表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/41

02.止められない歩み

「……また、騒ぎを起こしたそうだな。どうして、こう、いつもいつも……」


 夜会の翌日、アイリスの部屋を義父であるヘイズ子爵が訪れた。疲労をにじませながら、ため息交じりの言葉を吐き出す。


「まあ、何か問題がありまして? 確か、昨日の二人の出身家は王太子派だったはずですけれど、不都合がございますの?」


 ヘイズ子爵の様子など意に介さず、アイリスは平然と問いかける。

 すると、ヘイズ子爵は顔を引きつらせた後、大きくため息をついた。


「……いや、問題はない。お前に対するお咎めもなしだ」


「それはよろしゅうございました。では、あの二人はどうなりましたの?」


「……令息は命には別状なかったものの、これまでの素行の悪さが浮き彫りになってしまった。浅はかさも度を越したため、おそらく廃嫡されるだろう。令嬢は謹慎となった。そのうち、修道院にでも送られるのではないだろうか」


 二人の処遇を聞き、アイリスは口元にうっすらと笑みを浮かべる。


「わざわざお伝えに来てくださいましたのね。ありがとうございます。もう、お引き取りいただいてよろしいですわよ」


「……ほどほどにするように」


 話を打ち切るアイリスに、ヘイズ子爵は全てを諦めたように大きな息を吐き出すと、おとなしく去っていった。

 尊大な態度のアイリスを咎めることもなく、髪の寂しくなった後ろ姿は小さく見える。少しだけ気の毒そうな眼差しを向けた後、アイリスは義父から視線をはずす。


「……これで、あなたの妹も少しは浮かばれたかしら」


 部屋の隅に控えているメイドに向け、アイリスは口を開く。


「はい……ありがとうございます、お嬢さま。妹も喜んでいることかと思います」


 微かに震える声でメイドは答える。

 このメイドの妹は、昨日の令嬢の家に仕えていたのだ。


「酔った勢いで妹を手込めにしながら、妹が誘惑してきたのだと責任をなすりつけた男。愚かにもそれを鵜呑みにし、妹を鞭打ってそのまま路上に打ち捨てた女。この二人が報いを受けることになり、感無量でございます」


「……ひどい話よね。もし、あなたという頼ることのできる姉がいなければ、野垂れ死にしていたかもしれないわ」


 アイリスはため息を漏らす。

 平民が働き先の貴族から無体な仕打ちを受ける。よくある話ではあるが、アイリスはいまいましく思う。


「私たちのような平民は、泣き寝入りするしかありません。救ってくださったお嬢さまに、私は一生忠誠を誓います」


「……私は、王太子派の家の力を削ごうとしてやっただけよ。あなたの妹のことは、ついででしかないわ」


 跪いて忠誠を誓うメイドに対し、アイリスは素っ気なく言い放つ。

 だが、メイドの崇拝の眼差しは変わらなかった。


「……それよりも、あなたの妹の体調は良くなったのかしら」


 いささか居心地の悪い思いをしながら、アイリスは話を変える。


「はい、お嬢さまからいただいた薬のおかげで、大分良くなりました。一生残ると思われた顔の傷も目立たなくなり、安心しております」


「それは良かったわ。体調が回復して、もし新しい勤め先を探しているのなら、ここで働くとよいわ。追い出されたのなら紹介状ももらえなかったでしょう」


 メイドが職場を移る際は、前の主人から紹介状をもらうものだ。それがなければ、良い職場に勤めるのは難しい。


「何から何まで……何とお礼を申し上げればよいのか……」


 メイドは目元を押さえながら、声を震わせる。

 未だ跪いたままの姿を見て、アイリスは少し困ってしまう。だが、妹を思う彼女の心が伝わってきて、胸が温かくなってくるようだ。

 今は亡き姉も、こうして自分のことを思っていてくれていたのだろうかと、心の奥がわずかに疼く。

 優しく、いつもアイリスのことを気にかけてくれた姉は、あの憎き王太子の手によって……。


「ですが、これでお嬢さまにますます悪評が……」


 物思いに沈み込みそうになっていたアイリスを、申し訳なさそうなメイドの声が引き戻す。

 社交界でのアイリスの評判は、一言で言えば悪女に尽きる。

 令息たちを侍らせ、令嬢達からは目の敵にされてトラブルは日常茶飯事、棘だらけの毒花というのがアイリスの呼び名だ。


「むしろ望むところだわ。ただ美しいだけの令嬢なんて、珍しくもないもの。誰にも知られずに埋もれているより、ずっとよいわ」


 微笑みながら、アイリスは答える。

 明るい髪色が多い令嬢たちの中にあって、アイリスの漆黒の髪は目立つ。神秘的な紫色の瞳も、滅多にいない色彩だ。

 だが、それらはそれなりに目立つだけであって、唯一というほどではない。艶やかな顔立ちも、下を向いていれば見えないだろう。

 派手な行動があってこそ、目立つ外見を活かして印象付けることができるのだ。


「それに、私は貴族とはいってもたいしたことがないわ。家柄でいえば、確実に中より下……それなりの立ち回りをしないと、相手にされないのよ」


 まして、アイリスは子爵令嬢という身分である。

 ヘイズ子爵家はもともと大貴族の分家ではあったが、今や恩恵はさほどない。貧しくはないが、貴族として裕福とも言い難い。

 自分より上位の令嬢たちを押しのけるためには、黙って立っているだけというわけにはいかない。


「お嬢さまはお美しく、とても魅力的です。しかし、あまり目立ち過ぎてしまい、もし王太子殿下の目に留まったらと思うと、心配でなりません。自分の婚約者を斬り殺したという噂の、あの狂王子の……」


 不安そうなメイドの声に、アイリスはぎゅっと拳を握り締める。


「……それこそ、本望だわ」


 低く、アイリスは呟く。

 王太子の目に留まり、彼に近付きたい。

 昨日のように感情を制御できず、無様な姿をさらすことは二度としない。

 いつか王太子を跪かせ、姉への謝罪をさせるのだ。アイリスの生きる理由は、それが全てだった。


「……お嬢さまの深いお考えなど、私には想像もつきません。私はただ、お嬢さまの進む道についてまいります」


 まだ心配そうではあったが、メイドは決意をこめた眼差しをアイリスに向ける。

 その姿に、アイリスは胸がつきりと痛む。

 アイリスにあるのは深い考えではなく、単なる私怨でしかない。それでも、たとえ誰かを犠牲にしようとも、歩みを止めるわけにはいかないのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ