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月は蒼天の檻に  作者: 結城琴葉
第六章
19/28

(3)

 レイがどこからか調達してきた黒髪の鬘をかぶり、エヴィーはレイとキルシュと共に神殿へと向かった。昨日、上空にしかいなかったキルシュとは異なり、エヴィーは大勢の観衆の前にその姿をさらしている。着ているものは違うが、その顔を覚えている人間も少なくないだろう。髪の色が異なれば印象は変わるからというレイの主張に従ったのだが、むせかえるような人混みの中、鬘をかぶっていると余計に暑くてうっとうしい。

 間もなく、国王ヴォルフィウス十三世が現れる。その噂を聞きつけて人々は神殿前の広場に押し寄せた。昨日と異なるのは、そこにどこか剣呑な空気が漂っていることだ。昨日は巫女を歓迎し、神事の後の祭りを楽しみにする賑やかな声ばかりだったのに。

 まるでアルバドスの民が全員ここへ集まったかのような騒ぎである。人混みに飽きた何人かは翼を広げ、上空から、あるいは近くの屋根の上から様子を伺っている。グウェンは先ほどレイが肩と足を撃ったので当分動けないだろうし、アストールは一人では行動しづらい。それ以外にアストールの指示によって動く人間がいるかもしれないが、これほどの人の中であれば、向こうも騒ぎを起こしたくはないだろう。エヴィーたちははぐれないように気をつけながら、その流れに乗っていた。

「今更何だっていうんだ」

 後ろにいた男が毒づくのが聞こえた。

「二年前、全部ほっぽりだして逃げたじゃないか。そんな男に今更何が出来るって?」

「いや、少しはましになるかもしれない」

 その連れの男が答える。

「ウィズールにしろロサスにしろ、誰がこの島の執政官になったって状況は変わらない。これまでだってころころころころ頭ばっかりが変わって、でも何も変わらなかったじゃないか。だったらいっそ王家がまた戻ってきた方が、昔みたいな暮らしが出来る」

「でもよ、あの国王はこの島を潰そうとしてたぞ」

「潰すって……ただ大陸への移住を勧めていただけじゃないか」

「それが潰すっていうんだ。俺たちは翼ある民だ。今更大陸なんかで翼も持たない奴らと暮らせるもんか」

 彼らのような会話がそこここで聞こえる。

「陛下が出てきたら、昨日攫われた公女様も出てこられるかしら」

「誘拐した奴らだって、陛下が出てきたら公女様を解放するかもしれないわよね」

「ご無事だといいけれど」

 女たちの会話が耳に届き、エヴィーは肩をすくめた。誰もそこにいるのが巫女と襲撃犯本人とは気づかない。

「どう思う?」

 キルシュには聞こえないように、レイがエヴィーに言った。

「何が」

「だから、あの彼のさっきの発言」

 具体的に言わないのは、周囲の耳を気にしているからだろうか。

「ああ……。本当、かもしれないわね」

「なんでそう思う?」

「昨日聞いたの。なんであんなことしたのかって聞いたら、妹の顔を見てみたかったからって」

「妹ねえ……」

 レイが首をひねった。

「レイは信じてないの?」

「そうは言わないけどね。あの兄ちゃん、嘘つけない顔してるからな」

「そんなの見ただけでわかるの?」

「わかりますとも。ただ、本人はそう思っていても、それが真実じゃない場合もあるだろう?」

「やっぱり、『あれ』をちゃんと見せてもらった方がよかったのかしら」

「見たってあんた、本物かどうかなんてわからないだろうが」

「それはそうなんだけど」

 先ほど、衝撃の発言をしたキルシュに対し、エヴィーとレイはぜひ『女神の涙』を見せてほしいと頼んだが断られた。その時が来るまで、決して他の人に見られることがあってはならない――それが彼の母の遺言だったらしい。

 その時、というのがこれから来るのだろうか。エヴィーは数歩離れたところにいるキルシュの横顔を見た。険しい表情で、彼は唇を噛みしめて前方を見つめている。

「でも、もし本当だとしたら『あれ』って三つもあることになる。そんな話、聞いたことないけど」

「三つ?」

「だってそうじゃない? キルシュが持ってるっていうのと、これから発表されるのと、アストールのところにあるのと」

「……あー、悪い、その最後のはたぶんない」

「え?」

 レイはばつが悪そうに頭をかいた。

「そうか、まだ言ってなかったっけ。それ、嘘なんだよな」

「嘘?」

「あんたをあそこに呼び出す為の」

「……私を?」

「もうこの際だから全部言うけどさ。それが最初の依頼だったわけ。あんたを連れてあのお屋敷に行くこと。でもあんたは普通の手じゃ乗ってこないかもしれないから、だったら標的はでかい方がいいかなって」

 エヴィーはレイの顔をまじまじと見返した。そして、頭の先から爪先まで、全身をじろじろと眺め倒し、ふと視線が止まった。

「……そういえばレイ、あなた昨日まで怪我してなかったっけ?」

 その左腕に、包帯がないことに今初めて気がついた。我ながら鈍いと思う。だがそれどころではなかったのだ、と心の中で言い訳した。

「……すまん。それも嘘だ」

「どこからどこまで嘘なの!」

「いや、あの坊ちゃんのことを何も知らないのは本当だ。グウェンに投げ飛ばされたのだって演技じゃない。ただ、怪我をしたことにしておいた方が、エヴィーの足止めが出来るって言われたから」

「足止めって……」

「だから、あの晩、わざと捕まるのが本当の依頼だったわけ。なんでそんな妙なことをさせるのかと思ってたんだけど、坊ちゃんの顔見て俺は納得したね。あの坊ちゃん、エヴィーのこと知ってたんだよ。間違いなく昨日の為だろう」

 脱力し、エヴィーは返す言葉も見つからなかった。

 どういうことだ。以前からアストールはエヴィーのことを知っていて、身代わりをさせるつもりで呼んだというのか。そして今度は彼女の生命を狙う。ということは、最初からエヴィーのことを殺すつもりで呼び寄せたのか? 何の為に? 何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。

「まあそれについては悪かったと思ってるよ。これが終わって、もう一件仕事を済ませたら帰ろう。そうすればもうあんたも安全だ。さすがに島の外までは追って来ないだろうし」

「……そうよね、それが一番よね」

 いろいろと黙っていたことがあるらしいレイには腹も立つが、今更それを言っても仕方がない。国王が見つかったらしいことも、キルシュが今後どうするかなども自分には関係ない。養父の形見の鍵を取り戻したらヴェールンへ戻る。それだけを考えることにしよう。エヴィーは気を取り直して頷いた。

「……戻ったら危険手当もつけた上での報酬を要求することにするわ。それで手打ちね」

「俺が助けた分は差し引いてくれよ」

「知らないわよ。元はと言えば変な依頼を引き受けたあなたが悪いんじゃない」

「坊ちゃんからまだ報酬全額もらってないんだよね」

「そんなの私の知ったことじゃないわね」

「前金だけで我慢するしかないかなあ……」

「いくらもらったのよ」

「それは秘密。――まあいいや、ここに来られたことでその半分は負けてやってもいいか」

 レイは腕を組み、ひとり呟くように言った。

「どういうこと? レイ、ここに来たかったの?」

「まあね。一生のうち一度くらいは」

「何故?」

「母親がね」

「お母さん? レイの?」

「俺を育ててくれた人がね、ここの出身だから」

「え?」

 エヴィーが聞き返したその時だった。神殿の奥から人影が現れ、観衆が一斉に沸いた。

 昨日と同じ、大神官の正装のカーディスと、その後ろから更にもう一人。

 エヴィーは国王ヴォルフィウス十三世の顔を知らない。エヴィー自身が人が大勢集まる場所に出向くことがなかったというせいもあるが、国王が人前に姿を見せることも少なかった。ここに集まっている人々のうち、国王の顔を見知っている人間が何人いるのだろうか。それが偽者ではないと言い切れる者は?

 人々の反応は様々だ。無条件に国王を歓迎する者もいれば、二年間隠れていたことを糾弾する者もいる。歓声や怒号が飛び交い、もっとよく見ようと近づく人の流れがそこここで衝突している。

「静粛に!」

 大神官カーディスの声が低く鋭く響き、あたりは水を打ったように静まり返った。

「上空にいる者は降りなさい。国王陛下の御前です」

 カーディスの声には人を従わせる何かがある。屋根の上にいた者も上空に浮かんでいた者も、黙って地面に降り立ち、翼をおさめた。混雑はよりいっそうひどくなり、エヴィーも後ろから人波に押されてよろめいた。レイがはぐれないようにエヴィーの手首を掴んで引き寄せる。エヴィーはキルシュの姿を探したが、間に何人かの身体が押し込まれ、燃えるような赤毛が隙間から見えるだけになった。

「この二年間、アルバドスは混乱の極みにあった。それというのも、一部の心ない者の横暴なふるまいの為。身の危険を感じられた陛下は姿をお隠しになられたが、我々のことをお忘れになったわけではない。こうして再び我らのところに戻ってこられたのだ」

 カーディスの背後の人影が、一歩ずつ近づく。暮れかけた太陽の赤みを帯びた光にさらされて、その姿が少しずつあらわになった。

 濃い茶色の髪はすっきりと整えられている。金糸と銀糸で豪奢な縫い取りの施された白い衣装は王族の正装なのか。その上から真紅の外套を羽織っている。

 エヴィーはその顔に見覚えがあった。つい最近、間近で目にした顔だ。

「リュシアスさん……?」

 驚きが言葉になって唇からこぼれる。

「知ってるのか?」

 レイが囁くように問うた。

「……今朝、会ったばかりよ」

 あの男が国王ヴォルフィウス十三世。

 エヴィーは信じられない思いでその姿を凝視した。

 やや顔を伏せている為、その表情はよくわからなかった。だが、今朝見た彼とは雰囲気が異なっているように思えた。今の国王は、大神官に連れられた小さな子供のようだ。数人の神官が彼に従っているが、従っているというよりも逃げ出さないように周囲を固めているようにしか見えない。

 エヴィーはキルシュの姿を探したが、赤毛がなんとか見えるだけで、その顔もまた見えない。

 リュシアスが国王ヴォルフィウス十三世。だとしたら、二年間あの山の中で隠れ住んでいたということなのだろうか。確かに国王であれば、王家所領の山中にいたとしても、誰にも罰せられることはない。

「陛下」

 カーディスが振り返り、国王を促した。

「皆にお言葉を」

 弾かれるように顔を上げ、一歩、国王が前に出た。

「さあ」

 また一歩。

「……皆には、心配をかけた」

 震える声は小さく、ほとんど聞こえないほどだった。カーディスの声とは対照的だ。

「……これからは、カーディスと共に、皆の為、この島の為に力を尽くそうと思う……」

 なんとか振り絞るようにそれだけを言うと、彼は数歩あとずさった。自分を見つめる人々の視線に怯えたようにまた顔を伏せ、外套を翻して神殿へと戻っていった。

 あとにはカーディスだけが残された。観衆はまだ静まり返り、ことの成り行きをただ固唾を呑んで眺めている。カーディスは一度だけ国王が去っていった方を見やり、また観衆たちに視線を移した。

「久しぶりのことで、陛下も非常に緊張しておられる。また、公女アスティア様のこともあり、ご心労は計り知れない。疑う者もあるだろう。だが『女神の涙』はここにある」

 カーディスはそう言って、右手を高く掲げた。赤く輝く小さな石がそこにはあった。どよめきが走った。

 あれが『女神の涙』。エヴィーはその石を見つめたが、そこから感じられるものは何もない。

「陛下がお持ちだったものだ。我らが女神アルーヴァの遺した、我らの宝。陛下はずっとこれをお守りくださったのだ」

 恭しくその石を捧げもち、カーディスは頭を垂れた。

「それから、もう既に聞き及んでいる者もいると思うが、陛下はこれからの我々の指導者となられるお子を連れておられた。今後、陛下は王位を退き、新しい王の誕生を希望しておられる。新王ヴォルフィウス十四世の誕生もそう遠くない未来のことだろう。お二人はこれから力をあわせて、我々の為に尽力すると仰ってくださった。神殿もお二人と、アルバドスの民に深い忠誠を誓うことを約束しよう」

 神殿の奥から、また一つ人影が現れた。先ほどの国王と同じような衣装を身につけ、こちらは深い緑色の外套をまとっている。付き従う神官に支えられ、今にも倒れそうなほど蒼白な顔をした金髪の少年。

 その姿を見てエヴィーは目を剥いた。

「おい、あれって……」

 隣でレイも絶句している。

 その顔は、間違いなくジールのものだった。

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