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タオルと水

 体育の時間。

 この日の体育は、男子はサッカーで女子はドッヂボールをやることになった。


「和希! こっちだ!」


 クラスメイトの稜介(りょうすけ)が、ゴールの近くで僕に向かって大きく手を振りながら名前を叫んできた。


 僕は彼に向かって小さくうなずき、思い切りボールを蹴った。

 放物線を描き、稜介に向かって飛ぶボール。それを必死になって追いかける相手チーム。


 ボールは、誰の身体にも触れずに、俊介の足元まで届いた。


「行け、稜介!」


「稜介決めろー!」


 チームメイトの叫び声が、校庭中に響き渡る。


 稜介がボールを蹴ったあと、僕は長い静寂が続いたような気がした。時間がゆっくりに感じる。

 彼が放ったボールにしか意識が集中せず、自分の少し早くなった鼓動しか聞こえない。


 サッカーボールは、ゴールに向かって一直線に進んでいく。






「……っしゃあ!」


「流石だぜ、稜介!」


「やっぱ、和希と稜介のコンビネーションは抜群だなっ!」


 そんな声とともに、チームメイトの誰かに背中をポンッ、と叩かれた。



 そうか。稜介のゴールが決まったんだ。



 試合もちょうど終わり、三点差で僕らのチームが勝った。


 僕は小さくガッツポーズして、稜介のもとへ駆けて行った。


 よくマンガなんかでは、あまり学校などでは好かれないようなさえないキャラクターは運動音痴で描かれていることが多い。だけど、僕は運動は得意な方だ。クラスの人気者の稜介と一緒だと、さらに力を発揮できる。


 運動ができるところが、僕の唯一の利点かもしれない。


「稜介おつかれ! カッコ良かったよー!」


「おう、サンキュー!」


 女子のドッヂボールの試合も終わったのか、クラスの女子たちがコートの脇に集まっていた。彼女たちの手にはタオルや水筒が握られていて、やはり目当ては稜介だった。


「和希のパスが無ければ、俺はシュートを決められなかったよ。ありがとな、和希!」


 ニッと笑って、親指を立ててきた。


 僕は困惑したような表情をする。



 稜介は違う誰かのパスだったとしても、シュートできただろう?



「別にアイツのパスじゃなくても、稜介ならシュートできたって」


 僕が思ったことを、女子の一人が言った。


 確かに自分でも思ったことだけれど、人に言われるとダメージが大きい。


「和希、コントロールがいいんだ。だから、取りやすいしシュートもしやすい」


 稜介の言葉が素直に嬉しくて、珍しくニヤニヤしそうになったが、そのあとに耳に入ってきたクラスの女子の言葉にいつもの無の表情に戻ってしまう。


「そんなこと言っても、アイツなんの反応もしないよ。喋らないし、無愛想だし。稜介が褒めてくれてるんだから、少しくらいお礼を言ったらどうなの」


「おい、そんなこと言わなくたって……」


「何よ、本当のことじゃない」


 何も知らないくせに、偉そうなことを。



 ちゃんと言わない自分も悪いとは思うけど、言えないんだから仕方がないじゃないか。


 もしも、僕がみんなに身振り手振りで“喋れない”ということを説明しようとしたとして、それをみんなは真面目に聞くだろうか。


 きっと――いや、確実に聞かないだろう。


 仲良くするつもりはないし、今更説明なんてする気もないけれど。だけど、いちいち僕の気分を害するようなことを言ってくるのはやめてほしい。


 この場にいるのが嫌になって、稜介たちに背を向けて歩き出す。


「あっ、和希!」


 稜介の声がしたが、僕は振り向きも止まりもしなかった。


 女子たちへの怒りが、ふつふつと湧いてくる。


 僕のことが嫌いなら、構わなければいいのに。嫌いなら相手にしたりしないはず。稜介はどう思っているのか知らないけれど、女子たちは明らかに僕のことを嫌っている。



 正直、構わないでほしい。



 一応「弱い」という立場にいる僕を悪く言って、自分を強く見せているのか。「強い」という立場にいる人たちには何も言えないくせに、自分が強くなるわけがないだろう。


どす黒い何かが、自分の中をものすごい勢いで駆け巡っていく。それがとても嫌で、しかし嫌だと思えば思うほど自己嫌悪と彼らへの嫌悪感がさらに湧いてくる。悪循環だ。


「あっ、あの、和希」


 いろいろなことにイライラしながら歩いていると、誰かに声をかけられた。


 「誰か」と言っても、思い当たる人は一人しかいないが。


 僕は立ち止まり、振り向いた。


 やはり、和花だった。僕を走って追いかけてきたのか、少し息があがっている。


「これ……和希に、なんだけど……」


 彼女の手もとを見ると、タオルがあった。綺麗にたたまれたタオルだ。


「あっ、でも和希そんなに汗かいてないね! ごめんね、いらなかったかな!?」


 和花が慌て始めた。


 確かにそんなに汗はかいていないから、タオルは必要ない。

 でも、想い人が渡してくれたタオルを受け取らないわけがないだろう?


 僕は、あたふたし始めた和花が握りしめているタオルを奪い取り、自分の顔を拭いた。ふわふわしていて、温かかった。


「え、和希……?」


 タオルから目だけを覗かせると、和花はコテン、と首を傾げて不思議そうに僕を見ていた。

 一瞬目が合い、顔ごと彼女からそらす。


「……ああー!」


 和花は手をポンッと打つと、僕にちょっと待っててとだけ言って、どこかへ走って行ってしまった。



 どうしたんだろう?



 突然何かを思いついたような、または思い出したような声を出して走って行かれても……


 思い当たることがなくて悩んでいたら、和花が小走りで戻ってきた。


「はい、どうぞ。喉、乾いてるんでしょう?」



 ……え?


 水?



 和花は、ついさっき買ってきたのであろうペットボトルを持っていた。ペットボトルに結露が付いている。

 でも、なぜ突然水なんて持ってきたのだろう。別に喉が乾いているわけでもないし……


 僕がペットボトルを受け取らず、驚いた顔でずっと和花を見ていたせいか、和花はまたあたふたし始めた。


「も、もしかして、いらなかった!? さっき、水道の方を見たからてっきりほしいのかなって……」



 水道って……何の話?



 和花がチラッと目を向けた方に顔を向ける。そこには、水道があった。



 ああ、そういうことか。



 タオルで顔を拭いて、和花から顔をそらしたときに見た方向が、たまたまこの水道がある方だった。それで、和花は僕が水を欲しがっていると思ったわけだ。



 僕は、そんな彼女の優しさに惚れてしまったんだ――



 「とっ取り敢えず、これは私が……て、えっ」


 和花が、ペットボトルを持っている方の手を自分の後ろへ隠そうとしていたので、僕は慌てて彼女の手首を掴んだ。


「かっ、和希?」


 無意識だったので、自分でも驚いた。


 しかし、離さなかった。

 離したくない。

 離したら、和花が僕の目の前から消えてしまいそうで、怖かった。


「どうしたの?」


 困惑したような表情で、僕の顔を覗き込んできた。すかざす目をそらす。


 急に恥ずかしくなって、和花の手首を掴んでいた手を離した。


「やっぱり、水いるの……?」



 どうしてそうなっちゃうかな……



 苦笑しそうになるのを堪えながら、僕は水を受け取った。

 一口飲み、キャップを閉める。


「やっぱり欲しかったのね! なら、ちゃんと言えば……あっ……」


 和花が、気まずそうな顔をして口を閉じた。


 相手が和花だから特に気にしなかったけど、何だか申し訳なく感じた。


「……なんで和希は喋らないの?」


 ド直球で聞かれた。

 僕は、少し眉尻を下げる。



 本当は、話せるはずなんだ



 どうしたら彼女に伝わるんだろう。

 この場に紙とペンはないし、ジェスチャーで伝えられる自信はないし……


「もしかして、和希は――」


「和花ぁー!」


 和花がそこまで言ったとき、校庭からクラスの女子の声がした。

 僕も和花も、校庭に顔を向ける。


「頼みがあるんだけど、いいかな?」


「あっ、うん! いいよ!」


 笑顔で答えたあと、僕を振り向いた。


「ごめんね。呼ばれたから行くね」


 申し訳無さそうな顔をして、和花は校庭へと走って行ってしまった。



 本当は頼みごとなんてないくせに



 校庭の真ん中に女子たちが集まって、さっきからこちらをずっと見ているなと思ったら。どうやって和花を取り返そうかと考えていたのだろう。分かりやすいウソだ。


 しかし、優しい和花は疑いもせずに行ってしまった。


 少し寂しさを感じながら、僕は校舎の中へと入っていった。



和花は、何と言おうとしたのだろう。

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