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釣り銭チェック

作者: 大塚 雅裕


 彼がいつ、どこでそんなことを覚えてきたのか、よく分からない。まさか、彼の通っている幼稚園で、ということはなかろう。どうもよく分からない、というのが実際のところなのである。

 彼がいつも熱心に行なうこと、それは釣り銭チェックだ。要は自販機とかを見つけるとその釣り銭の出口を調べ、客の忘れていった小銭がないかと調べてみること。ただ、彼の場合は更に念が入っていて、こまめに通りがかりの自販機の返却口を確認するだけでなく、そこに無ければ地面に這いつくばって、自販機の下の隙間までのぞき込む。そして小銭を見つけようものなら、やおら腕まくりをしてその隙間に手を突っ込み回収するのだ。

 ホームレスのおじさんがしているところを見て、真似し始めたのかもしれない。大人が自販機を利用するときの仕草を見ているうちに、何ごとかを学習したのかもしれない。それとも、本当に単なる偶然が重なって、習慣になってしまっただけなのかもしれない。実際のところは誰にも分からない。

 彼には二つ年上の兄がいる。やはりこの兄も、はじめのうちは彼と一緒にこの釣り銭チェックをやっていた。しかし性格の違いなのだろう、この兄のほうは物事をまめにこつこつと続けていくようなタイプではない。だから直に飽きて、ほとんどやらなくなってしまった。しかし彼は違う。兄とは正反対の性格。いつまでたっても、この釣り銭チェックを続けていた。だから当然のこととして、その収穫は大きかった。

 毎朝幼稚園への通園時、送迎バスの停車場所へ行くと、母親の目を盗んでそこにある自販機と公衆電話とをまずチェックする。幼稚園から帰って来て、友達と外へ遊びに出かけるような時、行き帰りの道の脇にある自販機や公衆電話を注意深くチェックする。母親と買い物に行ったりする時も、その店の前や途中通りかかる自販機や公衆電話を見落としなくチェックする。こういう時の釣り銭チェックは、あくまでもさりげなくひそやかに行なわれる。母親に見つかったりしたら途端に落ちてくる雷を、彼は大変に恐れているのである。―――対照的に土・日曜日、父親と兄と三人で遊びに行ったりする時などは、実に露骨に堂々と行なわれる。父親も一応厳しく叱りつけるのだが、彼にとってそれは、こうるさい蝿の羽音程度にしか感じられないようなのだ。父親の方は完全になめられているのである。彼は(兄と同じく)鉄道が大好きだったものだから、よくJRや名鉄の駅に電車見物に行ったり、電車を利用して遊びに出かけたりしたのだが(というより電車に乗ること自体が目的だったのかもしれない)、こういう時に駅構内、ホームなどの自販機はくまなくチェックして回るのだ。小学生・幼稚園児の二人の男の子を連れた父親はひっきりなしに、自分から離れないように、と大きな声を出しながら歩いて行く。が、突然弟の方がいなくなる。慌てて引き返すと、彼が、誰はばかることなく腹這いになり、自販機の下に腕を突っ込んでいるところを発見することになる。もちろんこれは鉄道の駅に限ったことではない。遊園地、公園、公共の子供向け施設、プールなどなど、彼らが遊びに行く場所ではどこでも見られる光景だった。


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 家族そろって大きなスーパーへ買い物に行くことがある。大きなもの、重いもの、かさばるもの、また食料品などを大量に買い込む必要がある時など、車で出かけるわけだ。そんな場合、大概母親が一人で買い物をし、父親が二人の子どもの相手をする、ということになる。で、子ども達はどこに行きたがるか、という話になるが、―――そんなことは分かりきっている。おもちゃ売り場とゲームコーナーだ。そしてこのゲームコーナーでも、彼の釣り銭チェックは行なわれる。しかしここではコインゲーム機に使われるコインが彼の標的になる。別段『お金』でなくともよいらしい。

 刺激的でけばけばしい光の群れがあちらこちらで点滅し、やかましいビートのきついBGMに各種ゲーム機の奇妙なメロディー、電子音が交錯しているこの不健康な空間、目と耳からの単調な、しかし過剰な情報量のために頭がくらくらしてくるような喧噪の中、彼は父親から手渡されたわずかばかりの小遣いをあっという間に使い切ってしまうと、またぞろいつもの探索をあちらこちらでやり始める。そして運よくゲーム機のコインの払い出し口や下の床にこのゲーム用のコインを見つけようものなら、何としてでもそれを獲得し、そして目をきらきらとさせながらうれしさを隠そうともせず、「そうくーん」と兄の名を呼びながら走り出すのだ。兄は弟にその戦利品を見せられ、こちらも喜色満面できゃっきゃっと笑いながら連れだって、今度は父親を捜しに行く。そして父親を見つけると、二人そろってさも嬉しげにそのコインを見せ、「使ってもいい?」と言う。父親はあきれ果て、苦笑しながら小さく頷く。二人はこの許可の合図を認めるや否や、わぁっと駆け出してお目当てのゲーム機に向かって行く。そうしながら彼はいつものように、その特徴的な幼い子どもらしからぬ低い声で叫ぶのだ。「ねえねえそうくん、それうちが見つけたんだよ、ねえそうでしょ、そうくん。」


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 新幹線の駅でも同じこと、電車を見に行く際彼は三河安城駅を好む。ここに停車するのはこだまのみ、のぞみやひかりは素晴らしいスピードで通過して行く。それが楽しみなのだ。しかし多くの場合、そのスピードが残念な結果をもたらすことになる。

 新幹線はそうしょっちゅうは来てくれない。その間にはかなりの時間が空いてしまう。そうすると子どもというものは退屈してしまうものなのだ。彼は兄と遊びだす。おそらく、その仕草、擬声語などからすると電車ごっこだろう。その間、父親はホームの線路側の端に立って東と西、双方交互に注意を向けている。そしてついにはるか彼方に列車の光を見つけると、二人に向かって大きな声で新幹線が来たことを知らせる。彼と兄は、その声によって空想の世界から現実の世界へと引き戻されると、一瞬だけ周囲を見渡し、急いで走り出す。しかし大抵の場合、ちょうど目の前を厚い壁の様な新幹線の車両の列が轟音を響かせながら、重い密度の濃い風を巻き起こしながら過ぎ去ってゆくのをただ見送るだけ、ということになってしまうのだった。

 そうした場合、遠ざかって行く新幹線を呆然と見送っている彼なのだが、それが視界から消え去ってしまうと、仕方がない、という風に線路に背を向け、今度は目を輝かせながらあそこへ向かう。もちろん自販機だ。いつもと同じ様にその小さな手の指を素早く器用に使い、まず釣り銭口を確認する。まあ、この中に何かあることは滅多にない。それが終わると、次は自販機の下だ。これも慣れた動作で、腹這いになり顔を床に押し付けズボンや上着、左右どちらかの頬を黒く汚しながら機械の下をのぞき込む。呆れた事には、なぜかかなり頻繁に、このような場合獲物を見つけることができる。―――ところが一度、この三河安城駅のホームに置いてある一台の自販機の下にとんでもないものがあったのだ。それは五百円硬貨、のぞみやひかりが停まらないとはいえ、さすがに新幹線の駅だ、これを見つけた時、彼の心臓は高鳴った。銀色だ、――つまり五円玉とか十円玉とかではない、穴が開いていない、――すると五十円玉ではない、普通よりずっと大きい、――見慣れた百円玉ではない。彼は右腕を高々と上げ腕まくりをすると、その手を機械の下へ突っ込んだ。目はしっかりと、その銀色に光る、穴の開いていない、かなり大きめの円い物体をとらえ続けている。幸運にも、それは彼の腕の長さよりも離れたところにはなかった。彼は獲物をしっかり掴むと、ぐいと腕を引っ込めおそるおそる手を開いた。その、ほこりやごみやらで汚れた手の中にあったのは、間違いない、五百円玉だった。百円玉五枚分だ、これぐらいなら幼稚園児の彼にも理解できる。片頬を黒々と汚した彼の顔は、それでも大変見事に輝いた。

 「そうくーん」彼は絶叫した。

 「そうくーん」一度では足りなかったようで、彼は更に大きな声で兄を呼び、首をぐるりと回しながら兄の姿を捜し、はるかホームの向こうで何やら遊んでいるその姿を認めると、そちらへ向けて全速力で走り出した。

右手にはしっかりと五百円玉を握りしめながら。そしてもう一度叫んだ。

 「そうくーん、そうくーん」


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 彼は夜眠る。ぐっすりと眠る。時々、おそらく兄との喧嘩の夢でも見ているのだろう、不愉快そうな声を上げることもある。また、やはりおそらく兄と遊んでいる夢を見ているのだろう、楽しげな笑い声を上げることもある。そうかと思えば、意味不明の、しかしはっきりとした発音の言葉を発することもある。様々な夢を見る、時折寝返りを打つ、口をぱくぱくさせる、―――彼は疲れ切っているのだ。昼間その体力と知力のすべてを使い切ってしまっているので、たっぷりの睡眠を必要としているのだ。また明日、走り回り、転げまわり、叫びまわり、そして笑い声を上げる、そう、そのために夜はただひたすらぐっすりと眠る。


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 彼のお気に入りのおもちゃはやはり鉄道関係、特にNゲージとブリオ。Nゲージというのは、何分の一かの縮尺で作られた金属製の列車模型、―――電気機関車、ディーゼル機関車、客車、貨物車などの鉄道模型だ。彼はこのおもちゃを沢山持っている。そして気が向いたときにおもちゃ箱からこれらを全部ぶちまけて、ふすまの桟を線路に見立てて電車ごっこをする。

 「間もなく、コーソージホーム、中津川行きの列車がまいります。黄色い線までお下がりください。この列車は六両編成です。この列車は、大曽根、カキガワ、コーソージ、多治見、瑞浪、‥‥」などと中央線千種駅の構内放送を真似ながら、腹這いになり片頬を畳にくっつけ、視線をおもちゃの列車と同じ高さに持って行き、ずらずらと並べた模型列車の連なりをずりずりと動かしながら、「ガターン、ガターン、ガターン、シュー」などと独り言を言っている。そうやって長いこといつまでも遊んでいる。飽きることなく電車ごっこをやっている。邪魔をすると怒り出す。ひとしきり怒って、それからやっぱり電車ごっこを再開する。余程好きでないとできないことだ。

 ブリオというのは木製のレール、列車、駅、トンネル、鉄橋、踏切、樹木などが用意されたおもちゃだ。モーターなんぞは付いていないから列車は手で動かさなければならない。そのためこれで遊ぶときは、レールを様々に組み合わせ、またそれを立体的に交差させたり、ポイントを要所々々に工夫して置いて線路を分岐させたりして、全路線がちゃんと繋がるように按配し、そこに停車駅や樹木を配置して一つのジオラマを完成させないと十分楽しく遊べない。しかしこれを上手に組み立てるには、彼は少々幼すぎた。だからこのブリオで遊ぶためには、どうしても兄の力が必要なのだ。兄は実に巧みに作り上げる。その狭い部屋の空間を目いっぱい使って、見事な鉄道網を完成させる。そして彼はこのジオラマが出来上がるや否や、その路線の一角に飛びつきお気に入りの列車を走らせ始める。兄に対する感謝の念は、あまりおもてに表さない。まるで、自分がこれを作ったのだ、とでも言わんばかりの態度で悠々と遊び始める。

 当然のことながら、このジオラマで遊ぶ正当な権利を持った兄のほうも一緒に遊び始める。二人とも暫くの間は仲良く遊んでいる。が、そのうち大抵喧嘩になってしまう。はじめは小さな衝突から、それから次第に本格的になってくる。お互いに、自分が正しいお前がいけない、と非難し合い、それから罵り合いとなり、どちらからともなく手を出し、叩いたり蹴ったり、そしていつも彼の方が泣き出し手足をじたばたさせて暴れまわり、折角の鉄道ジオラマを破壊し尽くす。そうなると今度は兄の方も泣き出して、更にひどい殴り合いになろうか、というところで父親の怒鳴り声が降ってくる。しかし二人とも父親なんぞ屁とも思わないのでそのまま喧嘩は続けられる。そして、とうとう最後に母親の凄まじい金切り声が響き渡ると、双方とも手出しをぴたりと止め、いきなりの停戦が成立する。

二人はひくひくとすすり泣きながら、散乱しているブリオを片付け始める。父親も手を貸す。片付けが終わると、兄は本を出してきて読み始め、それで心を癒す。彼は、―――例の収集した小銭、これを貯め込んだ箱を持ってきて、それらを眺め、手に取って、また転がしたりはじいてみたりして、心を癒す。


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 彼にとって、自販機周辺に落ちている小銭は宝物なのだ。もちろん彼とて、その一般的な価値を十分わきまえてはいる。しかし彼個人にとっての価値となると、『自分が発見し、収集した宝物』ということに尽きる。もちろん彼にだって、いわゆる『子どもらしい』宝物は沢山ある。松ぼっくりやどんぐりを拾ってくることもある。夏になると、だんご虫やどんごろの抜け殻を集めてくる。泥団子が後生大事に玄関の隅に置いてあることなんてざらだ。おもちゃ箱の中の電車の模型だってそうだ。その他にもどこから拾ってきたのか分からないような、貝殻、木の枝、石ころ、ネジ、クリップ等々、果てはどうにも正体不明の何か、としか言えないようなものまで様々にある。小銭も、彼にとってはそんないろいろな宝物の中の一つなのだろう。

 しかしこれは、大人達にとっては妙に生々しい至極現実的なものの象徴であるため、彼のこの行為は歓迎すべからざるものなのである。彼の両親はそれを忌み嫌う。それでも彼は、父親に蹴飛ばされても、母親に張り倒されても、祖父母に叱責されても、このことを絶対に止めようとはしない。

大人はこれをみっともないと感じ、彼はそうは感じない。ここが両者を隔てる深い深い溝なのである


 彼は、小銭を発見し収集することを大いに好むが、しかしそれを使ってどうこうしようということはあまり考えない。だから、日々精出して集めた小銭を入れておく箱がかなりの重量になったとき、――実際、その金額を確かめた母親がひどく驚いた程だった――これを共同募金に寄付してしまおう、という話が出たのだが、彼はその提案に一も二もなく賛成した。そうして年末、栄の某公共放送ビルに、彼は兄と父親と一緒に、これまでの戦利品を抱えにこにこしながら出かけて行き、募金箱の中にその全部をじゃらじゃらと流し込んでみせたものだ。ただそこは彼のこと、宣伝することは忘れない。

 「ねえねえ、これ、うちが見つけたんだよ。自販機の釣り銭チェックで。でも一番あるのは自販機の下なんだ。おつりが出るところにはあんまりない。釣り銭チェックなのにねえ。」

 すると兄も続く。「そうだよ、りゅうちゃん、お探しの名人なんだよ。うちもちょっと手伝うんだけど。りゅうちゃんの手が届かないときなんかにね。それになんと、りゅうちゃん、五百円玉をゲットしたこともあるんだよ。」

 当番の職員は苦笑いしつつ、その話の一部を聞かなかったことにする。付き添いの父親は照れ笑いを浮かべながら、その職員の柔軟な義務感に謝意を表しつつ、そっぽを向く。


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 彼は幼稚園に通っているが、園での生活がかなり気に入っているようだ。見送りの母親に手を振りながら、毎朝楽しげに幼稚園バスに乗り込んで行く。そしてバスの中で悪友連中を見つけると、うれしそうな顔をして近づいて行って一緒にがやがややり始める。そのままバスは発車して行く。いかにも悪戯小僧然とした横顔をこちらに向けた彼を乗せて。乗車後は見送る親の方など見向きもしない。

夜、家族で食卓を囲んでいる時など、よく昼間の出来事を話す。園庭で友達とこれこれこういう遊びをした、廊下でこれこれのことをして先生に叱られた、教室でこれこれこんなような勉強をした、楽しかった、今日はあいさつ当番で、朝始まりのあいさつの音頭をとった、今週は給食当番で、給食の用意をしている、先週は(仏教系の幼稚園なので)仏様当番だった、ろうそくを灯したりおまいりをしたりした、面白かった、などなど。

 運動会の駆けっこでは、家族にその雄姿を見せつつ、いつも2位、劇の発表会では堂々とのびのびと脇役を演じ、音楽会ではカスタネットをたたき大きな口を開けて歌い、多少拍子や音程に狂いはあるものの、その音量と声量に関しては随分とクラスの演奏に貢献した。そして幼稚園の敷地内の畑で栽培していたさつまいもの秋の収穫では、他の誰よりも大きなものを掘り出して、にかにかしながら家に持ち帰って来たりした。

 彼は幼稚園での生活を大層楽しんでいる様子である。

 家では暴君のように振る舞っているが、どうやら彼は幼稚園では比較的模範的な園児らしい。両親にとっては信じ難いことなのだが、しかし母親が確かにその耳で聞いた、個人懇談時の先生の言なのであるから、まったくの冗談とも思えない。彼が幼稚園のトイレでスリッパをきれいに並べているとか、教室のごみを拾ったり、友達が通りやすいように椅子の位置を直したり、―――などという話は、だがしかし両親にはちょっと信じ難いことだった。そのようなイメージは、家で関西風に「うちが、うちが」と叫んでいる彼の姿には到底そぐわないものだったのだ。

 しかし兄は違っていた。いつも凄惨な兄弟喧嘩をしているはずの兄は、その話をすんなり受け入れた。「うーん、りゅうちゃんならそうでしょ。」兄は無邪気にそう言い放つ。当然だよ、とでも言わんばかりに。彼の攻撃を常に正面から受けて立っている兄の言葉である。彼を小突き、蹴とばし、張り倒し、また彼の冷徹な計算づくの罵り言葉と噛みつき攻撃に泣かされている、その兄の言葉なのである。これは珍重、いや傾聴しなければならないだろう。

 幼稚園では協調的・利他的、家庭では独善的・利己的、この矛盾した性格は、最高の理解者である兄にしか解きえない謎なのかもしれない。


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 土日や祝日、彼は大概父親と兄と三人で遊びに出かける。そしてどこでもどんなときでも釣り銭チェックを行なう。前にも言ったように、父親はこれを嫌っていた。みっともないし、自分がやらせているかのような印象を他人に持たせてしまうのではないか、といった世間体に関する理由から、また、連れて歩いている時にこれをやられると見失いやすい、といった現実的な理由から、更には、以前一度これをやって怪我をしたことがあったものだから、それを恐れて、という理由もあった。多分例によって腕まくりをして機械の下に手を突っ込んだ際、どこか金属の出っぱりだか角だかで切ってしまったのだろう。ただの切り傷なら仕方もないが、真っ黒に汚れた腕にこしらえた傷を見ると、いかにも衛生上よろしくなく思われたのである。

 しかし、父親はいい加減諦めてしまった。言っても尻を叩いても聞かず、声を張り上げても頭をはたいても聞かず、怒鳴りつけても足で蹴り上げても聞かない、彼の根性を見るにつけ、今、この時、彼がこれに夢中になっているということを、どうにもならない事実としていつの間にか納得してしまったのだ。みっともなさ、他人の思惑等、どうでもよくなってしまったようである。あとは、常時気を付けるようにしていれば迷子の件は何とかなる、ただ怪我だけは勘弁してくれ、とこういう心境にそのうちになってしまっていたのである。

 それでも機嫌の悪いときにはよく怒鳴りつけた。憂さ晴らしの一種のように。


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 彼は鉄道に関して終点が好きだった。いつも電車に乗ると、終点はどこ?と聞く。そしてそこまで行きたがる。彼が住んでいる界隈の名鉄線については、その終点をほぼ制覇した。本線の岐阜、豊橋、三河線の西中金、常滑線の常滑、瀬戸線の尾張瀬戸、河和線の河和、知多新線の内海。ところが、JR線については武豊線の武豊のみ。これが彼には不満だった。『赤い電車』の終点には沢山行ったが、『かぼちゃの電車』や『みかんの電車』の終点には一つしか行っていない、と考えている。名古屋駅も中央線の終点だ、といって聞かせても駄目なのだ。彼にとって名古屋駅は始発駅なのだから。父親は彼に言う、無茶を言うな、それじゃあ東京まで行かなきゃならない。父親の小遣いでは随分と難しいことである。しかし彼は、是非とも『かぼちゃの電車』と『みかんの電車』の終点である『東京』とやらに行ってみたい、そういつも願っていた。それも新幹線で、しかも絶対300系のぞみ号で。


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 彼と兄と父親は自転車や鉄道、自家用車を使って、本当にいろいろな(安価に遊べる)ところへ遊びに行った。その範囲は千種区を中心としてどれくらいのものであったろう。自宅周辺は言うに及ばず、名古屋市内の目ぼしい大小の公園施設――平和公園、鶴舞公園、名城公園、東谷山、戸田川緑地、大高緑地、それから東山動植物園(とその中の遊園地)、名古屋市科学館、テレビ塔、名古屋港の緒施設、その他子供向け公共施設はほとんど回り尽くすと、次第にその行動を尾張地区へと拡げ、海南子どもの国、愛知青少年公園、木曽三川公園、あいち健康の森公園、等を極める。それでも満足できなくなると三河地方にまで足を延ばすようになり、刈谷市交通公園、鞍ヶ池公園、明石公園、堀内公園、岡崎の東公園に南公園、幡豆郡こどもの国、赤塚山公園等々と枚挙にいとまがない。

 愛知県内の征服があらかた終わると、今度はだんだんと県境線を侵し始め、岐阜・三重・静岡にまで出張るようになった。岐阜県こどもの国、瑞浪の化石採集、岐阜城、郡上八幡の鍾乳洞群、伊賀上野の忍者屋敷、鈴鹿サーキット、鷲沢風穴、竜ヶ岩洞、浜名湖、浜松城、などなど。ところがこれでも満足できず、夏休みを利用し超安価な公共宿を探し出して、姫路城にまでこの三人組が出かけて行ったのには恐れ入る。

 彼は、瀬戸内の美しい海の近くへ行っても相変わらず釣り銭チェックを行なっていたが、これはもちろん彼の父親の責任ではない。


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 前にも少し触れたけれども、彼の収集癖は無論小銭以外にも向けられている。その中でもことさら熱心なのは、平凡ではあるが虫集めの類である。冬から夏にかけてのだんご虫、それから秋のバッタやカマキリ、と様々だが、やはり虫といえば夏だろう。夏といえば、そう、(虫ではないが)ザリガニとカブト虫やクワガタ虫である。

 初夏にはザリガニ捕り、ただ彼の父親もザリガニの採集場所となると、名古屋ではよくわからない。牧野が池とか平和公園とかで探してみたが、どうもよろしくない。そこで自分の故郷である三河の農村部へと自家用車で出かけて行った。広大な田園風景の中を細々と流れている農業用水路が狙い目だ。ちょうど梅雨時、バケツとタモをかかえていつもの三人組は意気揚々と出陣する。タニシやオタマジャクシやドジョウなんぞには目もくれず、大量発生しているアメンボ連中を蹴散らかし、シオカラトンボやオニヤンマをお供につけながら、―――時折トノサマガエルの幻惑やクモの巣の妨害にあいながらも、そんなことどもは物ともせずに、やらやらとチンドン屋の様に行進して行く。

時期さえ外さなければ大漁だ。父親の経験豊かな目と、そして何よりも彼のがむしゃらな『お探し名人』ぶり。泥の中に潜む赤いはさみは見逃さない。彼の「あっ、いた!」という声とともに、兄のタモが素早く正確に獲物をからめとって行く。

 しかし時には彼自身がタモを駆使し、獲物を捕らえることもある。或るときなどは、それまで見たこともないような、またその後も決して見ることがなかったような巨大なザリガニを、彼自らの手で捕まえたことがあったのだ。彼はその低い鼻を高々として、例の調子で「うちが、これうちがとったんだよ。」と叫んでいた。雑草の様に育てられ、雑草の様に成長して行く、彼の喜び、誇り、権利宣言である。

 同じ雑草仲間の彼の兄と父親は、心の底からそれに共感し祝福した。兄は多少の羨望の念を心の中に抱きつつ、父親は大きな羨望の念の表明を鳴り物入りで喧伝しつつ。

ところがその大物は、名古屋への移動の際、何故だか分からないのだが、死んでしまった。家の水槽に入れる前に、そして母親に見せる前に、残念ながら。

 また、しかし彼はその現実をさりげなく受け入れた。色々と注意していたんだけれど、仕方がない。その巨大なザリガニの尻尾は、生き残りのザリガニどもの餌になった。

 その後の数週間、彼は時々思い出したように言ったものである。

 「前、うちが大きなザリガニ捕まえたんだよね。あんな大きいの、今まで見たことなかったよね。」


 カブト虫やクワガタ虫、彼はこれらもまた大いに好む。そして夏の盛りには、いつもの三人組でこれらを家のごく近くで採集する。そう、ごく近くで。歩いて五分程のところで採集する。名古屋を甘く見てはいけない。市内でカブト虫やクワガタ虫を見つけられるのだ。市内、と言っても何も守山区志段味の奥地にまで出かける必要などない。彼の家のすぐ近く、千種区内、かなり密集した住宅地のただ中、鉈薬師の境内で見つけることができるのだ。

 彼らは夜八時過ぎ頃、家を出る。母親に見送られ、虫かごと虫取り網と大型の非常用電灯を携えて。彼と兄とは、すでに夕食も風呂も歯磨きも済ませ、涼し気な寝巻姿でやって行く。彼らは、途中の上り坂の狭く細い道路上にも目を光らせる。ごくまれにではあるが、カブト虫がアスファルトの上を這っていることがあるのだから。鉈薬師の入り口に到着すると、彼は兄と先を争うようにして駆け出し、中国風の容貌と服装をあしらった二体の石像が両脇に立つ、小振りながら風格のある山門をくぐって、本堂などには目もくれず奥の方へと突進して行く。目指すはこの小さな寺の最深部にある、二本の大きなブナの木だ。ここではかなりの確率で、カブト虫やクワガタ虫を発見できる。彼はいつもの調子で、「うちが、うちが、」と兄と争い、運良く電灯の使用権を手に入れると、彼の手から放たれる一本の光の筋が探照灯の様に、この木の上部のあちらこちらを照らし出す、が、彼も焦っているものだからその動作は落ち着きがない。はたで見ていると、滅茶苦茶に電灯を振り回しているだけのようにも見える。兄の怒号が響き、父親のそれをたしなめる大声が後に続きがやがやと騒がしいのだが、突然の「いた!」という彼の声、兄と父親は口を閉じ視線をそちらの方へ向ける。そして発見するわけだ。かの光の筋の先端がしっかりと捉えている、カブト虫、クワガタ虫の姿を。

 その次は父親の役目だった。かの獲物達は大体いつもかなり上の方にいる。彼や兄の身長では届かない。そこで、父親が手に持った虫取り網でもってからめとるかはたき落とす。落とした場合、今度は再び彼の出番となる。その鋭敏な目が、たちまち暗闇の中から仰向けになってもがいているカブト虫や、落ち葉の下に逃げ込もうと這いまわっているクワガタ虫を見つけ出すのだ。

 ところが見つけ出しはするものの、彼はこれら大きな虫達を自分の手で捕まえるのは怖いらしい。兄に助けを求める。こうして最後に兄の登場となる。兄は苦も無く虫共をつまみあげると虫かごの中に放り込む。

 かくして獲物達は無事捕えられ、三人組は虫取り網を大漁旗のかわりにおし立て、はためかせながら家路につく。機嫌のいい兄は言う。「やっぱりりゅうちゃんはお探し名人だ。」父親も汗だくの疲れた表情を見せながらも笑ってうなずく。彼は、「うーん、ちょっと運が良かったんだけど。」と照れくさそうに、しかし大仰に謙遜する。

 彼と兄は、帰宅するや否や寝床に入り眠りにつく。布団の中で、どちらがカブト虫を見つけたか、どちらがクワガタ虫を捕まえたか、というような幸せな口論をしつつ眠りにつく。引き続き夢の中で彼らが昆虫採集を行なっているかどうか、は我々には知る由もない。

 ところがそうして集められた昆虫達の多くは、彼らの友達や知り合いへと配られていった。彼は喜んでそれを為す。彼は生まれついての狩猟採集民なのだ。彼のDNAはおそらくどこかの大陸の大平原にでも由来するのだろう。


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 そういう彼が電車に乗る時はいつも先頭車両、乗車後すぐ運転室横の窓のところを占領し父親を呼び寄せ、だっこをせよと要求する。そしてリュックと彼の重さに耐えながら真っ赤になっている父親の顔に頬を寄せ、涼しい顔をしながら彼は前方で繰り広げられる光景を見つめ続けた。流れ、展開する遠近法、空間が一点から流れ出てくるような、また逆に空間が一点に収束して行くような、いつもの情景を彼はじっと凝視し続けた。時折、「あっ貨物!」とか、「曲がるよ、きっと曲がる、絶対曲がる、ほら、あのポイント。」とかいう言葉をはさみながら。


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 そんな彼に、幼稚園年長組の夏休み、最大のイベントが企画された。

 あの東京への鉄道旅行である。もちろん、新幹線で、300系のぞみ号で。

 彼の父親が小遣いをこつこつと貯め、実現させるに至ったのだ。

 行先は、ディズニーランドとか、そんなお金のかかるところでは無論ない。宿泊は、東京で単身赴任している父親の弟、彼にとっての叔父さんの家にやっかいになることにし、様々な子ども向け公共施設等、安価な遊び場を探し出してきて、一応旅行としての体裁を整え計画したのである。しかしその中には、交通博物館という超目玉も含まれていた。

 彼にとっては夢の様な旅行である。

 夏休み前から、彼は幼稚園、近所の友人達やその母親達、先生達にまで触れ回った。「うちねえ、新幹線に乗るんだよ。300系だよ。それで東京まで行くんだよ。」


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 さて当日、出発地はJR千種駅だった。駅までは自転車、兄は自分の自転車で、彼は父親の自転車の後部に付けられた補助椅子にまたがって。錦通のいつもの風景、早朝の涼しい風に眠気を少しずつ吹き流されながら、いい気分でやって来た。けれど何となくいつもとは違う、と彼は思った。いつもよりどきどきしている。いつもよりわくわくしている。なにしろ新幹線だ、のぞみ号だ、東京だ。本物の終点まで行けるのだ。

 これまで、電車を見るために、もしくはせいぜい金山か古虎渓くらいまで乗ってみるぐらいのことをするために何度も通った千種駅を、今日は本当に駅として使う。それにどうだ、彼を名古屋駅へと運ぶために現れたのは、何とあの『かぼちゃの電車』だったのだ。彼の大好きな電車が、彼を迎えに来てくれた。何から何まで、彼のための一日になるに違いない。

 名古屋駅の新幹線ホームの喫茶コーナーで、彼ら三人は朝食をとった。トーストとオレンジジュースとゆで卵とサラダという洒落た朝食。彼と兄とはサラダを父親に押し付け、その代わりにトーストとゆで卵を取り上げる。そして彼らは大いに食べ、喋り、歌い、笑った。二人の息子にはさまれて、父親は青虫の様に背中を丸めサラダを食べ、コーヒーをすすった。

 朝食が終わって待つことしばし、やがて北西からゆっくりと300系新幹線が現れる。西洋鎧の頭部の様な顔、丸みを帯びた車体、素晴らしい速度――と、これだけは乗ってからのお楽しみではあるが――、朝日を受けて輝きながら堂々とホームに入って来た。

 いつもは、三河安城駅のホームで、あっという間に走り去って行く後ろ姿を見送るだけだったり、高架上を走る姿を下の方から、遠くの方からただ見上げていただけの彼にとって、間近に見る300系新幹線はとんでもなく大きかった、重々しかった、と同時にその精悍な顔にはつぶれた虫やらほこりやらが少なからず付着しており、案外汚いな、と彼は思った。彼はそっと車体側面のきれいな部分に触れてみた。びりびりと振動しており、熱かった。

 列車の内部は何とも豪華だった。座席は全部進行方向を向いている。彼は、どちらがどの席に座るかということで兄とひどく争い、しかしなかなか決着がつかず、最後にはじゃんけん勝負で窓側を確保した。

 発車のベル、列車は静かに動き始める。いつ発進したのかわからないくらい。さすがに新幹線だ、車窓の景色がゆっくりと流れているのを見て、初めて出発したことに気付いた程だった。

列車は次第に速度を増して行き、名古屋駅からずんずんと離れて行った。二つの駅ビルタワーも段々と小さくなっていく。彼はその姿を認めると、そっと手を振り小さな声で「バイバーイ」―――と言った。

 東京まで約一時間半、彼と兄は始めのうちこそ物珍しさと嬉しさで仲良く大人しくしていたが、そのうち調子に乗ってくると二人でわいわい騒ぎ始める。父親が静かにするよう注意する。一旦は静かになる。しかしまた暫くすると、わいわいとはしゃぎ始める。また注意する。ということを何度か繰り返した後、最初の秘密兵器が持ち出される。彼らの好物の各種お菓子である。これらをあてがわれて二人は黙々と食べ始める。その間は静かなものだ。しかし食べ終わって少しすると再び騒がしくなり、今度は些細なことから喧嘩をするようになる。そうなると最終兵器を繰り出さねばならない。しっかりと冷やされた車内販売のアイスクリームだ。これはびっくりするほど固くなっているため、食べるのにかなりの時間がかかる。当然その間二人は静かにしている、というわけである。


 彼らの乗った列車は、名古屋市内を出ると尾張南東部を通り抜け境川を越えて三河へと入って行く。刈谷、安城、岡崎など西三河の平野を突っ切ると山がちになり、それを過ぎると蒲郡に出る。それからまた少し山がちになり、今度は東三河の平野に出る。豊橋だ。ここからまた低い山々が現れ、それが終わると広い浜名湖が見えてくる。そうしたらもう浜松、そしてここまでが彼のこれまでの活動範囲の東の果て、これからは彼にとって未知の領域である。

 平野が広がり東海道線の列車が暫く並走する。まだまだ三河と似通った風景、集落の家々は広い敷地を持ち、大きいがほとんど二階建までの木造住宅ばかり。天竜川のあたりになると在来線は見えなくなり、ただ遠くの方に貨物列車がちらりと見えた。多くの河川、池、田園の広がり、茶畑、豊かな土地だ、再び在来線が近くに見える。時折、高架道路や大きな工場が車窓を覆う、彼方には高い山並み、そして次第に周囲が少し山がちになる。その斜面に香るような茶畑、時々長いトンネル、合間合間に茶畑、また広い平野と遠くの山々。

 これまでもちょくちょく小さな町を通り過ぎてきたが、そんな町々の規模がだんだん大きくなってきているように思われた。そんな大きめの町が点在する景色は、しかしまた山がちになり、一つトンネルを抜けると山がすぐそこまで迫ってきているところに出た。岩肌が多い、その狭間に墓地や一軒家、そこから空間が開け大きな河、そして一際大きな町、静岡市に入りやがて静岡駅を通り過ぎる。穏やかな街並み、落ち着いた感じのホームと駅舎、彼は通過する静岡駅をほんの数秒間だが眺めていた。ただ彼の目はその一瞬間に駅構内の自販機をしっかりと捉えていた。

 そこからまた山々が迫ってくるようになる。手前の狭い平地にはびっしりと街並み、高架の道路、鉄塔、私鉄だろうか二両編成の列車、また山がちになり大小のトンネル、所々山々で隔てられた小さな集落、時折のぞく真青な空に近くの低い緑の山々、そして長いトンネルを抜け、広い河原を跨ぐ鉄橋に差しかかった時、いよいよ富士山が見えた。

 重い低い音を響かせながら鉄橋を高速で走るため、橋の側面の骨組みが弾ける様に飛び交い視界がちかちかする。彼は座席の上であぐらをかき窓に顔を押し付ける。彼の兄は自分の席から下り彼の席の前で立ったまま窓に顔を押し付ける。やがて列車は鉄橋を渡り終え、視界が開ける、富士山だ、すそ野に広がる町の沢山の建物が随分小さく見える。富士山は自分の下の方にへばりついている人間達を従えているようだ。彼はその姿に圧倒された。と同時に、この富士山が頭に白い帽子を被っていないことを少し残念に思った。真夏の時期では仕方のないことである。彼は、次回新幹線に乗る時には是非とも、あの写真でお馴染みの頂の白い富士山の姿を見てみたいものだ、と思った。

 富士山は次第に遠くなって行くのだが、やはり日本一の山である。他の山々で一時隠れてしまいながら、列車がやや北向きに進路をとって富士山を迂回するようにしたので、別の角度から再びその上部三分の二ほどの姿を現した。そこから更に離れて行っても、かなり長い間手前の山々の上にその頭が見えていた。そしてやがて彼方へと消えていった。彼はその見事な円錐形に満足した。

 それからまた長いトンネル、時折のぞく景色は谷底のよう、すぐそこまで迫っている山の中腹から上部に町があり、町の下を列車は走る。いくつかの町がちらほらと現れる。多くのトンネルでもって細切れにされた風景で、連関がよくわからない。町の中を走ったり町の下を走ったりしているうちに、ちょっと大きめの町が広がる。そこで遠くの山の上に何度目だろう、富士山が小さく顔をのぞかせた。またトンネル、山間の中小の集落の点在、玩具みたいな町、ジオラマじみた平野、後方にまた富士山の頭、―――再び広い田園と川、住宅密集地と大きな工場群、道路、トラック、鉄塔、自然の多い場所と人工物の多い場所、それぞれがその領域を分けながらもこの地域全体の中で混在している。

 けれども暫くすると、車窓の向こうは次第に自然に近いところが少なくなって行き、様々な建物や構造物で埋め尽くされるようになる。大きな町ばかりが広がっているようになる。どこまで行っても人工物ばかり、もはや都会と言ってもいい、新横浜で停車、もう東京の圏域だった。大きなビル群、鉄骨や鉄筋コンクリート製、都会の空気、ここからは段々と東京の密度が濃くなっていくばかり、小さなトンネルをいくつ通ってもあとはひたすらに都会が続く、そして多摩川。

 もう新幹線の窓からの景色ではない。在来線の列車からのものと何ら変わらない。列車の速度も心なしかかなり落としているようだ。地表がびっしりと大きな建物や狭い道路で埋め尽くされた都会を進み、どこやらのJRだか私鉄だかの列車がすぐ隣を走るようになり、ほとんどおまけのように品川駅に停車、品川も東京都なのだろうが彼にとっては東京ではない、第一駅名が違う、東京は東京駅でなくてはならないのだ。列車は発車し、そこから四方を背の高いビル群に取り囲まれる、各種の高架が上方・左右にかかる、もう景色なんぞという平面的なものではない、「大都会」という凄いような立体的な怪物に飲み込まれるようにゆっくりと進んで行くのだ、そしてついに―――到着した。


      *      *      *      *      *      *      *      *


 東京である。日本の首都であり正真正銘の大都会である。

 ここでは中小の建物が密集し地を覆い尽くし、林立する高層のビル群は空間を喰らい尽くし、道路は蜘蛛の巣の様に張り巡らされ、その上を各種大小様々な自動車がうごめいている。その他の部分は無数の人間達で埋め尽くされ、人々の話声、騒ぎ声、足音、携帯の着信音、常時どこからか響いてくる工事現場の破砕音、機械音、自動車のエンジン音、クラクション、尋常ではない程の騒音の集積を成し、その塊が真夏の太陽に焼かれむくむくと膨れ上がり、―――まことに凶暴な面持ちで迫って来るのである。

 こんな場所は、日本国にはここだけにしか存在しない。

 田舎育ちの父親にとっては、その威圧感は相当なものがあった。小学校二年生になっている兄の方も、おぼろげながらその巨大な迫力を感じ取ってはいた―――が、彼はそれをさほどには感じなかった。昔の人が言っていたように、小さな池に住んでいた鮒がたとえ大きな湖に放されたとしても何も感じないのと同じことなのだ。彼には知識がまだまだ少ない。だから先入観とかの類とは無縁である。ただ眺めるだけならば、彼にとっては東京も、彼が見知っているいろいろな町、名古屋や岐阜、四日市や浜松なんかと何ら異なるところはない。ただ少々人間の数が多すぎる、とは言えるだろうか。

 多過ぎる人間の数、ということは地下街でも同様だった。八重洲口の方へ向かって三人は歩き始めた。異様に混雑する地下街を歩いていると、その桁外れな活気が異質な恐ろし気なものに思われ、液体の様な感触をもった熱い、重い気体の流れの様に感じられる。また、ひっきりなしに人と接触したりするし、いろいろな体臭やら香水やらのにおいまで感じられる。見るだけと体感とはかなり違う。やはりこれは少し怖いようだ。

 兄は不安気に父親の右手にしがみついている。彼もさすがに当惑した面持ちで、父親の体に自分の体をくっつけるようにして歩いて行く。大型のリュックを背負った父親は左右の手で二人の手を引っ掴み、その姿を常に視界にとどめようとしながら、離れないよう近くにいるよう、との注意を連呼しながら人の波をかき分けかき分け歩いて行く。互いに寄り添う彼らの姿は、何とも小さく、弱々しく見えた。

 しかしながら、あきれたことに子ども二人は直に慣れた。彼と兄とは暫くすると平気になってしまった。びくびくしていた気持ちはうきうきとした気分へと変わっていった。不安とかおそれ、おののき、とかいった小賢しい知恵はそそくさと後退し、その代わりに愉快が、彼らの頭を占め始めた。それからその愉快な気分が、さらに頭からあふれ出て、身体を通り腕や脚にまで広がって行った。

 そうして二人は父親の傍から、少しずつ少しずつ離れ始めた。

 楽し気に腕を振りながら、うきうきとした足どりで、好奇心を丸出しにした両の目をまん丸にして、二人は―――まあ、つまりはいつもの様に遊び歩き始めた。それに伴い、彼らを注意し叱責する父親の声も次第々々に乱暴になって行く。

 彼の視点から見えるものは、何しろ人、人、人だ。足早に歩いて行く人影のジャングル。下を見れば、大きさ、色、形と様々な靴どもがかしましく飛び跳ねている。前後左右を見ればワイシャツ、ズボン、ワンピース、スカートなんかがぞろぞろと行き来している。斜め上あたりには、気難し気な、不機嫌そうな、無表情な、そしてごくまれにお気楽そうな楽しそうな顔、顔、顔がびゅんびゅんと飛び交っている。どこもかしこもやたらとせわしないが、ただ頭上だけはぽっかりと落ち着き払っていた。彼が歩く速度に合わせて、蛍光灯がゆっくりと前の方から現れては後ろの方へと消えて行くばかりである。

 そんな雑踏の向こうの細い通路の彼方に何かが光ったのを、彼の目は逃さなかった。あれは―――自販機だ。彼の心はわき立った。

 やっぱり東京でもこれを一番にしなきゃ、釣り銭チェックを。

 彼は急いで向きを変え、往来する大人達の間をすいすいとすり抜けながら、その大きな通路から外れて自販機の方へと向かった。

 そんなこととは夢にも思わず、父親はちょうどその時前方へ少し離れ気味になっていた兄の方に注意を向けていたので、そのまま大またで前進し、何とか兄に追いつき捕まえていた。一言二言小言を言って、ふと後ろを見たが彼の姿はどこにもない。やれやれというように父親は顔をしかめ、ちっと舌打ちをすると兄の手を掴み、彼の姿を求めて来た道をまた戻り始めた。


 彼の目の前には堂々とした自販機がそびえ立っていた。さすがは東京の自販機だ、と彼が思ったかどうかは定かではない。全国一律同じような、どこかのメーカーの自販機である。彼はそそくさと釣り銭チェックを始めた。いつもの様に。

 返却口にはない、まあいつものことだ。

 自販機周辺は、―――やっぱりない、これも仕方のないことだ。

そして彼は、またいつもの様にひざをつき身を低くかがめ、自販機の下をのぞきこんだ。すると、―――あった、何かが光った。彼の目も同様に光った。そしてその何かを凝視した。硬貨だ、間違いない、おまけに、―――銀色の、穴の開いていない、普通より一回り以上大きな硬貨、五百円玉だ。

彼の表情は真剣なものになった。

 さすがは東京だ、こんな、いきなり、五百円玉だ。これは絶対にゲットしなきゃ。そうくんやパパはどんな顔をするだろう。

 彼は腕まくりを、―――しようとしたが、今は夏だ。半袖姿だったのだ。そこでそのまま腹這いになり、腕を自販機の下に突っ込んだ。

 道行く人々は、この光景にほとんど誰も無関心である。時折不快そうに顔をしかめる人や苦笑いする人、無邪気に笑う人がほんの一握りいるばかり。しかしそんなことにはお構いなく、彼は汗ばんだ頬を汚いほこりまみれの床に押し付け、腕を伸ばした。が、あと少しばかり届かない。彼はぐっと体を伸ばした。


 父親の方はと言うと、兄の手を引っ張りながらあたりをぐるりと見渡しつつ、その巨大な雑踏の中、彼を捜し求めながら足早に歩いていた。兄の方も一緒に首を回し、目をきょろきょろさせながら、彼の姿をまさぐった。二人はまた同時に、耳の方もそばだたせていた。その低く重い、うなるような喧噪の中からもれ聞こえてくるかもしれない、父と兄の名を呼ぶ、彼の心細げな声をけっして聞きもらすまい、として。


 彼は懸命に腕を伸ばしていた。ほんの少しばかり届かないのだ。彼は獲物を見据えながら、歯を食いしばって一気に肩から背中の一部までをもぐいっと機械の下にもぐり込ませ、腕をまた精一杯伸ばす、――――

 と、この時それは起こった。

 この自販機の製造工程にできたのか、ここに設置するときにできたものなのか、それは分からない。とにかく機械の下部、かの五百円硬貨の手前に、鋭くとがりご丁寧にも下を向いてめくれている鉄片が突き出ていたのである。彼の手首はそこにぐいと押し付けられ、その細い手首のよりにもよって動脈を、深くさっくりと切り裂いた。あまりに綺麗にすっぱりと切れたため、ちくっとした程度で彼はほとんど痛みを感じなかった。しかしながら、その傷からはしゅっしゅっと小さな、―――小さな音をたてて鮮血がほとばしり始めた。


 父親と兄は、さすがに焦りを感じていた。一体全体どこへ行ってしまったのか、父親は小さく悪態をつきながら、兄は大きな声で悪口を並べたてながら、それぞれ怒りと焦燥を表していた。

ここを通った時はまだいた、ここからは覚えがない、向こうにはいるか、あそこはどうだ、父親は片側の壁にはりつき、兄を肩車して遠くの方まで捜させる。いない、じゃあもう少し向こうの方で、―――二人はしかし彼が入って行った細い通路には気付かない。


 彼の方はあの五百円玉のことしか頭にない。暗がりの中にほのかに光る銀色の硬貨、これのみが彼の視界の全部を占めている。――もう少し、もう少し―― 

 そのたびに、しゅっしゅっと血はほとばしり続けた。彼の小さな体の中の、決して多くはないであろう血液は、何の遠慮もなくあとからあとから噴き出て行った。血は流れ、床にひたひたとたまっていった。が、その血は彼の体に遮られ、外に流れ出すことはない。

 彼は、胸や腹、腕、そして頬までも真黒にして、汗まみれになりながら苦闘した。その反面、体の片側部分は真赤に染まり始める。腕を伸ばし身体を伸ばし、そしてそのために手首の傷からは、容赦なくしゅっしゅっと激しい出血が続く。

 と、ついに彼の指は五百円玉をとらえ、しっかりと掴んだ。

 彼は笑った。してやったりと、勝ち誇ったように笑った。実に晴れやかな笑顔を見せた。しかし、―――同時に彼は気付いた。自販機下の暗闇、向こうの細長い景色は見える。周囲の無数の足音、話し声、アナウンスなどのやかましい喧噪は聞こえている。しかし体が動かない。


 父親と兄は、とうとう声を張り上げ彼の名を呼びながら捜し始めていた。父親は、誰かに助けを求めるような度胸と知恵が彼にあるだろうか、そろそろ迷子のアナウンスを依頼した方がいいかもしれない、ことによったら警察の助力まで必要としなければならなくなるやも、等々、様々な対策を頭の中で考えながら、兄は、彼がとうとう本当の迷子になってしまった、という恐怖を次第に強めながら、それぞれ四方八方に目を配りつつ大きな声で彼の名を呼んだ。八重洲の地下街に、低い声と高い声がからみ合いながらあたりに拡がってゆく。しかしながらそれらの声は、すぐに周囲の喧噪にかき消されてしまう。

 二人は無力感を抱いた。―――ちょうどそのとき二人同時に、遠くにちらりと見えた自販機に気付いた。あそこか? 二人は顔を見合わせ、小さくうなづき合うと、再び彼の名を呼びながらそちらの方へ向きを変えた。


 彼はまた気付いた。ちょっと寒い。夏休みだというのに。あんなにたっぷりとかいていた汗も、いつの間にかきれいに引いてしまっている。そして相変わらず体が動かない。だるい気がする。しかし五百円玉だけはしっかりと握り続けていた。

 何とはなしに頭もぼんやりしてくる、ちょっと眠くもなってきた。

 どうしたんだろう。彼は目を閉じた。眠りにつく時のように。

 何故だか分からないけれども、物心ついてからこれまでのことが急に思い出された。これまでのこと、と言っても五歳の(あと一か月で六歳になるけれども)彼のことだ、そんなに沢山のことではない。彼の家、小さなアパートの一室、電灯、カーテン、家族で囲んだ食卓、風呂場、狭いベランダ、洗濯物、―――カブト虫、クワガタ虫、ざりがに、近所の風景、いろんな友達、―――幼稚園の教室、園庭での運動会、体育室での劇の発表会、先生達、―――それから公園や遊園地、動物園、温水プールといった色々な遊び場のこと、など。

 そういった光景が彼の脳裏に次々と浮かんでは消えて行った。

 彼の顔はすっかり白くなってしまっていた。ただ床に押し付けられた左の頬のみが黒い。更にぼんやりしてきた彼の意識に、急にはっきりと母親の顔が現れた。台所で料理をしていて、後ろからの彼の呼びかけに振り向いた顔だ。

 「ママ」と彼は呟いた。

 次に父親の顔が思い出された。遊びに行く際の車の運転中、目だけをちらりと彼の方に向けたときの横顔だ。

 「パパ」と彼は呟いた。

 それから兄の顔がありありと浮かんできた。いろんな表情、喧嘩をしている時の怒っている顔、親に叱られ彼と一緒に泣いている顔、そして何より彼と遊んでいる時の楽しそうに笑っている顔、彼の大好きな顔だ。

 「そうくん」と彼は呟いた。そしてうれしそうに笑った。

 彼はもう一度五百円玉の感触を確かめるように、右手をぐっと握りしめた。その時体が少しずれ、自販機の下に密かにたまっていた大量の赤い血がさあっと通路の方に半畳ばかり広がった。

 これだけは通行人達の目にもはっきりと見て取れた。ちょうどここを通りかかっていた人々の誰もが息をのみ、足を止め、この赤いものに目が釘付けとなった。自販機の周囲は一瞬間凍り付き、動きは止まり、おびえたように静まり返った。

 そして次の瞬間、一人の若い女の口から鋭い黄色い悲鳴が発せられ、その上を、遠くの雑踏から彼の名を呼ぶ父親の怒気を含んだ声が、低く小さくかぶさっていった。





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