本の世界
†
元は純白と新緑を基調としていた瀟洒な城であったのだろう、眼前のそれ。
だがしかし今は枯れ木や雑草で荒れ果てた庭園に囲まれ、汚れも風化もそのままに放置されていた。
巨城は富や権力の象徴とされる事が多い。
が、こうも生の気配がしないとなれば、威光というよりは退廃や恐怖の方が受ける印象として格段に強くなるというものだ。
それが、直上に差す昼の陽光に照らされていたとしても。
『やっとフェネシア城に着いたか……。って、おいフィル。何やってんだお前……』
そんな古城の前には二人の人影があり、軽装の戦士か盗賊といった風采の片割れがまず口を開く。
瓦礫に腰掛けた相棒を見遣る鮮やかな蒼の瞳は、浮かべる感情こそ相手への親しみ故に生じる気の抜けた呆れであるが、瞳そのものは瞳孔が縦に割れ獣めいた鋭さを湛えている。
実際、頭部には髪と同色の青みがかった獣耳が生えていた。
尾と合わせて見れば短毛種の猫のそれだと判断出来るだろう。
そんな長身の彼に比べれば一回り小さく華奢な――というか外見では性別の判断に困る、中性的な風貌のエルフが腰掛けたままで柔らかく笑む。
『何って、月神の加護を受けていただけですよ。
いつもの事ではないですか』
白い手に持った小瓶には繊細な葡萄の蔓と月の意匠が施され、いかにも僧侶といった白いローブ姿と相俟って見る者に聖水が封入されているような印象を与えるだろう。
だが、それならば呪詛を受けた者や呪いの武器が存在しない今、ここで蓋が開いている事の説明がつかないのである。
『ただの飲酒だろうが……』
猫獣人の少年――アデルは深い溜息をついて頭を掻いた。
この後に続く薀蓄も含めて毎度の事なので、もはやこれ以上咎める気もしないようだ。
『おや、月葡萄で作ったワインは旧き時代から強い殺菌効果で病から人々を守り神聖視――』
『聞き飽きたっつーの、わざとやってんだろ』
コロコロと鈴の音のような笑声を零す姿は女性寄りな顔立ちのせいか、アデルと同じか下手をすればやや幼く見える。
本人曰く成人らしいが、だとしても魔物が蔓延ると噂の古城を前にして、少量とはいえ飲酒する姿を見て動揺せずにはいられない者が多数だろう。
ともあれそんな他愛のない会話も一旦区切りがついたらしく、フィルが立ち上がる。
『特にフェネシアは伝染病で滅びた国との話ですしね……。さて、お待たせしました。そろそろ向かうとしましょうか』
アデルの隣に並び、フィルもまた城を見上げる。
長い金の髪が風に靡き、太陽の光を受けて輝く。
この美しさがそう遠くない未来に血に汚される事を、今しがた飲んでいた聖化されたワインを投げつけてアンデッドを足止めする事も、アデルと別れるまで笑顔でいて見せた事も、
この世界でアカリだけが知っている。