神とは
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――遠い昔に神々が戦い、数えきれない程であったそれらはやがて三人までに淘汰されたのだという。
しかし勝ち残った神――月、星、太陽の三神はその方向性の違いから決して友好的な関係を築く事は出来ず、現代に至ってもなお対立している。
彼らが人々の目の前に現れる事はほぼありえないが、狭間の図書館に立ち並ぶ本棚そのもの――ではなく、上部に据え付けられた看板を見ればそれぞれを象徴する印が施されている事に気づけるだろう。
月神レネティースは全ての世界に生きる者を愛し、天使を従え誰一人傷つく事ない楽園の創造を望んでいる。
星神アトレイルは人々の身を滅ぼす程の深い欲望を欲し、願いを叶え満たされた魂を用い悪魔を産み増やし続けている。
太陽神イオヴェニルは人々の絶望を嘆き、世界にそれが溢れた時に人類そのものを使徒として破壊と再生をもたらす。
近年では基本的に月神と星神の力が拮抗し、時折使徒同士が遭遇し衝突しながらも痛み分け程度で終わる事が続いていた。
太陽神は普段は力も己に適した領域も持たず、その力を振るう事はない。
だが人々から絶望や怨嗟の声が溢れた時、力なき彼らに変わって世界の破壊と再生のために動き出すのだという。
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「……破壊と再生というのは要するにだね、世界中の生命体全てを捕らえて無個性な肉塊にして、纏めて土に還して世界を産み直すという事になる。当然全てというのはアカリ殿やアデル殿もだし、ここにいる全員が該当するのだよ」
なるべく手短に説明してくれたシオンがそう締めくくると、全員が溶け崩れた血肉の塊にされる姿を思わず想像してしまいアカリは思わず顔を顰める。
「……何それ……絶望って言ったって、そうじゃない人も多く生きてるのに……」
「俺らからすりゃ迷惑極まりねえな。つーか、太陽神の話以外にもいくつか気になった点があるんだけどよ……月神の名前。レネティースってアドロスピアにいる神だと思ってたんだが、それどころか全世界で信仰されてる神なのか?」
言いながら、アデルが離れた位置にいるフィルの背を一瞥する。
彼がいつも祈りを捧げている神はまさにその名を持つ月の神であり、アカリもそれは何度も耳にしている。
「でもカルールクリスではそんな名前全く聞かないんだけど……?」
カルールクリスにおいては、やれ仏教なりキリスト教なりと、多くの宗教が存在する。
が、そこに住んでおり本人は無宗教でありながらも、民俗学や雑学の方面で一般的な女子高生よりはそういった知識に長けるアカリ本人も知らない名であった。
「世界の事情が少し特殊だからね……神の力を借りて奇跡を起こすというのも、昔は信じられていたそうだが。だが、現代はそれも廃れてしまう程に魔力の弱い世界なのだろう? ならば威光を示し続けるのも難しかっただろう」
アカリの中でカルールクリスでは魔法が使えない事は既に実証済だったが、神の奇跡は扱えないため試せていなかった。
しかし、シオンの話しぶりからすると試すまでもなく結果は同様となっていたのだろう。
「いやー、多分拠点自体はカルールクリスにもあったと思うんだけどなー。うっかり口を割らないように当事者にしか場所自体は教えられてないけど」
声の方向を振り向けば、いつの間にかエーデルがマサキを背にして此方を振り向いている。
普段の言動のせいで怠けているのかと思ったが、フィルも浮かない表情で祈りを辞めているため、どうもそうではないらしい。
だが一瞬三人が浮かべてしまった怪訝そうな表情および空気を悟られてしまったらしく、天使は心外だとばかりに肩を竦めて軽く嘆息していた。
「いやねー、もうコレお手上げって感じ。多少はマシになったけど、どう考えても焼け石に水だよー。こんな月神様の加護が薄い場所で頑張ってもこりゃ一週間くらいでサヨナラしないといけなくなるだろうし、ここで殺してあげた方がいっそ優しいってもんじゃない?」
「ちょっ、やめてよ……!」
物騒な事を平然と言い放つエーデルに対し、思わずアカリは前のめりになり語気を強める。
「……へぇ、苦しみを長引かせたいんだー……それってさあ、本当に優しさなのかなぁ?」
初対面の印象となんら変わらない、薄ら笑いの天使。
確かに素顔であるのに顔面それ自体が仮面めいてまるで変化がなく、声音もまた普段と同じ調子。
それなのに、何故か今の一言に底冷えがする程の冷気を感じた気がして、アカリは息が詰まった。
「数日生き延びさせるって言ってもさー、僕らにとっては『たった』数日だよねー。けどこんな状態になったマサきちとユイちゃんにとってはろくに休めもしないし、ずっと苦しむだけの時間が数日『も』続く訳じゃーん? 苦しみを代わってあげる事すら出来ないのに、そんな拷問に耐えろなんて言っていいの? ……ねえ、本当は自分が置いて行かれたくないだけ、一人になりたくないだけじゃないの?」
「……あの、エーデルさん……言いたい事はわかりますが、親しい人間の死をそう簡単に割り切れるものでは……」
言葉を失い狼狽するアカリと、淡々と――だがそれでいて一方的に責めるような言葉を浴びせ続けるエーデル。
見るに見かねたフィルが仲裁に入った事で後者は溜息まじりに口撃をやめたが、前者は何も喋る事ができなくなっていた。
(……創路君やユイちゃんを助けたい、けど……それって、本当に二人のためなのかな)
何か声をかけられた気がした。
だが今のアカリからは外部の音が全て遠ざかっており、いずれも壁を隔てたように小さく不明瞭にしか聞こえない。
他の誰にでもない、自分自身に対する疑念。
アカリが異世界に関わった理由は、フィルを助けるためだった。
それ自体も文字の中の彼が強く印象に残り、等身大の人ではなくあくまでキャラクターとして好んでいたからという動機だった。
だが迷わずその身を犠牲にしたり、人々のために力を尽くそうとする彼と関わっていく度に意識していた事。
――無意識に、視線がエルフへと向く。
アカリを心から痛ましく思っているのだろう、ひどく心配げに此方を見遣る心の綺麗な人。
彼に比べて自分がいかに利己的か、今更再認識せずとも何度も思い知らされていた事だった筈だ。
今まで関わった人々が優しいから、真っ向から言われる機会が今までなかっただけで。
思い当たる節がなければ罪悪感など感じる事もないだろうに、こんなにも苦しいのは単なる図星だからだろうか。
フィルの姿が眩しく感じて、逃げるように自らのエゴで苦しめようとしている人達へと視線を移した。
――マサキが、ゆっくりと半身を起こしていた。
「……勝手に、オレの気持ち……決めねーで欲しい、んだけど……」
鈍った聴覚が、それだけは明確に聴き取った。
世界にかかった靄が、急速に晴れていく。
「……回復してもらって、マシになったけど……何か全身火傷したみたいだし、内臓まで焼けてるみたいだし……そりゃ苦しいけどさ……」
自らの肺の上を撫でる手も、苦痛に歪み脂汗を浮かべる顔も、少しはケロイドが退いたとはいえ未だ赤く爛れた部分が多く残っている。
むしろ、明確に表情が認識できてしまう分だけ苦しそうにすら見えた。
だが、それでも彼は主張し続ける。
「けど、まだオレ……意思は、失ってねーし。ユイも苦しめる事になるからちょっと揺らぐけど……でも、だからって生きる事、諦めたくねーんだわ。オレ、生きたくても生きられなかった人の事……多分、救えないままここに来ちまったし。だから……生きて、他に生きてる人がいるなら助けになりたい。またユイと一緒に笑いたい」
アカリの脳裏に、もう一人の後輩の姿が過ぎる。
もう戻らない日常に、心が締め付けられる。
「天使の人……エーデル、だっけか。さっき、『こんな場所じゃ』回復しても無駄だって言ってたよな。それってつまり、別の場所ならいけるって事か?」
「……レネティース教の教会なら神様の加護に満ちてるし、まあ今よりかはマシになるだろうねー。それがなくても各世界から教会を探すつもりだったけど、そもそもそこも無事な保証はないし世界がこんなんじゃ狙った場所に着地するなんてまず不可能なんだよ。動いたところで今より状況悪くなる確率のが圧倒的に高いって訳」
焼け爛れ憔悴しても意思は燃え尽きないマサキに対し、氷のように冷めた様子で肩を竦めるエーデル。
二人の温度差が居心地の悪さに拍車をかけ始めた頃、不意にシオンが顔を上げて窓の外を見遣った。
一拍遅れて、軽い衝突音。
「……えっ」
反射的に振り返ったアカリの視界が捕らえたものは、最初の冒険を共にした白葡萄色のランタンが窓を優しく叩く姿だった。




