※チャクシン
「……あー、追ってくるって言ってたっけ、そういえば」
コキアケ様とやらは確か、数日の間電話した者を追い回すという話だった。
マサキから聞いた話を思い出しつつ、彼の方を振り返る。
彼は彼で真剣に現状を整理しているようだった。
「今のバイクの音がさっきの電話で聞こえてたとすると、距離的に公園あたりっすかね……俺ちょっと、外の廊下から見てくるっすわ」
「え、ちょっと創路君……」
「……下には降りないし、見つからなかったらすぐ戻るんで大丈夫っすよ。先輩は据石の傍にいてください」
確かめずにはいられないのだろう、すぐさまソファーから腰を上げ、玄関の方に向かうマサキ。
アカリとしても外が気になるのは解るが、迂闊に室内から身を晒すのはどうかとも思い何を言うべきか決めあぐねてしまう。
しかし、やはりこの場で最も優先しなければならないのはこの現象に巻き込まれた張本人であり最も精神的に追い込まれているであろうノゾミだと判断し、彼女の傍にいる事を決めた。
――決めた、のだが。
「……わ、私も行きます……」
当のノゾミがそんな事を言い出し、さらにアカリを困惑させてしまう。
「えっ? 行くって……外に出たら危なくないの?」
突然の出来事で狼狽したアカリをよそに、ノゾミは立ち上がってマサキを追ってしまう。
「襲われる事は無いし、あいつを一人で行かせる方が何しでかすか解らないですし……」
赤縁眼鏡の奥の瞳にはまだ恐怖も色濃く存在していたが、それよりもマサキを心配する感情が勝っているように見えた。
またもどうするべきか判断を下さねばならない流れが訪れるが、話通りならコキアケ様がノゾミを襲う事は無い筈である。
それに、ノゾミの目――
「……うん、じゃあ気を付けて全員で行こっか」
今まさに玄関の扉を開こうとしたマサキに接近すると、彼は驚いて振り向いたが二人の眼差しを見て何かを察したのだろう。
一度首肯し、そのまま全員揃って外の廊下に出た。
暖房を入れていた室内とはあまりに温度差がありすぎる、冬の外気に体温が奪われる。
寝間着越しでは刺されるように肌が痛く感じるが、今はそれどころではなかった。
今しがた出てきた扉と同じ形状のそれらが等間隔に並ぶコンクリートの共用廊下を横切り、同素材で設えられた手すりに歩み寄る。
分厚く塗り固められたそれは高校生達の胸部くらいまでの高さであり、築年数は経過しているもののまだまだ十分な強度がありそうだった。
普段なら全く不安を覚えないそれに心もとなさを感じてしまうのは、今も得体の知れない恐怖が視界の何処かに存在している可能性が拭えないせいだろうか。
何もしないまま心を食い潰していきそうな感情を無理やり押し殺し、先んじてそのコンクリートの塊に接近したマサキの隣にノゾミを挟むようにしてアカリも立つ。
眼下に広がる真夜中の公園は木々が多く、夜空の色よりも街灯の色に強く照らされており緑色が遠目からでもよく見えた。
だから、異端はすぐに目に留まった。
「――ひっ……!」
ほぼ同じタイミングで全員がそれを見つけたのだろう、それぞれが息を呑んで一歩後ずさったり、必死に悲鳴を堪えて微かな声を溢したりしていた。
街路樹と街路樹の間、街灯の光がちょうど途切れた闇の深い部分。
そこに、それは直立している。
「な、何だよあれ……絶対人間じゃねえだろ……」
マサキが震える声を潜めて言った通り、輪郭そのものは人間に酷似しているものの――間違いなく普通の人間ではないだろう。
どこの世界に全身ケロイド状態で、否――それよりも遙かに赤く、まるで全身を焼いてさらに出血させ、瞼を癒着させて眼球を完全に覆った後その血を塗りたくって作った赤いのっぺらぼうのような人間が存在するというのだろう。
悪意ある猟奇殺人犯が作り上げた死体ならいざ知らず、アレは間違いなく生きて立っているのだ。
「それよりもう戻ろう、ずっと見てると気づかれるかも……」
既に手遅れの可能性もあるが、だからといって今ここにいても出来る事は少ない。
アカリもまた声を潜めて二人の後輩に告げた後、顔面蒼白になったノゾミとマサキの手を半ば強引に引いて元いた部屋に連れ戻す。
二人の後輩を押し込めた武骨な鉄扉がいやに重く感じる。
最後に自分の身を玄関に押し込めて、なるべく音を立てないよう震える手でドアノブを押さえつつ扉を閉め、鍵をかけた。
気配と音を殺したつもりでも、夜の静寂には蝶番の軋む音が、枠に扉が収まる音が、そして何よりサムターンを回す施錠音が嫌でもよく響く。
――赤い人影は、その場から微動だにせず一部始終を存在しない双眸で凝視していた。
†
結局夜が明けるまで全員まともには眠れなかったようで、自宅に一度帰るために早朝にセットしたアラームが鳴る頃には三人とも身体の重さや気怠さを隠せずぐったりとしていた。
それでも何とか立ち上がり、身支度を整えて朝の公園を見下ろす。
噂やノゾミの証言から朝にコキアケ様は出現しないと聞いていたし実際に何も居なかったのだが、それでも夜にあんなものを見たせいで確認の際には途轍もない勇気を要求された。
「と、とりあえず居なくて良かった……明日からは親がいるんだよね? 一人で大丈夫……?」
これからも怯えながら自宅に帰る事になるだろうし、暫くは夢にでも見そうなものだが、それでもアカリとマサキは『それだけ』だ。
ノゾミは再びコキアケ様と対峙しなくてはならない。
しかも、別室に家族がいるとはいえ今度は自室に一人でだ。
「まあ……自分で蒔いた種ですし。自業自得だし、ただ耐えれば数日で居なくなるみたいですから」
諦観と、覚悟。
ノゾミの一言からはそんな内心が垣間見えたが、自分達が直接コキアケ様と関わっている訳ではないので、アカリにはこれ以上どうする事もできない。
「オレは学校行ったら同じ教室にいるし、何かあったらいつでも相談に乗るからなー」
流石のマサキも普段のふざけた調子はなりを潜め、本気でノゾミを心配しているようだった。
やはりアカリ同様にこれ以上何も出来ないのは歯がゆそうであったが、どちらも自宅に帰らねば学校に遅刻する時間を迎えてしまった。
「じゃあまた、学校で」
後ろ髪を引かれるような思いでマンションの一室を後にし、アカリとマサキは共用廊下から階下へ降りていく。
どうしても公園の傍を通らなければならないが、中は通らず公園に沿って歩く事にした。
公園沿いを離れ、その先の道を一本抜けるまで、両者とも終始無言。
どうしても緊張し、公園や周囲を警戒し時に遠巻きに伺える人影に怯える。
「……来ないって解っててもやっぱビビるっすよね」
先に口火を切ったのはマサキであったが、互いが別方向へ分かれるT字路が視界に入ってからだった。
「……うん……間違いなく本物でしょ、あれ」
具体的な根拠を示せと言われれば難しく、生物的な本能で判断した結果に過ぎない。
だが、少なくともこの世界では感じた事がない部類の恐怖だった。
生物的かつ自力で立っているにも関わらず生を感じさせない違和感。
死体が生物を真似て歩いているような、本来なら存在しえない怖気が走る程の矛盾の塊。
「とりあえず据石が殺される事は無いんだろうけど……あーもうコレどうしたらいいんだろうな……あんなん存在するとか、もうこの世界に不信感しかねえっすよ……ヴァルゴだっけ? あんなん来る前に怪奇現象でどうにかなりそうっすよ……」
もはやアカリには頷く事しか出来ず、そうこうしている間に分かれ道に辿り着いてしまった。
「……とりあえず、また部活で」
ノゾミとは違い学年が違うので、マサキにそう告げて右側の道に曲がる。
一人になると早朝の風がより冷たく感じるが、早く足を動かさねば学校に遅刻してしまう。
身震いする身体を無理矢理動かして、アカリは懸命に自宅を目指した。
ふと冷えた手をコートのポケットに入れて暖を取ろうとしたところで、ちょうど震えだしたスマホに驚いて手を引き抜く結果となった。
今もまだ震えているので、気のせいではない。
ただの着信のようだが、タイミングがタイミングなだけに非常に心臓に悪い。
「な、何……? あ、もしかして創路君? 話が中途半端だったし……」
何か伝え忘れた事があったのかもしれない。
そう考え、未だ振動しているスマホを手に取り、応答ボタンのマークに触れて耳に当てる。
「もしもし……小流です」
変に間が空いたのは、マサキと決めつけていたがよく考えれば違う可能性もあると今更気づいたからだ。
そもそも画面の表示を確認してから出るべきだった。
残念だが、アカリは中々に動揺しているらしい。
「……もしもし?」
電話の相手がいつまでも話さない事に違和感を覚え、不安が煽られる。
と同時に、苛立ちが募った。
もしマサキかノゾミの悪戯なら、流石にタチが悪すぎる。
やはり誰からか確認してやろうと、一度耳からスマホを離して画面を見下ろした。
『090−XXXX−XXXX』
マサキやノゾミは連絡先に登録しているため、彼らなら名前が出る筈だ。
――なら、今繋がった相手は誰だと言うのか。




