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03.たった一人の姉

 アイリスは、フォーサイス侯爵家の庶子として生まれた。

 幼い頃は母と二人で暮らしていたが、母が流行り病で亡くなると、フォーサイス侯爵家に引き取られることになった。


「……お前は離れから出るな。間違っても夫人の前に姿を現さないように」


 しかし、父である当主は夫人に遠慮して、アイリスを離れに押し込めたのだ。

 引き取ってくれただけでも喜ぶべきなのだろう。ここを出たところで行く当てもないアイリスは、文句を言うことなく受け入れるしかなかった。

 庶子が正式に認められるためには、夫人の許可が必要となる。遠ざけられたアイリスは、フォーサイス家に置いてもらっているだけの孤児でしかない。


「あんなの、お嬢さまなんて呼ばなくてもいいわよ」


「手を抜けるところで抜いておかないと。適当に扱っても、どうせ誰も怒らないわ」


「あっ、また忘れちゃった。でも、一日やそこら食べなくても死なないわよね」


 当主からないがしろにされていることは使用人にも伝わり、彼らはアイリスを見くびった。食事を忘れられてしまったことも、数えきれないほどある。

 着古した服に、適当に短く切っただけの髪という、下働きのほうがマシなくらいの姿だった。


「あなたが私の妹なのね。こんな扱いを受けているなんて……私はここフォーサイス家の長女、ジゼル・フォーサイスよ。あなたのお名前は?」


 ただ一人、アイリスのことを気にかけてくれたのが、嫡子であるジゼルだった。

 アイリスよりも三つ年上の彼女は儚げな美貌の持ち主で、淡い金色の髪と紫色の瞳と相まって、まるで妖精のように見えた。


「……アイリス、です……」


 堂々としたジゼルに気後れしながら、アイリスは答える。

 家名を名乗るのが貴族らしいと、眩しく思えた。家名を持つのは貴族や裕福な商人などで、普通の平民にはないものだ。


「アイリスね。可愛い名前だわ。あなたはフォーサイス家の次女、アイリス・フォーサイスよ」


 ジゼルがアイリスを家名付きで呼んだことに、アイリスは驚く。

 当主どころか、使用人たちからもフォーサイス家の一員とはみなされなかったのに、ジゼルだけは妹と認めてくれたのだ。


「可愛い私の妹……きっと、どうにかしてみせるわ」


 しかも、ジゼルはアイリスの汚い姿などものともせず、抱き締めてくれた。母が亡くなってから初めて感じる温もりに、アイリスは涙が止まらなかった。




「ごめんなさい、これくらいしかできなくて……お父さまもお母さまも、ひどいわ……」


 ジゼルは両親にアイリスのことを訴えたが、無視されてしまったらしい。

 それでも、こっそりお菓子を持ってきてくれたり、勉強を教えてくれたりと、ジゼルはアイリスのことを可愛がってくれた。

 まだ子どものジゼルでは親に逆らうこともできず、できることは限られている。

 だが、アイリスにとってジゼルは大きな救いであり、希望だった。この屋敷でアイリスの名前を呼んでくれるのも、ジゼルだけだ。


「私はお姉さまが気にかけてくださるだけで、幸せです。いつもありがとうございます」


「アイリス……」


 涙ぐみながら、ジゼルはアイリスを抱き締める。


「もうしばらくの辛抱よ。私が侯爵となったら、あなたを正式な娘として認めさせてみせる。そして、立派な淑女として社交界に出してあげるわ。臆病者のお父さまにも、頭の固いお母さまにも、文句なんて言わせない」


 フォーサイス侯爵夫妻のたった一人の子であるジゼルは、いずれ侯爵家を継ぐ身である。

 儚げな外見とは裏腹に意志が強く、優しさと果断さを兼ね備えた姉はアイリスの憧れであり、誇りだった。

 ジゼルさえいてくれれば、アイリスはそれだけでよかったのだ。




「お嬢さまが王太子殿下の婚約者候補になっているらしいわよ」


「そりゃあ、お嬢さまはどこに出しても恥ずかしくない、立派なご令嬢ですもの」


 使用人たちの噂で、姉が王太子の婚約者候補となっていると聞いたとき、アイリスは当然のことだと思ったものだ。

 いつもは気に入らない使用人たちだが、このときばかりはアイリスも深く頷く。

 王太子の妃となれば、いずれ王妃となる。姉こそ国一番の女性にふさわしいのは、当然のことだろう。


「お姉さま、王太子殿下ってどのような方ですか?」


「まあ、レオナルドさま……王太子殿下のことが気になるのね」


 あるとき、アイリスが王太子について尋ねてみると、ジゼルは嬉しそうな表情を浮かべた。

 その顔を見て、アイリスはジゼルを王太子に奪われてしまうような、胸の痛みを覚える。


「見目麗しく文武両道で、厳しいけれども本質はお優しい方だわ。アイリスが着飾って並ぶと、お似合いだと思うの」


 ところが、ジゼルの言葉にが何かが引っかかる。ジゼルが王太子に恋しているというよりは、アイリスが王太子に興味を抱いていると思っているようだ。


「あ……あの、お姉さまが王太子殿下の婚約者候補なのでは……」


「フォーサイス侯爵家の娘が婚約者候補であるだけよ。アイリスだってフォーサイス侯爵家の娘なんですもの。あなたが婚約者になってもおかしくないわ」


 ジゼルはあっけらかんとそう言う。

 唖然として、アイリスはジゼルをぽかんと見つめることしかできない。


「もちろん王太子妃になるためには学ぶことがたくさん出てくるでしょうけれど、アイリスなら大丈夫よ。私が少し勉強を教えただけで、こんなに理解できるのですもの。あなたが王太子妃になれば、誰もあなたに口出しなんてできなくなるわ」


「で……でも……」


 確かに、王太子妃となればフォーサイス侯爵といえでも口出しなどできないだろう。アイリスを馬鹿にしている使用人たちも、手のひらをかえすはずだ。

 しかし、アイリスにはまったくもって実感のわかない話だ。


「大丈夫よ、王太子殿下は素敵な方だわ。アイリスの魅力にも気付くわよ」


 やたらと自信にあふれたジゼルの物言いに、アイリスは何も言えなくなってしまう。


「なるべく早く、あなたが表舞台に立てるようにするわ。アイリスが可愛らしく着飾って、王太子殿下と会えるようにするわね」


 ジゼルはうきうきとしながら、晴れやかな笑みを浮かべる。

 アイリスはこれまで見たこともない王太子のことが、気になり始めてしまった。

 王太子妃の座など大それているが、姿を見て会話を交わすくらいは許されるのかもしれない。ほのかな憧れがアイリスの心に灯る。


 そして、いつかお会いしたいというアイリスの願いは、最悪の形で叶うこととなった。

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