昼月駅
「これが昼月駅……」
「日入駅に比べて随分山が多いですね。駅舎……でしたっけ……この建物は屋根が三角ですけど、どことなく異国情緒に溢れているというか。不思議な雰囲気の場所です」
昼月駅にたどり着くなりまめざくらを降り、ホームから和風建築とログハウスの合いの子のような木造の駅舎を抜けて外に出る。
ここでも無理やり乗り越えて出る事になった改札機のみ金属製であり、レトロかつ和の雰囲気を残した駅舎や周囲の風景から明らかに浮いていた。
「あの四角い変な建物もあるにはあるが……なんか角ばったアーチが多いな、ここは」
今口を開いたアデルも、先程呟いたフィルも周囲に点在するある物体を眺めているようだ。
「来た事ないけど、元からこんなに鳥居が多かったとは思えないんだけど……しかも変な色」
駅の前を横切る大通りには、等間隔に鳥居が立てられていた。名称を知らない二人がアーチと呼ぶのはこれである。
アカリもまたこれらを見上げていたものの、彼らとは異なる意味でこの風景に違和感を抱いていた。
まず、鳥居は赤というのは先入観であり世の中には様々な色のそれが存在することは知っている。
が、それでも多くの者に鳥居イコール赤というイメージを持たせるほどには赤が圧倒的に多いのもまた事実だ。
だからどこを見渡しても黒い鳥居しかないという今の状態は、よく言えば新鮮であるし悪く言えば馴染みがなさすぎて落ち着かない。
まあ、赤かったら赤かったで鳥居以上に数の多い赤い桜に埋もれて存在感がなくなってしまったのだろうが。
「確か別の路線の線路沿いに進むんだったよね……あっ。あれかな」
大通りを挟んだ先にも『昼月駅』と書かれた駅舎が存在することに気づき、少女はそちらを指さす。
そちらも和の要素を残したような木造建築に変わりはないが、特急列車ではなく単一のローカル線のみが通る小規模な駅ゆえに今しがた通り抜けてきた方よりも数段質素に見えた。
「いつも空が淀んでるから時間間隔がわかりにくけどさー、確か線路沿いに行くとほぼすぐ山の中に突入でしょー? 今日は休める場所を探して明日にしといた方がよくない?」
頭の後ろで手を組み、気だるそうに言うエーデル。
猿の獣人やヴァルゴとの闘いもあり、これに加えて登山に挑むのは危険である――という意見は全員一致なのだろう。アカリを含め、反論する者は出ない。
「じゃあ安全そうな場所を探さないとだね。このあたりも一見敵がいないけど……ちょっと見通しが良すぎるし、テントなんて張ったら丸見えだもんね」
周囲を軽く見渡してみても、敵の気配は大通りの遥か向こうを今しがた横断した一体のみしか存在しない。
だが、見えないだけでどこに何体潜んでいるかもわからない上に時が経てば状況など簡単に変わるものだ。
よって迂闊に視界の開けた場所に拠点を設ける訳にもいかない。
「となるとこの近くで……うーん、まあそう都合よく宿泊施設なんてものはないか……」
ビジネス街というわけでもなし、かといって観光地というわけでもない。
ざっと見た範囲にホテル系の建物があれば万々歳だったのだが、やはり日入駅のようにうまくは見つからずアカリは肩を落とす。
「今日はもうベッドは期待しない方がよさそうだねー。駅前から離れれば民家くらいはあるかもだけど、民家とか寝具の位置もバラバラそうだし、そもそもモロに出そうじゃん……」
エーデルの言う『出そう』というのは赤いヒトガタの事だろう。
外に出ているパターンが多いように思えるが、逆に言えばそのせいで戸締まりがされていない家屋も多い。
いつでもどこでも入り放題な上に鍵のありかなど知らないわけだから、そうなるくらいならばもっと小規模な建物で固まって身を潜めていた方がよほど安心して眠れるだろう。
「今からこの周辺以外を探すとなると敵との遭遇率も上がりそうですしね……もう寝具や環境については潔く諦めるとして、手ごろそうな建物は……」
そう言うなり駅前の建物をじっくり吟味し始めるフィル。
一部よく見かける店名のコンビニなども二件ほど見受けられたが、どうやら大多数は昭和の頃から続く個人商店ばかりが立ち並んでいるらしい。
「薬局とかはなんとなく不気味だし、飲食店はゴキブリがいそうだしなぁ……」
言ってから気づいたアカリだが、そういえばまともな虫や動物を今に至るまで一度も見かけていない。
人間同様に何らかの変異を遂げて原型をとどめていないのだろうか。それとも、目に付きにくい物陰でおとなしくしているのだろうか。
だが、真偽の程はわからないにしても調理場がある建物は油汚れなども気になりそうだ。
不気味ではない建物――は流石に存在しなかったので、どうせ不気味ならせめて少しでもマシなところはないかと思って再び周囲を物色したところ、先程は見落としてしまったほど小規模で目立たない店にふと目が留まった。
「呉服店か……」
古くから営業していた老舗なのだろう、他の店と比べても軒先に掲げられた木製の看板が明らかな年代物に見える。
販売のみで自店での生産は行っていないのか、レトロガラスが張られた木枠の扉の向こうはかなり手狭で、着物の他にはこれまた古びた木製のカウンターと畳んだ着物を収納する壁際の棚、着物を着つけた数点のトルソー程度しか見当たらない。
「ゴフク……? ああ、あの変な服の事か? 最初にアカリの服を見た時も首を傾げたもんだが、あそこに見えるやつはそれ以上に違和感しかねぇな」
アデルもアカリの発言と視線の先に気づいたようで、着物に対しての率直な感想を述べてくれた。
「まあ、この国の古い民族衣装になるのかな……。流石に現代じゃほとんど着てる人はいないよ。かしこまった場とか、成人を迎える年の式典に着るくらい。それはそうとしてあの店だったら侵入経路も少ないし、見張りも楽そうじゃない?」
トルソーを入口付近に集めてバリケード状にすればこちらが見えづらいし、全員で横になるぎりぎりの空間くらいはありそうだ。
駅周辺に範囲を限るならこの店が最も今夜の拠点に適しているように思える。
「賛成です。敵の目につく前に入ってしまいましょうか」
フィルを筆頭に全員が頷くのを確認し、駅前の広い道路を渡って一行は呉服店に向かった。
†
「マサキ殿とユイ殿はもうかなりまずい事になっていてね……。特にユイ殿は動く気配がない」
呉服店に入ってなるべくこちらの姿が目立たないように遮蔽物を硝子扉の前に移動した後、小世界から呼び出したシオンによる現状の報告がなされた。
元から状態が芳しくないこと、時間があまり残されていないことは知っていたものの、やはりあまり猶予は残されていないらしい。
「まあそれで焦って全滅するわけにもいかないからなぁー。明日早起きして山登りを頑張るしかないんじゃないー?」
全く表情を曇らせていないのはエーデルのみだ。声の調子も普段通り実に呑気そうなものである。
が、いくら気持ちを焦らせたところで彼の言う通り、今のアカリ達にできるのはできる限り行動を早める事くらいしかないのもまた事実だ。
手狭で窓のない呉服店からは壁しか見えないが、思わず山の方角に視線を向けるしかないアカリ。
その微かな行動から心情を察したのか、隣からフィルが優しい声音で話しかけてくる。
「……アカリ、きっと大丈夫です。信じるしかできないというのなら、全力を信じることにかけてやりましょう。不安や迷いは、きっと足取りを重くしますから」
振り向けば、そこには優しく微笑むエルフの姿。
言ってしまえば普段通りの姿なのだが、何故だか少女にはそれが普段以上に頼もしく感じられた。
「……あなたは既に、僕の命を救う奇跡を起こしていますからね。一度ある事はきっと二度ありますよ」
――ネット小説で見た、そっけない文面で記される彼の死。
変えたのはたった数行の文章だけじゃない。今こうして、確かに救い出した命が現実の存在として側にいてくれる。
マサキは現実の人間で、フィルは非現実の中の登場人物。
世界を越えた頃のアカリならそんな線引きをしていただろうが、今はもうそんなものは存在しないと知っている。
それだけで、もう一度奇跡が起こせる気がしてきた。
「……ありがとう。明日また頑張ろう」
「そのためには十分休んで体力を取り戻さないと、ですね。……ふふ」
ごもっともである。
明日やる事は決まっているし、道はランタンが指し示してくれる。
これ以上話しておくこともなく、そうであればすぐ見張りの順を決めてしまおう、と気持ちを切り替えて提案に移ることができた。




