12.王女カトリーナ
「あ……ごめんなさい……言いつけを破って来てしまって……ごめんなさい……」
少女は唖然とするアイリスを見て、咎められていると思ったのか、何回も謝ってくる。
その怯えた姿を見て、アイリスはかつての自分が重なるようだった。フォーサイス侯爵家に引き取られたときは、ぞんざいに扱われて怯えていたものだ。
それを救ってくれたのが姉ジゼルだったと、アイリスは胸の痛みを覚える。
頭痛はいつの間にか消え去っていた。
「……大丈夫です。怒ってなどいませんので、安心してください」
アイリスは少女に対し、微笑みながら優しく語りかける。
かつての姉のように振舞えたかはわからないが、少女は少し力を抜いたようだった。
「よろしければ、こちらにお掛けになりませんか?」
東屋の中のもう一つの椅子を示しながら、アイリスは少女に声をかける。
すると、少女は驚いて目を見開いていたが、ややあって小さく頷いた。遠慮がちに、椅子に腰掛ける。
「私はアイリス・ヘイズと申します」
「カトリーナ・シーン・ロードガストです……」
アイリスが名乗れば、少女もおずおずと名乗る。その名は、まさしく第一王女のものだった。
王女は病弱で、なかなか表には出てこないと聞いたことがある。そして、レオナルドが母を思い出すのか、妹である王女を遠ざけているという話も。
おどおどとした態度は、良い扱いを受けているとは思えなかった。
「あの……具合が悪そうでしたけれど、大丈夫ですか?」
怯えていたはずなのに、カトリーナはアイリスのことを気遣ってくる。その健気さに、アイリスは胸が苦しくなってしまう。
「ええ、すっかり良くなりましたわ。お気遣いありがとうございます、王女殿下」
穏やかに微笑みかけると、カトリーナがはにかんだように笑う。少し顔が紅潮しているようで、緊張しているのだろうか。病弱だというのだから、熱が上がってしまったのでなければよいがと、アイリスは心配になる。
「その……カトリーナと呼んでくださいますか?」
アイリスの心配をよそに、カトリーナはそう要求してくる。
どこかで聞いたような台詞だと思いながら、アイリスは頷く。
「はい、カトリーナさま」
そう呼ぶと、カトリーナが顔を輝かせた。
整った顔立ちは儚げで、頼りないところがあったが、それでもどことなくレオナルドと似ている。今の台詞といい、実は結構似ているのかもしれない。
「アイリスさまは、レオナルドお兄さまのお妃ですか?」
突然の衝撃的な質問に、アイリスは噴き出しそうになってしまう。
せめて婚約者だろうに、どうして飛躍するのか。
「い……いいえ、いちおう恋人ではありますが……」
どうにかこらえて、アイリスは答える。
すると、カトリーナの顔がわずかに曇った。だが、すぐに何かを思いついたようで、無邪気に笑う。
「……そうでしたの。でも、恋人ということは、いずれご結婚なさるのでしょう? そうしたら、アイリスさまがお義姉さまになってくださるのね。楽しみですわ」
またも衝撃の内容で、アイリスは言葉を失う。
結婚など、これまで意識の片隅にもなかった。何せレオナルドのことは、いずれ命をもらうつもりなのだ。
さらに、その後アイリスの命があるとも思っていない。二人の先にあるのは、破滅だけである。
だが、嬉しそうなカトリーナを前にして、結婚などあり得ないと口にすることはできなかった。
「ええと……カトリーナさまは、レオナルドさまに会いにいらしたのですか?」
アイリスは話を変えようと、別のことを持ち出す。
すると、嬉しそうだったカトリーナの顔が、みるみる曇っていく。
「……本当は、勝手に来てはいけないと言われているのです。でも、今日は私の誕生日で……お兄さまから贈り物は届きましたが、しばらくお会いしておりません。それで……少しだけでもお会いしたくて……」
瞳を潤ませるカトリーナを眺め、アイリスは愕然とする。
王女の誕生日であるというのに、パーティーも何もないのか。それどころか、会いにすら行かないなど、どういうことだろうか。
しかも、よく見ればカトリーナのドレスには汚れやほつれがあった。
冷遇されているという噂は、本当らしい。またもかつての自分が重なり、アイリスはぐっと拳を握りしめる。
「……カトリーナさま、お花はお好きですか?」
「え? ええ……好きです」
「では、行きましょう」
首を傾げるカトリーナの手を引き、アイリスは東屋を出る。
庭園を少し進んだところで庭師を見つけたので、まずは先日の出来事を詫びておく。そして、ちょうど目の前に咲いていた花をもらえないか尋ねてみると、快く了承された。
長くしなやかな茎を持つピンク色の花を大量に受け取り、アイリスは芝生に座る。カトリーナは戸惑っているようだったが、ややあってアイリスの側に腰を下ろした。
「ええと……確か、ここの間を通して……」
アイリスは花を編み込んでいく。長く編んで、最後に丸めて輪にすれば、花冠の完成だ。
幼い頃、誕生日に姉が作ってくれたのが、花冠だった。
何も持たない子どもでも作れる、野の花を編んだだけのものだ。しかし、アイリスの心には今でも宝物として残っている。
唯一、誕生日を祝ってくれた姉との、優しい思い出だ。
「どうぞ、カトリーナさま」
完成したピンクの花冠を、アイリスはカトリーナの頭に載せる。
花の妖精のような愛らしい姿となったカトリーナを眺め、アイリスは微笑む。
だが、カトリーナは無言のまま固まっていた。
よく考えれば、王女相手にこのような即席の花冠など、無礼だったのではないかと、アイリスは焦る。
「……嬉しい……ありがとう……アイリスさま……」
花冠を載せたカトリーナは、涙を流しながら笑みを浮かべた。そして、アイリスに抱き付いてくる。
アイリスは驚いたが、喜んでもらえているのだと、ほっと胸を撫で下ろす。
そのままアイリスの胸に顔を埋めてなかなか離れようとしないカトリーナを見て、愛情に飢えているのだと不憫になってくる。
「何をしている!」
そこに、和やかな雰囲気を打ち壊す怒鳴り声が響く。
厳めしい顔をしたレオナルドが、駆け寄ってくるところだった。