02.止められない歩み
「……また、騒ぎを起こしたそうだな。どうして、こう、いつもいつも……」
夜会の翌日、アイリスの部屋を義父であるヘイズ子爵が訪れた。疲労をにじませながら、ため息交じりの言葉を吐き出す。
「まあ、何か問題がありまして? 確か、昨日の二人の出身家は王太子派だったはずですけれど、不都合がございますの?」
ヘイズ子爵の様子など意に介さず、アイリスは平然と問いかける。
すると、ヘイズ子爵は顔を引きつらせた後、大きくため息をついた。
「……いや、問題はない。お前に対するお咎めもなしだ」
「それはよろしゅうございました。では、あの二人はどうなりましたの?」
「……令息は命には別状なかったものの、これまでの素行の悪さが浮き彫りになってしまった。浅はかさも度を越したため、おそらく廃嫡されるだろう。令嬢は謹慎となった。そのうち、修道院にでも送られるのではないだろうか」
二人の処遇を聞き、アイリスは口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「わざわざお伝えに来てくださいましたのね。ありがとうございます。もう、お引き取りいただいてよろしいですわよ」
「……ほどほどにするように」
話を打ち切るアイリスに、ヘイズ子爵は全てを諦めたように大きな息を吐き出すと、おとなしく去っていった。
尊大な態度のアイリスを咎めることもなく、髪の寂しくなった後ろ姿は小さく見える。少しだけ気の毒そうな眼差しを向けた後、アイリスは義父から視線をはずす。
「……これで、あなたの妹も少しは浮かばれたかしら」
部屋の隅に控えているメイドに向け、アイリスは口を開く。
「はい……ありがとうございます、お嬢さま。妹も喜んでいることかと思います」
微かに震える声でメイドは答える。
このメイドの妹は、昨日の令嬢の家に仕えていたのだ。
「酔った勢いで妹を手込めにしながら、妹が誘惑してきたのだと責任をなすりつけた男。愚かにもそれを鵜呑みにし、妹を鞭打ってそのまま路上に打ち捨てた女。この二人が報いを受けることになり、感無量でございます」
「……ひどい話よね。もし、あなたという頼ることのできる姉がいなければ、野垂れ死にしていたかもしれないわ」
アイリスはため息を漏らす。
平民が働き先の貴族から無体な仕打ちを受ける。よくある話ではあるが、アイリスはいまいましく思う。
「私たちのような平民は、泣き寝入りするしかありません。救ってくださったお嬢さまに、私は一生忠誠を誓います」
「……私は、王太子派の家の力を削ごうとしてやっただけよ。あなたの妹のことは、ついででしかないわ」
跪いて忠誠を誓うメイドに対し、アイリスは素っ気なく言い放つ。
だが、メイドの崇拝の眼差しは変わらなかった。
「……それよりも、あなたの妹の体調は良くなったのかしら」
いささか居心地の悪い思いをしながら、アイリスは話を変える。
「はい、お嬢さまからいただいた薬のおかげで、大分良くなりました。一生残ると思われた顔の傷も目立たなくなり、安心しております」
「それは良かったわ。体調が回復して、もし新しい勤め先を探しているのなら、ここで働くとよいわ。追い出されたのなら紹介状ももらえなかったでしょう」
メイドが職場を移る際は、前の主人から紹介状をもらうものだ。それがなければ、良い職場に勤めるのは難しい。
「何から何まで……何とお礼を申し上げればよいのか……」
メイドは目元を押さえながら、声を震わせる。
未だ跪いたままの姿を見て、アイリスは少し困ってしまう。だが、妹を思う彼女の心が伝わってきて、胸が温かくなってくるようだ。
今は亡き姉も、こうして自分のことを思っていてくれていたのだろうかと、心の奥がわずかに疼く。
優しく、いつもアイリスのことを気にかけてくれた姉は、あの憎き王太子の手によって……。
「ですが、これでお嬢さまにますます悪評が……」
物思いに沈み込みそうになっていたアイリスを、申し訳なさそうなメイドの声が引き戻す。
社交界でのアイリスの評判は、一言で言えば悪女に尽きる。
令息たちを侍らせ、令嬢達からは目の敵にされてトラブルは日常茶飯事、棘だらけの毒花というのがアイリスの呼び名だ。
「むしろ望むところだわ。ただ美しいだけの令嬢なんて、珍しくもないもの。誰にも知られずに埋もれているより、ずっとよいわ」
微笑みながら、アイリスは答える。
明るい髪色が多い令嬢たちの中にあって、アイリスの漆黒の髪は目立つ。神秘的な紫色の瞳も、滅多にいない色彩だ。
だが、それらはそれなりに目立つだけであって、唯一というほどではない。艶やかな顔立ちも、下を向いていれば見えないだろう。
派手な行動があってこそ、目立つ外見を活かして印象付けることができるのだ。
「それに、私は貴族とはいってもたいしたことがないわ。家柄でいえば、確実に中より下……それなりの立ち回りをしないと、相手にされないのよ」
まして、アイリスは子爵令嬢という身分である。
ヘイズ子爵家はもともと大貴族の分家ではあったが、今や恩恵はさほどない。貧しくはないが、貴族として裕福とも言い難い。
自分より上位の令嬢たちを押しのけるためには、黙って立っているだけというわけにはいかない。
「お嬢さまはお美しく、とても魅力的です。しかし、あまり目立ち過ぎてしまい、もし王太子殿下の目に留まったらと思うと、心配でなりません。自分の婚約者を斬り殺したという噂の、あの狂王子の……」
不安そうなメイドの声に、アイリスはぎゅっと拳を握り締める。
「……それこそ、本望だわ」
低く、アイリスは呟く。
王太子の目に留まり、彼に近付きたい。
昨日のように感情を制御できず、無様な姿をさらすことは二度としない。
いつか王太子を跪かせ、姉への謝罪をさせるのだ。アイリスの生きる理由は、それが全てだった。
「……お嬢さまの深いお考えなど、私には想像もつきません。私はただ、お嬢さまの進む道についてまいります」
まだ心配そうではあったが、メイドは決意をこめた眼差しをアイリスに向ける。
その姿に、アイリスは胸がつきりと痛む。
アイリスにあるのは深い考えではなく、単なる私怨でしかない。それでも、たとえ誰かを犠牲にしようとも、歩みを止めるわけにはいかないのだ。