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月は蒼天の檻に  作者: 結城琴葉
第七章
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(3)

 深夜と言ってもいい時間ではあったが、公女を名乗るとエヴィーはすぐに神殿の奥へと通された。その場にいた若い神官たちが、皆昨日の聖大祭で観衆の整理にあたり、巫女の姿を間近で見た者ばかりでその顔を知られていたということも幸いした。

「……王子にお会いしたいのです。もしあの方が本当に王子なのだとしたら、私の兄。それにあの方は、昨日攫われた私を救う為に駆けつけてくださいました」

 神殿という場所には不似合いなほど豪華な調度品に囲まれた応接室に通され、エヴィーがしおらしく顔を伏せてそう言うと、対応した若い神官はすぐに大神官カーディスに知らせを持って走った。部屋にはエヴィーだけが残された。ふっと緊張が緩み、エヴィーは深く息を吐いた。

 いつぼろが出るかわからない。その緊張感から自然と声が震えた。だが今は少しくらい弱っている方がそれらしいし、ちょうど良い。エヴィーは左肩に幾重にも巻きつけられた包帯を撫でた。レイがまたどこからか調達したそれらしき衣装には少し似合わなかったが、その不似合いさがまた効果的なのだと彼は言った。

 襲撃犯に解放されたものの、肩に傷を負った為に自力で飛ぶことが出来ず、慣れない山中をさまよっているところを通りがかった者に助けられ、エルシェンバード公爵家に送り届けられた、というのがレイと打ち合わせてきた筋書きである。これならば公女が飛んで帰ってこなかったことにも説明がつくし、万が一翼を広げなければならないような事態が起きた時の予防線にもなる。

 レイにも来て欲しかったが、彼の立場を『公女』の傍に用意するのは難しかった。女であれば侍女として同行出来ただろうが、レイではそれは無理な相談だ。男の使用人が公女の傍にいるのは不自然だというレイの主張に従い、馬車だけを用意し、御者として神殿前まで共に来た。だがレイは神官の衣装を調達していたから、きっとうまく神殿内部に入り込んでいるだろう。扉の向こうに彼がいることを期待し、エヴィーは心を奮い立たせた。

 なんとかしてジールに会わなければ。だが彼がどこにいるかわからない。それならば向こうから出てこさせるしかない。

 公女を名乗ればエヴィーの居場所を公開することになり、何故か彼女の生命を狙うアストールもまた現れるかもしれないという危険性はあった。だが、それよりも今はジールに会いたかった。ジールにさえ会えれば、後は島を出ればいい。気がかりがあるとすればキルシュのことだったが、それは今は後回しだ。

 誘拐されていた巫女がひょっこり帰ってきても、公女の身分があれば大神官もぞんざいな扱いは出来ないだろう。アストールが現れて本当のことを言い出さない限り、『公女』の立場はエヴィーのものだ。

 目の前に出された茶器を見て、レイの言葉を思い出す。中では何にも口をつけるな。ジールが薬漬けになっている可能性をレイは疑っていた。

 着慣れない絹の衣の上から鍵を探っている指に気づき、エヴィーはひとり首を振った。そこに養父の形見はない。ついでに使い慣れているいつもの道具も護身用の短剣も、すべてレイに預けてきた。――万が一、持ち物を調べられた時の為だ。『公女』が持つべきものではない。

 どれほど待った頃だろうか、俄かに扉の向こうが騒がしくなり、カーディスが一人で現れた。予想していたこととは言え、ジールの姿がないことにエヴィーは軽く落胆した。

「お待たせ致しました。遅くなって申し訳ございません」

「いえ……」

 正面から顔を見ることは出来なかった。エヴィーは顔を伏せ気味にしたまま、カーディスの礼を受けた。

「まずはこちらからお詫び申し上げます。まさかあのようなことが起こるとは思いもしませんでしたが、お守り出来なかったのは我々の不手際」

「いえ、そんなことは……」

「ご無事で何よりと申し上げたいところなのですが、お怪我をなされたとか」

 カーディスの視線がエヴィーの左肩を射抜く。嘘を見抜かれはしないかと、エヴィーは小さく身体を震わせた。

「怪我の具合はいかがです?」

「あの、それは大丈夫です。……助けてくださった方が手当てをしてくださいましたので」

「そうですか。後ほど、神殿からも腕利きの薬師をご紹介致しましょう」

「ありがとうございます」

 エヴィーは軽く一礼した。

「それで、襲撃犯の男は」

「それがその……覚えていないのです」

「覚えていない?」

「はい。……私、怖くて……、顔もまともに見ていません」

 キルシュのことを聞かれると面倒なので、それで押し通そうということに決めていた。

 ふむ、とカーディスは何かを考えるような顔つきになり、長い指で顎を撫でた。

「しばらく一緒にいたのでは?」

「え?」

「ジール……いえ、あなたを追っていったジーリアス王子から、そのように聞いています。嵐がひどくなったので、とある場所に二人を置いてきたと」

「…………」

 ジールがどのように報告しているかまでは考えていなかった。いくつか問答の形を想定してきたが、まだ足りなかったようだ。

「それはその、確かにそうなのですが、ジール……王子が行ってしまった後、やはり一人で襲撃犯と一緒にいるのは怖くなって、逃げたのです。それで、その時に、怪我を」

「そうでしたか」

 なんとか辻褄を合わせようとひねりだした答えに、カーディスは意外なほどあっさりと納得したようだった。

「それで、その、王子は……? 私、あの方にお礼が言いたくて」

 これ以上追及されるのを避けようと、エヴィーは話題を変えた。

「それに、私の兄上だということでしたし……」

「申し訳ありません。王子は大変お疲れの様子で、既に寝んでおられるのです」

 やはりジールを簡単には出してこない。

「では……父上は」

「陛下も同じです。今日はもうお寝みです」

「……明日には会えるでしょうか」

「そうですね、私の方からも陛下と王子にお話しておきましょう」

 これ以上、長居しても無駄なようだ。一刻も早く立ち去りたくなって、エヴィーは軽く腰を浮かせかけた。

「……では今日のところは」

「ところで、私の方からも一つ申し上げたいことがございます。よろしいでしょうか?」

「……何でしょう?」

 予想外の展開に、エヴィーは思わず顔を上げ、浮かせかけた腰を戻した。カーディスはその唇に薄い笑みを浮かべている。

「わざわざおいでいただいて、ありがとうございました。――エヴェリーナ嬢」

 エヴィーは弾かれたように立ち上がった。同時に扉が開き、揃いの神官の衣装を身につけた男たちが雪崩れ込んできた。

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