きさらぎ駅2
「……アカリ殿、なぜ何故私にシオンという名を与えたのかね?」
唐突に投げかけられた、シオンからアカリへの問い。
質問の意図がわからないまま、問われた彼女は正直に答える。
「……え、何でって……特徴的な紫色の髪がね、死産だった弟の遺骨を入れた骨壺の柄に……」
――死産。紫苑色の花。
消えた遺骨。
戸籍上にも残らない名をつけたそれ。
「……え、嘘……でも、まさか」
遺骨が唐突に消えた理由も、それなら説明がつく。
だが、だとすれば少女の目の前に立つ紫色の悪魔は。
「そんな、急に……」
様々な想いが交錯し、言葉が出ない。
だが、アカリにとって――そうであれば納得のいく事も多々あった。
初めて会った時、何故か不信感よりも根拠の明確でない信頼を覚えたこと。
妙に気が合ったこと。どうしてか接していて安心感があること。
「そんな、死別した双子の弟です、だなんて……急に言われても……」
だが唐突なのには間違いない。
どう受け止めていいかわからず、またどう言葉をかけていいかもわからなかった。
「……全くだね。私もアドロスピアから帰還した時、全く同じ思いだった」
言いながら、シオンが仮面に手をかける。
あらわになった白い顔に、髪と同じ紫苑色の双眸。
本来の悪魔の特徴である、ヴァルゴのような白黒逆転した色彩ではなく、人間に近い色彩のそれ。
宝石のように美しいそれが、真っすぐに双子の姉を見据えている。
いつも仮面と老獪な口調に隠されているそれは、いざ晒されてみればアカリと同年代の幼さを湛えた少年の眼差しだった。
「……なぜこの色なのかと思ってはいたが、君に二度もらった名の影響なのだろうね」
星神アトレイルの力が強いこの空間では必要ないからであろう、目元を守っていた仮面を懐にしまう紫の悪魔。
それから、改めて仲間達と共に敵へと向き直る。
「何か始まったと思って黙って聞いてみれば、死別した姉ねぇ。悪魔になる前の事なんてどうでもいいでしょうに」
ヴァルゴからすれば言葉通りどうでもよい事なのだろう。言葉通り心底興味なさそうな声音だった。
「君にも産みの親や兄弟姉妹がいたかもしれないが――」
そろそろ忍耐力が切れたのだろう。
シオンが言い切る前に、瞬時に接近したヴァルゴが戦斧を振り下ろしていた。
そこには既にシオンの姿はなかったが、これが再開の合図となった。
「……」
未だに呆然としていたが、気持ちを切り替えざるを得ない。
アカリもまた剣を握り直し、怪力の悪魔に向き直る。
――胎児だった頃は、ずっと一緒だった相手が今、ここに。
一度は失った。だから、ここでまた失いたくはない。
「――うらぁああああああああああっ!」
裂帛の気合と共に、繰り出される戦斧の一撃。
一見無作為にコンクリートの地面に叩きつけられたそれは、派手に爆散し破砕した石片を高速で周囲に吹き飛ばす。
「っ、ぐ……!」
一番大きな石片は盾で防ぎ切った――と思ったが、どうやら魔力を帯びていたらしいそれが防具に触れた瞬間に破裂する。
激しい衝撃と激痛を与えられ、アカリは次の瞬間に自らの腕を見遣り目を瞠ることになった。
一瞬にして二の腕から下が焼け爛れ、いたるところから血を流している。
「アカリッ!」
「負けて、たまるかぁっ!」
だが、それでもまだ動く利き手を活かして勢いよくヴァルゴの腹部に突きを繰り出す。
それ自体は難なく避けられてしまうが、他の仲間がその動作により出来た大きな隙を見逃さない。
「……チッ……!」
すかさず懐に飛び込んできたアデルがヴァルゴの背を切りつける。羽に裂傷が入り機動力が落ちたのか、忌々しそうに舌打ちをしてから反撃を試みるも、それを難なく獣人にかわされてしまっていた。
「ちょこまかと――っ?」
怒声に、微かな落下音が重なった。
ヴァルゴは一拍遅れて気づいたようだが、アカリ達はエーデルが氷の刃で太い右腕を一刀両断した姿をはっきりと視界に収めていた。
天使が以前言っていたように傷口は全く痛みを伴わず血を流さないのだろう。
断面の凍結した片腕が落ちたことに今更気づいたヴァルゴは斧を片手で持ち直し、取り落とすことはなかったものの――形勢が不利に傾いた事を察し、全員を睨みつけながら闇の中に溶けるように霧散した。
「……終わった、のか?」
姿を隠しただけかもしれない。アデルだけではなく全員がそう思って警戒を解けずにいたが、やがてシオンが口を開く。
「……いや、もう気配はしないね。それに、どうやらまめざくらも動き出したようなのだよ」
機体から微かな駆動音が聞こえてきたと思うと、唐突に周囲から乗車を促す放送が入る。
ちょうどフィルが神聖呪文の詠唱を終えてアカリの腕を治癒したところだったが、残りは車内で行うしかないようだった。
まだ腕が痛むが、こんな場所に置いて行かれるのはまっぴらである。
全員急ぎ足でまめざくらに乗り込むと、乗客がそれしか存在しないことを理解しているかのようにすぐ扉が閉ざされた。
次の駅に向かうアナウンスが鳴り響くと共に、何事もなかったかのように動き出す車両。
何も見通せない暗闇を抜け、線路を走る音と共に前進し、やがてうっすらと光が見えてくる。
(……シオンが、あたしの……)
今は小瓶の向こう、閉ざされた世界に消えた彼のことを考えながら窓の外に広がる赤い景色をただ少女は眺める。
生き別れならぬ死に別れの、双子の弟。
腑に落ちる点があるような、あまりに唐突すぎるような――そんな思いのまま、少女の心情と駅は置き去りにされる。




