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月は蒼天の檻に  作者: 結城琴葉
終章
27/28

(1)

 カーディスの従者は苦痛に暴れる主を抱え、夜空を飛んで去っていった。それを見送り、少し長い昔話をしよう、とリュシアスは言った。

 ――古の時代、女神アルーヴァは、翼を持たない恋人の死を悼んでこの島の民に翼を授けた。

 アルバドスに住まう者ならば、子供でも知っている伝説だ。だからこそ島民たちは、翼を与えた女神の祝福に感謝し、その存在を奉じている。しかし、その恋人の名は不思議なほど知られていない。

 だが、ラドルフォスというその名を、リュシアスは幼い頃から知っていた。それは彼が王子だったからに他ならない。

「……かつてこの島では、アルーヴァとラドルフォスが同じように奉じられていた。アルーヴァが我らに翼を与えたのは、ラドルフォスの存在があったからだ。だが、神が二人いることで、その信徒の間で争いが起こった。勝ったのはアルーヴァを奉ずる者たちだった。ラドルフォスを信仰する者は一掃され、その神殿は忘れ去られた」

 だが、やがてアルバドスには天災が相次ぎ、流行り病が蔓延した。共存していたはずのいくつかの小国家は島の覇権をめぐって争いを繰り返した。

「そんな頃、ある国家が忘れられていたはずのラドルフォス神殿を発見した。神殿を整え、巫女を置いて再びラドルフォスを讃えると、荒れた島は再び平穏を取り戻した。そしてその国がアルバドスを支配することになった。――私の、いや、我々の祖だ」

 リュシアスの静かな語りに、その場にいる全員が聞き入っていた。アストールも、レイに腕を捻り上げられたままおとなしくしている。

「だが、アルーヴァ神殿の者がラドルフォス神殿の存在に反発した。二人の神がいれば、また昔のようにいずれ対立が起こると。国としても、人心を掌握するのに神が二人いるよりも一人だけの方が都合が良かった。それで、信仰の対象としてわかりやすいアルーヴァ神殿だけを残し、ラドルフォス神殿の存在はまた秘されることとなった。だが、今度は忘れるのではなく、密かに伝えられなければならない。その役目は王家が引き受けた。ラドルフォス神殿は禁域の中にあるのではない。ラドルフォス神殿がそこにあるから、あの山が禁域となったのだ」

 ジールがかすかに身じろぎした。構わずにリュシアスは続けた。

「やがて、王家では第一子に必ず男女の双子が生まれるようになった。男の子は王になり、女の子はラドルフォス神殿の巫女姫となった。――アルーヴァの身代わりとして」

 ラドルフォスに仕えるのはその恋人たるアルーヴァである。その考え方から、ラドルフォス神殿は女だけのものとなった。女神の代わりに、ラドルフォスを愛すること。それが彼女たちの務め。

「何代もそうした時代が続き、アルバドスは平和だった。――だが、異変が起こった」

 リュシアスはそこで言葉を切り、そっと指先で腕の中の男の頬を撫でた。

「異変?」

「国王の第一子に、男女の双子ではなく、共に男の双子が生まれた。しかも、双子のうちの片方には翼がなかった。――私と、この男だ」

「翼が……?」

 エヴィーが小さく呟いた。

 一同の視線が、リュシアスの腕の中の男に集まる。苦悶の表情を浮かべた男は、何かを探すように手を宙にさまよわせた。

「ラドルフォスに娘を差し出さなければ、この島に未来はない。国王に他に子はなく、王妃はその双子を産んだ時に死亡した。国王とラドルフォス神殿の秘密を知る者は一計を案じた。同じ日に生まれた娘を島の中から探し出してきたのだ。そして私と双子ということにして、彼女はラドルフォス神殿に入った。名をリースルという」

「リースル?」

 レイが眉根を上げた。その呟きに、リュシアスがレイを見た。

「何か?」

「……いや、続けてくれ」

 また腕の中の兄弟に視線を移して、リュシアスは話を続けた。

「王家の人間ならば、男であってもラドルフォス神殿に入ることが出来る。私は時々ラドルフォス神殿に行き、彼女と会った。私もずっとリースルのことを本当の妹だと思っていたし、彼女もそうだった。何も知らず、平和な子供時代だったよ」

 遠い昔を懐かしむように、リュシアスは目を細める。

「ほんの紙一重だったのだ。――私とこの男の差は。私は王宮に残され、彼は名前すら与えられないまま、その存在は闇に葬られた。……私がこの話を知ったのはずいぶん後になってからだったが、しばらくは殺されたのだと信じていたよ」

「……だから、影なのか」

 ジールが呟いた。

「だが、彼を哀れんだのか、それとも別の思惑があったのか、それは定かではないが、アルーヴァ神殿の大神官が彼を引き取って育てていた。表に出すわけにはいかず、誰の目にも触れないように、この墓地に地下室を作った」

「それが、ここ……?」

「そうだ。彼はここで育った。彼を引き取った大神官と、その世話係を任されていたカーディスの他は誰に会うこともなく」

「…………」

「彼を引き取った大神官の本意はわからなかったが、カーディスは違った。カーディスは、この男を自分の野心の為の道具にするつもりだった。私がちょっとした不注意で怪我でもしようものなら、カーディスは同じところを傷つけた。これがそうだ」

 リュシアスは自分の手の甲を見せ、それから彼の兄弟の手の甲を見せた。どちらにも同じところに小さな赤い痣がある。

「他にもいくつかある。もっとひどいものもね。いずれ私とこの男をすり替えるつもりだったのだろう。育ったのは地下だが、教育だけは与えた。飢えさせることもしなかった。この男は、カーディスのことだけを神のような存在として育ったのだ」

 自分のことを話されているとわかっているのか、男は苦しげに呻いた。リュシアスはその頬に触れ、手を握った。

「だが、この男もやがて真実を知った。その時の心境を私は知らない。――知りようがない。彼はラドルフォス神殿に向かい、そこでリースルに会った。すぐに見つかってまたカーディスの元へ戻されたがね。その時にどのようなやりとりがあったのかはわからない。だが、間もなくリースルは妊娠した」

「……それって」

「女だけのラドルフォス神殿ではありえないことだ。――リースルは、彼のことを私だとずっと思い込んでいた。自分は実の兄と関係してしまったと信じ、心を病んでしまった。言い訳になるかもしれないが、私も当時、父が病に倒れて、その代わりに政務を執っていたし、父が死んでからは葬儀や即位の準備などが続いて、なかなかラドルフォス神殿へ行けなかった。事情を知ったのはずいぶん後になってからだったから、リースルと会うことがなかった。彼女に会った時にはもう手遅れだった」

「…………」

「同じ頃、私には愛した人がいた。彼女もまたラドルフォス神殿に仕える人だった。私は彼女を引き取ったが、私には既に妃がいた。公的な身分を与えてやれないまま、彼女はやがて双子を産んだ。――また男の双子だった」

 二代続けて、ありえない子供が生まれた。何かが起ころうとしている――リュシアスがそう考えるのは不自然ではなかった。

「双子を産んだ母親は、リースルの忠実な侍女であり、友人だった。自分がいない間にリースルの身に起こった事実を知って、彼女は悔やんだ。そして双子を私に残し、彼女の元へ帰った。それからすぐにリースルは女の子を産み、死んだ。私は考えたよ――もう少しで、父と同じ過ちを犯すところだった。リースルの産んだ娘を私の娘とし、双子の片割れと入れ替えようとした。だが出来なかった。何故なら、その娘には翼がなかったからだ。翼がなければ女神の代わりの巫女姫にはなれない。――エヴェリーナ、君のことだ」

 話を聞いているうちに、なんとなくそうではないかという気がしていた。

 エヴィーはごくりと唾を飲み込み、リュシアスの腕の中の男を見つめた。

 ――この人が、私の父親。

 翼を持たない、この島でたった一人の同胞。そして初めて知った母の名前。

「その頃、私の妃も子を身籠っていた。だが、ありえないはずの子供を三人も抱えて、私はこの島の異常さを感じていた。そして決めたのだ、私が最後の王になると。だから生まれる子は、王位を継ぐべき存在であって欲しくはなかった。妃とは別れ、子供は女として育てるように彼女に頼んだ」

 それがアストール。

 二人がこれほどまでに似ていたのは、血の繋がりがあったから。

 エヴィーはアストールを見、アストールもまたエヴィーを見た。

「君たちは、二人とも私の母に似ているよ。私も絵でしか知らないがね」

 リュシアスはそう言って小さく笑った。

「双子もまた、王家とは無縁のところで育てたかった。リースルを失った双子の本当の母親は、自分にはもう育てる資格がないと言った。それで私は、秘密を知る他の女性に子供たちを託した。いずれ、成長した時に身の証となる石を持たせて。――ジーリアスとキルシウス。私の子供たちの名前だ」

 ジールとキルシュが互いを見る。双子というにはあまりにも似ていない。更にアストールもまた彼らの異母弟になるわけだが、彼らの顔に共通点は一つもなかった。

「キルシュ、君は既に本当の母親に会っている。彼女は君に会えたことをとても喜んでいたよ」

「……まさか」

「そうだ。君たちの母親というのはイリアのことだ。ジール、君にもそのうち会わせよう」

 だからイリアはエヴィーたちを助けたのか。リュシアスに頼まれたから――それだけではなかったのだ。

「普通、巫女姫がラドルフォス神殿に入る時、その遊び相手、あるいはその世話係として何人かの幼い少女が一緒に入るんだ。イリアはリースルの友として神殿に入った。君たちの母親代わりを務めてくれた女たちもそうだった。二人はラドルフォス神殿を出たが、イリアだけが残った。……自らの罪を悔いて。そして、先代や先々代の巫女姫の付き人だった婆さんたちの世話をして日々を暮らしているのだ。――彼女に罪はないというのに」

 エヴィーはラドルフォス神殿で会ったイリアのことを考えた。翼がないと知れた途端、表情を変えた老婆を押しとどめたイリア。リースルの娘だと気づいていたのだ。

「若い頃、私は錠前作りが趣味でね。アルバドス一と評判だったダルトンを城に招いていた。錠前作りの腕はもちろん、ダルトンの誠実な人柄が私は好きだったよ。私は『女神の涙』を彼に預けた。そして、それに似せたものを二つ作ってくれるように頼んだ。見事な出来栄えだった。本物と見分けがつかないほどにね。本物は何をしても割れないが、偽物は金槌で叩くと二つに割れるそうだ。それを、君たちに……君たちを育てた女性に渡した。今は二つともカーディスの元にあるようだね」

「じゃあ、本物はどこに……?」

 キルシュの問いに、リュシアスはエヴィーに、そしてアストールに視線を移した。

「今、ここにある」

「え?」

「アストール。君はもう気づいているね?」

 一同の視線がアストールに注がれた。アストールは黙ったまま、リュシアスを見返した。

「彼を離してやってくれないか。もう何もしないだろう」

 リュシアスに促され、レイはアストールの捻り上げていた腕を解放した。アストールは自由になった腕を取り戻すと、一同の前に両手を突き出した。

「……あれ?」

 レイが怪訝そうな声を上げた。

「さっきの傷は……?」

 アストールの手には、かすり傷一つなかった。少女のような白い手に視線が集中する。だが、たった今、エヴィーは彼の右手にレイの放ったナイフが刺さったのを確かに見たのだ。そのはずなのに。

「これが『奇跡』の正体だ」

「『奇跡』……?」

「聞いたことがある」

 呟いたのはレイだった。

「触れたら不思議な力を得ることが出来る、とか……」

「そのとおりだ。だが、その力を得ることが出来るのは、ごくまれな人間だ。例えば同じ王家の人間でも私にはその力はない。だが、アストールはその数少ない人間のうちの一人なのだ。まだ生まれたばかりの頃、私が戯れに触らせてみた。そして何年か後に、この子の噂が島中に広がり始めた。触れただけで傷や病を癒すことが出来る公女だと」

「でも……『奇跡』は起こらなくなったって……」

 だから足の怪我は治せない。そうエヴィーは聞いたのだ。もっとも、その足の怪我は最初から嘘だったのだが。

「アストールが『女神の涙』に触れたのは生まれてすぐの頃。その時に得た力は恒久的なものとは限らない。『女神の涙』が近くにあるのならともかく、それは遠く離れたところにあり、再びアストールが触れることは出来なかった。そうして、時間と共に『奇跡』の力は消えていった。だが今、アストールは十七年ぶりにそれに触れた。そして自分の傷を癒した。――そうだね?」

「……そうだ」

 アストールは頷いて、エヴィーの首から下げられた鍵を指した。

「その中に『女神の涙』が入っているんだ」

「どうやらそうらしい」

 リュシアスが頷いた。エヴィーは鍵を目の高さにまで持ち上げ、まじまじと眺めた。

「――これが?」

 ダルトンから渡された、彼の形見の鍵。

「何を開ける為のものか知らなかったけど……」

「その鍵は何かを開ける為のものじゃない。その鍵自体が宝なのだ。私はダルトンに本物の『女神の涙』と一緒にリースルの産んだ娘を託した。それが、彼女の身の証になれば良いと。……しかし彼も考えたものだね。何かにしまい込むのではなく、鍵の中に埋めこんでしまうとは」

 鍵の握りの部分には円蓋状の飾りがついている。真鍮の鈍い光を放つその中に、本物の『女神の涙』が入っているなんて思いもしなかった。

「だが、そのせいでダルトンには悪いことをした。……まさか殺されるとは思いもしなかったよ」

 リュシアスが顔を伏せた。エヴィーもまた、ダルトンのことを思い出して目を閉じる。

 目の前には本当の父親がいる。だが、エヴィーにとって父とはダルトンのことだった。それはきっとこれからも変わらない。

「何故、この男やエヴェリーナのような子が生まれたのか、それはわからない。だが翼を持たない子が続けて、しかも王家に生まれた。それは何らかの予兆ではないかと私は思ったのだ」

 翼を持たないということ、それはこの島が囚われている過去の因果からの脱却。滅びるのではなく、新しく生まれ変わる為の、新しい世代の子。時代は確実に動いているのに、この島だけがいつまでも取り残されている。

「私は大陸との融合を目指した。移住を勧め、交流を深めようとした。だが、性急に過ぎたようだ。理解は得られず、保守的な考えを持つ者たちからの反発を食らった。貫けなかったのは私の弱さだ。それが二年前のことだ。……後のことは、皆も知っているだろう」

 これで私の知っていることは全部だ、とリュシアスは大きく息を吐いた。

 その腕の中で、彼の兄弟が荒い呼吸を繰り返している。呻き声はもう聞こえなくなっていた。

「……あのさ、『奇跡』の力があるなら、この人の怪我も治してやったら……」

 キルシュが言った。だが、リュシアスは首を横に振った。

「もう間に合わない。この顔には死相が出ている。……それに、このまま生きながらえても、またきっと利用されるだけだ。もっとも、カーディスもあれではもう何も出来ないだろうがね」

 背中に火傷を負っただけならば、傷さえ癒えればまた翼を広げることが出来る。だが一度失った翼は二度と元には戻らない。

「でも……」

 エヴィーは言い募り、彼の傍らに膝をついた。

「君の父親だ。それを見捨てようとする私を冷たいと思うかい、エヴェリーナ」

 エヴィーには答えられなかった。男の手が再び宙をさまよう。

「カーディスは彼を国王ヴォルフィウス十三世として登場させようと機会を狙っていたようだが、長年の地下暮らしで彼の精神はおかしくなってしまった。カーディス以外の人間と接することも少なかったから、自分の意思や感情を伝えるのも下手だ。裏から操るとしても、とても人前に出せはしない。だから一度だけ姿を見せて、その後は病死ということにでもして息子、――あるいはそう名乗る人物に継がせようとしていたのだろう」   

 だからまたこの地下室に戻されていたのだ。そしてこの一件に関わった、自分にとって都合の悪い人間をまとめて放り込み、この地下室に火を放つつもりだったのだろうとリュシアスは続けた。ここは元々墓地だから、焼け跡から遺体が出てきてもさほど不自然には思われない。

 あの時、カーディスの足を掴んだのは、積年の思いがあったからなのだろうか。カーディスに虐げられ、利用されていたその身体が彼を突き動かしたのか。

「でも……どうして私を庇ったの? 私のことをわかっていたわけじゃないでしょう?」

「たぶん、庇ったわけじゃないと思う」

 口を開いたのはジールだった。

「この人は、その鍵……『女神の涙』の鍵を欲しがっていた。それが近くにあると何かが聞こえると言っていた。だからそれが欲しかったんだ。だからエヴィーに近づいた、きっとそれだけだ」

 エヴィーは首から下げた鍵を男の手に握らせた。瀕死の状態とは思えないほど強い力で、彼は鍵を握りしめた。

「そうか……。この男もまた、『女神の涙』に呼ばれていたのか」

 リュシアスが呟く。

 その腕の中で男が瞳を閉じた。静かな微笑を残して、自らを影と呼んだ男は逝った。

次回で最終話です。

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