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初めてのこと

 茜色に染まる学校の廊下。


 僕はそこを、丸めた二つの模造紙を両脇に挟んで、早足で歩いていた。右手にはたくさんのペンが入った袋、左手にはのりなどの必要だと思った物が入っている袋をさげている。


 限られた授業時間だけでは、プレゼンの準備が終わらないことが分かり、僕は放課後も残って作業しようと思った。しかし、担任に呼び出されてしまったため、作業をする時間が短くなってしまった。まさかこんなに長く話をされるとは思わなくて、時計を見た時はびっくりした。



 今日は全然進まないだろうから、明日も残らないとなあ



 もともと明日も残るつもりだったが、今日でほぼ終わらせてしまおうと思っていたので、明日は暗くなるまで残るはめになるかもしれない。自然とため息が出た。


 すぐ後ろから、すとんっ、と音がした。


 振り返り、視線を下に向ける。

 模造紙が落ちていた。



 あれ、確か二つしか持っていなかったはずなのに



 僕の両脇にはちゃんと模造紙がある。だから、僕が落としたはずがない。

 おかしいとは思ったが、それを拾おうと上半身を曲げた。


 すると、右脇に挟んでいた模造紙の中から、白くて長いものがスーッ、と音を立てながら出てきた。床に落ちた時、先ほどと同じようにすとんっ、と音が鳴った。


 模造紙だった。


 なるほど。

 まさか模造紙の中に、もう一つ模造紙が入っていたとは。

 模造紙が四つも、今僕の手元にある。多すぎだ。こんなにいらない。



 あとでペンを片付けに行くときに戻そう



 模造紙を拾う。角が少し潰れていた。

 潰れてシワになった部分を指で伸ばし、この二つも両脇に挟んだ。


 その時、教室の扉が開く音がした。

 見ると、僕のクラスの教室から、真剣な表情をした稜介が出てきたところだった。

 てっきり、部活中の人かと思っていたので、驚いた。


 稜介は僕がいることに気がついていないようで、僕の方を見向きもせずに反対方向へ早足で去って行った。


 サッカー部である稜介は、外で部活をするはずだ。それに、今日は部活はないと友達と話していたのを聞いたので、もう学校にはいないと思っていたのに。

 僕と同じく、プレゼンの準備をしていたのだろうか。


 いや、だけど……


 手ぶらだった。

 学校のかばんも、何も持っていなかった。


 それに、あの真剣そうな表情……



 もしかして、稜介にも悩みがあるのだろうか?



 彼に悩みなんて全くない、とは思っていない。しかし、いつも明るく元気な彼が、あんなに険しい顔をするくらい何か思い悩んでいることがあるなんて、少しだけ信じられなかった。



 そんなことより準備だ、準備



 左右に首を振って、僕は教室の扉を足で開く。両手が塞がっているからだ。開くのに、少しだけ時間がかかった。

 教室に入ったとき、一瞬全身の動きが止まった。



 和花が、いた。

 机に突っ伏しているから、きっと寝ているのだろう。


 窓から差し込む夕日のせいで、教室全体が赤くみえた。



 また頭をよぎった疑問。




“稜介は何をしていたんだ?”




 稜介は、和花と二人きりだったということになる。

 和花に何かしたのだろうか。


 どこからか湧き上がってきた、なんとも言えないこの感情。



 ゆっくりと、なるべく足音を立てないようにして和花に近づく。

肩が上下に動いていた。かすかに寝息も聞こえてくる。


「っ……」


 何を言おうとしたのかは、自分でも分からない。

 だが、確かに今自分の喉が上下に動いた。


「っ……」


 もう一度、喉が上下に動く。

 今度は、しっかりと言いたいことがある。


 言いたいのに言えない。もどかしくて、僕は一度大きく深呼吸した。


 大丈夫。怖くない。

 僕なら、喋れる。


 そう自分に言い聞かせて、手を握りしめ、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。


「…っか……」


 とっさに自分の口を塞いだ。


 声が、出た。

 ほんの少しだったが、確かに声が出た。


 初めて祖母以外の人の前で声が出せて、思わず口角が上がる。

 その相手は、今は眠っているが、それでも出たということに変わりはない――と、思いたい。


「…ゎ、か」


 裏返って、あまりいい声ではなかった。

 んっ、と小さく咳払いして、もう一度口を開いて、息を吸う。


「和花」


 教室に響いた、自分の声。はっきりと聞こえた。

 初めて学校で発した自分の声は、なんだか新鮮に感じた。


 僕は、視線を窓の外に向けた。

 茜色と蒼色が混ざった、綺麗な空だった。



 和花は、なんて言うんだろう



 自分の声を聞いたとき、和花は一体どんな反応をするのだろう。

 話せたんだね、といつものように笑顔を向けてくれるだろうか。

 それとも、話せるならどうして今まで話してくれなかったの、と軽蔑の眼差しを向けるのだろうか。


 笑顔を向けてほしい。

 和花は優しいから、僕の好きな花のような笑顔を向けてくれる。と、そう信じたい。


 だけど、和花だって人間だ。ちゃんと感情がある。

 いつも笑ってばかりじゃないんだ。泣きたいときは泣くし、怒りたいときは怒るだろう。


 僕はため息をついた。

 いつも悪い方向へと考えてしまう。僕の悪い癖だ。

 悪いと分かっていても、どうしても考えてしまう。


「和希?」


 突然聞こえた声に、僕はビクッと体を震わせた。顔を下に向けると、寝起きの和花とばっちり目が合った。


「あ、私、寝ちゃってたね」


 目を擦りながらむくり、と起き上がった和花が、尋ねてくる。僕は取り敢えず頷いておいた。


「和希はどうしてここにいるの?」


「っ、……」


 また、声が出なくなった。

 和花の前で声を出すことに、まだ恐怖心を抱いている自分がいる。


 仕方なく、僕は両手両脇にある物を見せた。


「和希もプレゼンの準備? 私もずっとやってるの! えっと、先週ぐらいからかな」


 僕は、また模造紙を落としそうになった。


 真面目な和花は、放課後教室に一人で残ってプレゼンの準備をしていたということなのか。

 そのことをこの一週間、一週間も知らなかった。

 罪悪感を感じる。


「なんでそんなに悲しそうな顔をするの?」


 和花が、心配そうな顔をして僕を見つめてくる。


 一度道具を全て床に置いて、僕は制服のポケットからメモ帳とペンを取り出した。最近、和花と話せるようにと思ってこうしてメモ帳とペンを持ち歩いている。



『一週間も前から準備してたんだなって思って』



「あっ、あのね! 私凝り性なんだ! だから、余裕を持って始めないと、期限に間に合わなくなっちゃうの」


 そう言った和花に、机の脇に立てかけてあった丸めた模造紙を渡された。


 開いてみると、そこには丁寧に和菓子についてまとめられてあった。三色だんごや栗ようかんのイラストも、細かい影などまでしっかりと描かれている。すごいと思った。


「無駄に凝ってるでしょう?」


 和花は、眉をハの字にした。


「でも、中途半端じゃやめられないの。ちゃんと最後まで、自分が満足するまでやりたい」


 無駄じゃない。

 全然無駄なんかじゃない。


 本当は声に出したいのに、言う事を聞いてくれない僕の喉は、ちっとも声を出してくれない。

 だから、僕は首を左右に振るしかなかった。


 和花は、首をかしげる。



『見やすくて、僕は好き』



 そう書いたメモ帳を見せると、和花の顔がパッと輝いた。


「本当に!? ありがとう!」


 僕も嬉しくなって、穏やかな気持ちになる。


「あ、あのさ、和希」


 突然、和花が恥ずかしそうな顔をした。

 どうしたのだろう。


「こんなこと誰にも言えない。でも、誰かに相談したい。そんな気持ちになったことってある?」


 そんなこと、しょっちゅうだ。

 僕は間を置かずに頷いた。


「私、和希になら相談できる。誰にも言わないって、信じられる」


 それってやはり、僕が――

「言葉を話さないからじゃないよ」


 ちょうどそうなのかと思っていたときに、それを否定されたので僕は驚いた。まるで、僕が考えていることが分かるみたいだ。


「ただ……信用してるの。和希のこと。和希は感情が顔に出やすいけど、約束とか秘密は守るでしょう?」



 感情が、顔に出やすい……?



 でも、無表情だって言われているのに。

 感情のないロボットみたいだって、言われるのに。

 いつも一緒にいた祖母以外にも、僕の表情の微妙な変化に気がつける人がいたのか。


「だから、和希に相談したい。……いいかな?」


 女子は、仲のいい女子にしか相談しないのかと思っていた。誰にも言えないようなことなら、なおさらだ。それは、自分の秘密を打ち明けるのと同じことだろう。

 でも、そんな“秘密”を、和花は僕に話そうとしてくれている。


 僕は、力強く首を縦に振った。

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