一夜あけて
平和だった頃は家の持ち主が何気ない日常で使用していたのだろう玄関。
扉の内側に備え付けられたサムターンも、こんなに物音を気にして回された事などなかったはずだ。
索敵に長けたアデルのみが音と気配を殺し、施錠を外した扉のノブを捻る。
扉の構造上いくら音が発生せずとも動いた事を目撃された時点で察知されてしまい、場合によってはこれらの涙ぐましい努力も一切の無駄で終わる。
だが、幸運なことに周囲にそれを確認する敵の姿は存在しなかったようだ。
「もう運が良かったとしか言いようがないよね……」
「皆さん大丈夫ですか……? 僕は正直ちょっと頭が痛いです」
調子が悪そうなのは今会話したアカリやフィルだけではない。
この中に自分の見張り番の時以外には熟睡し、体調が万全という者は存在しなかった。
「夜通し庭をぐるぐる徘徊された時は流石に終わったと思ったが、察知された訳じゃなかったんだな」
昨晩は室内に敵がいない事を確認した後、一階に全員が固まって交代で見張りをしていた。
二階の窓は施錠こそしたが無防備であり、本来であれば防衛面で良くなかったのだろう。
が、一階にも窓が多く見張りに回す人員的にもそこは諦めるしかなかったという話だ。
周囲に敵がいない事を念入りに確認した最初の見張りのみ一人――エーデルが担当し、次にアカリとシオン、最後にアデルとフィルが順に交代するという流れになった。
「特にエーデル殿はほとんど眠れなかったのでは? 平気かね」
「いや、最後の方は見張りに任せて居眠りぶっこいてたから平気ー」
心配げな言葉をかけたシオンに対し、あっけらかんと答えるエーデル。
エーデルの見張り時間以降一睡もできなかったアカリからすれば彼はどれだけ神経が太いのだと思わざるを得ない。
――ある意味、否が応にも目を覚ましていなくてはならない自分の見張り時間に事が起こった自分は幸運だったのだろうか、とも。
†
昨晩のことだ。
「はーい、交代の時間だよー。起きて起きて―」
アカリは緊張感でまともに眠れない事を危惧していたし、実際自分の担当時間を終えて起こしにきたエーデルの声は非常に小さな声だったが、それですぐ目を覚ますほど眠りは浅かった。
が、それでも入眠できただけ上出来だったというものだろう。
「あ、見張りありがとう。もうそんな時間か……」
「人数の関係上一人にしてしまって不安もあったが、何も起きなくて良かったのだよ」
既に目を覚ましていたらしいシオンは、相変わらず眠そうな様子も一切見せずすんなりと起き上がっている。
「まあ僕の神々しさと日ごろの行いの良さが幸運を呼んじゃうんだろうねー。まあとりあえずよろしくー」
エーデルの普段の様子からそれは絶対にないだろうと突っ込む前に、彼は布団類を並べてある一角に引っ込んでいってしまった。
それを目線だけで見送り、後はアカリとシオンが顔を合わせて――と言っても片方は仮面なので視線が本当に合っているかわかりづらいが、アカリの方は恐らくそうだろうと想像した上で互いに頷きあった。
担当個所もあらかじめ相談してあったので、特にそれらについて会話する事もなく互いに位置についた。
アカリがリビングの中央に立ち、主に玄関の扉とリビングの壁の一面をほぼ占有する掃き出し窓に集中する。
シオンはリビングの奥の方に移動し、玄関よりも堅牢性に劣りそうな裏口と、同じく掃き出し窓の存在する洋室を監視できる位置に移動した。
この配置は次のアデルとフィルの時も同じになる筈で、これが最も一階を見通せるはずだった。
もちろん全面が硝子になっていない小さい窓などがある風呂場などもあり、そこに通じる扉などは開け放っているものの死角になっている。
ただし、流石にそこを瞬時に通り抜けることは不可能だと思われるので人数的に常時監視は諦めているというわけだ。
――今のところ誰も来ないな。
自分の担当が始まってから一時間弱ほどは、アカリも最大の緊張感をもって見張りに臨んでいた。
が、それ以降も気を抜くことはないとはいえ最初に比べれば徐々に集中力が落ちてくるのはある意味仕方のないことだろう。
人間――とりわけ高校生くらいまでの人間の集中力の限界は確か、最大で四十五分程度だったか。
だから授業の一時間分もそれくらいで区切られている、なんて説もどこかで耳にした気がしていた。
――否、この時はそんな事を考えてはいなかった。
今にして思えば、の話だ。
集中が途切れがちになった後に明らかな異変が起きたから、後になってそんな考察をするのだった。
――じょりっ……じょりっ。
「……えっ」
庭に敷かれた砂利を何かが踏みしめるような音。
玄関に比較的近い方角から持続的に聞こえ始めたそれは、最初は気のせいかどうか迷う程度だったが――徐々に、徐々にこちらに接近してきているようだった。
どうやらシオンもそれを察知しているようで、自分の持ち場からは離れないものの武器に手をかけて時折こちらに注意を向けている様子だった。
「……」
奥の寝床として利用しているスペースからも、規則的に聞こえてきていた寝息が消えている。
見張り役でなくとも目を覚ましてしまうほどに、彼らの眠りも浅かったという訳だろう。
――依然として接近する、もはや疑いの余地もない何者かのいびつな足音。
張り詰めた空気と、肌を刺すほどに漂った緊張感。
『ぁ……、ぅ、もしもし、もしもし……』
誰に対してか、通話するような口調でぶつぶつと独り言を垂れ流しながら徘徊する気配は、じきに掃き出し窓のカーテンの前に黒い影となって現れた。
「……っ!」
思わずこぼれかけた悲鳴を必死に抑え、アカリは震える手で腰の剣に手を添える。
ぺちゃ、という湿り気のある音と共に窓に何かが押し付けられ、そのままガタガタとサッシを軋ませながら影は玄関の方に移動していった。
アカリの、否、もはや確認する余裕もないが恐らくそれ以外全員の視線もまた窓の終端と共に姿の見えなくなったそれを追いかけているのだろう。
それから微かな物音と、バキバキと植木を踏み倒すような音。
洋室側や裏口側に回り、再び砂利を踏みしめるような音がして――それから、再び掃き出し窓の前に現れる。
結局何周かそれが繰り返されるうち徐々に回り方も不規則で乱れがちになり遠ざかったり接近したりと安定しなくなり、一時間ほど経った頃には気配がほとんど遠ざかっているような状態となった。
が、それで完全に安心できるかどうかと言われれば答えは否だろう。
必死に耳を澄ませても足音が聞こえるかどうかという段階になっても、本当は気配を殺して側に潜んでいるのではないかという疑念が消えなかった。
†
もはや何も聞こえなくなった段階でアカリ達の交代時間が訪れたものの、そこから先はもはや本人が語るように一睡もできなかったというわけだ。
「これから毎日こんな事ばっかり続くんだよね、きっと……気が滅入るなぁ」
こぼれるのは深い溜息。
慣れるしかないのか、それとも慣れたら不意を突かれて終わりなのか。
答えの見えない自問自答を何度も心の中で繰り返しながらも、冒険の足を止める訳にはいかず。
アカリは仲間達と共に民家の集まる一角を出て鉄橋を目指した。




