帰還
†
「……五人とも生きていて良かった。ヴァルゴも深手を負った事だし、恐らくすぐに私達を追う事は出来まい」
風呂でのシオンの様子をヒントにし、光に弱い目元を狙う事で切り抜けたアドロスピアでの危機。
彼があえて全員とは言わず、五人と言ったのはリッチ――もといマコトの事を考えての事だろう。
どうやらヴァルゴの術が解けたらしく衣服も含めて一歳児の姿に戻ったユイを抱き寄せ、アカリは目を伏せる。
恐らく彼は本当に死んだ。
もうこれで世界を渡ろうが何だろうが、彼には永遠に会えない訳だ。
マコトの考えには賛同できないし、アカリからすれば大好きだった世界と人々をゴミのように扱われどう足掻いても好きになれる人種ではない。
が、ユイからすればまた別なのだろう。
叔父の代わりにはなれないが、せめて小さな彼女を一人にしてしまわないよう胸に抱きしめ続けている。
さて、今現在は図書館の扉を開いたままシオンだけが無彩の書架側に立ち、他全員が蝋燭を所持し極彩の図書館側に立って会話しているのだが、それぞれがこれからどうするべきか悩んでいる最中であった。
フィルとアデルはアドロスピアに戻るにしても、折角なのであのヴァルゴが来づらそうなこの極彩の書架の一角を見て回ろうと思っているらしい。
アカリに関してはヴァルゴが追ってくる不安を覚えつつ、カルールクリスでは失踪扱いになっている可能性が高いためすぐ戻らない訳にはいかなかった。
「たった数日いないだけでも周りに知れ渡ってしまうんですか……凄いというか、やはり異世界となると色々違ってくるのですね」
アドロスピアの文明は大ざっぱに括れば中世くらいに分類されるだろうし、フィルの関心ぶりからも見て取れるように理由不明の失踪者が出るのはそれほど珍しい事でもないのだろう。
「うん、だから帰らないとなんだけど……失踪は適当な言い訳をするとして、問題は……」
フィルから腕の中のユイに視線が落ちていく。
自分の場合はまだ良いが、彼女は乳幼児であり、事件や事故以外の要因で行方不明になる事は無い筈だ。
今頃創路家はどうなっているか――等と考えるだけでも胃が痛いし、何せ連れてきたのがヴァルゴであるためどう戻したら良いかも解らない。
「あたしと一緒にいたらあたしが誘拐犯扱いされるに決まってるよね……」
失踪の時間帯もアカリが先だ。
仮に犯人なら時間的には恐らく可能なのである。
「ふむ……アカリ殿、ユイ殿の兄上と知り合いだと言ったかね?」
ふと、何かを考えていたらしいシオンが顔を上げてそう問い掛けてきた。
特に嘘をつく理由もないので、素直に首肯する。
「そうだけど、それがどうしたの?」
「彼がもし異世界の存在を信じられるようであれば、君を探り当てた時のように私から接触を図ってみようと思ってだね。此方の話を信じてくれれば、彼がユイ殿を引き取ってくれるだろうと思ったのだが」
これ以上ないありがたい提案である。
「ありがとう、出来るならそうしてほしい。創路君なら多分……信じてくれると思うし」
断言出来る程の自信はないが、アカリは彼も自分と似たような感性を持っていると思っている。
それ故に、この図書館を実際に見た上でアカリからも説明をすれば信じてくれるだろうと考えたのだ。
よって、提案を受け入れない理由がない。
「じゃあ、これで全員どうするかは決まったか? 俺らからも説明が必要ならまずユイの兄貴をここに呼び出して、その後解散ってとこか?」
アデルの一声に全員が頷き、カルールクリスへの本を手分けして探す事になった。
†
マサキを呼び出してからは、アカリの予想した通り戸惑いつつも話を理解し信じてくれたようだった。
結局彼はユイと共に帰還し、『いつの間にか家にユイがいた』と両親に告げる事になる。
アカリの方も『行方不明時の記憶がなく、気づけば家の傍にいた』と家族に説明する事になるのでどちらも苦しいが、実際のところ異世界絡みであってカルールクリス内に誘拐犯等は存在せず、警察などから色々訊かれたが犯人は見つからないままで終わる事だろう。
フィルとアデルの二人組も暫く図書館を堪能してからアドロスピアに帰還し、現在はその直後の時刻となっている。
「あっれー、シオンちゃんじゃん。またこんな明るい場所まで来たの? アドロスピアでの大活躍読んでたよー、いやぁもう大盛り上がりの大迫力って感じだったねー。」
図書館に残ったシオンは一人、極彩の書架を歩いていた。
そこでよく会う天使の姿を見咎めると、迷う事なくそちらに歩を進めて行った。
「おや、見られていたのかね。そんな気はしていたが照れるではないか。中々苦戦した部分もあって恥ずかしいのだが」
「いやぁ、僕君達のファンだしー? そりゃもう全部見てたよ、最後の幻惑の部分まで含めて全部ねー」
一瞬、シオンの口元から笑みが消える。
エーデルの方は対照的にいつもの薄ら笑いに笑声が加わったが。
「……やっぱ君さ、他の悪魔とはちょっと違うんだねー。でもいいじゃん、悪魔であれ何であれ、例え敵であれ僕らは君達全てを愛し許し望むままの世界を与えるだけだからさ」
「……ああ、マコト殿のようにかね」
今度はエーデルの方が目を丸くする番となった。
「へ? 何の話かなー?」
天使は素知らぬ顔で肩を竦めて見せるが、悪魔はかぶりを振って迷いなく告げる。
「……アドロスピアの本を探している時、私はあえて私ではなくアカリ殿が探していると伝えた筈だ。しかし、君は迷うことなく極彩の書架の方に向かった。以前までは無彩の書架にあった本である上に、その場では名前しか聞かされていなかった筈だが――それでもだ。あの時既に世界の名どころか時が動いているかを知っていなければその行動はおかしい。……知っていた理由は、マコト殿を君が『転生』させて日が浅かったからだろう」
もはや言い逃れ出来る要素がなくなったのだろう、天使は軽く笑ってあっさりと頷いた。
「ほんとよく見てるねー、大正解だよ。けど僕はいつも通り『仕事』をしたまでで、まさか君達がこんなに関わってくるとは思ってなかったんだから仕方ないじゃん? 予想外といえばマコトンが自分のためだけの新しい世界を望まなかった事もだけど。そういう意味でも今回は大盛り上がりだったよねー」
マコトを殺した事も仕事と称して、特に悪びれる様子もない。
だがシオンも天使の立ち位置を理解しているのか、それ以上追及する事も咎める事もしなかった。
「……そのようだね。運命とは時に思いがけぬ奇跡を齎|すもの……それだけの話だったのだろう。それでは用も済んだし、これ以上消耗する前に失礼させて頂くのだよ」
踵を返し、黒の大扉を目指して歩き出すシオン。
「はいはいー、またどうせお互いうろついてる間に顔を合わせ――って、そうだった。シオンちゃんにも一応教えておくよ」
天使に呼び止められ、振り向きはしないものの悪魔の足が一度止まる。
「そろそろ『太陽が昇る』んじゃないか、って話が上がってるよ。僕らは当然立ち向かうけど、いざとなったら逃げる場所くらい確保しといた方がいいんじゃない?」
「心配ご無用、自分一人の身なら自分で守れるつもりでいるからね」
「はいはい一人ならねー、いつか他人に関わりすぎて過労死しないようにねー」
そのまま会話を終え、シオンは役目を終えた蝋燭を傍のテーブルに置いて大扉を抜ける。
深い闇に身を投じ、色を失った本達を見上げながら一人呟いた。
「……誰も傷つかない箱庭の世界、か……」
これにて二章終了となります。
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