逃走
「俺が最初に突入するから、フィルは魔法の準備してろ。アカリは一番後ろで挟み撃ちに備えな」
アデルの淡々とした一声に、首肯したフィル。
当のアカリはと言うと、もたつきながらも何とか指示通り半歩下がって身構えていた。
もうこのまま何事もなく出られるような気しかしていなかったため、まさに青天の霹靂である。
「もういいな? 行くぞ」
もはや二人の方は見ずに、腰に下げた短剣を抜いて扉を勢いよく開いたアデル。
肉食動物らしく鋭い眼差しを闇に向けていたが、彼の双眸が一瞬で動揺に染まる。
フィルも、そして一面の漆黒しか覗えないアカリもだ。
まだ夜になっていない筈なのに、闇しか見えないのは考えずとも異常事態だった。
否、仮に真夜中であっても開け放ったままの筈の入口から微かな月光が差し込む筈だ。
それが、今は全く伺えない。
だが、異常はそれだけではなかったのだと――フィルの詠唱の直後に、アカリは知る事になる。
「慈悲深き月神よ、裁きの光を顕現させ給え! ホーリーライト!」
フィルの手に収束した光は球の形を成し、勢い良く出口の方角に向かい直進していく。
手元を離れてから一秒も経たないうちに10メートルほど先に立っていた土気色の人型の頭部を弾き飛ばし、爆ぜて散った光が一瞬だけ奥の扉を映し出す。
扉があった筈の場所にはビクビクと蠢く屍を織り重ねた小山が築き上げられていた。
「逃げるぞ!」
アデルの声と、短剣で何かを弾き飛ばしたらしい金属音がほぼ同時に聞こえる。
予想外の光景による呆然自失から急に引き戻され、アカリは勢いよく踵を返した。
その過程で左腕に強い衝撃が走り、一瞥だけくれた時――視界の端に、盾に防がれて弾けたらしい錆びた剣を見咎めて、背筋が凍った。
だが足を止める暇はなく、先導するように他を追い抜いたアデルを無我夢中で追いかける。
途中、最後尾から魔法を放つフィルと、倒れたり首や手足がもげようとも追尾を続けるアンデッド達を反射的に振り返りながら、ひたすらにもと来た廊下を走り抜けた。
†
結局、折角近寄らないようにしていた階段まで追い込まれた一行は、消去法で地下方面ではなく二階に逃げ込む選択をした。
二階もまた一階同様に長い廊下が続いており、これ以上動けば別のアンデッドと遭遇し挟み撃ちになる危険性があったため、フィルの判断で一か八か階段付近の部屋に立てこもる事になったのだった。
一階でアカリが目を覚ました部屋よりは幾分か広く高級感が伺える一室に飛び込み、最後に足を踏み入れたフィルがなるべく音を立てないように扉を閉じ内鍵をかける。
彼の指示だが、どうせ押さえても時間稼ぎにしかならない上、壊された際に攻撃を食らう方が危険であるため扉から距離をあけた状態で待機する事にした。
階段を上がる際にフィルが魔術で屍の足元を狙い足止めをしてくれたのが功を奏したようで、三人が臨戦態勢になってから魔物の足音が二階に到着するまでに数秒程の余裕があった。
――心臓が破裂しそうな程に鼓動が激しい。
扉一枚隔てたすぐ先には、生きる屍の濃密な気配が漂っていた。