不屈
今敵に遭遇すれば、対応できず負傷するかもしれない。
だがもう、構う時間が惜しかった。
辿り着いた扉を片っ端から開き、ただの寝室と見るやいなやすぐに放置して走り出す。
激しい剣戟と魔法が炸裂する音を背に、ただひたすらアカリは炎の剣を探し求める。
三つ程扉を開いた際に、爆音と共に頭上すれすれを何かが通り抜けた。
光の範囲外で金属質な衝突音、次いで槍か長剣と思われる物体が床を転がる音。
頭上から吹き飛ばされて四分の一程度が消えた扉。
恐怖と緊張のあまり心臓の鼓動が高速になり、竦みかけた脚を無理矢理に引きずって再び走り出す。
次の部屋を開け放てば、縁に彫刻を施した椅子と長机がまず目につく。
次に、その長机の上に横たえられている物体の存在に気がつく。
「――! あれが、まさか……!」
埃が積もり、薄汚れてはいるが炎を思わせる赤い鞘と不死鳥の羽を模した柄。
その全貌が剣の形状だと判断できるや否や、その場にメイスと盾を置いて長机に駆け寄った。
躊躇している余裕は無いため、メイスよりも明確に重量がありそうなそれをすぐに両手で掴みあげる。
やはり両手を空けたのは正解だったようで、剣としては小振りながらも金属の比重が多いが故の反動が二の腕に負荷をかける。
片手で降るのはまず不可能であっただろうから、やはり武器だけでなく防具を手放したのは正解である。
一人用の部屋なのだろう、対して広くもないそれは机と椅子の他には書類程度しか入らないであろう棚くらいしか目につかない。
もし魔剣が存在するならば手に持った一本がそれで間違いない筈だと判断し、抱えたまま即座に踵を返す。
部屋を出た瞬間に二つほど前の開きっぱなしにした扉が派手に吹き飛んだため、咄嗟に身を引いて一度執務室に引っ込む。
内心は戦々恐々とし膝が笑うも、未だ遠巻きに聞こえる激しい戦闘の音がアカリを奮い立たせた。
爆音の余韻が残る中で意識して強く床を蹴り、慣れない手付きで剣を抜きながら走る。
震える手に全く馴染まないそれを精一杯の力で強く握りながら、余計な事を考えて脚が竦まぬよう何も考えないようにして走る、走る、走る。
砂埃で視界が悪い中、仲間の背中が見え始めた頃には――微かな血臭が鼻を突き、戦慄が全身を駆け抜けた。
「――っ、アカリ……無事で良かったです」
美しく見る者を惹きつける金の長髪は乱れ、ところどころが血に汚れていた。
一瞥だけくれ振り返る余裕のない白い顔にも、額から流れた血の筋がこびりついていた。
「フルムーンシールド!」
奥で迸る閃光につられて振り向けば、まさに宙に出現した光の丸盾に魔物の連撃が叩き込まれる瞬間であった。
その間に射程範囲内から飛びのくアデルもまた、深手こそないものの全身に裂傷や打撃を受けたであろう砂汚れが見て取れる。
両者とも満身創痍であるが、それに対して巨躯は傷こそそれなりの数がついているものの、全く動きを鈍らせていない。
やはり核に攻撃を浴びせなければならないのだろうが、現状その位置が全くわからないようで、二人の浴びせた攻撃の痕跡はてんでバラバラについていた。
「核は一体どこに……って、それどころじゃなかった!」
手元の剣を見下ろし、そしてアカリは狼狽する。
柄に埋まった宝石は辛うじて元が赤色だと判断出来る色味をしているが、黒く濁っており神々しさやら魔術的な雰囲気やらを感じさせない。
これを一体どうしたら炎を宿す魔法剣の姿にできるのか、全く想像がつかなかった。
「精霊の声が聞こえませんか、アカリ……? 自分から呼びかけてみては……」
次の詠唱に入る前にフィルに問われたが、それらしき声など全く聞こえる気配が無かった。
――背筋を冷や汗が伝う。
想定はしておいたつもりだが、これがつまり『精霊を扱う才能が無い』という事ではないだろうか。
「お願い、応えて……!」
いくら呼びかけようが、手に汗握って耳を澄ませようが全く変化はない。
そうこうしている間にも視界の端でアデルとフィルが剣と魔法の連撃を繰り出しているのが伺えるのに、自分だけが何も出来ない。
異世界に来ても何も出来ない。
「お願いだよ、このままじゃ二人が……っ!」
だが、必死の訴えも虚しく――状況が変わる事はなかった。
アカリは失意のままに項垂れ、沈黙してしまう。
それを見かねたのか、光の槍を放ってからフィルが一度振り向く。
「大丈夫ですよ、貴方のせいではありません。それに剣が使えなかった場合の話もして――」
彼の言葉を聞き届ける前に、アカリは前方に向かって駆け出していた。
見届けたフィルもだが、自分に振り下ろしかけたガストキングの腕を横から斬りつける、アカリの姿を目の当たりにしたアデルも驚いていた。
「なっ、お前……精霊は使えなかったんだろ! だったら主体になって戦わなくても――」
「――よ」
後方に縫い止められた骸の腕が、曲がった槍を突き出す。
アカリ自身は逃げ遅れたが、狙いがうまく定まらなかったらしく後頭部スレスレを擦り抜ける。
直に当たっていたら即死であっただろう、生じた風の勢いが容赦なく心を折りにかかる。
――だが、アカリの目から闘志は消えていない。
「……嫌だよ。あたしはアデルもフィルも、仲間を守るために傷ついた姿を見てる。必死になった姿を見てる。」
上部に埋もれた遺体が、大振りなウォーハンマーを勢いよく振り下ろす。
アカリもアデルもその場から離れ、直後の地響きによろめく。
体制を整え、両者とも武器を構え直し――
距離が離れた事で聞こえづらくなった声を、アカリは張り上げた。
「あたしは仲間を信じて、仲間のために全力を尽くしに来た! だから魔法が使えなくたって、期待に裏切られたって――ここで諦めたくない!」
他の二人に比べれば、半人前以下の戦闘力しか無いだろう。
だが、宣言した通りだ。
元来た世界でのような諦観は、自棄は、信用できる仲間がいなかったからだ。
だが今は信頼できる仲間がいる。
ならば命尽きるその時まで、全力を尽くして戦い抜く。
それが、自分自身の本質であり望んだ生き方だと知っているから。
「ウゥ、ウ」
ゾンビが一歩接近を仕掛けた時、中央の鎧を纏った死体が呻く。
一体だろうが集合体だろうが、変わらず悲痛な声。
宿主の意思など関係なく、無理矢理に喉から絞り出される呻き。
「……開放してあげなきゃね」
手に馴染まない剣を握りしめる。
ふと、一瞥した柄の宝石がほんの一瞬だけ紅の輝きを見せていた――そんな気がした。