19.この身一つだけで
「どのようにして貴族に取り入ったのかしら。やはり、いかがわしい店で擦り寄ったのかしらね」
「まあ、やはりそのような……娼婦ではありませんの」
「娼婦が貴族のふりをしてこの場にいるなど、世も末ですわ」
令嬢たちが扇で口元を隠しながら、声を潜めて嘲る。
これまでにも娼婦扱いはされたことがあるが、彼女らの言い方は本当に娼婦そのものと思っているようだ。アイリスは内心、首を傾げる。
堂々と顔を上げたままのアイリスを見て、令嬢たちの表情に苛立ちが浮かぶ。
「あなた、ヘイズ子爵の庶子ですらないのですってね。つまり、そこいらの平民が運良く拾われてきたということでしょう?」
「庶子ならば貴族の血を引いているのでわかりますけれど、そうではないなんて……詐欺師かしらね」
「ここは卑しい娼婦がいてよい場所ではないのよ。さっさと、いかがわしい店に帰りなさい」
続く彼女らの言葉で、アイリスはそういうことかと納得する。
アイリスはヘイズ子爵家の養女ではあるが、確かに拾われてきたようなものだ。
本来の生まれであるフォーサイス家に庶子がいたことは、あまり知られていないらしい。そこからアイリスを繋げられる者は、アイリスを拾った男か、その関係者くらいのものだろう。
この令嬢たちは、ヘイズ子爵が娼館でアイリスを見初め、養女として連れてきたとでも思っているようだ。
「あなたは、身の程を知りなさい。まさか、王太子殿下の妃になれるなど思っていないでしょうね。側妃だって無理よ、せいぜい妾だわ。あなたなんて、王太子殿下に愛されるような女ではないのよ。王太子殿下には、私のように家柄が正しく美しい女がふさわしいわ。格下の女が出しゃばらないでちょうだい」
令嬢たちを代表するように、デラニーが言い放つ。
その表情には隠しきれない憎悪がにじんでいて、彼女が王太子妃の座を狙っていることは明らかだ。
しかし、こう言われてアイリスが、おっしゃるとおりです身を引きますと答えるとでも思っているのだろうか。
つまらなさそうにあくびでもしようかと思ったアイリスだが、デラニーのせいでカトリーナが体調を崩したことを思い出す。
アイリスもここまで侮辱されたのだし、少し言い返してみるべきだろう。
「……確かに、私はあなたたちのようにご立派な家柄も財産も持っておりません。武器を持たぬ、何の付加価値もない哀れな存在ですわ」
しおらしくアイリスが口を開くと、令嬢たちが喜色を浮かべる。扇越しでありながら、口元が歪んでいるのが伝わってくるくらいだ。
「でも私は、この身一つだけでレオナルドさまに愛されておりますの。ご立派な家柄も財産もなしで、ね」
艶やかな笑みを浮かべてアイリスが続けると、令嬢達は言葉を失う。
特にデラニーは顔色を青くした後、徐々に怒りで紅潮していく。ころころと色が変わるものだと、アイリスは感心する。
どうやらデラニーは家柄や財産による結びつきだけではなく、女として愛されたいと願っているようだ。自分の方が女として魅力的だとも思いたいのだろう。
言葉の端々にそういったものを感じ取り、突いてみたのだが、アイリスの読みは正解だったらしい。
アイリスを格下の女呼ばわりしたデラニーだが、立派な家柄や財産という価値を持ちながら、何も持たない女に負けていると突きつけられたのだ。
さぞ屈辱的なことだろう。
王太子妃の座を狙うのなら、家柄や財産で勝負すればよいのに、どうして女として愛されることまで望んでしまうのかと、アイリスは冷めた目でデラニーを見る。
レオナルドから愛されていると口にしながら、アイリスは愛など望んでいない。本当に愛されているとも思っていない。
時折、本当に愛されているのではないかと思ってしまうことはあるが、そうではないのだと己を戒める。
「なっ……卑しい女の分際で……! いくら貴族の養女になったところで、本来の生まれは変わらないわ! 表面上の身分だけ取り繕ったところで、本質は同じなのよ! 生まれたときの身分で人は決まるのよ!」
激昂したデラニーが叫ぶ。
「うるさい声だな」
そこにレオナルドが飲み物を持って戻ってきた。
うんざりしたような顔で、ため息をつく。
「殿下! 殿下は、卑しく浅ましい女に騙されているのです!」
「いかがわしく、はしたない真似をして擦り寄ってくる女に騙されないでくださいませ!」
「このような身分をわきまえない、身の程知らずな女は殿下にふさわしくありません!」
先ほどのアイリスの言葉がよほど腹に据えかねたのか、令嬢たちは我を忘れたように言い募る。
レオナルドは必死の形相で訴えてくる令嬢たちを見回すと、鼻先で笑った。
「私はアイリスから、他の女の陰口など聞いたことがない。公の場で声を荒げて、身分が上の者に食ってかかるところも見たことがないな。卑しく浅ましい、はしたない、身の程知らず、か……」
レオナルドが嘲笑うと、令嬢たちは言葉に詰まる。
それでも何かを言いたげに、言葉を探っているようだ。
「お前たちごときが私に物申すなど、僭越だと心得ろ」
ところが、続く冷淡なレオナルドの声で、令嬢たちは今度こそ本当に言葉を失い、震え始める。
彼女たちもやっと、頭が冷えてきたようだ。
「ただ、ストレイス伯爵令嬢。お前の言ったことには少し感心した」
レオナルドが少し表情を緩めて声をかけると、デラニーの顔に希望が差す。
「養女になったところで、本来の生まれは変わらない、か。その考え方自体に賛同はしないが、この場で言える勇気は賞賛する。まさか、主催者のことをこれほど声高に非難するなど、そうそうできることではない」
感心したようにそう言うレオナルドだが、デラニーはどんどん顔色を失っていく。
王妃は男爵家の出身で、侯爵家の養女となってから側妃として嫁いだことを思い出したのだろう。そして、先ほどの言葉がアイリスだけではなく、パーティーの主催者である王妃のことすら侮辱するものだと気付いたようだ。
「ちっ……ちが……」
「おや、王妃がこちらに来るぞ」
言い訳を口にしようとするデラニーだが、レオナルドの言葉に息をのむ。
そして令嬢たちはもごもごと言い訳を呟きながら、逃げていった。