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月は蒼天の檻に  作者: 結城琴葉
第七章
24/28

(5)

 ジールは幼い頃、母と死に別れて神殿に入った。その母が死ぬ間際に、彼に告げた言葉を今も覚えている。

 ――おまえは国王ヴォルフィウス十三世陛下の子、この石はその証となる王家の宝。

 それをそのまま信じたわけではないが、嘘だと思ったこともなかった。信心深かった母は嘘をつくような女ではなかった。

 出生の証として渡された赤い石は、常に守り袋に入れて身に付けていた。だが、地下牢に入れられた時に奪われ、カーディスの手に渡った。

 カーディスに連れられ、国王ヴォルフィウス十三世と呼ばれた謎の男と共にジールが地下牢から出ると、神殿の奥深く、カーディスの部屋のそばに新しい部屋が用意されていた。これまでとは比べ物にならないほど広く、豪華な調度品があふれた部屋。

 ――国王ヴォルフィウス十四世陛下。

 カーディスの呼びかけに、ジールは震えた。

 何故だ。何故そんな名で俺を呼ぶ? 何故そんな目で俺を見る!

 声にならない叫びでジールは目を覚ました。

「……夢、か……?」

 呟いて、身体を起こした。どことなく全身がだるい。

 あたりを見回すと、住み慣れた神官見習いの共同部屋ではなく、地下牢の冷たい石の壁でもなかった。夢の中に出てきた部屋と同じ光景。身体を預けていたのはこれまで触ったこともないような柔らかい寝台だ。――夢ではない。

 大勢の観衆の前に連れ出されたあの時、ジールは自分の意思で身体を動かすことが出来なかった。地下牢から出てきてすぐ、喉の乾きを訴えると果実水が出てきたが、それにまた何か薬が入れられていたのか。二度も同じ失敗を犯してしまった自分を悔やんだ。この気だるさはまだ薬が残っているのだろうか。またひどく喉が渇いていた。寝台の傍らには水差しがあったが、もう絶対にこの部屋のものには口をつけまいと決めた。

 ――あの目、あの視線! 俺が新しい国王だと?

 歓呼の声はジールには苦痛でしかなかった。たとえ本当に国王の子だとしても、ジールには一生名乗り出るつもりはなかった。母の遺言どおり、ただ静かに、女神に仕える神官として暮らしていこうと思っていたのだ。王の子だなどと忘れてしまうことさえあったくらいだ。

 公女アスティアを間近で見てみたいというあの欲求があだとなったのだろうか。聖大祭の時、連れ去られた少女――異母妹だという少女を救い、話をしてみたかった。迎えの為の御者の役目だけで満足していれば良かった。あんなことさえしなければ、こうはならなかったのだろうか。

 ジールは先ほど着せられた豪奢な衣の下を探った。首から下げた鍵はまだそこにあった。カーディスやその配下の者もこれの存在にまでは気づかなかったのか。

 エヴィーにこれを返そう。あの地下牢で待っていれば、エヴィーを探していた男が彼女を連れてきてくれるはずだった。だがここでは、あの男には会えまい。先ほどの観衆の中に彼やエヴィーがいたかどうかはわからない。ジールがこんなところにいるなんて知らないだろう。

 窓の外はすっかり暗くなっている。この格子さえなければここから飛んでいけるのに。ジールは窓を開けた。冷たい風が頬を刺す。窓を覆う格子は優美な銀細工だが、これでは牢と大差はない。

 扉の向こうでは、カーディスの配下の者たちが見張っているだろうことは明白だ。彼らだって、昨日まではただの神官見習いでしかなかったジールが王子、果ては新しい国王だなんて信じられないに違いない。だがカーディスの命に従うしかないのだ。彼らはそれしか知らない。そうとしか生きられない。

 ――俺は嫌だ。

 ジールは唇を噛んだ。

 国王になんてならない。このまま受け入れたとしても、きっとカーディスの傀儡になるだけなのだ。また妙な薬を飲まされて、自分の意のままにならない身体を引きずって彼の為に動くしかない人形になるなんてごめんだ。

 エヴィーはこの島を捨てたと言っていた。翼がないという彼女は、彼女にしかわからない苦労をしてきたのだろうと思う。

 あの女に出来て俺に出来ないはずはない。

 ちょうど良い。エヴィーやその連れの男に会って鍵を返すついでに、自分も大陸へ連れていってもらおう。もうこの島やこんな神殿にいるのはまっぴらだ。

 その為には、まずはなんとかしてここから出なければ――。

 そう思ったその時、扉を叩く音がした。ジールが薄く扉を開けると、そこには見覚えのある男が立っていた。

 口元に髭をたくわえた中年の男。すばやくジールは記憶を掘り起こした。

 昨日、エルシェンバード公爵家の別邸に、聖大祭の巫女を迎える役目を務めた男だ。神殿には多くの神官が勤めている為、ジールもそのすべての顔と名前を覚えているわけではない。

「あんた……確か昨日」

 予想に反して、扉の向こうにはカーディスの配下と思われる者は誰もいなかった。

 静かに、と言うように、男は唇に指を当てた。

「ちょうど今、カーディスは思いもよらない来客が相次いで手一杯だ。逃げるなら今のうちだ」

 この神殿の人間なら、大神官であるカーディスを呼び捨てることなどありえない。ジールは目を見開き、男の顔をまじまじと見返した。

「……あんた何者?」

「何者でも良い。そのうちわかるだろう。とにかく今は急いだ方がいい。――もちろん君が、このままカーディスの言うままになって国王になりたいのなら話は別だが」

 ジールは慌てて首を横に振った。するりと扉の向こうに身体を滑らせ、外に出た。あっけないほど簡単だった。見渡す限り、他に人はいない。

「悪いが、まだ探さなければならない人間がいるのでね。つきあってはやれないが、君は好きなところに行きなさい。そしてもうこの神殿には近づかないことだ」

「――だが、カーディスが母の形見を持っている。『女神の涙』を……」

「あれは偽物だ」

「え?」

「機会があれば届けてやろう。さあ、早く」

 扉を閉めると、男はジールを促した。戸惑いながらもジールは走り出した。

 ――どこへ?

 行く先は一つしかなかった。ジールは衣の下の鍵を強く握りしめた。

 そして気づく。

 今の顔は、先ほど見た父親――国王ヴォルフィウス十三世のものではなかったか。

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