが、それでも心配だった。
「アイリス、無事か」
「はい……レオナルドさまは?」
「私も何ともない。ただ……頭に血が上って、三人とも殺してしまった。せめて一人は生かしておいて、聞き出すべきだった」
ため息を漏らしながら、レオナルドは倒れた黒ずくめたちを見下ろす。
全員を一撃で始末する腕は素晴らしいものだが、それが仇となったようだ。
「そうだ、もう一人いたな。御者が……アイリス!」
地面に倒れる御者のことを思い出したレオナルドだが、言葉を途中で引っ込めてアイリスをかばうように抱き締める。
何事かと思った瞬間、風を切るような鋭い音が響いた。
「くっ……」
レオナルドは呻いてアイリスから離れると、いつの間にか起き上がっていた御者のもとに走り、剣を突き立てる。
御者が崩れ落ち、持っていた吹き矢も地面に転がっていった。
それを見て、アイリスは血の気が引いていく。
御者の放った吹き矢は、アイリスをかばったレオナルドに当たったのではないだろうか。おそらく、吹き矢には毒が塗られているはずだ。
「レオナルドさま!」
「……アイリスは無事か?」
予想は当たっていたようで、レオナルドは青ざめた顔をしながら、アイリスの身を案じてきた。
「わ……私は無事です……でも、レオナルドさまが……」
「アイリスが無事なら、それでよい」
苦しそうに汗を流しながら、それでもレオナルドは微笑んだ。
アイリスはふらつきそうになるレオナルドを支えながら、近くにあった大きな木の陰に移動する。
レオナルドを座らせて、吹き矢の刺さった肩口を確かめると、その部分はうっすらと紫色に変色していた。
「これは……どうすれば……」
解毒薬が必要だろう。もしかしたら、先ほどの黒ずくめか御者が持っているかもしれない。
探しに行こうと、アイリスは立ち上がろうとする。だが、それをレオナルドの手が引き留めた。
どういうことだとレオナルドを見ると、彼は苦痛に汗を流しながらも、柔らかい眼差しをアイリスに向けていた。何か決意を秘めながら、それでいて憂いが消え去ったとでもいうような晴れ晴れしさの漂う顔をしている。
アイリスは思わず目を奪われ、言葉を失う。不吉な予感が、ふつふつとわき上がってくる。
「待て……ちょうどよい。今こそ、妹としてジゼルの仇を討つときだろう? 私を殺してくれ、アイリス」
レオナルドの口から、信じられない言葉が飛び出した。