五次請け宇宙海賊と孤独な遺伝子
「我が名はキャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブ! この星を乗っ取りに来た!」
我らが反全天連合国家マンダリーヌ系ロックアミに降り立った男は開口一番そう言った。
気持ちいいほどの宣戦布告であった。
時代錯誤な天鶩絨の外套はいかにも重そうで、頭に王冠がついていないのが不思議なくらい妙なかっこうだった。
私は無言で男に銃を向けた。
「ああ、俺のことは気軽にゴローとでも呼んでくれ」
向けられてる銃をものともせずに男はそう言った。
「ところでお嬢さん、お名前は?」
「そんなことより貴様は何者だ?」
「俺か? 俺は宇宙海賊だ」
「そうか、死ね」
私は電気銃を発射した。
男は倒れ伏した。
「……なんだったんだ」
私は警戒を怠らず気絶したそいつに近付きながら、仲間と連絡を取った。
私の名前はナディア・グラック。
恒星マンダリーヌを太陽とする惑星ロックアミの兵士だ。
時は全天時代、星の数ほどある星々に人類は散らばり生息している。
それらを統べるのは全天連合。
我らが国家の敵だ。
全天連合はこの全天を統治せんと活動しているが、歴史の例に漏れずその組織に反旗を翻す星も多い。
私達の星もそうだった。
私達の星がいつから反全天連合なのか、私は知らない。
何故そうなのか私は知らない。
知る必要はない。
私はただ軍人として任務を遂行するのみである。
「しかし、宇宙海賊と来たか……」
独房に男を放り込みながらレイモン・ジャンメール隊長は顔をしかめた。
続いて隊長は男に外套を被せてやった。
冷え込んだ独房になんともあたたかそうな雰囲気が漂う。
「それが本当なら撃つことはなかったのかもな」
宇宙海賊とは全天連合の定義では全天連合の認可を得ずに恒星間ワープならびに宇宙航行を行うものだ。
恒星間ワープは全天連合の認可のもとでのみ安全に行える、とは奴らの喧伝だ。
それに歯向かい独自で宇宙航行を断行する宇宙海賊。
冷静に考えればそれは反全天連合のやっていることと大差はない。
ならば反全天連合である我々の敵ではない可能性は大いにあった。
「ああ、もちろんナディアを責めてるわけではないからな?」
私へのフォローを欠かさない。隊長はできた人である。
「いえ、お気遣いなく」
「うん。じゃあまあ上に連絡を入れてくる。たわごとを吐いただけでどっかからの脱走兵かも分からん……しかし、それにしちゃあ、いい外套だった」
手に残った外套の手触りを思い出すように隊長は空を掴む仕草をしてから、退室した。
独房の外に見張りはふたりもいたが、私は少し迷ってからここに待機することを決めた。
宇宙海賊。
それが本当ならこの男……たしかキャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブとかゴローとか名乗っていた男には仲間がいるはずだった。
単独宇宙航行は未だ人類が成し得ていない領域だ。
私はこの男の宇宙海賊という名乗りをたわごとだと思った。
だから即座に撃ち倒した。
コイツが本当に宇宙海賊なら今頃、仲間が報復に来てもおかしくない。
しかしその様子はない。
どうやらはったりだったようだ。
隊長の言うとおりどこぞの脱走兵がたわごとでも発したのだろう。
私はフンと鼻を鳴らして、のんきに寝呆けている男を見下ろした。
マンダリーヌ系ロックアミの上空にステルスモードで滞留する海賊船プライヴァティア型五番艦の船内は静かであった。
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは見事目的ポイントに降下したが、その直後に現地武装兵の電気銃に倒れた。
しかしプライヴァティアのクルーたちは驚かない。
彼らのキャプテンの奇行・失態・不調法は今に始まったことではなかった。
そうプライヴァティアのクルーたちは慣れていた。
キャプテンが倒されることには慣れていた。
そのくらいは序の口である。
キャプテンの潜入はまだまだ始まったばかりだった。
クルーたちは待つ。
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブの任務達成と帰還を待つ。
「妙だな、チップの反応がない」
私の目の前でふたりの独房の見張りが困った顔をしている。
未だに目を覚まさないキャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブ……我々はこの男をCinqと仮称することにした。
見張りはサンクの体に探知機を当てていたが、生まれたとき誰でも埋め込まれるマイクロチップの反応はそこになかった。
隊長からも脱走兵の連絡はなし。
「まさか本当に宇宙海賊……」
見張りのひとりがそう言った。
「そんな馬鹿な話があるか……えぐり出しでもしたか?」
見張りのひとりがサンクの体をまさぐり始めた。
マイククロチップの埋没場所はおおよそ決まっている。
その気になれば痛みは伴うらしいが摘出も可能だ。
ふたりがかりでサンクの身体をチェックしていくが、どうやらその痕跡も見られないようだ。
私は気付けば無意識に立ち上がり、独房とこちらの間にあるマジックミラーのそばへと寄っていた。
それとほぼ同時に間の抜けた声とともにサンクが起き上がった。
「昼か? 腹減ったな」
「起きたか」
「所属と名を名乗れ」
見張りが口々にそういうのをサンクは交互に見て頭をかいた。
「名前はキャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブ。所属は……宇宙海賊? かな」
「まだふざけているのか」
「ここでの発言は軍法会議にかけられるぞ」
「脱走兵なら脱走兵としておとなしく所属を明かせ、悪いようにはしない」
「あー、さすが軍事国家だ。そういう感じに受け取られるのね」
サンク、と呼ぶべきか、キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブと長ったらしく呼ぶべきか。男はふらりと立ち上がった。
見張りのふたりが腰の警棒に手を回す。
サンクの動きは素早かった。
両手でほぼ同時に見張りふたりの腕を弾く。
バランスを崩した見張りの顎にパンチを入れる。
一瞬、たったの一瞬で男は見張りふたりを倒してしまった。
「…………」
私は電気銃を取り出した。
男はまだ私に気付いていない。
独房から出たところに再びこの電気銃を撃ち込む。
一日に二度も同じ武器を喰らうなどサンクは災難にもほどがあったが、仕方ない。
攻撃的な男が悪いのだ。
しかしサンクは独房の入り口を目指す前にマジックミラーに近付いてきた。
私の気配に気付いたのか?
私は一瞬身をこわばらせたが、サンクがやったのは前髪をいじることだけだった。
髪をいじり、外套を羽織り、身だしなみを整える。
ずいぶんとのんきな所作に私は少し呆れた。
そしてサンクは独房の外に出ようとして、倒れ伏した見張りのひとりを担ぎ上げた。
「ちっ……」
小さく私は舌打ちした。
サンクが独房から出てきた。私のいる方向に見張りを盾のように掲げながら。
これでは電気銃を撃っても意味がない。
私は狙いを定めようとするが、見張りが邪魔でサンクに狙いが定まらない。
サンクは私を視認した。
「やあ、お嬢さん。さっきは痛烈なのをどうも」
「……おとなしく投降しろ、サンク」
「サンク? ああ、ファイブからか。しかし投降しろと言われてもね、俺にも仕事があるのさ」
「宇宙海賊に、仕事?」
「うん? ああ、まあ俺の宇宙海賊とは仮の姿……その実態は全天連合からの使者だ」
全天連合からの使者。
その言葉に私は銃を撃った。
盾になっている見張りの男に当たり、その体が大きく跳ねた。
「おいおい、味方に酷いことするなよ。けっこう痛みが残るんだぜ、その銃」
至近距離で銃を撃たれたにしてはサンクに動じた様子はなかった。
「全天連合の使者は敵だ。我々の国家のあり方を知らぬわけでもあるまい」
「そりゃ知っているさ。知っているから来てるんだ」
「……敵は殺す。皆殺す」
「ははは」
空を仰いで男は笑った。
仰いだところでそこには灰色の天井があるだけだったが。
「大言を吹き込まれているなあ、さすがだお嬢さん。しかしあれだぜ? 全天連合を皆殺しってこの宇宙でどれだけの人類を殺す必要があると思ってるんだい?」
「…………」
知らない。
私は敵を倒すのだ。
そのために規律に則り、鍛えてきたのだ。
そのための兵士だ。
そのための軍だ。
全天連合は敵だ。
「啓蒙は趣味じゃないんだが……あれは人間が人間にやることじゃないよ……まあ、いいか、どうせ俺のやる気は地の底だ」
サンクは不思議なことを言った。
言葉が本当なら敵地の真ん中に単身で乗り込んできた男のやる気が地の底?
私が疑問を抱いていると、サンクは見張りを私に向かって投げつけてきた。
避ける必要もないくらい緩やかな投げつけに私は見張りの男を抱きとめた。
サンクはそのまま私に背を向けて走り去った。
「……くっ! サンクが独房から逃げました。応援求めます」
見張りの男を床に放り投げ、私はサンクを追った。
非常に運の悪いことに、サンクのルートには兵士が誰もいなかった。
私は必死で追いかける。
サンクは屋上に到達した。
ロックを開けたのは見張りからすり盗ったキーだろう。
海賊というよりこそ泥だった。
「お、来た来た」
屋上の縁に腰掛けサンクは嬉しそうに言った。
「すぐに応援が来る。投降しろ」
「あはは。やだよ。しかし本当、やる気が出ねえ」
男は背伸びをした。
「宇宙海賊には二種類がいる」
男はピースサインを作った。
ふたつ、ということなのだろう。
「ひとつは全天連合非公認の本物の命知らず。そして非公認ということになっている俺たちだ」
「……非公認ということになっている全天連合の使者」
「そう、俺たちは全天連合からの使者だ」
「信じない」
「まあ、そうなるだろうな」
男はどうでも良さそうに肩をすくめた。
「まあ、いいや、ちょっと俺の雑談に付き合ってくれ。今回なんとこの仕事5次請けなんだぜー? 割に合わねえよ」
「5次請け……?」
知らない言葉だった。
「宇宙海賊キャプテン・ジェーン・ドゥー・ワンが最初にこの仕事を受けた。ワンは忙しかったからツーに回した。ツーは面倒くさかったからスリーに回そうとしたが連絡はつかなかったのでフォーに回した。フォーはバカンスの最中だったのでワンに回した」
「ワンに戻ってる……」
「この業界ではよくあることだ。で、ワンはそれをリセットせずちゃっかりサイクルをそのままにこの俺ファイブに回した……。全天連合が掲示した取り分の大半がワンに行きやがった。落語みたいなことしやがって……仕事が成功したら全天連合に言いつけてやる、アイツら……」
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブはぶつぶつと文句を言い始めた。
「……ずいぶんとまあ、滑稽な話だな」
私はあまり理解できなかったが、思ったとおりのことを口にした。
「ははは。人のことを言えた義理かよ、お前ら」
宇宙海賊は笑った。
いやに癪に障る笑い方だった。
それに心なしか言葉が荒くなっている。
そこに関しては、私が怒る筋合いもないのだが。
敵に言葉が荒くなる。
そんなことは普通のことだろう。
私が今そうしているように。
「だいたいいつまでも反全天連合なんてやってる必要がねーんだよ。そもそもこの星は戦争の下請けをやらされてたんだからさ」
「下請け……?」
「代理戦争ってやつだ」
宇宙海賊の言っている言葉が私にはピンと来なかった。
「代理戦争……とある大星と大星が冷戦状態にあった。とはいえワープを必要とする距離だ。直接戦争なんて起こりうるはずもない。全天連合が許可をするはずもない」
恒星間ワープは全天連合の認可のもとでのみ行われる。
全天連合がそう喧伝している。
「大星の威信をかけて彼らはひとつの後進恒星系に目をつけた」
宇宙海賊の顔は険しかった。
「……そこがこのマンダリーヌ系だよ、お嬢さん。自分たちは血を流さず、この恒星系のふたつの勢力に技術支援を行った。この星の主導権をどちらが握るかで彼らは摩擦の解決にすり替えようとしたのさ」
「…………」
とても難しいことを言われている。
啓蒙とはそういうことだ。
しかしそれを私は信じる気にもなれなかった。
ぽっと出の男の言うことなど気にすることはない。
ただ本当だとしたらそれは怒るべきことだ。
そうは思った。
「全天連合はその動きを見越していたが、介入しきれなかった。そして長い年月が経ち、この星には反全天連合の機運だけが残った。冷戦は終わったが、いさかいは終わっていない」
終わった戦争。
私たちの備えているものが、終わった誰かのものだった?
私は、信じない。
「そんな星に、全天連合は限界だろうと見越して俺を派遣した。全天連合が表だって動けない場所に俺たち宇宙海賊は派遣される……今回5次請けだけど……」
やけにそこにこだわる。
「そりゃこだわるさ。取り分減るしな。宇宙海賊は斥候で仕事を終わらせることもあるが、俺はまあ手っ取り早いのが好きでね」
私の沈黙をものともせずに宇宙海賊は続けた。
「つまりこう言いに来たのさ、不毛なことはやめろ、お前たちのすべき戦争はもう終わっているんだ、ってね」
私には、分からない。
しかし、答えられない。
返答や敵意を相手にぶつけられない。
これはもう、負けているようなものではないだろうか。
私は唐突にそう気付いてしまった。
「信じない」
私にはそう頑なに繰り返す他なかった。
「だいたい何だキャプテン……? そのふざけた名前は?」
人の名前に文句をつける以外のことが出来なかった。
宇宙海賊は素直に返答した。
「俺のコードネームだ。キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブ……全天連合公認の宇宙海賊はそれぞれこのコードネームで呼ばれている。最後の数字が判別コードだ」
先ほどもワンがどうとか言っていた。
つまり最低でも宇宙海賊は5人はいるということらしい。
そんなことはどうでもよかった。
「ま、あれだ、名無しの権兵衛というやつだ」
「何語だそれは」
「日本語だよ……俺は日系人。エメラルド恒星系リリークリーフの出身者で……まあ、いいか、俺の話は」
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは微笑んだ。
「大事なのは俺の話じゃない、君たちの話だ」
屋上のドアが大きな音を立てて開かれた。
ジャンメール隊長を先頭に、私の部隊の仲間が展開していく。
「動くな、脱走兵! ナディア! 無事か!?」
ジャンメール隊長は銃を構えていた。
私の持っている近距離用電気銃ではない。
遠距離にも対応できるライフル型だった。
「ジャンメール隊長……私は、この男の話を聞くべきなのだと思います」
私は存外静かにそれを告げることができた。
ジャンメール隊長は信頼できる人間だった。
ジャンメール隊長が拒否したり疑義を申し立てたりするなら、それに従おうと私は思った。
ジャンメール隊長は私の顔をしばらく眺めていたが、頷いた。
「……いいだろう」
ジャンメール隊長は宇宙海賊に向き直った。
「私はレイモン・ジャンメールだ。あー、なんと呼べば良いのかな長い名前の君」
「ゴローでいい」
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは笑った。
「俺の故郷でファイブはそう呼ばれるのさ」
私の仕事は終わった。
ジャンメール隊長に引き継がれた。
隊の仲間には不満を顔に出している者たちもいたが、ジャンメール隊長に従った。
私は空を見た。
太陽は沈みかけていた。
その後のことはめまぐるしくて私はよく覚えていない。
あとから思えば日記でもつけておくべきだったのだろう。
レイモン・ジャンメール隊長と宇宙海賊キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは意気投合した。
ふたりを中心としたクーデター軍はキャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブの宇宙船プライヴァティア型五番艦の支援を受け、ロックアミの中枢を攻撃。
戦いは半年続いたが、最終的に我々は多くの流血を築き上げながらも勝利を収めた。
反全天連合、国家の礎は崩壊した。
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブが連絡を取り、全天連合の本部トランスパレンシーからの正式な使者が我が星に訪れた。
宇宙海賊ではない正式な使者。
国家の残党によるテロは頻発したが、全天連合の助力もあり、私達はなんとかロックアミの平穏を守り通した。
自らが乱した平穏を自らの手で守る。
なんとも滑稽な戦争だった。
やるだけのことをやり、変えるだけのことを変え、キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブとそのクルーたちはマンダリーヌ系ロックアミから飛び去っていった。
まるで流星のように、彼らは我らの星から立ち去った。
それから18年、大きく変わった世界を私は今日も闊歩している。
来年度には我らの星でスポーツの全天大会が開かれる。
全天中のスポーツ選手が私達たちの星に、マンダリーヌ系ロックアミに訪れるらしい。
18年前には想像も出来なかった光景だ。
私はスポーツには興味がないが、元同僚が射撃の種目に出ることが内定していて、それだけは楽しみだった。
街には電子掲示板にそのエンブレムが翻り、お祭りムードを盛り上げていた。
国家の旗やスローガンが掲げられていた18年前とは大きな違いであった。
「よお、何年振りだ?」
その声はいきなり私の後ろから投げかけられた。
懐かしい声だった。
「……この星の今を見て、良いことをしたつもりか? キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブ」
なんとなくとげとげしい言い方になってしまった。
しかし柔らかく接するには私たちは親しい間柄とは言いがたかった。
「なあに、仕事に良いも悪いもないさ。達成か未達成かがあるだけだ」
「……良いも悪いもない?」
そのドライな価値観は、私には頷きがたいものだった。
仕事とは良きものだ。
良き結果を求めて邁進するものだ。
そうでなくては何のための努力だというのだろう。
「ああ、お嬢さん、君はあれか、仕事とはすべて良いものだと思ってやってた口か。そりゃ、そうか、軍人さんだもんな」
私はもう当時と違い、お嬢さんという年でもなかった。
私は唐突にこの男に自己紹介をしそびれていたことを思い出した。
しかしそれを今更に同行する気にもなれず私は過ちを訂正するにとどめた。
「……軍人は辞めたよ。国民皆兵制度は終わった。今はジャンメール元隊長とともに商社をやっている」
私はともかくレイモン・ジャンメールには商才があった。
反全天連合という方針を翻し、多くの他星に門戸を開き混乱するロックアミで彼は商売を如才なくやって見せた。
「商社! 君が! あの電気銃をぶっ放してた君が!」
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは高らかに笑った。
私はようやく振り返った。
18年前から少しだけ年を取った男の姿がそこにはあった。
私も相応に年を取っているのだろう。
鏡などろくに見ない私だが、ふと手鏡が欲しくなった。
もちろん、この男の前で鏡を見るなど気取ったことはしたくはなかったが。
「こりゃあ、良い。俺の仕事に良いも悪いもないが……君のその顛末は最高だよ! 良いことを聞いた。良い土産が出来たよ」
その嬉しそうな声は相変わらず私の癪に障った。
「……人の人生を勝手に土産にするな」
何を言うべきか迷い、私はそう言っていた。
「ははは」
私たちはまるで待ち合わせていた人間のように自然と並んで歩き始めた。
私は18年前から疑問だったことを口にした。
「……お前はいつまで宇宙海賊なんぞを続けるつもりだキャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブ」
「そりゃあ、死ぬまでさ……なあ孤独な遺伝子って知っているかい? お嬢さん」
「知らん」
小難しい話は私の得意とすることではなかった。
「ヒトの中には一定の割合で、共同体から遠く離れようとする個体が出るんだ」
「……反全天連合国家みたいな?」
「ああ、そうだな。君にはそういう説明の方が分かりやすそうだ」
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは何故か笑った。
今まで見せたことのない苦笑の入り交じった奇妙な笑顔だった。
「俺はどうもそれらしいんだよ。他の宇宙海賊……あー、そうだなたとえばスリーの奴なんかはどうしようもない悪徳の塊みたいな人間だ。そういう実社会じゃどう足掻いても生きていけないような奴が宇宙海賊になることもあるが、俺は違う。俺はただなんとなく、そうなった人間だ」
「ただなんとなく、そうなった」
私はキャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブの言葉を繰り返した。
いまいち男の言っていることの意味は伝わらなかった。
「物心ついたときからうっすら感じていたのさ、ここは違う。ここじゃないどこかを目指そう。そう思った。事実、成人してすぐに俺は故郷を出たよ、あちこちをさまよって……そうしてたら全天連合にスカウトされた」
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは懐かしそうにそれを語った。
「孤独な遺伝子。共同体に馴染まぬ遺伝子。それはヒトという生き物の生存戦略の一種なんだ。ヒトが皆、一所にとどまって全滅するわけにはいかない……。だからヒトからそういう独立しようとする個体が出る……俺はそれだった。滑稽だろう?」
滑稽。それは、私たちにとって懐かしい言葉だった。
「俺は自分の意思で生きていると思っていた。自分の意思でどこかを目指しているんだと信じていた。違ったのさ。俺は遺伝子とかいうよく分からない理由でさまようことを強要されていた……滑稽だよ。ヒトは結局、遺伝子の下請けでしかないのさ。あの日の俺が五次請けの宇宙海賊だったみたいにね」
「そうか」
慰めの言葉を私は持たず、男もまたそれを欲してなどいなかった。
それにしたって素っ気ない返答だった。
私は少し恥じたが、良い言葉など浮かんでは来なかった。
私にはそういう能力はないのだ。
昔も、今も、そこは変わらない。
この男が変わらないように。
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブは言葉を言うだけ言うとすっきりした表情になった。
結局、この男が何をしに来たのか私には分からなかった。
この星の今を見に来たのか、私の様子でも見に来たのか、それとも全天連合の思惑でもあるのか、案外来年のスポーツ大会のチケットでも取りに来たのか。
私はそれを知りたいとも思わなかった。
どれでもよかった。
私が知れたのは、この男が今も元気にやっているというただその一点だった。
それだけでよかった。
「じゃあ、さようならだ、二度と会うことはないだろう、我がトモよ」
「ああ、そうだな、さようなら……何も知らせてはくれない……名前も知らない、モナミ」
私の言葉に男は驚いた顔をして見せたがすぐに笑顔に戻り、私に手を振り去って行った。
私はまっすぐジャンメールたちの待つ商社へと戻った。
懐かしき宇宙海賊との再会を同僚たちに告げるか少しだけ迷ったが、私はこの出会いを自分の胸の内だけにしまい込んだ。
同じ宇宙観で「天地の空」という長編を書いてます。
キャプテン・ジョン・ドゥー・ファイブの故郷のお話ですが彼らは出てきません。