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10.気遣い

「……大丈夫か」


 尻もちをついたアイリスがのけぞるように顔を上げると、レオナルドが呆れた面持ちで覗き込んでいた。


「どうして、ここに……」


 呆然としながら、アイリスは呟く。

 レオナルドは仕事中ではなかったのか。今の怪しい姿を見られていたのかと、焦りが浮かび上がってくる。


「窓からアイリスの姿が見えたのでな。息抜きも兼ねて、少々出てきた」


 そう言って、レオナルドは転んだままのアイリスの横に回り込むと、屈みこんだ。

 そして、アイリスは軽々と抱き上げられてしまう。


「なっ……」


 アイリスが戸惑うと、レオナルドはくすりと笑いを漏らす。


「せっかくなので、このまま抱えて少し案内してやろう。アイリスは好奇心が旺盛なようだからな」


 余裕を浮かべるレオナルドに、探っていたことを気付かれているのかと、アイリスは身震いする。

 自分で歩けるので降ろしてほしいという言葉は、衝撃のあまり口の中に消えてしまった。


「しっかりつかまっていろ」


 レオナルドはそう言って、アイリスを抱えたまま歩き始める。

 アイリスはやや戸惑ったものの、言われたとおりレオナルドの首に両腕を回す。

 しかし、レオナルドの足取りはしっかりしていて、アイリスがつかまる必要があったのかは疑問だ。

 重心がぶれることなく、運ばれるアイリスもあまり揺れを感じない。


「ツタに覆われているため、すぐにはわからないが、この壁には小さな穴が開いている場所がある」


 少し歩いたところで、レオナルドはあっさりとそう口にする。

 先ほどの疑問は正しかったようだが、これほど簡単に明かしてよいのだろうかと、アイリスは唖然としてしまう。


「とはいえ、小さな穴だ。幼い頃はくぐり抜けて遊んだものだが、今はもう無理だな」


「まあ……」


 どうやら、隠し通路というほど大層なものではないようだ。だからこそ、レオナルドもアイリスに明かしたのだろう。

 それよりも、アイリスにとってはレオナルドの幼い頃の話のほうが意外だった。他愛無い遊びに興じる子ども時代があったことが、驚きだ。

 子どもらしいレオナルドなど、想像がつかない。尊大な態度でどっしり構えている姿しか思い浮かばなかった。


「……子どもだった頃がありますのね」


「私を何だと思っている」


 思わずアイリスがぼそりと漏らした呟きは、しっかりレオナルドに拾われた。

 レオナルドは苦笑を浮かべる。


「……この世界で自分が最も優れた存在だと信じている、生意気な小僧だったな。そうではないのだと突きつけられたときには、色々と手遅れだったわけだが」


 独白するレオナルドの表情に、陰りが見える。どういう意味なのかと、アイリスはじっと黙ったまま、レオナルドの様子をうかがう。

 すると、レオナルドはアイリスが見つめていることに気付き、取り繕ったように笑みを浮かべた。


「つまらぬことを言ってしまったな。さて、私はそろそろ戻ろう」


 そう言うと、レオナルドはアイリスを地面に降ろした。


「そうだ、今上演されている劇が人気だという。観に行かないか?」


「え……?」


 突然の誘いに、アイリスは戸惑う。

 劇を見に行くことは構わないが、夕方に月雫花を取りに行く約束が頭をよぎる。


「夕食の後、出かけよう。どうだ?」


「あ……それでしたら、問題ありませんわ」


 上演されるのは夜からのようだ。それならば大丈夫だろうと、ほっとしながらアイリスは頷く。


「では、また後ほどな」


 レオナルドはそう言い残して、去っていった。




 夕方になり、アイリスは庭園に向かう。

 少し早めに夕食をとのことなので、さほど時間はない。

 急ぎ足で庭園にたどり着くと、庭師が袋を持って待っていた。


「ご用意しておきました……」


 庭師が差し出す袋を、アイリスは受け取る。

 すると、ゴツゴツとした感触があった。花にしては硬すぎると、アイリスは首を傾げる。


「これは……」


「間男と密会か?」


 アイリスは問いかけようとするが、低い声が割り込んできて、唖然として固まってしまう。

 持っていた袋をうっかり落としてしまうくらいの衝撃だ。

 庭師がアイリスの後ろに現れた人物を見て、顔面蒼白になり震え出す。


「レオナルドさま……?」


 アイリスがおそるおそる振り返ると、そこには厳しい表情で腕を組んで立つレオナルドがいた。

 こうもあっさり見つかるとは想定外だ。だが、それよりも何かを勘違いしているらしいと、アイリスは背筋が冷たくなっていく。


「ち……違いますわ、私が花を欲しいとお願いしただけで……」


 どうにか誤解を解かねばならない。このままでは、何の罪もない庭師まで剣の錆になってしまう可能性もある。

 そう思い、アイリスは弁明しようとするが、レオナルドは不意に表情を和らげた。彼はアイリスの横に立つと、庭師と向き合う。


「冗談だ。もう行っていいぞ。ご苦労だったな」


「は……はい……失礼いたします……」


 レオナルドの言葉に、庭師は慌てて逃げるように立ち去っていく。

 それをアイリスが呆然と見送っていると、レオナルドは落ちた袋を拾い上げた。そして中を見て、眉根を寄せる。


「このようなものが欲しいのならば、私に言えばもっと良いものを用意してやったのに」


「え……?」


 レオナルドが何を言っているのか理解できず、アイリスは間抜けな声を漏らす。これはレオナルドを操るための薬物の原料だ。もっと良いものを用意するとは、どういうことだろうか。

 アイリスが疑問に思っていると、レオナルドは袋の中から一つの丸い実を取り出した。レオナルドの手のひらの半分に満たない程度の、黄色い殻に包まれた実だ。


「月雫の実だろう。甘ったるい香りをした粘性の高い汁を持ち、夜の道具として使われる。今朝も何やらぶつぶつ言っていたが……まさか、庭師とは本当に逢引きだったのか? これを使うつもりで……」


「ちっ……違いますわ! 私が欲しかったのは、花です! 実になんて用はありません!」


 あらぬ誤解を始めたレオナルドの言葉を、アイリスは慌てて遮る。

 庭師に月雫花を頼んだとき、何かを納得していたのはこういうことだったのだろう。

 本来のアイリスの企みからそう遠くはないのだが、より直接的だ。羞恥のあまり、アイリスは顔に熱が集まっていく。


「花……?」


 ところが、レオナルドの表情はますます渋くなっていく。


「確かに、花は媚薬の原料になると聞くが……退廃的な色好みの連中が使うような代物だぞ。それも、多人数で楽しむための。いきなり最初から、冒険しすぎではないのか?」


「え……?」


 アイリスは愕然とする。以前教わった内容と、何かが違う。


「花の乾燥のさせ方などで、微妙に効果が変わるという。どこで聞いたか知らぬが、中途半端な知識で手を出すと危険だぞ」


 諭してくるレオナルドに、アイリスは何も言い返せない。

 何故、陥れようとしている相手から、このような説教をされているのだろうか。

 しかも、レオナルドが本当に心配そうで、いたたまれない。


「もっと自分を大切にしたほうがよい」


 極めつけに、思いやりに満ちた眼差しと言葉を投げかけられる。

 これ以上レオナルドの顔を見ていられず、アイリスは俯く。

 命を狙っている相手に気遣われるなど、何の冗談だろうか。恥ずかしさと自己嫌悪で、アイリスは顔を上げることができなかった。

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