第三の殺人
人数が一挙に減り、残されたのはついに、諸人、ユニ、レイ、穂香の四人になった。
三日目は、何事もなく過ぎた。食事の時間は無言、味わって食べることなどできず、穂香は涙を零した。だが他の人間は、それを見て見ぬふりをした。
レイは穂香を憎んでいた。それは言うまでもない。穂香が名前を書きさえしなければ、涼は死ぬことはなかったのだから。彼は復讐に燃え、小黒板を探し歩いた。その日、小黒板が見つかることはなかった。そして四日目、この日も朝から小黒板を探し歩いたが、見つけることはできなかった。
ゲームに関係のない殺人をしてはならないというルールさえなければ、この手で穂香の首を絞め彼女を殺めることもできたのに。
四日目の夜になり、レイは部屋に戻った。するとそこには穂香の姿があった。彼女は両手を後ろに回し、黒いブラジャーとパンティ、さらにはガーターベルトをしたいでたちで、それは拉致された日、夜に泰三を喜ばせるために用意した勝負下着に他ならなかった。
この女、僕が不穏な動きをしているのを嗅ぎつけたか。そして僕を誘惑でもするつもりなのか……。レイは彼女をひどく蔑んだ目で見下した。
「何の用だ。誰の許可で僕の部屋に入った」
俯いて伏し目がちな視線を送っている穂香は、
「レイ先生は、私をお憎みになってますのね」
「当然だ」
そう返すと、穂香は後ろ手にした右手から、果物ナイフをちらつかせた。レイは反射的に穂香に飛びついた。こいつ、僕を殺すのか――!すると、穂香は、
「きゃあああ! 助けて! レイ先生が襲ってきますの!」
「なんだと!」
レイは驚いた。穂香は果物ナイフを傍に投げ、何度もきゃあきゃあわめきたてた。すると諸人とユニがやってきて、
「何事ですか先生、ってわっ、穂香さんどうしてそんな恰好を?」
穂香は泣きじゃくりながら、
「レイ先生がいきなり私を部屋に呼び出し、ナイフで脅して服を脱がせましたの……」
「違う、誤解だ、僕が部屋に入ったとたん、彼女がこんな恰好でいて、いきなり果物ナイフをちらつかせ……てっきり僕に殺される前に殺しに来たんだと思って……」
穂香は笑いを必死でこらえながら、泣く演技をした。
「どっちを信じたらいいんだろうね」
「とりあえず、安全のため、しばらくレイ先生は諸人くんの部屋で保護しよう」
ユニはそう言って、諸人と一緒にレイの腕を掴んだ。
「誤解なんだってば! 頼む、離してくれ、一人にさせてくれ!」
レイが去っていくと、誰もいない部屋で穂香は狂ったように笑った。
「ざまあみろですわ! 明日になっても怯える演技をして、あいつの動きを封じ、それまでに小黒板であいつを殺して……くくっ、五億円、五億円!」
諸人とユニはレイを部屋に連れていくと、
「もう自由にしてあげよう」
ユニがそう言うと、諸人とレイは、「え?」と首を傾げた。
「レイ先生は女性を脅すような人じゃない。全部はあの女の傲慢。自分の色気を過信して、どんな男も自分の体目当てに近づいてくるっていう妄想から、あんな小芝居を演じた。本当に、短絡的な人間だから。彼女は」
「……僕のことを信じてくれるんだね」
ユニの言葉に、レイは少し涙ぐんだ。ユニは続けて、
「あんまりこういうことは言っちゃいけないけど、あなたは涼を失った悲しみに暮れている。そんなあなたが性欲目的で穂香を襲う理由はない。穂香に復讐しようと考えるのは、決して悪いことじゃないよ。本当は殺しというのは容認してはいけないこと。だから、彼女をどうするかはあなたの自由としか、私には言えない。だけど私は、それを決して、邪魔しない」
諸人も、うん、と頷いて、レイの背を叩いた。
レイは部屋に戻り、キープしておいたワインに口をつけ、眠った。冷えていたので、シーツに包まって寝込んだ。
目覚まし時計がないので、いつもは執事がマスターキーを開けて起こしに来るのだが、五日目の今日は、レイは早く目が覚めた。新しいスウェットに袖を通し着替え、鏡の前で髪型を整えてドアの前に立った。
ドアの取っ手には、小黒板がぶら下がっていた。レイは崩れ落ちたかと思えば、ぽろぽろ涙を零し、
「涼……」
と漏らし、声を殺して泣いた。
食堂には、諸人が座っていた。そこへ穂香がやってきた。
「大丈夫ですか」
昨日のあれは演技と分かっていながら、尋ねると、穂香は、
「ええ、でも怖いですわ。刃物を向けられたの、初めてだったんですもの。ねえ、諸人先生、私のこと、守ってもらえます?」
「ええ、可能な限り」
少し冷ややかに言ってのけたが、穂香はニコニコしていた。それからユニとレイがやってきて、食事が始まった。
「ねえ穂香さん、ここのお風呂はきれい?」
「あらあなた、お風呂使ってませんの? 不潔ですわよ。女の子なんだから、私のように毎日入らなくちゃ」
「そう。じゃあ、今日入る」
「お風呂と言えば、今日はワイン風呂をご用意しております」
立っていた執事が口にした。
「まあ、素敵! もうこの後から入れますの?」
「ええ。十分ほどお時間を頂ければ、ご用意いたします」
「では、食べ終えたらすぐ用意して頂戴」
「かしこまりました」
そして穂香は食事を続けた。
「ユニはこの後どうするの?」
諸人が尋ねた。
「散歩かな」
「僕も一緒にいいかな」
「うん、いいよ」
そして全員、食事を終えた。
諸人はエントランスでユニと落ち合い、丘を下って行った。
「いい眺めだよね」
ユニはそう言ってあくびをかみ殺し、のびをした。
「眺めがよくないところにホテルは建てないでしょ」
「もう、つまらないこと言ってさ」
ユニは口を尖らせた。
「ゲームを終えて、表に出たらいろいろ調べることがあるな」
そうだ。このホテルを渡した業者、買い取った法人、黒幕の正体。
もし自分が次の加害者になったら――全てを失うことになる。冴子も、病院も。
「諸人くん」ユニは言った。「次の殺人を無事に切り抜けたあと、小黒板が諸人くんのところに来たら、どうする?」
「え……」
もう一度、冴子の像が頭をよぎった。さんざん悩んでいたことだ。小黒板を使うということは人を殺めることであり、法の下で罰せられる。無論、殺人教唆による殺人であることは明らか、それも脅迫されての上だ。運が良ければ執行猶予がつくだろう。それでも、殺人者であることに変わりない。本当に、理不尽で何度泣きたくなったろう。だが小黒板に名前を書かなければ、死んでしまうかもしれない。
「……今は考えたくない」
「そう。ならいいけど」
ユニは座り込み、霞がかった向こうの山に連なる温泉街と思しき風景を眺めていた。諸人も座った。
「ねえ、諸人くん」ユニはくすくす笑っていた。「私のジョーク、まだ気づかない?」
「え? ジョークなんていつ言ったの?」
「諸人くんに小黒板が渡ったらどうする、っていうジョーク」
「なんでそれがジョークなんだよ」
「勝ったのよ」
ユニは諸人の目を見て言った。
「レイは穂香を殺し、今頃自殺をしてる」
全身の鳥肌が立った諸人は、
「いや……待って、どうしてそんなことが言い切れるの? 穂香さんが小黒板を手にする可能性は大いにあるし、レイ先生が穂香さんを殺したって、僕たちのどちらかを殺すかもしれないじゃないか」
「もう犯行は始まってる。いや、終わった。ま、私の勘が正しければの話しだけれど。レイは私たちを殺さない。その根拠はね」
ユニはにこりと口角を上げ、それから伏し目がちに、
「レイは、婚約してるの」
「誰と」
「小柴涼とだよ」
ユニを残して、諸人は館へ駆けて行った。すると玄関に執事が立っていた。
「おや、お待ちしておりました。窪塚諸人様。北里レイ様から、文書をお渡しするようにと」
渡された紙をぶんだくると、つづら折りになった紙の一番上にはこう書かれていた。
「遺書」
……嘘だろ。諸人はその場に崩れた。そして最初の折り目を開いた。
「諸人くん。ユニさん。今までありがとう。お願いがあります。この文章を読むのは、まだ待ってください。ユニさんはどうやら大変優秀な方です。涼よりも彼女の方が頭がきれる人間だと思う。彼女と一緒に、僕が心の底から憎んだあの女の死にざまを見てから、この続きを読んでください。僕の死体は、どうでもいいので」
読み終えると、後ろからユニがゆっくり歩いてきた。そして、
「ね、言ったでしょ?」
と語りかけた。そこに執事が割り込んで、
「北里レイ様と牧野穂香様の死亡は確認されました。レイ様は、部屋のドアノブでネクタイを使い、首をくくったようです。そういうわけですので、おめでとうございます。あなたがたはP・ゲームにご参加する権限を……」
そこまで言うと諸人は執事の胸ぐらを掴み、
「穂香の遺体はどこだ? 言え!」
と叫んだ。
「ですからA・ゲームの趣旨は犯行を明らかにするものではないのでして」
「言うことを聞かないのならP・ゲームを放棄する! それともあれか? 放棄したら殺すってのか?」
「……わかりました。今日一日、猶予を与えましょう。牧野穂香様のご遺体は、お風呂場です」
「そうでなきゃおかしいと思ったよ」
ユニは肩を回し、これから一仕事をするような身振りをしてみせた。
現場の風呂場に着くと、脱衣所に入り、曇りガラスの向うが浴室になっていた。だが、鍵がかかっている。
「あんたが掛けたのか?」
諸人は問い詰めた。
「いえ、それはありません。お渡ししましょうか? 犯行メモ。そこには私のマスターキーを使う指示はありませんが」
「いらない」
ユニは即答した。
執事は、ドアにタックルした。しかし開かないので、諸人もタックルした。するとドアは開いた。
浴槽にはカーテンが引かれ、空中には気化した赤ワインのアルコール成分が溶け込んでおり、長時間いたら酔ってしまいそうだった。穂香の姿は見当たらない。浴槽のカーテンを開けると、赤ワインの瓶が五本浮かんでいるのが見え、湯船は真っ赤だった。
「確かにワイン風呂だな……」
「ここに小石が落ちてたよ」
ユニが足元を指差して小石を見せた。小石はピンポン玉くらいの大きさだった。浴槽に手をつけると、
「あちっ」
お湯は六〇度近くあるのではないかと思われた。執事が手を入れると、
「遺体はこちらです」
口をあんぐり開け、視線が定まらない、穂香の遺体が、執事に抱き起された。
非常に残酷で恐ろしいと思った。欲のために人を二度も殺した人間の末路が、ワインの海に溺れて絢爛に死ぬなんて……。
それにしたって、これは完全な密室殺人だ。レイはどうやって、この犯行をやってのけたのだろう。
「ねえ、物理学的に考えて、この石を鍵に取りつけて落下させると鍵が閉まったりしない?」
「うーん。測量器具もないし計算も僕はできない。ただ、石の重さと糸の長さを調節すれば、できなくもないだろうね」
「でも現場に糸やワイヤーはない。おっと、それより死因を特定させないとね。外傷はある?」
引き上げた死体の隅々までみたが、外傷はなかった。
「ということは溺死だと考えるのが合理的だね。叫び声を上げさせないで済むもの」
「そう考えたら、石なんて使わなくても、ドアの隙間にワイヤーを通して鍵を閉めればいいんじゃないかな。なんでこんな回りくどいことを?」
「いや、鍵の構造上それは無理。この鍵は、弁を縦から横に回すことで閉まる構造になっている。もしワイヤーを使って閉めようとすると、どうやっても、弁が斜めになって、完全には閉まらないのよ」
ユニは考え込み、浴室を歩き回った。すると執事が、
「では、私は事務室でお待ちしております。気が済み次第、なるべく早くP・ゲームへのエントリーをしに来てください」
彼は去って行った。
「何か手掛かりは……」
ユニは格子の構造を確認しているようだった。格子は浴槽の真上にあり、吹き付けガラスの奥に、鉄製のものが備わっていた。幅は、拳一つ分は入る。
「石をおもりにしたということは、反対側からも留めておく必要があったんじゃ……」
諸人が浴槽の縁に手をつけると、
「ん?」
なにやらつるっとした感触がした。諸人はすかさずそれを見た。
「蝋……?」
「何? よく見せて!」
そう諸人が発言したら、ユニは、ずいと割り込んで、じっくり蝋を見つめた。すると、ぱん! とユニは手を打ち、
「できあがった!」
と、浴槽に響き渡る声で言った。
「どういうこと?」
「こういうことだよ」
ユニは犯行の推理を次のように示した。
まず、穂香がワイン風呂に入ろうと、脱衣所に入る。そこをレイが尾行し、タイミングを見計らい、脱衣所から浴室に入るところを取り押さえ、大声を出される前に浴槽に彼女の顔を押し付け、溺死させる。ワイン風呂の中に沈め、彼女の肺にワインが入るようにして浮き上がらないようにする。そしてここからが本番だ。執事か館の人間が用意した、熱したワインの瓶を、格子のところに栓を開けて並べ、それとは別にワイヤーを用意して真ん中を石にゆるくくくりつけ、片方をドアの鍵に巻き付け、もう片方を、これも館の人間が用意した固形状の蝋で浴槽に固定しておく。このとき、ワイヤーの長さは余らせ、ドアの隙間から引っ張れるようにしておく。この段階ではまだ密室ではないが、外に出て、熱したワインが冷めないうちに外側から格子に並べた五本のワインを突き倒す。すると浴槽のかさが増し、蝋のところに届き、蝋は融点つまり溶ける温度が低いので、ワインの熱で簡単にとけ、ワイヤーが外れ、石のおもりで鍵がしまる。最後は外側から、石と鍵にからみついたワイヤーをうまく操って外し、部屋から引っ張り出して持ち去る。こうして密室のできあがりということなのである。
二人はバスルームから出た廊下で話し始めた。
「初歩的な密室だね。現場をちょっと見るだけで、あっという間に解けちゃったんだから」
「それより、遺書の続きを読もう」
諸人はユニを呼び寄せ、遺書を開いた。長々と続きが書いてあった。
「死体は見てくれたかな。話は遡るが、涼と僕は、性的関係を持っていた。もっとも僕はホモではなく、バイなのだけれど。彼の家へ行ったとき、涼は僕を送ると言った。その夜、僕は涼をホテルに誘った。当然ビジネスホテルだけどね。涼は拒んだが、渋々応じた。僕はベッドで彼を抱きしめた。ハンガーにコートをかけ、二人ともセーターを着ていた。冬だったのだ。ウールの海に飛び込み、飲まれたかのようだった。鼓膜が破裂しそうなほどの温もりだったよ。男を抱くのは初めてだったから、正直緊張していた。涼はにっこりほほ笑んでくれた。ああ、この愛こそ……。僕はそっと涼と唇を重ねた。そして胸板にしがみつき、じゃれあったあと、行為に及んだ。涼も僕を愛してくれた。幸せな日々が続いた。二人でアメリカに行って、同性婚が認められている州に移住しようと約束した。これが婚約だと決めつけてはしゃいでいた自分を、可愛く思うよ。ところがそこで思い出したのだ。ずっと望んでいた、涼とのテレビ対談のことを。これまでずっと死ぬ気で英語を勉強し、涼と結婚し、アメリカの大学で教鞭を執ろうと計画していた。ところがこの計画に巻き込まれ、涼を奪われ、僕は生きる目的を失い、どうでもよくなった。悔いはない。彼との幸せな時間は消えないから。最後に執事に聞いた。君たちは本当に、僕たちの敵なのか、君たちの敵は誰か、と。バカバカしいと思いつつ。すると執事は、教えてくれた。
ユニさん。彼らの敵は君だそうだ。気をつけたほうがいい。諸人くん、君は僕とそんなに年は離れていないようだが、若いんだから可能性があるさ。彼女を守ってやってくれ。
本当に短い間の奇妙なめぐりあわせだったが、ありがとう。さようなら」
諸人は読み終えて言った。
「ユニ。君は一体何者なんだ?」
彼女は遠い目をして言った。
「私は……」ユニはそこで言葉を飲みこみ、「行こう」
諸人は何も言わないことにした。二人は事務室へ向かった……。




